プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -
ベリーベリースイートナイトメア
2.悪夢を渡る者
私は考え事をしながら歩くクセがある。
プリズムの病棟から中央管制室に向かう途中も、彼女のカルテを睨んでいた。
乱暴に且つ分かりやすく説明しよう。
ドールズの脳は人間の脳をクローン培養したものを改造、使用しており一部は機械化され情報などはディジタライズ化され処理される。
だが人間の脳とて何もかもすべてが解明されているワケではないのだ。
私の命題でもあるのだが、人間の脳の未開の部分が超心理学に大きく関わっているという説がないでもない。
超心理学というのはまあ、超能力を科学的にアレしたものだな。
先ほども言ったがドールズの脳の一部は機械であり、残りは生身だ。生身の中には解明されていない部分も含まれる。
機械と生身の狭間で発生するストレスは、ドールズに様々な効果を及ぼす。
廊下を歩きながらカルテをめくったが精神鑑定の結果がない。
そういえば紅緒が読んでいるんだったな、彼女の専門は心理学で精神分析だ。
といっても実を言うとドールズに人間の精神鑑定が効くかどうかは未だに不明瞭である。
まあないよりマシだ、参考にくらいはなるだろう。
「紅緒君。そっちの精神鑑定の結果はどうかね」
カルテから眼を離して顔を上げた時だった。
そこは十字路になっており、一方向が階段になっている。薄青のツナギを着、三角巾をかぶった清掃婦が床にモップをかけていた。
紅緒と院長は姿を消している。
というよりは私が余所見をしている間にはぐれてしまったのか?
参ったな。私は方向音痴なんだ。
とりあえず十字路の階段の脇にかかっていた案内図を見てみたがさっぱりわからない。
現在位置を示すものが何もないのだ。
「あー、忙しいところすまんが中央管制室ってのはどっちだね」
私のすぐ背後で背を向けてモップをかけている清掃婦に声をかけたが、返事はなかった。
聞こえなかったか、自分が声をかけられたとは思ってないかだな。
私はその肩を叩いた。
「失礼。道を聞きたいんだが」
清掃婦はゆっくりと、無機物のごとく床に倒れた。
床に接触すると同時に砂でできた人形のように粉々に砕け散った。私は一瞬、何が起こったか理解できずに立ち尽くした。どうなってんだ?
まあとにかく先に進もう、という気持ちが先行した。
何故かこの場から一刻も早く去りたいという焦りがじわじわと心に広がる。
元は清掃婦だった砂粒を後に、私は小走りに正面の通路を進んだ。
白い廊下の先で再びたどり着いた場所は、十字路だった。
清掃婦が床のモップがけをしていた。
心の底からイヤな予感がした。
私は恐怖を堪えて無言でそっと清掃婦の肩に触れた。
清掃婦は音もなく倒れると、前回とまったく同じように粉々に砕け散って砂になった。
夢か?
変な夢でも見ているのか。
袖で額の汗を拭いながら、私はこの直面している世界から逃れようとそんな考えを巡らせた。
夢ならとっとと覚めてくれ。悪夢を見ると目覚めが悪いんだ。
今度は右手の通路を選び、私は全力で廊下を走りぬけた。
たどり着いた場所は十字路で、清掃婦が床のモップがけをしていた。
それから何回通路を変えて試したかわからないが、私は消耗しきって壁にもたれかかっていた。
息が荒く、足がだるい。
階段を選んでも結果は同じだった、何回昇降を繰り返しても同じ場所へ戻ってくる。
眼が覚めたら紅緒にこの夢の話をしてやろう。精神分析医に私の正気を量ってもらういい機会だ。
足をひきずるように廊下を進む。
きっとこの先には清掃婦がモップがけをしている、あの十字路があるだろう。
頭がおかしくなりそうだ。
しかし今回は違っていた。
あの青いツナギが見えない。
代わりに床に何か、赤黒い塊が落ちていた。
この悪夢から覚める前兆かも知れん。私は疲れ果てた体に鞭打って先を急いだ。
赤黒い塊というのが元は人間だったという事を理解するのにわずかばかり時間がかかった。
死体だから特にショックだと言うワケではない。
こんなものはなんてことはない。オシリス・クロニクル社の実験ではもっと凄惨な場面を見続けてきたからだ。
しかし私はわずかながら、いやかなりの戦慄を受けた。
その死体の手足には、関節が増えていた。骨を砕かれているのだろう。
元に着ていた服は背広だろうか? しかし今は自身の体から流れ落ちた血で赤茶色に変色している。
そして彼の手足は、気まぐれに曲げられた方向にあった胴体の部分で縫い合わされていた。
外科手術で使う糸の中でも、体に吸収されないタイプの糸で皮膚と皮膚同士を直接縫い合わせてあるのだ。
彼の体は各部位で奇妙に折れ曲がりながら、奇怪なオブジェと貸していた。
まさに、悪魔が気まぐれで行った拷問の後のような様だった。
こんな事が平気でできる人間とは何者なのか? 私はその見えない憎悪と狂気に戦慄したのだ。
もっと驚いたのは、彼がまだ生きているという事だった。
顔は眼も口も同じく縫い合わされていたが、しきりに唸り声を上げている。
顔からして20代の後半ほどの男性だろうか。
恐怖と苦痛によるものか、頬はげっそりと落ち顔は真っ青に青ざめていた。
「動くな」
そう忠告してから私はポケットから持ち歩いているハサミを取り出し、彼の口を塞いでいる糸を一本ずつ慎重に切っていった。
ふと見ると、彼の胸の部分であった場所に小さな四角形のプラスチック片がある。
親指で血を拭うと、見慣れた社員カードが現れた。オシリス・クロニクル社の社員カードだ。
私がしばし考えを巡らせた時だった。
突然彼が最後の糸の一本を自分の顎の力で唇の肉ごと引き千切ると、恐怖に支配された声で言った。
「くッ…来る! あいつが来る!」
「あいつ? どこのどいつだ」
「な…『ナイトメアウォーカー』が来る!」
彼がそう絶叫した時、それに混じって耳障りな金属音が聞こえた。
断続的に聞こえるそれは、大量にボルトを打ち込んだ鉄板を床に叩きつけているような足音だった。
鈍い金属の音は、我々の5mほど先で止まった。
彼が恐怖で絶叫を繰り返す中で、背中に突き刺さる視線に振り返った私はそいつを見た。
「…プリズム?!」
そいつは確かにプリズムだった。
生白い肌もピンク色の髪も、細い体も見間違う事はない。
ただ、決定的に違うところがあった。
長い手術の後に抜け出してきたかのように、体中至るところに包帯を巻き右目には眼帯をしていた。
包帯の継ぎ目からは血が漏れており、そして所々見える肌には紅緒のように縦横に縫い合わせた跡のラインが走っている。
手術用のハサミやメスが背びれのように規則正しく突き刺さっている両腕は、生気なくだらんと下がっていた。
残った闇より暗い左眼は、私たちをじっと見ている。
「聖域へようこそ」
虚ろな眼のそいつは、口の端を歪ませながらそんな事を言った。
声もあのプリズムのイメージそのものの、か細くて儚い声だった。
こいつが『ナイトメアウォーカー』?
いかん。夢ならとっとと覚めてくれ、こんな悪趣味なアレはご免だ。
ナイトメアウォーカーは不意に右腕を持ち上げ、左手の手首のあたりへ持ってきた。
そして手首をブレスレットのように一回転している縫い糸の跡の中から一本、糸の端を見つけ出してつまむと力任せに引き抜いた。
糸を伝い、床に血が落ちる。
と、同時にその床にできた血溜まりに彼女の手首も水音を立てながら落ちた。
何をしているのかまったく理解できなかったが、すぐに私はこの身をもって知る事になる。
落ちた手首から奇怪な、泡が立つような音と共に筋肉が盛り上がるとそれはハサミのような形に成形した。
人間を真っ二つにできるくらい巨大なハサミに。
色が見る見る光を照り返す金属のそれに変わると、ナイトメアウォーカーはそれを満足そうに見つめた。
そしてバチン、バチンとハサミを開閉しながらゆっくりとこちらへと歩いてきた。
切れ味を試したいらしい。私達の体で。
あわてて飛び退かなかったら、私は飛び掛ったナイトメアウォーカーに真っ二つにされていただろう。
バチン!という金属同士が勢いよく重なり合わさる音が私のすぐ後頭部で響いた。
耳を塞いで廊下の階段を転がるように降り始める。
哀れな事に体中を縫い合わされたあの男はどうする事もできずにいた。
すぐに耳を塞いだ手を通して、二度目のハサミを閉じる音と空気を震わすようなあの男の断末魔の悲鳴が聞こえた。
恐らくはあいつに真っ二つにされたのだろう。影になっている通路の向こうから、鮮血が噴き出すのが見えた。
返り血を浴びて姿を現したナイトメアウォーカーは、まさに悪夢の産物だった。
こちらをギロリと睨むと、奴は左手のハサミを構えて階段を飛び降りた。
手すりを掴んで方向転換しながら、踊場を通り抜けようとしていた私の背中にハサミが唸った。
空気を裂く音と共に背中にぞわぞわする敵意を感じる。
白衣を切られたようだが、幸い中身に傷はない。
逃げ場はないがとにかく逃げねば!
焦りと久々の運動が、私の神経を鈍らせたらしい。
足がもつれると私は階段の最後の一段を踏み外し、戻ってきた十字路に転がった。
頭を打って一瞬眼の前に火花が飛び散る。
向こうに掃除婦が床のモップがけをしているのが見えた。
いかん、マズい!
あお向けになると顔いっぱいに凄惨な笑みを浮かべたナイトメアウォーカーが跳躍しているのが見えた。
私は身を竦ませて眼を閉じた。
これが悪夢だと願いながら。
体が両断される苦痛を想像したが、その様子はない。
耳から聞こえる外の世界は静かだった。
おそるおそる開いた目の前は真っ白だった。だけどすぐに、それが何なのかわかった。
ナイトメアウォーカーのハサミはその内に私の胴体を捕えてはいたが閉じられる事はなかった。
13,4歳くらいだろうか?
後姿だけだが画用紙を切り抜いて作ったような、髪も肌も何もかもが真っ白な少女だった。
彼女が私とナイトメアウォーカーの間に割って入ると、ハサミをその両手を持って閉じられるのを防いでいたのだ。
「消えなさい」
その白い少女が、強くはっきりと言った。
彼女の声色はナイトメアウォーカーと同じだったが、意思の強さを感じさせる声だった。
ナイトメアウォーカーは憎々しげにその来訪者を睨むと、ハサミを閉じる力を抜いてゆっくりと床に倒れた。
あの清掃婦と同じく床に接触すると同時に、ナイトメアウォーカーは砂のように粉々に砕け散った。
振り向いた真っ白な少女は、黒い瞳を除いてすべてが真っ白だった。
しかし顔は若干幼くとも、プリズムと同じだった。
肌とまったく同じ色のワンピースをまとった彼女はミルと名乗った。
色んな事がありすぎて私は頭の整理がつかなかったが、とりあえず話し掛ける事にした。
というか何か話さないと気が変になりそうだったからだ。
「ま、とりあえず助けてくれてありがとう。私はネク」
私は手すりを掴んで立ち上がると、着衣を正した。幸い足首を捻ったりはしていないようだ。
「とにかく今は情報が欲しい。この世界、今私を二つに切り分けてくれようとした奴、そして君。
一体なんなんだ?悪い夢かコレは」
混乱を押さえ務めて冷静に私は言った。
ミルは手についた血を払うと、私に向き直った。
「そう。これは夢なの」
「素晴らしい。ならとっとと覚めてイチゴのジャムつきでトーストと紅茶を頂きたいもんだね」
「聞いて。これはプリズムのアクセスなの」
「アクセス?」
アクセスとはドールズが生まれつき持っている超自然的な力の事である。
さっきも言った通り、脳内の生身の部分と機械の部分のストレスから生まれる力だと私は考えている。
「そう。彼女は夢を使って他人を食べるの。ポルターガイストと同じで、起こしている本人に自覚はないけれど…」
ミルは妙に大人びた表情を見せる少女だった。
「貴方は今プリズムの夢に迷い込んでしまった。ここは胃袋と同じ。今会ったあいつは…ナイトメアウォーカーは『胃液』なの。
貴方を殺して消化するまで永久に追いかけてくるわ」
とりあえず彼女は信用が置けるだろう。というか彼女以外にこの世界で正気を保っていられるものが何もない。
私は気になっていた質問を口にする事にした。
「脱出方法は?」
ミルは階段を一段昇ると、背伸びをし手を伸ばして私の額に触れた。
無機物か陶器のような感触の指先だったが、不思議と暖かさが感じられる。
「私が合図したら、貴方が現実世界で一番大切に思っているものを思いっきり願って。
それが現実世界へのノック代わりになるわ、強ければ強いほど成功率は上がる」
言われて私は少々迷ったが、やはりある一人を選んだ。
遠い昔の、もう私の記憶の中でしか生きていないある人を。
「いい?行くわよ。せーの!」
一瞬眼の前が暗転した。
そういえばこの子は…ミルは何者なんだ? それを聞いていなかった。
まだ間に合うだろうか?
「待った!ミル、君は…」
視界が戻った時、眼の前には視界を失う前とまったく同じ世界が広がっていた。
眼の前には病棟の階段がある。
振り向くと薄青のツナギを着た清掃婦がモップをかけていた。高鳴る胸を抑え、私は清掃婦に声をかけた。
「すまんが中央管制室はどっちかね?」
「え?ああ、はい。一度地階に降りて正面の通路を真っ直ぐですよ」
「先生!」
白衣を脇に抱えて廊下を歩いていた私の耳に、突然聞き覚えのある声が入ってきた。
「紅緒君か」
振り向くと紅緒は息を切らせて私に駆け寄ってきた。
「何処行ってたんですか!みんな心配してたんですから」
「一時間や二時間そこら消えたからってそう騒ぐな」
紅緒は眉を潜め、一瞬言葉に詰まったがやつぎに話し始めた。
「何言ってんですか、UFOにでもさらわれたんですか!? まる一日、24時間もどこ行ってたんです?」
今度は私が眉をひそめた。一日?
あそこでナイトメアウォーカーと追いかけっこをしていた時間は、堂堂巡りで迷っていた時間を含めても二時間足らずだろう。
どうも時間の進み方が違うらしいな。ふむ、面白い。
「こいつに付着してる血液を今すぐ調べさせてくれ。プリズムはどこにいる?」
ナイトメアウォーカーのハサミに付着した血のついた白衣を紅緒に押し付けると、私が聞き返した時だった。
医者と看護婦たちが慌しく一つの移動式の簡易ベッドを押しながら廊下をこちらにやってくる。
医師の一人は糸切だった。
私はベッドに並んで走りながら、驚いた表情を見せる糸切に話し掛けた。
「ネク博士!? 今までどこに…」
「それは後だ。何事だね?」
私は簡易ベッドに横たわっているプリズムを横目で見ながら行った。
「またです…腕がくっついて包帯が取れると同時に彼女、自分の腕に自分でボルトをねじ込んだんです。
ベッドのボルトを指で抜いて…」
(画像提供・ノバタチョヲ様。THANK YOU!)