プワゾンドールズ
- ディスティニィ・チャイルド -






プリンセス オブ エストラ

5.ジェフキンスの罠





  結局、湯屋に関してはシュマリが折れた。

 「ロクでもねえモン拾っちまったな、ほんとに」

 悪態を吐き出しながらやってきた木造の建物の湯屋には『花の雫』という名の看板が下りていた。

 入り口の受け付けで入浴券を二枚買い、シュマリの灰色杖とシェラハの短剣、それぞれの武器を預けて入る。

 三階建ての広い店内は宿屋のようにいくつかの個室に分かれており、『人間』だの『リザードマン』だの『エルフ』だのと、種族の

 表札が降りていた。

 案内してくれた店員の少年が言うには、種族別に分けておかないと様々なトラブルが起こるそうだ。

 人間は獣人が入った後の毛だらけのお湯には浸かりたくないし、潔癖症のエルフはドワーフが入った湯には触れようともしない。

 まあ知的生物はお互いに歩み寄り、理解しあう事が大切だが、ある程度は区別する事も時には仕方ない。

 シェラハは『婦人用』、シュマリは『毛の長い人用』とある部屋に通された。

 「毛が長いって…まあ、長いけどなあ」

 何だか複雑な気分になりつつ、彼は身を屈めて扉をくぐった。

 思ったより室内は広く、脱いだ衣服をかけるハンガーや小物を置く小さなテーブル、使い古したドレッサーなどシックな調度が趣味良く

 並べられている。

 中央にはこの部屋の主役であるバスタブが置かれ、ハーブや南国風の花が浮いた湯が湛えられていた。

 湯気で曇る室内は蒸し暑く、北国育ちのシュマリには堪えた。

 どうにも故郷の温泉と勝手が違う為にしばし呆然としていると、ドアをノックする音が温暖な空気の中に響く。

 返事をする前に扉が開き、彼をこの部屋まで案内した少年が顔を出した。

 「お背中、流しまーす。初回の人にはサービスですぅ」

 「んあ。そうか」

 愛想笑いで揉み手する少年を迎え入れると、彼はバスタブに手を突っ込んで湯の具合を見ながらシュマリをまじまじと見上げた。

 「あんたみたくでっかい人は始めて見るよ。いや、二回目かな」

 「おー。誰か俺くれえデカイやつがいんのかあ」

 この街を歩いて気付いたが、自分の視点で見えるのは他人の頭のてっぺんばかりだ。

 どうやら世界全体から見るとムグミカ族はでかい方に入るらしいとシュマリは理解していた。

 少年は自分のすぐ側にある小さな椅子に彼を手招きをしたが、自分の体重では潰れてしまうだろうと不安に思ったシュマリは

 どっかりと床に腰を下ろした。

 洗面器に湯を汲んで彼の広い背にぶっかけると、少年は石鹸で泡立てた手拭いを押し付ける。

 ここで様々な種族の背中を流してきたのだろう、何の躊躇もなさげだった。

 「うん。道具屋のおっさんが熊人でさ。でもあのおっさんは毛皮の色が茶色だったなぁ」

 「何だぁ、茶色ぉ?」

 振り返ったシュマリに少年はうんうんと頷く。

 「俺はここで生まれたからよく知らないけど、熊って普通は茶色なんじゃないかなあ。

 お客さんみたいに喋ったりしない野生のやつもね。

 ちなみにおっさんがいるのは『輝石堂』っていう道具屋だよ。後で行ってみれば?」

 「世界はまったくもって広いだなあ」

 彼が腕を組んで世の広さに思いを馳せていると、その頭に少年がお湯をかけた。



  シュマリの体ではどう考えてもバスタブに入れないので、体を洗うだけで済ませて彼は湯屋を出た。

 石鹸を擦り付けてごしごし洗った彼の体は見違えるほど真っ白になっており、硬くなっていた毛皮もふかふかだ。

 日は真上にあったがやや傾きかけている。

 そよぐ気持ちの良い風を顔に受けながら、シュマリはしばらく店先でシェラハを待った。

 返してもらった灰色杖を手に待つ事数刻、彼女の姿は一向に現れない。

 受け付けの中年の女に聞いてみると、彼女はカウンターの奥に向き直った。

 そこの壁からは糸が沢山伸びており、それぞれ先端にはコップのようなものがくっついている。

 インクで番号の書かれたそのコップの中から一つを選ぶと、彼女はそこに声を吹き込んだ。

 「おーい、今どんな具合ー?」

 すぐに彼女はコップを今度は耳に付け、何やらふんふんと頷いている。

 もう一度軽く言葉を告げてコップを戻すと、彼女はシュマリに向き直った。

 「長引いてるみたいねえ。長旅だったんでしょう、そりゃ垢も落したいよ」

 「んあ。それぁ何だあ?」

 シュマリの太い指が向けられている沢山のコップを見ると、女は笑って教えてくれた。

 「ああ。これはね、このコップに吹き込んだ言葉を反対側にいる相手に伝えられる道具だよ。

 魔法の糸を使っていてね、『言の葉繋ぎ』って言うの」

 「ちょ、ちょ、ちょっとやらしてくんねえか?」

 「ダメ」

 好奇心の悪魔に取り憑かれ鼻息を荒くして迫ったシュマリは、素っ気無く拒絶された。

 「あんた糸、引き千切っちゃいそうだもん」

 「そんな事しねえよお」

 「ダメったらダメ。それからね、女の子ってのは長風呂なの。どっかで買い物でもして来たら?

 彼女が出てきたらここで待ってるように言うから」

 シュマリは名残惜しげに言の葉繋ぎを眺めて、この世の終わりみたいに残念そうな顔をしていたが、彼女の言葉に甘えて

 街に繰り出す事にした。



  輝石堂は商店街の一角にある、長旅に必要な様々な道具を売る店だ。

 二階建てで一階が店舗、二階が店主夫婦の自宅となっているレンガ造りのがっしりとした建物で、主の気心がうかがえた。

 商品の陳列された棚の最も奥、カウンターの反対側では輝石堂の店主がパイプをふかして店の様子を眺めていた。

 店は食うには困らない程度には繁盛していたが、今日はどういう訳かぱったりと客足がない。

 まあこういう日もあるかなと、彼はのんびりと煙を吐き出した。

 店主はちょうどシュマリの首を短くして毛皮を茶色にしたらこんなだろうな、というような風貌である。

  彼の視界の中では、さっきからちょろちょろと店内を動き回っているものがあった。

 手に羽ぼうきを持って陳列棚の物品の埃を払ったり、場所を入れ換えたりと、いかにも忙しそうに勤勉ぶった様子だ。

 十二か十三歳の人間の少女のような姿だが、巻き毛の金髪から僅かに尖った耳が覗いている。

 草原の妖精族でハーフリングと呼ばれる種族である。彼らは大人になっても見た目は人間の子供とまったく変わらない。

 そして性格も総じて子供のままであり、悪戯を好む困った連中でもある。

 基本的に性格が奔放で自由を愛し、単純作業の労働などを最も嫌うのだが、彼女は何故かこの店で働いていた。

 最も今こうして必死に店主に『ちゃんと働いてますよ』というようなふうを見せつけているのには理由がある。

 いつもの悪戯でとある客を一人、怒らせてしまったからだ。

 彼の店で取り扱っているラム酒のビンの中身を盗んできた唐辛子酒とすり変えるという、(彼女にとっては)他愛のない

 ものだったが、何も知らずに味見をした船乗りは舌と唇を真っ赤に腫らせて激怒した。

 「おい」

 「はいはい、何でございましょぉ」

 にへらっと笑ってハーフリングは、対照的に無愛想な店主の元へと駆けてきた。

 彼女は過度に装飾の施された道化師のような格好をしており、潰れたパンみたいな大きな帽子を頭に被っている。

 「もうあんな事すんなよ」

 「わかってますってご主人様。

 あたくし心を入れ替え、お腹の底から反省した次第ですから、こうして実直に仕事をこなしてございますぅ」

 このセリフが本当ならば店主が数え始めてから百飛んで四回、彼女は心を入れ換えた事になる。

 どこからそんなに心を拾ってくるのかは謎だ。大きな眼を潤ませた彼女に店主は溜息をついた。

 どうせ明日にはまた、何かやらかして別の問題を引き起こしてくれるのだろう。

 ハーフリングは本質的に反省をしない種族だからだ。

 自由を尊ぶと言えば聞こえはいいが、実際には何も考えずに行動しているだけなのかも知れない。

 コツコツ主義者の下で働く刹那主義者は仕事に戻り、今日も幸せそうだった。

  扉につけられたベルがからんからんと鳴って客足を告げると、ハーフリングはぱっとそちらに駆け出した。

 「いらっしゃいませぇ」

 気の抜けるような笑顔を作った彼女は、しかし扉をを開け放って入ってきた白い巨躯にさすがに後ずさった。

 彼女の倍以上はあろうかという体長を持つ白熊はこれまたバカでかい戦斧を肩に担ぎ、のそりと店内へと踏み込んでくる。

 金魚みたいに口をぱくぱくさせる彼女をしばらく見下ろしていたが、シュマリはすぐに視線を奥にやった。

 パイプをふかしていた店主も少し驚いた様子だ。

 「おー。ほんとに茶色いだなあ」

 「いらっしゃい。そういうアンタは白いなあ」

 二人はそんな奇妙な挨拶を交わした。すぐにそこに驚愕から立ち直ったハーフリングが割り込んでくる。

 「ね、ね、アンタどこの人!? あたし白い熊人なんて初めて見る」

 「お?」

 足元を駆け回るちっぽけな存在に気付いたのか、シュマリは下を見下ろした。

 「ジャジャ、お前はちょっと出てろ」

 「えー」

 咎める店主の言葉にジャジャと呼ばれた彼女は、明らかに不満げな表情で頬をいっぱいに膨らませた。

 店主は構わずに扉を指差す。

 「ついでに煙草買って来い。ハートランドのとこのやつだぞ」

 「うーい」

 ぶつぶつ言いながら去って行く彼女を見送ると、店主は愛想笑いを見せてシュマリに向き直った。

 「さ、邪魔者も消えた事だしな。何が入り用だい」



  湯屋の廊下では定まらない焦点が頼りのシェラハが、危な気な足取りで歩みを進めていた。

 時折壁やすれ違う従業員や客にぶつかりそうになると、彼女の背後を行く少女が手を伸ばして行く手を修正する。

 元通りの艶やかな肌と柔らかい髪に戻ったシェラハはご満悦だった。

 真っ赤になって上気する頬を両の掌で押さえ、ふらふらと階段を下る。
                ゆな
 シェラハとほぼ同い年の湯女(*)はそんな彼女の様子を苦笑しながら眺めていた。

 (*客の背中を流すのが仕事の女。男が相手の場合は売春もする)

 「だから湯当たりするよ、って言ったのに」

 「う…いや、あんまり気持ち良かったから…」

 視界が霞んでいるのは立ち込める湯気のせいだけだろうか。

 頭の中にまで真っ白なそれが染み込んできているような気がする。

 長旅で全身に凝り固まったあの疲労が、香草を混ぜた湯と湯女のマッサージで真夏日の氷のように溶けてなくなってしまった。

 おかげで何だか体がふにゃふにゃになってしまい、体から熱が引くまでしばらくの間、シェラハは真っ直ぐ歩く事ができなかった。

 ふと踊り場でくるりと振り返ると、自分とは違う真っ白な肌を持つ少女に微笑みかける。

 「うん、決めたわ。私の国にもいつか必ず湯屋を流行らせます」

 「へえ。あんたどこの人?」

 「エストラ王国です」

 「ふーん、じゃあ第一号が開店したらアタシを引き抜いてくんないかなあ。

 貴方がオーナー、アタシが店長ってコトで」

 お互いに顔を見合わせると、二人の少女は当ての無い夢を声に出して笑い合った。

  千鳥足をようやく入り口の付近にまで運ぶと、すぐにシェラハの鼓膜を喧騒が震わせる。

 耳の奥でぐわんぐわんと響くせいで最初はその音との距離感が掴めなかったが、すぐにそれは大通りのものが店内に

 流れ込んで来ているのではなく、入り口の真ん前で起こっているのだとわかった。

 「どうしたんだろ」

 湯女も首を傾げて、店の出入り口にできている人だかりに駆け込んで行く。

 一人取り残されたシェラハは壁に寄りかかり、思い思いのことを口に出すを人々を眺めていた。

 背伸びをすると人だかりの先頭に、同じ鎧兜に身を包んだ一見して兵隊とわかる数人が立ちはだかっているのが見える。

 客や従業員の言葉を拾って状況を想定するに、彼らが検問を行っているらしい。

 ジャンクションシティはその性質ゆえに首に賞金のかかった犯罪者が逃げ込む街としても有名で(何せこの島は絨毯海に

 面する各地へと道が開けているのだ)、逃亡の足がかりにするという話は知れたものである。

 街を統治する商人議会の議員の一人、ジェフキンスが様々な条例を作ってこれに対抗し、治安の維持に努めてそれなりの

 効果を発揮していた。

  受け付けでシュマリは買い物に行ったと聞き、シェラハはしばらく退屈な時間を過ごした。

 人だかりは思ったより早く消化されている。よく見ると男はフリーパスで、検問に捕まっているのは女性ばかりだ。

 人の林がまばらになってきたので、やがて最後部にいたシェラハにも兵士達が手にしている人相書きがちらちらと

 見えるようになった。

  顔から瞬間的に熱と血の気が引くのを感じた。

 さっきまでもやがかかっていたようになっていた頭の中が冴え渡り、がんがんと意識の警鐘が鳴り響く。

 青ざめたまま凍り付く少女と、衛兵の一人の視線が空中で噛み合った。

 「シュマリ」

 助けを呟いても、返事をする戦士はいない。

 こちらを見る衛兵の眼光が見る見るうちに不審を帯び、やがてそれは確信の色へと変わった。

 彼が仲間達に呼びかけ、検問を行っていた女性をほっぽり出してこちらへ駆けてきた時、シェラハは反射的に身を翻していた。

 呼び止める声が背中に被さるが呼吸をするのも忘れて廊下を走る。

 一瞬早駆けの魔法のことが頭をよぎったけれど、魔晶石も無しに走ったまま意識を集中させるのは無理な注文だった。

 騒がしい足音に追いたてられながら扉を横切って廊下の突き当たりまで来ると、そこには従業員用の勝手口があった。

 ノブに手をかける。鍵はかかっていなかった。

 屋外へ飛び出すと湿った髪に夕暮れの風が染みる。

 そこは両側に建物がそびえる狭い裏路地で、舗装されていない土くれの足場が正面に伸びていた。

 路地の出口からは天空と続くオレンジ色の光が漏れている。シェラハはそこを目指して走った。

 その光を二つの人影が遮った。身に纏った鎧が夕焼けを弾き、鈍い紅の色彩を放っている。

 「シェラハ様ですね」

 慌てて立ち止まり、表情を強張らせたシェラハは男の声に竦み上がった。

 返事が得られないまま衛兵は続ける。

 「ジェフキンス=カルローダ様の使いの者です。どうかご同行を」

 やがて彼女の背後からも衛兵が現れ、少女を挟み撃ちにした。



  買い込んだ物資を船に積むと、シュマリは湯屋に取って返した。

 空の彼方は青みを帯びてもう夜の支配が始まっている。彼は早足になった。

 夜が近くなってもジャンクションシティの人通りはまったく衰えず、むしろここからが本当の賑わいを見せている。

 あちこちの酒場から談笑と楽器の音が漏れ、街角に立つ街娼の数も目に見えて増していた。

 少し裏通りに入れば娼館や連れ込み宿が今時分に店を開いている。これから朝にかけてが彼らの商売の時間だ。

 そんな街の風景を眺めながらシュマリの頭の中で渦巻いていることは大半が今夜の夕食の事だったが、隅の方では

 別のある重要な問題について巡らせていた。

 シェラハのことだ。

 なんだかんだでジャンクションシティまで連れ添ってきたが、このまま連れ回して良いものだろうか。

 彼女さえ『うん』と言えばこの街に残した方が良いのかも知れない。

 まあ宿に帰ってからじっくり話し合おうと思い、シュマリはそこで考えを打ち切った。

  湯屋『花の雫』までやってくると何だかさっきまでとは様子が違っていた。

 胸元のあたりが大きく開いた肌も露わな服装の若い女が、道行く男を狙って呼び込みをしている。

 この湯屋が一般的に言う湯屋として機能しているのは日中だけで、どうやら日暮れと共にそういうお店になるらしい。

 街娼を連れ込む男がいればカウンターで好みの湯女を選ぶ男もいた。

 トラブルバスターとしてだろう、強面の男も何人かたむろしている。

 欲望渦巻くその場所にシュマリは頭を掻きながらのそりと足を運ぶ。カウンターを受け持っていたのは昼間と同じ女だ。

 客が途切れるのを待ってシュマリは声をかけた。

 「おう」

 「あら、昼間の」

 何故か女は表情を翳らせて彼に応える。

 「シェラハぁどこだ? 見当たらねえな」

 「いやー…それがね」

 女は簡単に事の成り行きを説明した。

 「連れて行かれたァ?!」

 「しょうがなかったのよ、ジェフキンスんとこの私兵だったから…」

 慌てて弁解しながら、女は今自分が吐き出したセリフに気付き、ハッとして口をつぐむ。

 シュマリはカウンターに身を乗り出した。用心棒が咎めに入るが、彼は構わず牙を剥く。

 「どこのどいつだそりゃあ!」

 「ちょ、ちょ、ちょっと待って! 落ち付いてってば」

 用心棒に仕事に戻るように仕草で伝えると、女はきょろきょろと周囲を警戒した後にシュマリの耳元に囁いた。

 「この街の議会の一人で、表側からも裏側からもジャンクションシティを仕切ってる商人よ。

 ごめん、これ以上は言えないんだわ。この街で商売して行くにはしょうがないの」

 「ん、ああ…」

 女は言葉を選んだ様子でそれだけ伝えると、彼の上半身を押し戻そうとした。

 シュマリが乗り出した木製のカウンターはギシギシと悲鳴を上げていたからだ。

 預けていた我が身を戻すと、シュマリは頭を掻いて夕闇の街を見回した。

 その姿がよほど途方に暮れているように見えたのだろう、女は彼にもう一度声をかけ、耳元を寄せるように手招きした。

 「『輝石堂』って知ってる?」

 「お? おお」

 「あそこんとこのハーフリングに聞くといいよ。さ、もう言って」

 そう言って彼を追い出すと、女は顔に愛想笑いを貼り付かせて客への対応に戻った。

  二度目に訪れた輝石堂はすでに店じまいの途中で、ちょうど店主が扉の札を引っくり返して『準備中』にする所だった。

 暗くてもやけに目立つ白銀の毛皮に気付くと、店主は夜の通りに目を凝らす。

 「昼間の兄ちゃんか?」

 パイプを口から離して声をかけてきた店主に、シュマリは灰色杖を軽く掲げて応えた。

 「おお。店ァもう終わりかあ」

 「まあな。用なら明日にしてくんな」

 「ちびっといいか? ハーフリングっちゅう人ァいるだか?」

 そのシュマリの言葉に、店主の本能が瞬間的に彼に訴えかけるものがあった。

 それは多分、『虫の知らせ』とか『嫌な予感』とか言うやつだ。

 とにかくここでジャジャの存在を明らかにすればロクでもない事が起こるという、根拠無き確信が店主の魂を揺さぶる。

 幸いなことに目の前にいるこの男はハーフリングなるものをよく理解してないらしい。

 店主は出来るだけ何食わぬ顔を作るよう努めた。

 「いや。うちにはそんなのいねえよ」

 嘘は言っていない。そう、確かに彼の店・輝石堂に『ハーフリングという名の誰か』はいない。

 ハーフリングのジャジャはいるがそれは別人だ。

 そう考えて店主は後ろめたさを誤魔化した。

 「湯屋のやつに聞いただ。ここにいる、そういうやつに聞けば、その…ジェフキンスとか言うのの事がわかるとか。

 俺の連れ合いがさらわれただよ」

 そうら来た、ロクでもねえ! まさしくロクでもねえ事だ!

 「しつけえぞ、いねえったらいねえんだよ」

 明日への不安を抱えながら店主はぎろりとシュマリを睨み、彼の言葉を一蹴する。

 しかしいつもは鈍いシュマリだが、この時ばかりは店主の毛が僅かに逆立っているのを見逃さなかった。

 気が逆立つという状態は大抵の獣人に共通し、緊張を隠せない場合だ。

 すなわち今、彼は緊張している。自らの虚偽がバレやしないか、ということから。

 視線を明後日の方向に向ける店主にシュマリは食い下がり、しばらく押し問答が続いたが、決着は意外な形でついた。

 当の本人が二階から店に下りて来たからだ。

 「何やってんの、店長」

 薄いピンクの寝巻きにナイトキャップをつけたハーフリングはすでに寝るところだったらしく、あくび交じりに彼の元へと

 やってきた。彼女の背後ではエプロンをつけた店主の奥さんも姿を現す。

 二人とも騒ぎを聞きつけてやってきたのだろう。

 慌てて『引っ込んでろ』と追い払う店主の脇を擦り抜けて表へ出たジャジャは、白い巨躯を見付けると、眠たげに細くなっていた

 どんぐり眼をぱっと見開いた。

 「わあ、昼間の!」

 「おー」

 物怖じしない彼女は早速シュマリの毛皮を引っ張ったりしながら、怒涛のごとく質問を浴びせ掛ける。

 どこから来たの、とか何食ったらそんなに大きくなるの、とか、そういう質問を浴びせ掛けるジャジャの姿を見ているうちに、

 遂に店主は観念して事実を口にするのだった。



  とりあえずシュマリの泊まっている宿までやってくると、一階の酒場で彼は状況をジャジャに話した。

 「ジェフキンスの私兵かあ」

 運ばれてくる腸詰やら煮野菜やらを口に突っ込みながら、ひとしきり聞き終えた彼女は食べカスを飛ばして答えた。

 店を出る前にジャジャは着替えており、昼間の道化師のような格好をしている。

 酒場は夕食時のせいか賑わいを見せ、あちこちで談笑の花が咲いており、店の中央の舞台では有翼人の吟遊詩人が

 自慢の喉を披露していた。

 楽しげな戦慄が場の高揚を誘う中を見渡しながら、シュマリはジャジャに頷いた。

 「ジェフキンスってのァどこのどいつだ」

 「この街は商人議会っつう四人の大商人が支配してるの。

 まあ、それぞれ分担の違う王様が四人いると思ってくれりゃオッケー。

 ジャンクションシティは元は何もない無人島で、たった四人の商人が宿場町を開いた事が歴史の始まりなのさ。

 連中はその子孫ってワケ」
 ケフィア
 乳酒に苺の果実酒を混ぜたカクテルで美味そうに喉を鳴らし、彼女は続ける。

 「ジェフキンス=カルローダつったら商人議会の一人で、実質上この街の支配者。

 色々黒い噂の多いヤツでさ、まあ敵も多いかな。嫌なやつさ」

 「詳しいだな」

 「アタシってばこの街の盗賊ギルドの一員だから」

 ジャジャの早口を聞き取ろうと両耳をピンと立てたシュマリを前に彼女はこともなげに告白した。

 途端にシュマリの内側で彼女に対する疑いが荒れ狂うが、むしろここまできっぱり言われると信じる気になった。

 「盗賊は常に自分の立場が有利になるよぉに立ち回らないとダメだから、世の中のこた色々知っとく必要があるワケよぅ」

 「で、何でシェラハがさらわれるんだあ」

 「知るワケないよう。何かしたんじゃないの、シェラハちゃんがさ」

 この小さな体のどこにそんな胃袋が納まっているのか、話をしながらもジャジャの食事をする手は止まらない。

 子供の癖に酒を呷るのは良くないとシュマリは注意したが、ジャジャは自分はもう立派に成人していると突っぱねた。

 ハーフリングの寿命は二百年ほどで、一六歳になったら成人と認められるそうだ。

 彼女が口にした実年齢はシュマリよりも五つほど上だった。彼はまたも世界の広さを実感するはめとなる。

 「ジェフキンスの私兵が動いてるってのは味噌よ。

 公的な警備隊とか使わなかったのは個人的に手に入れたかったからだよね。

 とまあこう考えるとシェラハちゃんってのは、よほどの鍵を握ってる女の子って事じゃあないかしらーん」

 食べ物を己の養分に転換する作業を続けながらもジャジャの頭は働いているようだ。

 勿論シュマリも骨付き肉を骨ごと噛み砕きながら考えを巡らせている。

 そんなだから料理を掻き込む二人とも、追加注文を持ってくるウエイトレスの娘に『皿とテーブルまで食べないで下さいね』と

 注意された。

 ようやく腹が膨れたらしいジャジャは赤みを帯びたまん丸な頬から食べカスを拭い、満足げに溜息を吐き出す。

 その溜息には言葉が混ざっていた。

 「でまあ、シュマリ君。君はどうしたいのさ?」

 「どうって何がだ」

 ウエイトレスに言われた通り皿とテーブル以外は何も残すまいと、余り物を口に運んでいたシュマリは聞き返した。

 「シェラハちゃんとやらを助けたいの? それとも放っとく?」

 「もちろん」

 口の中のものをすべて飲み込み、白熊の戦士は目の前に握り拳を持ってきて決意を表した。

 「助けるに決まってるだ。ムグミカ族の英霊達と、このシュマリの誇りに懸けてな」

 「うん、決まりだね! うんうん、面白いわ。久々に盗賊の血がたぎるネ」

 そう言ってにんまり笑った彼女の表情は、シュマリにはやっぱり子供にしか見えなかった。






  同じ時間、同じ街の、シュマリらがいる酒場よりもちょいとばかり高い場所。

 小高い丘の上に乗っかっているジェフキンスの館は、ひしめき合うかのごとく建物の立ち並ぶジャンクションシティを無表情に

 見下ろしていた。

 ジャンクションシティのある ―― この街を興した四商人の頭文字を取ってこう呼ばれる ―― フルーゲ島は端から端までがほとんど

 街に埋め尽くされており、農牧などを営むスペースがある筈もない。

 よってこの街は時給自足というものができない。自活の力が決定的に欠けているのだ。

 嵐などで定期船が島に寄り着けなくなると、これはもう死活問題だ。実際過去数度、そのような問題が起こった。

 ジャンクションシティの人家や宿には必ず地下倉庫があり、常に保存食が蓄えられているのはこうした理由があるからだ。

 ジャンクションシティは様々な意味で片方の皿が空っぽの天秤。とても危うく、安定はほど遠い。

 だからこそ揺らぎが大きく、栄枯を繰り返す。

 シェラハは父に聞いた、そんな話を思い出していた。

 「お美しくなられたものだ」

 テーブルの対面で椅子に腰を下ろし、両手を自分の腿の上に置いたまま微動すらしない彼女に、ジェフキンスはそんな感想を

 漏らした。

 この部屋はジェフキンス邸でも特に来客用の為に設えられた、最高級の食堂だった。

 壁には惜しげも無く化粧板が張り巡らせられ、天井からはドワーフの細工師による満天の星空もかくやというシャンデリアが

 下りている。

 左手の壁は窓からテラスへと続いており、街に灯る明かりが掴み取れるかのように一望できた。

 テーブルの両端について二人は向かい合うような形となっていた。

 しかしテーブルクロスの上に並ぶ様々な料理越しに見えるシェラハは視線を真下に下ろし、何に視線を当てようともしない。

 ただただ沈鬱な表情のまま彼女は彫像と化していた。

 彼女が身につけているものは埃と傷に塗れた普段着ではない。

 カゲロウの羽根のような薄布を何枚も重ねて作った、溜息が出るように美しい藍色のドレスだ。

 特に飾り気がない辺りがシェラハの素の美貌を際立たせている。

 しかしこのドレスを作ったデザイナーがこの場にいたら腹立たしくなるくらい、少女は今の自分に何ら感情の変化を見せていなかった。

 ジェフキンスは顎髭を撫でてから鼻を鳴らした。策士の目が僅かに吊り上がる。

 「貴方が生きていたらしい、という事は聞き及んでおりました。

 辛かったでしょうなあ、逃亡の旅は…半年ほどですか、不死王が復活してから」

 労わりの口調にシェラハは当たり前のように何も答えないが、彼は気にする事もなく続ける。

 「王女…シェラハ=スェルタン=エストラード王女。

 まずはお久しぶり…と言っておくべきでしょうな」




















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