プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -






ベリーベリースイートナイトメア

8.甘い悪夢


 懐かしい記憶と寸分違わない、愛しい光景。

 コンクリートの壁の中にある一つのスチール製の青い扉は、紛れもなく私の前の自宅の扉だった。

 『花李』という表札が降りている。

 不意に料理の香りが鼻腔を突く。シチューの香りだ。

 扉から漏れているのだ。



 私は自宅のあるマンションの一室の前に立っていた。

 日はとっぷりと暮れていたが、階段の柵の向こうのはるか彼方にはまだオレンジ色の夕日の残影が見えた。

 夕日が街をわずかに闇の中に浮かび上がらせている。

 目を細めてそれを見た私は美しいと思った。

 ノブを掴んで回転させ、扉を開くとすぐに狭い玄関に出る。

 そろそろ引っ越そうと考えていたんだ。ここは三人で暮らすには狭すぎる。

 玄関の右手の壁にはB4サイズに引き伸ばされた写真が額に入って飾られていた。

 私と、入阿と、生まれたばかりのハルカ。確か病院で記念に撮ったヤツだ。

 私は自分の笑顔を写真で初めて見たような気がする。

 私がそんな思いを巡らせていると、不意に奥の部屋から足音が聞こえた。

 パタパタという軽く、リズミカルな足音。

 「お帰りなさい」

 私を迎えてくれたのは娘のハルカだった。

 丸い頬がチャームポイントの美少女、というのは親の欲目だろうな。

 何がおかしいのか私を見て笑顔を見せている。

 後から聞こえてきた足音は妻のものだった。

 長い髪を束ねて背に垂らしている、垂れ目気味の優しそうな雰囲気の女性だ。

 エプロンで手を拭くと入阿は私をねぎらうように笑みを向けてくれた。

 「お帰りなさい、ネク。ご飯できてるわよ」

 何かもがもうすでに失ってしまった、優しい柔らかいベッドのような世界。

 妻も、娘も、娘の声も、そしてこの家も。

 何度も何度も夢に見た、だけどもう夢の中でしか手に入らない優しい世界。

 ふと、私は気づく。

 今まで何にあんなに駆り立てられていたのだろう?

 辛くて、苦しくて、何かもがイヤで頭の中を真っ白にする為にひたすら仕事に打ち込んでいた。

 …まあ、考えるのは止めにしよう。

 夕食を取ってハルカと沢山話そう。



 私が妻に返事をしようとした時だった。

 不意に誰かが私の肩に手を回し、耳元で囁いた。背筋が凍りつきそうな、冷たい女の声。

 「まずは『ただいま』って言ってあげたら?」

 振り向くと眼帯をした若い女の顔があった。髪はピンクで、顔には所々に縫合の跡がある。

 嘲笑と哀れみが混ざったような笑みで彼女は言葉を続けた。

 何故か恐怖その他一切の何の感情も浮かび上がってこなかった。

 ただその女の言う事だけが、空っぽになってしまった頭に響いた。

 「ここが貴方の求めていた世界じゃない?」

 「言っちゃダメ!」

 すぐに別の少女の声が聞こえた。

 私の頭の中から聞こえてきた、異様に透き通った声だった。

 私の目の前にいる女はそれが無視したのか聞こえないのかはわからないが、私に語り続けた。

 「辛くて苦しい世界だったんでしょう?貴方は妻と娘を失い、いつだって孤独と自責で頭が変になりそうだった。

 寂しくて寂しくて寂しくて寂しくて、夢の中で見るこの家だけが貴方が心の底から望んでいた世界。

 もうあんな辛い世界の事は忘れちゃおうよ。ここには何だってあるわ、貴方がずっと求めていた『安息』が」

 その女の息が私の耳にかかった。

 冷たい息だった。

 「難しい事なんてないわ、貴方はたった一言言って苦しい現実世界のすべてを諦めればいいの。

 愛しい人たちに言ってごらんなさいよ、『ただいま』って。

 そうすれば貴方が傷だらけになって探していたこの世界のすべてが手に入るわ」

 女が私の唇に殊更口を近づけ、囁いた。
    ベリーベリースイートナイトメア
 「このとてもとても甘い悪夢が」

 「ダメよネク!気づいて、貴方はヤツの術中に落ちてるの!」

 またどこかで声が聞こえた。

 目の前にはにっこり笑って私を待っている、二人の愛しい人がいた。

 私は一瞬も躊躇わず、彼女達に向かって一言言った。

 「さよなら」

 間髪いれずに懐から抜いた銃で私に密着していたナイトメアウォーカーの頭を吹き飛ばす。

 ナイトメアウォーカーのくぐもった悲鳴が響き渡ると同時に、視界の中のすべてが歪み、ねじれ、消えていった。

 愛しい二人の姿も。



 一回瞬きをする間に私は巨大な石造りのホールに立っていた。

 高い天井は見えるが、四方は闇の中に消えている。

 黒曜石のような光沢のある材質でできた床のタイルの硬さが靴を通して伝わってくる。

 そしてその床に自らの血液を撒き散らす、前に屈んで両手で顔を押さえているナイトメアウォーカーも見えた。

 「…何故?」

 その姿勢のまま、ナイトメアウォーカーが弱々しく私に声を発した。

 「何故なの? 夢に身を委ねれば貴方は自らの呪縛から逃れられるのに」

 「…もしあそこで私が二人の虚影を選んだとしても、ハルカも入阿も喜ぶ筈がないからだ」

 私は髪を後ろに撫で付けながら、ナイトメアウォーカーに向き直る。

 「ヒトは誰もが小石を積み上げて生きていく…思い描いた夢にいつか届くようにな。

 私は確かにかつてそれを自らの手で崩してしまったかも知れん。

 だがそれならばもう一度積み直せばいいだけだ!」

 「何故!? もうどんなに努力したって手に入りっこないのよ!」

 「手に入るさ。…私は私の為に小石を積み上げよう。それが成せればきっと、いつかハルカが行った場所と同じところへ

 たどり着く事ができる…私はそう信じている」

 「…」

 ナイトメアウォーカーが押し黙った時だった。

 頭の中に、途絶えていたミルの声が響く。

 「ネク! 大丈夫だったの?」

 「ああ。お前の声のおかげだ」

 「良かった」

 ミルが安堵の声を漏らした時だった。

 前かがみになっていたナイトメアウォーカーが勢い良く体を起こすとギン! と眼を見開いて私を睨む。

 顔を押さえている両手の隙間からは、とめどなく血液が流れ落ちている。

 憎悪に燃える赤い瞳の色が、金色に変わっていくのが見えた。

 ヤツが全身から霧散させた殺気を感じ取ったのか、ミルが反射的に叫ぶ。

 「離れてネク! あいつ、異形化するわ!」

 私がとっさに背後に飛び退るとほぼ同時にナイトメアウォーカーの体が風船のように急激に膨張を始める。

 ヤツの全身が急速に膨張し、ねじれ、組み変わって少しずつ形になってゆく。

 ナイトメアウォーカーの叫び声を私は聞いた。

 新たな形態に変わったヤツの産声だった。



 平たく説明すればメタモルフォーゼしたナイトメアウォーカーの形態はこうなる。

 まず4mほどの紫色の、腕が奇妙に長い人間の上半身。その首が本来あるべき場所に人間サイズのナイトメアウォーカーの上半身が生えている。

 そしてその巨大な上半身の胸には、肉食恐竜のような巨大な顎が口を開いていた。

 乱杭歯の奥に見える舌が獲物を求めてちろちろとせわしなく動いている。

 上半身から下は相応に巨大な蜘蛛のような昆虫のものとなっており、本来蜘蛛の腹に当たる部分から先は尾のように巨大な毛虫の

 体になっていた。

 蜘蛛と毛虫の背には何か複雑な青色の文様が浮かび上がっている。

 それは悪魔が気まぐれに様々な生物の肉体をつなげて作ったような、奇怪な生物だった。

 ナイトメアウォーカー本来の頭頂から蜘蛛の足の先までの体長は5,6mはあっただろう。

 小さな丘くらいの大きさだ。

 大きさに圧倒されて一歩退いた私にミルが激を入れる。

 「大丈夫、底力自体は互角よ! 大きさに惑わされないで!」

 「これが…ナイトメアウォーカーの本来の姿か」

 驚愕に固まる私を頭上のナイトメアウォーカーが見下ろす。

 ヤツがニィ、と口を歪めて笑ったのが見えた。

 「いい?前も言ったけど私と貴方は一体化してるの。

 最初はパワーのコントロールに戸惑うかも知れないけどすぐに慣れ…」

 ミルがその言葉を言い終わるより早く、ナイトメアウォーカーが上半身を仰け反らせた。

 同時にその胸の巨大な口の中に発生した小さな青白い球体が、たちまちのうちに膨張を始める。

 エネルギーを集中させて放出させるつもりなのだろう。

 ミルが私を促すよりも早く、私は床を蹴ってその場から逃れていた。体が軽く、予想以上の距離を飛んだのに驚いた。

 すぐに私のいた場所にナイトメアウォーカーの吐き出したエネルギー球が炸裂する。

 直径2mはあったであろうそれは地面に接触すると同時に急激に膨れ上がって閃光を放ち、消えた。

 閃光が消えると着弾地点が綺麗な半球を描いて消えていた。

 「あれだけはどうやっても防御できないわ。全部避けて」

 「言われなくてもあれを防御しようなどいうつもりはない」

 不意にナイトメアウォーカーが巨大な右腕を振り上げた。

 床を砕いて叩き付けられた拳を右に飛び退いて避けると、その腕に飛び乗りもう一度高く跳躍する。

 ミルと同化している運動性能だからこそできる芸当だ。

 目の前に迫ったナイトメアウォーカー本体の上半身に向かって銃口をポイントすると、立て続けに引き金を引いた。

 着弾の寸前でナイトメアウォーカーが自身の両腕で頭部を守る。

 その腕に命中した弾丸はすべて鈍い金属音と共に弾かれていた。

 落下し始めた私を狙って、ナイトメアウォーカーが蜘蛛と芋虫の胴体部分に描かれていた文様を発光させる。

 青く光り、浮かび上がった文様から並んで一度に連続で発射された何かが私に向かって迫ってきた。

 私が床に着地すると同時に飛びのくと、一発が私の動きについて来れずに床に着弾し爆発した。

 それは骨のような質感の、白い表層をした私の腕ほどの大きさのミサイルだった。

 背に僅かに爆風を受けながら、誘導するように私を追い駆けてくるミサイルに向き直ると私は銃を手にしたまま構えた。

 「加減を間違えると爆発するわよ」

 「わかっているさ」

 神経を研ぎ澄まし、迫ってくるミサイルに意識を集中させる。

 赤い尾を引いて飛んでくる先頭の初弾が私の体に命中する寸前に、その横腹を殴って軌道を反らせる。

 顔の横を反れたミサイルの尾の炎が霞めてゆく。

 初弾の影から現れた二発目は、弾頭を脇の下に押し込むようにして背後に受け流す。

 視界に入っている限りではあと5発だ。

 「ネク、上!」

 不意に聞こえたミルの声に、反射的にその場から飛び退く。

 私の鼻先を掠めて行ったのはナイトメアウォーカーの巨大な拳だった。

 私がミサイルの相手をしている間に拳を叩き付けたのだ。

 飛び退いた私を追ってナイトメアウォーカーが薙いだもう片方の腕をあわてて身を伏せてかわす。

 後退して体勢を立て直した。

 ほんの一瞬の攻防だったが、呼吸を忘れるほど切迫した戦いだった。

 ミルがこのときの為に溜め込んでいたエネルギーを開放したのだろう、体中を駆け巡るミルの力を感じる。

 いつかとは違い、ナイトメアウォーカーに対して微塵の恐怖も湧き上がってこない。

 激しい怒りと気迫が自分の内で渦巻いている。こいつはハルカと妻を汚した、絶対に許しておけん。

 「熱くなっちゃダメよ」

 なだめようと声をかけてきたミルに、務めて冷静に答える。

 「ああ。しかしどう攻めるんだ?」

 「頭を狙って、あいつ本体の頭部よ。他の部分はどれだけ破壊してもすぐに再生するわ」

 「難しい注文だな…」

 正面からは容易く防がれてしまったし、背後から回ろうにも背から発射されるミサイルの応酬には容易には避けられないだろう。

 私がじりじりとヤツとの距離を測りながら隙を探している時だ、不意にナイトメアウォーカーが仰け反ると大きく咆哮を上げた。

 何かが軋むような、ヤツの体全体から発せられた奇妙な絶叫が空間に響き渡る。

 ビリビリと空気の振動が伝わってくるのを感じた。

 「あいつも必死ね」

 「ここがお互いのデッドラインという訳だ」

 「…一つ、約束して欲しい事があるの」

 ミルが声のトーンを落とす。

 「何だ?」

 「ナイトメアウォーカーと私は一心同体って前言ったわよね? あいつが死ねば私も消えるの」

 「あ…」

 「でもトドメを刺す場面になっても絶対、一瞬でも躊躇っちゃダメ。

 それだけはしないで…お願い」

 ミルの感情が伝わってくる。寂しさに震える、子猫のような気持ちが。

 「…わかった。約束しよう」

 自分の胸に手を置いて私は答えた。

 少しでも、彼女に自分の体温が伝わるように。



 ナイトメアウォーカーとの戦いは一瞬も気の抜けないギリギリの戦いだった。

 ヤツは手数の多さで攻めてくる。

 私の行動を制限する為にしきりに背からはミサイルを放ってくるし、接近すれば巨大な両腕が唸りを上げる。

 そして隙あらばあの胸の顎から巨大なエネルギー球を成型し、撃ち出してきた。

 数回体を掠めたその攻撃には、何度も神経をすり減らした。

 直撃は一度も受けなかったが、ミサイルの爆風を何度か浴びている。

 全身に負った火傷の焼け付くような苦痛は私の意識を奪おうとじわじわと思考を曖昧なものにしてきた。

 避けきれずにかすったあの巨大な拳を受けた脇腹には鈍い痛みを感じる。

 肋骨が折れているのだろう。

 私は数回ナイトメアウォーカーの隙を突いて懐に飛び込み、本体に弾丸を浴びせ掛けたが一発として頭部には命中していない。

 腕に阻まれ弾き返されてしまうのだ。

 次第に体力を失い、鉛のように足が重くなる。

 一方ナイトメアウォーカーは疲れを知らない、猛り狂った獣のように攻撃を続けざまに浴びせ掛けてくる。

 そろそろ私の集中力も限界だ。

 すでに手と一体化しているに等しい銃の残弾は、あと二発しかない。

 とっくに白衣を脱ぎ捨てた私は、それでもヤツと向かい合って立っていた。

 突破口を開こうと思案を巡らせていると、ミルが決意したように声をかけた。

 「最後の手段を使うわ」

 「どんな?」

 息切れしながら私が答える。

 ナイトメアウォーカーは私の苦しそうな姿が嬉しいのか、楽しげに笑い声を上げている。

 「次の銃弾に私のすべての力を込めるわ。それをアイツに撃ち込んで」

 「何故最初からその案を使用せん!」

 「私が弾に全力を込めている間、貴方の体に宿っている私の力は抜けてしまうのよ? 生身でアイツと渡り合わなきゃいけないの」

 思わず息を呑んだ。

 ここまで私が致命傷を受けなかったのは、ミルの力が宿っていたからこそだ。

 「弾丸に全力を集中するのにいる時間は20秒間よ。できる?」

 「それしかないんならやるしかないだろう」

 「決まりね。じゃあ行くわよ!」

 体に満ちていた力が抜け落ちる感覚に、一瞬膝をつきそうになる。

 急激に全身に疲労が巡り、全身の火傷の苦痛が増加した。

 意識を手放しそうになったが私は気力で堪えて立ち直った。

 私のそんな様子を見ていたナイトメアウォーカーは私が力を使い切ったと判断したのだろう。

 仰け反らせたヤツの胸の巨大な顎に、エネルギーの球体が生まれるのが見えた。













(画像提供・sen様 THANK YOU!)

 第九話へ→

本・漫画・DVD・アニメ・家電・ゲーム | さまざまな報酬パターン | 共有エディタOverleaf
業界NO1のライブチャット | ライブチャット「BBchatTV」  無料お試し期間中で今だけお得に!
35000人以上の女性とライブチャット[BBchatTV] | 最新ニュース | Web検索 | ドメイン | 無料HPスペース