プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -
ベリーベリースイートナイトメア
9.終焉
「YOU DIIIIIIIIIIIIE!」
ナイトメアウォーカーが歪んだ笑いを浮かべて歓喜の声を上げた。
バヂバヂと火花を散らすヤツの胸部の顎に生まれたエネルギー球は、今までの倍くらいの大きさがある。
今からではどちらに走っても避けるには間に合わないだろう。
私は徐々に熱を帯び、白く発光を始めた銃をヤツに向けた。
「ミル、まだか!?」
焦燥に駆られて叫ぶが返事はない。
生涯で最も長い20秒間になりそうだ。
私を一気に消し飛ばすつもりなのだろう、ナイトメアウォーカーは必要以上にエネルギーを集中させている。
哀れな兎を嬲るような快感を感じ、恍惚とした表情で。
待ちかねた返事がきた。
「いいわよ、撃って!」
ナイトメアウォーカーはまだエネルギーの収束を続けている。裏目に出たな、間抜けめ。
「消えて無くな…」
るがいい、と続けようとした時だった。
突然、自分の視界に入っている自分の手が大きくブレたように見えた。
目の錯覚か? いや、違う。
銃を降ろして自分自身の姿を見下ろすと、私の全身にノイズが走っているのが見えた。
そうだな、言わばテレビの映りの悪いチャンネルのように自分の姿だけがノイズが混ざり大きく歪み初めているのだ。
「どうしたのネク!? パワーが安定しないわよ」
「私にだってわからん、構わん! このまま撃つ!」
「ダメよ、そんな事したらオーバードライブを起こして自爆するわよ?! 現実世界と連絡を…」
ミルが言い終わるより早く、頭の中で男の声がした。中尾だ。
「博士、緊急事態です! 聞こえますか!?」
「中尾か? どうした!」
「装置がショートして…どこかで漏電しているかも知れません、電力が足りないんです!
使用中にドリームシンクロナイザーが停止すると博士のスピリットはそこでそのまま消滅するかも…」
「説明はいい、とっとと何とかしろ!」
私が怒鳴り返す。
目前のナイトメアウォーカーの顎の中では、すでにはちきれんばかりのエネルギーが集中している。
そして今こうしている間にも私の体に混じるノイズは増え、歪みは少しずつ大きくなってきているのだ。
「他の実験室からケーブルをつないで電力をかき集めます、もう少し待っ…」
その時ナイトメアウォーカーが嬌声を上げた。
放たれたエネルギー球は、ヤツの体長と同じ位の大きさがあった。
絶望が球体の形を取って放たれた。
空気を焼きながら迫ってくるそれから一秒でも多く時間を稼ごうと、私は転身して走り出す。
ミルの力はもう借りる事ができない。
悲鳴を上げる全身に鞭打って私はあらん限りの力で床を蹴った。
背中にビリビリと強大な力の波動を感じる。
それが床を削る音だろう、岩石を砕くような乾いた音が背後で弾けるように聞こえてくる。
その音に混じって、空間に響き渡るナイトメアウォーカーの絶叫のような笑い声。
「中尾!」
「あと少し…クソ、ケーブルが届かない!」
叫ぶと同時に踵に強烈な熱を感じた。
背後の球体に触れて、靴の底が溶けたのだ。
もうそれと背後との距離は1mもないだろう。
ふと一瞬、ほんの一瞬だけ、紅緒の姿が脳裏をよぎった。
中尾が驚愕の声を漏らすのが聞こえた。
と同時に、私の体からノイズが消える。
反射的に頭から前方の床に飛び込みながら私は背後に顔と銃口を回し、体が空中に浮いている間に引き金を引いた。
発射された直後に膨大な光を放って膨張した弾丸が、私の直前まで迫っていた球体に正面から直撃した。
貫通してそれをかき消し驚愕に固まるナイトメアウォーカーに迫る際、私は発射された銃弾が形状を変えているのを見た。
弾は少女の形を取っていた。4枚の翼を×字型に開き、光に包まれた半透明のミルの姿だった。
防ごうと腕で体を守ったナイトメアウォーカーの防御を容易く突き破り、ミルがヤツの上半身に突き刺さる。
焦りがナイトメアウォーカーの表情を歪め、それはすぐに恐怖と絶望のそれに変わった。
ミルの体はナイトメアウォーカーに突き刺さったまま炸裂し、放った光が私の目を焼いた。
視力が回復する頃にはもう目の前には何も残っていなかった。
削れた床とその破片、そして銃弾の薬莢だけが何発も転がっていた。
何とか体を起こし、立ち上がる。
「ミル」
さっきまで私の内側に宿っていた彼女の名を呼んだが当然返事はなかった。
ショックで全身が強張っていた。
娘を失った事を実感した時と同じ感情が胸の内に湧き上がってくる。
「ありがとう。ミル」
礼を言って何時の間にか頬を伝っていた雫を拭うと、私は歩き始めた。
さっきまでは気づかなかったが、まだ全身に僅かに走るノイズが見えた。
「中尾。ドリームシンクロナイザーは?」
「ありもののケーブルを繋ぎまくったんで、電圧がまちまちなんですが…急いで帰還して下さい、どれほどまで持つのやら」
明らかに焦りを含んだ声で中尾が言う。
「ああ。すぐ帰る」
ガクガクになった足を運びながら、私は根拠の無い返事をした。
ミルを失ったショック、そして疲労と全身の火傷の苦痛で意識が朦朧としていたせいだろう。
私は何時の間にか自分が廊下を歩いているのに気づいた。
さきほどまでいたホールと同じく、大理石に四方を覆われている。
重苦しい空気は相変わらずだ。
通路の前方は闇が支配していた。
どれだけ歩いたかはわからないが、やがて正面の闇が晴れて通路の先に出口が見えてきた。
出口の向こうには誰かが座っていた。
足を引きずりながら苦心して進むと、見えてきたのは一人の少女だった。
ミルがママと呼んでいた存在…彼女の一番心の底に存在する本体のプリズムだ。
通路を抜けた先は狭い個室になっており、彼女はそこに床にぺたんと腰を降ろしていた。
プリズムはいつか見た時とは違い、放心したように焦点の合わない視線で正面の一点を眺めていた。
元から人形のような容姿とあいまってか、まったく生気というものが感じられない。
ピンク色の髪を流した彼女は、余計に人形のように見えた。
通路を抜けてそこに入ろうとした瞬間、私のつま先を硬いものが阻んだ。
不思議に思って手を伸ばすと硬い、ガラスのような見えない壁が部屋と通路とを遮断している。
「くそっ」
罵倒を吐くと私は初めて、部屋の向かいにも通路に抜ける入り口があるのに気づいた。
そしてすぐに、その闇から溶け出してきた人影にも。
そいつは半身を失っていた。
火傷を負った全身は醜く膨れ上がり、黒煙を上げている。
髪は中ほどで焼け落ち、右腕は黒炭化して二の腕から下はなくなっていた。
「熱かったよー」
糸を引くグチャグチャになった体の一部を床に落とすと、ナイトメアウォーカーは口の端を歪めて笑った。
私と初めて会った時と同じ笑みだった。
バカな!?
アレの直撃を受けたのに!?
驚愕に固まる私から視線を外すと、ナイトメアウォーカーは見えない壁に手を触れた。
向こう側にも存在していたのだろう。
「今まではねー…この壁が邪魔をして入れなかったんだ」
ケタケタと体を揺らして笑ったヤツの体から飛び散った血が見えない壁に飛んで付着し、流れ落ちる。
「でもちょっと遅かったね。私の勝ちだぁああああああ!!!」
叫ぶと同時にナイトメアウォーカーが両手を透明な壁にくっつける。
空中に亀裂が走ったのが見えた。壁を破壊しようとしているのだ。
いかん。このままでは先を越されてしまう。
私はあらん限りの力を振り絞って壁を殴ったが、空しく音だけが響く。
相変わらず壁の向こうにいるプリズムは、ぴくりとも動かなかった。
「ム・ダ。私が壁を破壊してるんじゃあないんだ。最も私にそんな力は残ってないけどねー」
明らかに瀕死の重症を負いながらもナイトメアウォーカーは余裕たっぷりに言う。
「どういうことだ?!」
ふふふ、とヤツは楽しげに笑った。
「ママは私を受け入れるつもりなの。貴方は嫌われたみたいね」
「プリズムは…諦めてしまったと言うのか!?すべてを?」
「ビンゴゥ! 貴方は誰も救えませんでした!」
もう一度ナイトメアウォーカーが両手を壁に押し付けたまま、心の底からおかしそうに笑いながら言う。
「私はママに望まれて生まれ、そして今望むままにママと同化する。貴方はそこで歯噛みして見てなさい」
ヤツの方の壁には速くも縦横無尽に亀裂が走り始めている。
砕けるまでもう数分もないだろう。
「プリズム!」
声は聞こえている筈だ。私はそう確信した。
「聞いてくれ、プリズム!そいつを受け入れてしまったら君は終わりなんだぞ!?
ナイトメアウォーカーを受け入れるという事は君が君自身のすべてを諦めるって事なんだ!」
プリズムは、私の言葉に髪さえ揺らさなかった。
しかし私は諦めなかった。
「君は出口じゃないところを見ているだけなんだ、そこが世界の全てと勘違いして!
振り向けばまだ無限に世界は広がってる!そこは君が自分で作った檻なんだ!
檻を破壊するのは君しかできない、お願いだから…」
私は床に自分の涙が落ちたのに気づいた。
「頼む…自分を諦めないでくれ…」
ガラスを粉々に砕く音がした。
ナイトメアウォーカーが壁を破ったのだ。
「ハ! ちょーーーっと遅かったネー!」
部屋に乗り込んだヤツがプリズムに手を伸ばした時だった。
プリズムが髪を揺らして、私の方を向いた。
相変わらずひどい隈ができている。
電撃が走ったようにナイトメアウォーカーの腕が弾けた。
プリズムは何かを懇願するような眼で私を見ていた。
私は無理矢理笑顔を作って見せた。
「…出よう。ここから。一緒に帰ろう…」
起き上がろうともがくナイトメアウォーカーの頭上に、一人の少女が立っていた。
「諦めなさい。貴方の負け」
全身が薄く透け、画用紙というよりは薄布でできたような体のミルだった。
哀れみを込めてナイトメアウォーカーを見下ろすと、ミルは呟くように言った。
「かわいそうな子…貴方もママの愛が欲しかったんでしょう?」
「う…う…」
憎々しげにミルを睨み返しながら、ナイトメアウォーカーがくぐもったうめき声を上げた。
バン!と私の目の前の壁が勢い良く弾け飛ぶように砕け散る。
部屋の中に入った私にミルが声をかけた。
「死ぬには至らなかったみたいね」
「そのようだな」
「…手を、握ってあげて」
私がプリズムに向き直ると、彼女が手を伸ばしていた。
私がその手を握り返す。
プリズムのか細い、心細げに震えていた冷たい指ははしっかりと私の手を握った。
「離しちゃダメよ。すぐに一緒に送り返してあげるわ」
「ミル…」
「大丈夫」
ミルがにっこりと笑って見せた。
「死ぬわけでも消えるんでもないわ。私もナイトメアウォーカーもまた、ママの内側に帰るだけ…すぐにまた会えるわ」
その笑顔に懐かしい記憶の中のハルカの笑顔が重なった。
「さ、意識を集中させて。向こうでも問題が起きてんでしょ?」
「そうだったな。じゃ、又会おう」
別れの挨拶もそこそこにした時だった。
名残惜しそうにミルが私を呼んだ。
「ネク」
「?」
「大好き」
眼を細めてミルがもう一度笑った。
それが、私がミルを見た最後の姿だった。
すぐに視界のすべてが光の中へと消えていった。