プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -






ベリーベリースイートナイトメア

4.ミル


 トーストにジャムを大量に塗ると、それを二つに折って口に運んでいる私を紅緒は『よくそんなに甘いものが食べられますね』という顔で見ている。

 向かいの席の彼女の朝食は和食だ。

 ここは朝食を取りにくる職員で賑わう、朝の神薙総合病院の社員食堂。

 私と紅緒は隅の机に向かい合ってつくと、朝からこれまでの事を話し合っていた。

 職員たちの一部は紅緒と私に怪訝そうな視線を投げかけてくる。

 そりゃそうだ。私の向かいにいるのは昨晩自分の体に電気を流して停電を起こした女だからな。

 紅緒は今朝、別段いつもと変わらずに出勤した。私も内心胸を撫で下ろす。

 「で、紅緒君の意見を聞きたいワケだ」

 私は悪夢の世界で見た事を今一度話し、今朝朝一番で回ってきた白衣に付着した血液の分析結果を見せた。

 悪夢の世界でナイトメアウォーカーに攻撃を受けた時についたものだ。

 これの分析には追加注文を頼んである。

 即ち今までプリズムと出会ったが故に失踪した22人のすべてのDNA情報と照会させたのだ。

 オシリス・クロニクル社の社員はすべてDNA情報を本社に保管してあるからな。

 結果、この血液は失踪した一人の社員のものと一致した。

 つまりあの悪夢の世界は私が働き過ぎたが故に見た妄想や幻覚の類いではなかったという事だ。

 これには紅緒も押し黙った。

 「先生が見たという…その。プリズムの顔をした怪物と、ミルでしたっけ?はですね」

 皿の上の干物を箸で突付きながら、紅緒がまだ口紅をしていない口で言った。

 朝食の後にするつもりなのだろう。合理的だ。

 「私の個人的見解によれば恐らくは『葛藤』だと思います」

 「葛藤?」

 「彼女の中で二つの感情がせめぎあっているんです。ナイトメアウォーカーとか言うのを憎悪や憎しみとすればミルは恐らく

 『希望』だと思いますわ」

 「私と似た様な推論だが『希望』とは? 何のだね」

 「すべてです。プリズムが元の持ち主を憎悪していると仮定すれば、まだ心の底に僅かに持ち主に対する希望のようなものが残って

 いるのではないでしょうか?その二つは今もプリズムの中でせめぎ会い、戦っている」

 「体中にボルトを埋め込まれてもまだ『もしかしたらあの人は本当は優しい人で本心でこんな真似をしたんじゃない』って思ってるワケか?

 あきれた楽観主義者だな」

 熱いコーヒーに牛乳を注いで飲み干しながら悪態をつく。インスタントコーヒーだが私は味に文句は言わない主義だ。

 「ですがまだ、もう一人のプリズムがいるんだと思います」

 「三人目の?」

 「ええ。彼女は多分純粋すぎるんです…それが故に大きく心を傷つけ、歪みが生じているのだと。

 ですが恐らくはまだ何ものにも汚されていない、真っ白な部分がきっとどこかに」

 「私に今度あの世界へ迷い込んだらそれを探して来いとでも?」

 面白いジョークだが絶対にご免だ。

 「で、今日はどうするおつもりですか?」

 「ふむ…プリズムの四肢は?」

 「今回は傷が浅かったようですから、切断せずに治療している筈ですよ。

 ドールズは治りが速いからまた同じような事になるんじゃないかしら」

 ふう、と紅緒がため息をつく。

 「そういえば何故プリズムは何度も自分の体にボルトをねじ込んだりするんだ?」

 私は気になっていた事を聞いてみた。

 紅緒は少しだけ視線を落とすと、哀れみを込めて言った。

 「恐らくは、持ち主の記憶をより鮮明にする為に…思い出の写真を何度も眺めるように、彼女もまたボルトを埋め込む事で元の持ち主の

 ことを思い出しているんだと思います」



 少しずつわかってきた。

 プリズムは多分、憎悪しながらもまだ心のどこかで元の持ち主に心を寄せている。

 その好きだという僅かに残った感情がミルなのだろう。

 私と紅緒はドールズ用の隔離病棟の廊下を歩いていた。紅緒がプリズムの精神鑑定をしたいというのだ。

 もちろん止めたが、こう見えて紅緒はこういう場面で制止を聞くような性格は持ち合わせていない。

 私は渋々ながらもOKして用心の為彼女に自分の持っていた拳銃を渡した。

 次回もしかしたらプリズムにあの世界に引き込まれたら丸腰ではマズいと思い、社から送ってもらったのを携帯していたのだ。

 ナイトメアウォーカーにこんなものが効くとも思えないが、ないよりはマシだろう。

 白衣のポケットに銃をしまい込んだ紅緒は心配ない、と笑って言った。



 私はプリズムの病室の前で報告書を読み直しながら、紅緒を待っていた。

 第三者がいないほうがいい、という紅緒の言葉を信じたのだ。

 はっきり言って気が気じゃなかったが、無理矢理自分を落ち着かせて私は時間が過ぎるのを待った。

 40分経ったら終わると紅緒は言っていた。あと三分だ。



 定刻を過ぎ、更に10分経ったが紅緒は出てこなかった。

 私は深夜のコンビニ前によくいる社会の屑の皆さんのように廊下にしゃがみこんで待ち続けたが、やはり紅緒は出てこない。

 イヤな予感がする。自分の額を汗が伝っているのがわかった。

 高鳴る胸を抑え、私は部屋をそっと覗き込んだ。

 広い室内には誰もいなかった。

 「クソッ」

 罵倒が他の言葉を制して出た。心を焦燥が覆ってゆく。

 部屋を見回したが誰もいない。ベッドの上も空っぽだ。

 プリズムごと消えたのか!?

 部屋に入るとベッドの敷布団に触れた。まだ暖かかった。

 ベッドの脇にはパイプ椅子が置かれている。恐らくは紅緒がこれに座っていたのだろう。

 どうする?こちら側から向こう側の世界に干渉する方法は?!

 とにかくもう一度病院の中を洗いざらい捜してみよう。

 私は中央管制室に行こうと部屋を出た。



 一階につくと本館へ行こうと廊下を急ぎながら、私はある二つの疑問が頭に浮かんでいた。

 紅緒に聞いたところ、前回私がプリズムの世界に引き込まれた時はプリズム自体には何ら変化がなかったという。

 だが今回は紅緒とプリズムの両方が同時に消えた。

 二つ目は今、感じ初めている疑問だ。

 廊下からも、部屋からも、窓を通して外からも何も音が聞こえない。何でこんなに静かなんだ?

 前方にだけ気を取られていたせいか、私は初めて足元に靴を通して違和感があるのに気づいた。

 立ち止まって下を見た時だった。

 床が、真っ赤になっている。

 いや…廊下に面している扉のすべてから真っ赤な液体が漏れ出し、廊下を河のように流れているのだ。

 急激に生臭い異臭が鼻をつく。もう何度もオシリス・クロニクル社の地下施設で嗅いだ、血のニオイだ。

 もしかして。

 もしかして悪夢の世界に飲み込まれたのは紅緒ではなく私だったのか?!



 各部屋から流れ出す真っ赤な液体(恐らくは血液)は、たちまちのうち私の膝下まで迫ってきた。

 窓の外を見ると、やはり私の膝あたりまで血の海となっている。

 とにかく上に上がろうと水の抵抗に苦心しながら前進を始めた時だった。

 足元を何か、私の背後から泳いできた細長いものが通り過ぎていった。

 濡れたズボンを通して肌に直接ぞわっと悪寒を感じる。

 気のせいだと思い直して先に進んだ時だ、私の進行方向へと向かって泳ぐ、水面下の大量のその正体不明の何かの影が見えた。

 ウナギかヘビのように細長く、体をうねらせて泳いでいる。

 バシャバシャという、たくさんの恐らくはそれが水を跳ねる音が聞こえた。

 猛烈にイヤな予感がする。

 私は全身に走る悪寒を抑えて、進行方向の先にあるその音が聞こえてくる部屋へ向かった。

 事務室という札が降りている。

 恐る恐る覗き込んでみると、その細長い生物が何かに群がって跳ねているようだった。

 そっと部屋に入ると、やっとその生き物がどんなもので、何にそれが群がっているのかがわかった。

 巨大な顎と全身に肌色の突起を持つ、ヤツメウナギをよりグロテスクにしたような魚のような生き物だった。

 そいつらが血の海に浮かんでいる人間に群がっているのだ。

 垣間見えるその人間の腹が不気味に蠢いている。

 恐らくその魚が肛門か口から体内に入り込み、内臓を食い尽くしているのだろう。

 全身齧られた跡だらけで、その死体の全身から赤い肉がちらちらと見えた。

 これだけでも充分悪夢だったが、もっと驚いたのはその死体だとばかり思っていた人間がやはり生きていた事だった。

 私を見つけると今まさに口から内臓に入り込もうとしていた魚をそのままに、私に向かって叫んだのだから。

 「たっ…助け…!」

 その時突然、すべての魚が弾かれたように一瞬でその男の前に集合した。

 やがて集合した魚が繋ぎ合い、組み合わさると人間の形へと変わった。

 体中に包帯を巻き、所々から見える生白い肌には外科手術の後のような縫合跡がある。

 ピンク色の肌が血のりでべっとり濡れていた。

 「久し振り」

 ナイトメアウォーカーは凄惨な笑みを浮かべて私に言った。



 私が何か言う前に、ナイトメアウォーカーは胴体の回りを一周するように縫合してあった糸の一端を摘んで力任せに引き抜いた。

 結合力を失った胴体は縫合してあった場所から真っ二つに折れ、上半身は前かがみに血の中に落ちる。

 その水音が止むより早く下半身の肉が盛り上がり、膨れ上がると途端に三つの長い首が生えた。

 そうだな、人間の頭部から髪・目・鼻・耳を除いて顔面いっぱいに口があると思いたまえ。

 人間を丸呑みにできるくらい巨大で長い首を持つそれが、ナイトメアウォーカーの残った下半身の切断部分から三つ生えてきたのだ。

 確かにその歯は人間そのものだった。

 それぞれがガチガチと空腹だとでも言わんばかりに歯を鳴らしている。

 恐怖に駆られて私はあわてて方向転換し、部屋を出た。

 視界からヤツが消える瞬間、前に倒れて血の海の中にダイブしたのが見えた。

 私が必至に血の海を掻き分けて走る間に、ナイトメアウォーカーは血の中を泳ぐように追ってくる。

 その時初めて水中を走る抵抗が増しているのに気づいた。膝下であった血が、いつの間にか太股の中ほどまできているのだ。

 冗談じゃない、私は泳げないんだぞ!?

 足元で掻き分けた血が背広と白衣に飛び散り、たちまち返り血まみれになる。

 こちらが地上を走るより早くナイトメアウォーカーは追ってくる。

 不意に背後で大きな水音がした。

 走りながら振り返ると、ナイトメアウォーカーが天井いっぱいに迫って見えた。

 私に向かって跳ねたのだ。

 「ぐっ…!」

 あわててたどり着いた階段の手すりを掴んで体を血の中から引きずり出す。

 私が0.数秒前までいた場所はヤツの歯に粉々に噛み砕かれた。

 振り向かずに重い足に鞭打って階段を駆け上がるが、背後からは何の音も聞こえなかった。

 踊場で立ち止まって振り向くと、ナイトメアウォーカーは血の海の中をうろうろ泳ぎ回っている。

 上がってこれないのか?

 私は崩れ落ちるように階段に腰を降ろした。急激な運動のせいで息が切れ、体中がガタガタだ。

 数十秒間休んで息を整えると、上の階を目指して階段を上がり始める。

 ナイトメアウォーカーが何をしてくるかわからないし、水位が上がり続けていたからだ。

 三階まで上がり、見渡しのいい屋上へ出る扉へ向かおうと廊下に差し掛かった時だった。

 11月の陽光が差し込む右手の廊下の奥に、絶望が半分の女性の形を取って現れた。

 ナイトメアウォーカーの上半身だ!
  死 に や が れ !
 「YOU DIE!」

 にっこり笑ってそう言ったヤツの上半身の、下半身とのつなぎ目の肉が盛り上がるとやがてそれは長い手首のついた四本の

 巨大な手となった。

 人間の胴体を掴めるくらいの大きさだ。それが四つ、ヤツの下半身の変わりに生えてきたのだ。

 四つの腕を体の前に出すと、ナイトメアウォーカーは手でピアノを弾くようにしてそれぞれの指で自身の体を引っ張りながらこっちに

 突撃してきた。

 馬が馬車を引くようにして、指はタイルの床を砕きながらナイトメアウォーカーの胴体を引っ張っている。

 あんなものに巻き込まれたら一瞬でミンチだろう、私は屋上へ回る左手の通路へ向かって走り出した。

 床を砕く連続的な衝撃音に混じってナイトメアウォーカーのけたたましい笑い声が聞こえた。

 クソ、銃は私が持っているべきだった!

 扉を蹴破って屋上のスペースへ出ると、私は一番奥の鉄柵を掴んだ。

 下に見える地面は真っ赤だ。例のあふれ出てきた血液に満ちている。

 遠くに町の建物が見えたが、やはりナイトメアウォーカーの足音以外は何も聞こえなかった。

 不意に背後で、何かを突き破る音が聞こえた。

 ナイトメアウォーカーが拳で扉をその周囲の壁ごと突き破ったのだ。

 自分の上半身を持ち上げるとヤツは獲物を視界に捕えた爬虫類のような目でギロ、とこちらを睨む。

 「クソ!」

 逃げ場を失った私は慌てて鉄柵をよじ登り始めた。

 ナイトメアウォーカーは楽しげに私の様子を見ると、もてあそぶようにゆっくりと巨大な指を動かして迫ってきた。

 鉄柵の頂上に差し掛かった時だった。

 私に追いついたヤツが拳の一つを振り上げた。

 「バイバーイ」

 意を決し私は鉄柵を掴んでいた手を離し、我が身を空中に投げ出した。

 すぐ背後でナイトメアウォーカーが鉄柵を殴って破壊した音が聞こえる。



 虚空に投げ出された瞬間、眼下に映ったのはこの瞬間を待っていたかのように血の海をぐるぐる泳ぎ回る巨大な何かの影だった。

 ナイトメアウォーカーの下半身だ。

 マズい、マズい、マズい!

 一階の窓はすべて血の海に沈んでいる、水中に放り出されたらヤツの前では私はもう何もできん!

 全身を電光のように駆け抜ける恐怖と絶望。

 私は思わず絶叫した。

 「ミル!」



 どうやら一瞬、失神していたらしい。

 私が再び意識を取り戻すと、すぐに目に映ったのは足元の三センチほど下ででガチン、ガチンと私を噛み砕こうと空しく歯を打ち鳴らす

 ナイトメアウォーカーのあの巨大な口だった。

 水面下から伸ばした、ヤツの下半身の首の一つだ。

 私は6階建ての病棟の4階あたりで引っかかっているようだった。

 白衣を掴んで私の体を支えていてくれる、画用紙を切り抜いて作ったような真っ白な少女の手によって。

 「間に合った」

 ミルはウェーブのかかった柔らかな白い髪を揺らしてにっこりと笑った。

 私の白衣の足元の端を持ち、吊り下げるような形でミルは私を支えている。

 お礼を言おうと私がミルの顔を見上げた時だった。

 その後方で憎々しげに顔を歪める、ナイトメアウォーカーが見えた。

 ナイトメアウォーカーがその四つの巨大な腕を広げ、私達に向かって飛び降りてくるのと同時にミルは私ごと手をかけていた四階の

 窓に突っ込んだ。

 ガラスの破片を浴びて廊下に転がると、すぐに落下してきたナイトメアウォーカーがその手で窓枠を掴んで停止しこちらをギロ、と睨む。

 重量で窓枠が砕けた。

 「ミィィィィィィィル!!」

 歯軋りしながらナイトメアウォーカーが憎々しげに叫ぶ。

 憎悪で瞳が赤く燃えていた。

 窓枠を掴んでいるのとは別の、残りの腕を手繰り寄せるとヤツは窓枠をブチ破って廊下に乗り込んできた。

 壁の破片から逃れようと立ち上がった私を守るように、ナイトメアウォーカーにミルが立ちはだかる。

 「前みたく消せんのか!?」

 情けない事にいきなり逃げ腰の私がミルに叫ぶ。

 「無理。ここはプリズムの本体にかなり近い場所なの。…こいつのテリトリーよ」

 …プリズムの本体? やはりミルやナイトメアウォーカーとは別に、汚れなき本体のプリズムがいるのか?

 「聞きたい事がたくさんあるんでしょ?まずはこいつを黙らせてからね」

 視線をじりじりと間合いを計るナイトメアウォーカーから外さずにミルは言うと、腰につけていた鍵束を外した。

 カギの一つを選ぶと自分の左腕の手首の鍵穴に突っ込み、回転させる。

 カギを抜いた瞬間に板金を曲げるような音と共にミルの腕が急速に裏返り、組替えを始めて変貌する。

 別にここが夢だと思えば何も驚く事はない。

 やがてミルの腕に完成したのは、凶暴に銀色の陽光を照り返す鋼鉄のチェーンソーだった。

 腕とチェーンソーが一体化しているのだ。

 クランクを思いっきり引っ張ると彼女の武器はけたたましく駆動を開始した。

 「さぁ行くわよ!」

 エンジン音に負けないくらい、勇ましくミルが叫んだ。

















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