プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -
ベリーベリースイートナイトメア
3.中宮紅緒という女
突然迷い込んだ悪夢の世界、私を殺そうとしたナイトメアウォーカー、助けてくれたミル、そしてプリズムの異常な行動。
これらは何か一つのもので全てが繋がるような気がしてならない。
私は自室でパソコンのキーを叩いてオシリス・クロニクル本社への報告書を作成しながら、どうにも腑に落ちない部分に考えを巡らせていた。
私が悪夢の世界から帰還した時、時間は夜の八時だった。
そこで紅緒君に初めて私が24時間ばかり消えていた事を聞き、そしてくっついたばかりの腕に自らボルトをねじ込んだプリズムの事を知った。
ドールズの腕は人間に比べるとはるかに簡単に移植する事ができる。
本社の地下倉庫には同じDNAから作られた手足・臓器などの『部品』がいくらでもあるからな。
本人の腕ならくっつかないワケはない。
といっても一日やそこらではわずかに動かす事ができても、力は入らないだろうし感覚もほとんどないだろう。
そんな体に鞭打ってまで何故プリズムはあんなマネを?
私達は神薙総合病院の裏手にある社員寮の三階に部屋を借りていた。
今回の仕事が済むまではここが自宅となるワケだ。
4LDKで割と小奇麗だが、本来は社員の家族も含めて暮らすワケだから一人ではかなり広い。
隣の部屋の紅緒もそう感じているだろう。
備え付けの机に病院から借りたデスクトップパソコンをおき、私は今こうしてキーを叩いている。
食事は病院の職員用食堂へ行けば取れるらしい。
非常に助かる、この前など一ヶ月間インスタント食品のみだったからな。
さて話を戻そう。
私が悪夢の世界で見てきたすべての事は夕食の時に紅緒に話した。
ひとしきり私の話を聞いた紅緒は私の働きすぎを指摘し、しばらく休暇を取ってみてはどうかとありがたいアドバイスをした。
この不肖の助手が。人をアレ扱いか。
まあ鑑識に出した白衣の血液の判定が済めば彼女も私の話を信じるだろう。
私が見たあの世界は、プリズムの心の内側の世界と見て間違いなかろう。
夢は正直にその人の本心を表すと言う。
ナイトメアウォーカーをプリズムの『攻撃性』と仮定すればミルは『理性』だろうか?
攻撃性か。あそこまで凶暴なんだからまあ何か憎むべき相手がいると考えて間違いなかろう。
プリズムは全身にボルトをねじ込まれて元の持ち主に虐待を受けていたな。では、彼女は元の持ち主を憎悪していると考えよう。
だとすれば何故また自分の体にボルトをねじ込んだりしたんだ?
自問自答を繰り返すうちに私はだんだん考えが煮詰まってきた。
いかんな、これでは一行に能率が上がらん。紅緒に相談するかな。
時計の針は11時を指している。まだ起きているだろう。
いくら隣の部屋だと言ってもいきなり独身女性の部屋を訪ねるのはマナー違反だと言うものだ。
私が受話器を手に取った時だった。
突然部屋の照明とパソコンの電源が落ち、あたりが闇に包まれる。
げっ! 停電か、まだ保存してないんだぞ!?
カーテンの隙間から漏れる町の照明と月明かりを頼りに私は足元のアタッシュケースを手繰り寄せ、ライターを取り出してつけた。
煙草はあまり吸わんが、衝動的にいきなり吸いたくなる時があるのでな。
100円均一で買ったジッポだが割といい調子だ。しかし一行に明かりが戻る気配はない。
そればかりか廊下の向こう側では何か慌しく人が行き交う音が聞こえる。
イヤな予感が脳裏を駆け抜けた。もしかして紅緒の『クセ』が出たのか!?
私はきちんとドアにカギをかけてライターを片手に廊下に出ると、手近な一人の男を捕まえて話し掛けた。
「何事かね」
「あっ、ネク博士!」
ライターの明かりの中に浮かび上がったのは、昼間病院で中央管制室で挨拶した時に会った医師の一人だ。
「中央階段の一階の配電盤で何かあったらしいですよ」
心の底からぞわぞわと不安が広がってくる。
マズい。圧倒的にマズい。間違いなく私の予感が的中している。
「借りるぞ!」
男が持っていた懐中電灯を奪い、あっけにとられる相手をその場に残して中央階段に向かって走り出した。
真っ暗な階段を駆け下りると数人ばかりの人間が配電盤の周りに遠巻きに集まっていた。
「ネク博士」
足音で私に気づいた一人が振り返った。
「先生の助手の方が自殺を…」
彼の悲痛な声を聞きながら人を押し退けて配電盤の前に出ると、案の定そこにいたのは紅緒だった。
上半身は薄いタイトなシャツのみ、下は昼間見たのと同じパンツスーツだった。
髪も服も濡れているのを見ると、通電性を上げる為に水をかぶった筈だ。
濡れたシャツは彼女の白い肌が透けて艶かしかった。
紅緒は体中に銅線を巻いている。手に巻きつけた両端の先は恐らくこじ開けたのであろう配電盤の裏蓋の内側に繋がっていた。
自分の体に電気を流したのだ。
床にぺたんと座り込んだ紅緒はうつむいたまま時折ビクン、と体から火花を散らして痙攣していた。
部屋を出る際、アタッシュケースから取り出した絶縁材でできた手袋をつけると、私はニッパーで彼女の体の銅線を一本ずつ切断し始めた。
「お気の毒ですが…」
「あーいや、違うんですよ。ホントに何でもないんで…」
適当に受け答えてやりすごしながら、私は銅線の戒めから逃れた紅緒の腕を掴んだ。
「ほら、立て。この不肖の助手が!」
「う…」
バチン! ともう一度火花を散らしてしゃっくりのように体を痙攣させると、紅緒はトロンとした虚ろな表情の顔を上げた。
快楽を貪りきった後のような表情だった。
ピンク色に上気した顔にははっきりと縦横に走る赤茶色のラインが見えた。
体温が上がったせいで肌の繋ぎ目が浮き上がったのだ。
配電盤を取り囲んでいた男たちが驚愕の声を漏らしながら後退する。そりゃそうだ、普通は死ぬからなこんなマネすれば。
「なっ…なん」
一人が言葉に詰まってうめき声のような声を上げた。
「大丈夫だ、死にはせんよ。こいつは電撃では死なないように『作られて』いるからな。配電盤の修理費は本社に請求しといてくれ」
不意に、紅緒を掴んでいた私の手が軽くなった。彼女が自力で立ち上がったのだ。
「私が誰だかわかるな?」
焦点のあっていない、消耗しきった紅緒の目を覗き込む。
「…仕事中毒のネク・ホワリー先生です…」
「いらん枕詞はつけんでいい」
「…先生…」
不意に紅緒が私の肩に手を回した。
避けようとしたが間に合わず、バヂ! と紅緒に掴まれた私の右肩から右手の指先にかけて、ほんの一瞬電撃が走った。
同時に皮膚に火がついたような苦痛が走り抜けてゆく。
「いででででバカ! 触るな!」
あわてて紅緒の手を振り払う。ずっと正座をしていた足のように右手の感覚が痺れた。
その場の連中に後処理を任せると、私は紅緒の手を掴んで廊下を歩き始めた。
相変わらず紅緒は茫然自失のまま、私に手を引かれるままに歩いていた。
今の彼女に意思らしい意思は感じられなかった。ただふらふらと周囲に虚ろな視線を漂わせている。
懐中電灯の明かりを頼りに暗い廊下を歩く事数分、やがて紅緒の部屋の扉の前までたどり着いた。
「勝手に入るぞ」
紅緒に忠告した後ノブを回した。カギはかかっていなかった。
紅緒を布団の中に押し込むと同時に胸のポケットに突っ込んであるケータイが鳴った。
彼女を起こさないように慌てて隣の部屋に行ってボタンを押すと、相手は中年の男の声だった。
「糸切です、職員に電話を受けたんですが」
「ああ…紅緒君の事か」
さてどう説明したものか。
適当にはぐらかしても納得すまい、何より信用を失うと後々面倒だ。
質問を浴びせ掛ける彼に、私は務めて冷静に説明を始めた。
まあ一言で言えば紅緒は『感電中毒』だ。
自分の体に電気を流す事に異常な快感を感じるという、奇怪なクセを持つ女である。
中宮紅緒と出会ったのは私がオシリス・クロニクル社に入社してからすぐだった。
助手として会社がつけたのだ。
しかし私は恐らく、私の性癖をコントロールする為に常識のある紅緒をつけたものと思われる。
まあ確かに紅緒が来る前までは食事と睡眠を忘れて失神するまで仕事をしていた事もあったからな。
会社としても私に早死にされても困るんだろう、まあ丁度心理学の専門も欲しかったところだしな。
初めてあった時、紅緒はまだ感電中毒ではなかった。ここからは彼女自身から聞いた話と私の推測だ。
紅緒は親に愛されなかったという過去を持つ。
そのせいかどうかは知らんが人一倍愛されたいという願望が強かった。
そういえば同じ男を連れているのを二度見た事がなかったな。
浮気の修羅場も数知れず、殺されかけた事も一回や二回ではないらしい。
男と遊んでいる時だけ、頭の中が真っ白になって悩む事が何もなくなる。だから止めようとしても全然止められなかったらしい。
しかしその恋愛はうわべだけのもので、ほとんどセックスだけが目的だったのだろう。
紅緒はある日何を考えたか、男とコトの最中自分に電気を流した(私は彼女の一方的な無理心中と睨んでいる)。
どちらも死にはしなかったが、それ以来紅緒は自分の体に電気を流すようになった。
私の助手となって数週間、ある日紅緒はオシリス・クロニクル社の実験室の一室で行動に及んだ。
私が仮眠を取っている時だったな。たまたま高圧線が剥き出しになっている装置がある部屋で、それに自ら触れたのだ。
電撃は彼女の白い肌と筋肉、内臓を焼き尽くし、瀕死の重傷を負った紅緒はすぐに手術室へ運ばれた。
食塩水か何かをかぶって電気抵抗をなくしていたら確実に死んでいたらだろう。
私の願いで紅緒は元とは若干違う肉体を手に入れる事となった。
焼けてしまった筋肉や肌は人工のものと交換された。そう、電撃に耐えられる特殊なヤツだ。
二週間ほど手術を繰り返し、やがて紅緒はフランケンシュタインのようなつぎはぎだらけの体と引き換えにちょっとくらいの電流を体に流しても
決して死なない体となった。
この手術を行ったのは私と同じく三博士の一人であり、ドールズのボディの開発総指揮を行ったDr.パンハイマだ。
彼はいい実験ができたしデータが取れると笑って私に言ったもんだ。
「つまり」
受話器の向こうの院長が怪訝そうな声を出す。
「彼女のボディはドールズと同じというコトで?」
「ああ。戦闘用ドールズの肌と筋肉、内臓に骨格。脳以外のすべてが耐電性の人工物だ。ま、記憶の方もかなり飛んでたがね」
「…それって人間なんですかね?」
「さあ? どうですかね」
人工臓器によって命を取り留めた人は多くいるが、脳以外のすべてが人工物というのは珍しいケースである。
「手術後にあいつァ言いましたよ。『何で私を助けたの』ってね。
…死にたいのなら食塩水をかぶってから高圧線に触った筈だ。快楽を得るっての以上に多分、誰かに気づいて欲しかったんだろうな。
紅緒は弱い人間なんですよ」
電話を切った後、私はポケットに突っ込んでおいた筈の自室のカギがない事に気づいた。
いかんな、紅緒の部屋に落としてきたか。そういえば布団に押し込む時に身を屈めたからな、あの時か?
ケータイをしまうと私は再び紅緒の部屋に入った。
奥の居間に落ちているだろう。
私と同じ間取りだがさすがは女性。来て早々に散らかし放題の私の部屋と違って整然としている。
横たわる紅緒の枕もとに落ちていたカギを拾い上げてポケットに突っ込んだ時、紅緒が寝返りを打ったので正直驚いた。
闇の中に浮かび上がる紅緒の肌は雪のように白く見えた。
「起きているのか?」
いかん。夜這いだと思われたら私の社会的地位が危うい。焦って出した声は余計に後ろめたいものがあるようだ。
しかし紅緒はそれからピクリとも動かなかった。
「…あー。その…なんだ」
そっと居間を出る際、私は振り返って彼女の声をかけた。どう励まそうかしばし言葉に詰まる。
まあ周囲も停電ばかりで相当迷惑だが、一番悩んでいるのは紅緒なのだ。
こういうのは苦手だ。人間は計算式ほど思ったとおりにいかんからな。
「私も今年で28歳だが…生まれてきてから色々な事があったよ。その内でも君と出会えた事は『良い事』のうちにカウントされている。
…明日は出勤しろ。以上だ」
言い残して部屋を出た。うぐ。あまり励ましになっとらんな。
…こういうこた相手が起きている時に言わないと意味がないって?
紅緒は人を騙すのが下手だ。すぐに顔に出る。
私を寝たフリでごまかそうなど10年早い。