プワゾンドールズ
- ディスティニィ・チャイルド -






プリンセス オブ エストラ

7.脱出





  その部屋は貴族が使うようなホテルにも等しい来客用の寝室で、華やかさを前面に押し出された調度類に化粧されて

 輝かんばかりの上品さを放っていた。

 だけどぴかぴかの鏡に照らされるドレッサーも見る角度ごとに別の表情を見せるシャンデリアも、天蓋つきのベッドに腰を下ろした

 少女の心の内を晴らしてはくれない。

 ここはシェラハが軟禁されている部屋である。

 丸テーブルの上に置かれた盆の上の夕食はすっかり冷めており、果物に僅かに齧った跡があるのみだ。

 心の底から湧き出してくる不安と恐怖に食欲を蓋され、むしろ胃液が戻ってきそうな気分だった。

  シェラハは細い顎を持ち上げて、正面の窓から見える真っ赤な月を見上げてみた。

 自分の国が征服された夜もあんな月が凄惨な笑顔を見せていた。

 何もかもが突然だった。影の中から突如湧き上がり、奇襲をかけてきた死者の軍隊。

 不死王アルハザードと名乗るたった一人の男が操る彼らの手により、月が見下ろす元でエストラ王国はたったの一晩で敗北した。

 あの夜の事は一生忘れる事ができないだろう。

 なのに何故かシェラハはほとんどの事が思い出せずにいた。

 多分、それはあまりにも辛くあるが為に思い出さぬよう記憶を自分で封印しているのだと思う。

 十六歳の少女が背負って行くにはそれは正気の限界を超えていた。

 どうしよう。どうすればいいんだろう。

 シェラハは再三自分へ問い掛けた問題に再び向き合ってみた。

 答えは何も出て来ない。胸には果てしない虚無感がさっきからずっと居座っていた。

 逃げればいい、と最初は思った。

 だけどドアには外側から錠が下りているし、窓ははめ殺しになっていて開かない。

 椅子をぶつけてみたが、ガラスもそれらをはめ込んだ枠も何らかの方法で強化されており、ビクともしない。

 多分ここは最初から監禁用として作られた部屋なのだろう。邸宅に地下牢などあってはイメージが悪いからだろうか。

  じゃあ、魔法は?

 確かに扉にかかった鍵を開く破錠の魔法はシェラハのレパートリーの中にあった。

 けれどさっきから体を僅かでも動かす度、彼女の細い両手首を覆った枷が嘲笑うかのようにかちゃかちゃ鳴る。

 破魔の結界と呼ばれる封印の魔法を施した手錠で、受けた者の魔法の使用を九割ほど制限するものだ。

 どこの国でも犯罪者が魔法使いの場合は必ずこれを腕に下ろす事になっている。

 彼女の魔法の師匠なら、例え魔晶石無しだとしても溢れるばかりの魔力でこの結界をぶち破る事ができただろう。

 けれど彼は今は深い海の底で眠っている。シェラハを追っ手から守る為、自ら盾となって。

  絶望的な状況なのに涙は出なかった。ただただ、後から後から溜息ばかりが矢次に出た。

 多分、それはある程度この運命を予測していたに違いないからだ。

 滅亡する寸前の国から落ち延びたとしても、自分に一体何ができると言うのだろう。

 彼女の師匠は言った。それこそ口癖みたいに、シェラハに言い続けた。

 諦めるな、と。

 「諦めます、リュー・リイ先生」

 ロウソクの炎も吹き消せないくらいのか細い声で、シェラハは今は亡き師に伝えた。

 「私は何もできません」

 降り注ぐ月光を受けて少女の目の淵に溜まった大粒の雫が、真珠みたいにきらきら輝いた。

 震えるそれが今まさに頬を伝って落ちようとした時、乾いた金属音が場の静寂を打ち砕く。

 がちゃがちゃ、がちゃがちゃ。細かい金属同士が噛み合う音。

 音源を眼で追うとシェラハの緑色の瞳はドアノブに行き付いた。半回転しては抵抗に逢って停止する、を繰り返している。

 全身の血液が逆流するような感情にベッドから跳ね上がると、彼女は涙を拭う事も忘れて思わず息を飲んだ。

 「鍵かかってるよぉ」

 ノブが完全に停止すると、今度は向こう側から妙に子供じみた声。

 「けど錠前破りは十八番よ、任しといて」

 「あー、そんな手間ァいらねえよ」

 今度はいかにも朴訥そうな、間延びした声。

 だけどシェラハにとってはその呑気な声は不意に現れた希望で出来ていた。

 もう一度ドアノブが回転した。途中で抵抗があっても、それでも回転した。

 ミシミシとかバキバキとかドアの一部と錠の内部が物凄い力で引き千切れる音が終わると、滑るように扉が開く。

 ぬうと現れた白熊の姿にシェラハは一番最初に会った彼との場面を思い出した。

 けれど、前と違う点は今度は少しも恐くなかったという事。それどころか胸が熱くなってどうしようもなかった。

 ドアを正面に呆然と立ち尽くす少女に、シュマリはどすどすと重低音の足音を立てて歩み寄る。

 窓から落ちる月光の柱の中に入った時、彼の毛皮は純銀のように光の粒を砕いていた。

 「おー。無事だったかあ」

 大きな牙を剥き出して笑いながらシュマリは固まっているシェラハに手を差し出した。

 少女のものよりも何倍も大きい掌が彼女の頭の上に被さる。

 彼の手の温もりは確かに髪を通じて伝わってきた。ようやくシェラハはこれが夢でないと確信する事ができた。

 次の瞬間シェラハはもうどこに感情を持っていっていいかわからず、わっと泣いて彼に抱き付いた。

 しゃっくりを上げて毛皮の中に顔を突っ込む彼女の肩を抱きながら、白熊の戦士は困ったように頭を掻く。

 「無茶苦茶するわ、ホントに」

 むしり取られたドアノブを拾い上げながら呟くと、後から部屋に入ってきたジャジャはシュマリに目配せした。

 「こういう時、アタシはこう言えばいいのかしら?

 『喜ぶのはまだ速い。感動のご対面は後にして、今はとっととここから逃げなきゃ』」

 「おお。行くだよ」

 シェラハの肩を掴んで引き剥がすとシュマリは親指で出口を指した。

 「ま、詳しい事ァ後ってな。ちなみにそっちのコソ泥はジャジャっつうだ」

 「ひどいなあ! もうちょっとマシな紹介はないの」

 膨れっ面をしながらもジャジャはあっという間にシェラハの手錠を外し、先頭を切って部屋を出ると、二人を屋敷の出口へ

 先導し始めた。



  彼方で生じた音が僅かに地下室の空気を震わせる。

 ジェフキンスはふと顔を上げ、というより彼は今、特殊な器具に逆さ磔になっていたのでミカティからして見れば彼は

 顔面の向きを下げたように見えたのだけれど、聞き耳を立てて神経を出入り口の方へ集中させた。

 「今、何か聞こえ…」

 彼の体に鞭でみみず腫れを作る作業に追われていたミカティがビクッとすると、慌ててつま先で彼の顔を正面に戻す。

 「余所見しちゃダメ。ほーらお鳴き、哀れな雄豚!」

 空気を切り裂く皮鞭が再びジェフキンスの体に唸りを上げた。その度に彼は恍惚として悶え、善がり声を漏らす。

 高笑いを交えて鞭を振るいながらも、ミカティの内心は迫り来る焦燥で目が回りそうだった。

 バレませんように、バレませんように。

 娼婦の守り神パオ・ナナに祈りながら彼女は鞭を握る手に更に力を込めた。



  階段を降りて正門に向う途中、いきなりジャジャが立ち止まった。

 足の速さから自然とジャジャ、シェラハ、シュマリという順番になっていた為、すぐ後ろにいたシェラハが勢い余ってその背に

 ぶつかる。

 「どうしたの?」

 「ジェフキンスの執務室だ」

 シェラハとこちらは彼女らにぶつからずに立ち止まる事ができたシュマリが同時に右手のドアに眼をやったが、ジャジャほど

 夜目の利かない二人は真っ暗でほとんどわからない。確かに木彫りの表札は下りているようだが。

 「お邪魔して行きましょ。ヤツの弱みでも見つけて行けば色々役に立つわ」

 「時間がねえっつったのはお前だぞ」

 「そのアタシが大丈夫だって言ってるから大丈夫よ」

 口を尖らせるシュマリを無茶苦茶な理論で黙らせるとジャジャはベルトに下げていた皮袋から道具を取り出し、鍵穴に

 取りかかった。

 片目を瞑って様々な種類のピックを刺し込む事数十秒、シュマリが『俺がやる』と言うセリフを口にする寸前に、内部でガチャリと

 言う金具が組み変わる音がした。

 どうだと言わんばかりに得意げに腕を組んで胸を張るジャジャにわかったわかったと言う仕草をしながら、シュマリが彼女の

 脇をすり抜けて先に部屋に入る。

  流石この国の統治者の一人だけあって、この部屋も一部の隙もなく豪華だ。

 正面は一面ガラス張りになっており右手の壁は本棚と机、左にはテーブルといくつかのソファーが並んでいる。

 「どこもだだっ広い屋敷だなあ」

 呑気にあくびをしながら感想を漏らす彼を避けてジャジャは机に向かい、片っ端から机やほったらかしの書類を漁り始めた。

 暗闇に眼を凝らして文面を確認しながらも、机の端っこに置いてあった宝石箱を丸ごと懐に突っ込むのも忘れない。

 「何か無いかなあ、裏帳簿とか非合法の取引の証拠とか…ねえお姉ちゃん、手伝ってよ。

 シュマリは見張りよ」

 「待てや」

 彼女の元へ行こうとしたシェラハの肩を大きな手が掴んで引き止めた。

 シュマリを見上げると顔の緩み切っていた表情はいつのまにかピンと張り詰めている。

 彼女は彼の腕の毛が僅かに逆立っている事に気付いた。

 「誰だ」

 呼びかけに足音が答えた。

 それは窓の端に巻き上げられていたカーテンの影からコツコツと現れ、月光を背に受けて長い長い影を床に落す。

 シェラハを背後に押しやるシュマリには黒く切り抜かれた輪郭しか見えないが、それでも相手の気配でわかる事もある。

 全身に漂う緊張感。抑え込んではいるがそれに適わず僅かに溢れる殺気の余韻。

 「図体がでかいだけではないと見える」

 三人の凍て付く視線を浴びながら、もう若くはない男の声で彼は答えた。

 「まったく無茶をする。偶然に偶然が重なったな」

 闇の中で男はそう囁いた。まだ警戒を解かないシュマリらの前までやってくると、懐を探ってビンを取り出す。

 かけられていたカバーを上げると中に詰められていたヒカリゴケの光が漏れ、周囲に青白い光を投げた。

 深い陰影を刻んで浮かび上がった彼はきちんとした身なりの初男で、切れ長の目は鋭い視線を伴ってシェラハに向けられている。

 顔には年輪のように深い皺が刻まれているが全身まったく隙というものがなく、抜き身の刃のような緊迫した雰囲気の

 持ち主だった。

 「あの」

 尖った耳をひくひくさせながら、手にした書類を机の上に置く事も忘れてジャジャは眼をまん丸にした。

 「もしかしてギルドマスター?」

 背後の机からかかった声に片手を上げて答えると、男は始めて口元を歪めて笑みを作る。

 緊張感は薄れたがシュマリの背後に隠れていたシェラハは戸惑った。

 「立派になられたものですな。あんなに小さかった女の子が」

 「お姉ちゃんを知ってんの!?」

 足元に駆け寄ってきたジャジャを見下ろして彼は渋い顔をした。

 「お前はいつもいつも。人に話しをさせたらどうだ」

 「どういうことだ」

 「この人はね、盗賊ギルドで一番偉い人なの。ルバラ様って言うのよ」

 ジャジャの紹介を受けるとルバラは胸に手を当てて優雅に礼をした。

 洗練された無駄の無い動きだ。

 「ご紹介に預かりました。この館で執事をする傍ら、チンピラどもの管理などしております。

 ま、時間がないので細かい事は省きますが…シェラハ様」

 ようやくシュマリの背中から出てきた彼女に、感慨深そうにルバラはまた眼を細めた。

 茶色の瞳は輝きを変え、今までに記憶した様々なことを思い起こしているようだ。

 果たしてどのくらいの時間と物事が彼の脳裏を通り過ぎて行ったのか。それは他の三人にはわからない事だった。

 「お久しぶりです…と、言ってもわかりますまいな。あの頃は私もまだただのゴロツキだった」

 「あの…どこでお会いしたのでしょう」

 シェラハは忙しげに記憶の棚を漁ったがどうしても一致する顔は出てこない。

 「十一年前になりますか。王室に忍び込んだ賊がいらっしゃったでしょう。

 賊の狙いは姫の髪飾りだったのですが、街で名うての盗賊だった筈が何故かその夜に限ってドジを踏み、貴方に

 見つかってしまった。

 賊は言いました。

 この宝石を売ってカネを作らなければ、スラムの孤児院の子供たちが餓えて死んでしまう、と。

 もちろん苦し紛れの嘘だった」

 「…貴方、もしかしてあの時の!」

 「お懐かしゅう御座います」

 驚きの余り両手で口元を押える彼女の目の前で男は深々と頭を垂れ、君主にそうするかのようにひざまづく。

 「貴方に恩情を頂き釈放された私は一度は盗賊から足を洗おうとも考えたのですが、むしろこの経験と立場が僅かでも

 世の為になればと、十年をかけて他の賊を統制する組織を作り上げたのです。

 世間では悪いように言われているようですがこのルバラ、一度たりとも人の世の情を忘れた事は御座いません」

 自分の事をそう締め括ると、ルバラは脇に抱えていた書物をジャジャに投げ渡した。

 「この館の主は盗賊ギルドを抱え込もうと汚い手で私達を配下に置いたのです。

 『自分の手下になるか、法の名の元に置いてすべてを失うか』…と。

 私は奴の言いなりになったフリをしてここ数年、奴のした事をすべて記録しておきました。

 それが証拠です」

 「わーお」

 僅かな月明かりを頼りに書物をめくっていたジャジャが眼を丸くして驚嘆を口にする。

 「さ、お行きなさい。今夜中に島を出るのです」

 「だけどそれじゃ、貴方が…」

 この文書が公表される事になれば彼は共犯の扱いを受け、罪は免れないだろう。

 しかし踏み止まるシェラハにルバラは柔和な微笑みを向けた。

 「どの道生い先短い身です。命が繋がっている間に貴方に報いる事ができてほっとしていますよ」



  それから三人はまた廊下に出ると、入り口に向って走り始めた。

 丁度背の低い順に列を作って走りながら、ようやく最初に衛兵を眠らせた地点までやってくる。

 とっくに目覚めていても良い筈だが、哀れな彼はまだ昏睡したままだった。

 この不思議についてジャジャは『寝不足だったんじゃない?』と言って済ませ、奥から木箱を引っ張り出して来た。

 もちろん来る時にシュマリが背負ってきたものだ。帰りは二人乗りなので相当窮屈になるだろう。

 二つの体がうまい具合に箱の中に納まるようシェラハとジャジャが色々な姿勢で試している間、手持ち無沙汰のシュマリは

 その辺をうろうろしていた。

 灰色杖が手元に無いとどうにも落ち付かないのだ。

 ふと視界の端っこを何かが素早く走り抜けて行ったような気がして、シュマリは黒い瞳を右に巡らせた。

 視線の先、天井を支える大きな柱の影では猿ぐつわを噛まされたあの番兵が伸びている。

 そのお腹の上で何かが蠢いているのが見えた。小さくてすばしっこい生き物で、二つの眼だけが闇の中に輝いている。

 どうも番兵のポケットの中に菓子の残りだか何だかが入っており、それを探っているとシュマリは推測した。

 時々その生き物は顔を上げ、鼻先をひくひくさせているようだった。

 シュマリは脳天から足の小指の爪の先っぽまで雷に打たれたような感覚に陥った。

  ようやく体を折り曲げたシェラハのお腹の上にジャジャが乗る、という姿勢で決着が付き、ジャジャが彼を呼ぼうと顔を上げた

 時だった。彼女は蒼白になった、と言うか彼の顔は毛皮に覆われて元から白いのだけれど、とにかく血の毛が一切消えて

 なくなった彼の顔を見てしまったのだ。

 幸運にも物陰にいたシェラハは直撃を免れたものの、ジャジャは空気が爆発したかのような悲鳴の衝撃波を二つの耳でもろに

 受けとめるハメとなった。

 廊下に面していた窓ガラスをびりびり震わせ、静かな闇の大気を掻き乱し、それは屋敷の中を縦横無尽に駆け巡る。

 「ななななな」

 フライパンで頭をぶん殴られたようなショックで小刻みに震えながら、ジャジャは何とかそれだけ言った。

 鼓膜が痺れて自分が何を口にしているのかさえ全然わからない。

 視界から白い巨体が消えた事に気付いてそこらを見渡すと、廊下の端っこで頭を抱えて小さくなっている白熊を発見した。

 端で見ていてそのうち壁や床にも伝染しそうなくらい震えている。

 「シュマリ、どうしたの」

 比較的ダメージの浅かったシェラハが箱から飛び出し、彼に駆け寄る。

 「ねねね、ネズミがあ」

 「ネズミ?」

 シュマリが指差す方向に視線を向けたが、それらしきものは何も見えない。

 彼の声に驚いて逃げてしまったのだろう。驚いて眼を覚ました衛兵がもがいている。

 「何もいないようだけど」

 「さっきまで居ただあ」

 「…鼠が怖いの?」

 思わず漏れた苦笑を隠そうと口元に手をやりながら、彼女はそっと彼の頭に手を置いた。

 まったくどっちが助けに来たんだか。

 「ガキん頃に野ネズミに尻尾齧られて、そしたら熱出て死にかけただ」

 「大丈夫よ。もういないわ」

 子供をあやすような声にシュマリは恐る恐る顔を上げ、そこから恐怖の対象がなくなっていると確認すると、ようやく

 胸を撫で下ろす。

 ジャジャが正常な聴力を取り戻そうと頭をぶんぶん振っていると、突然夜気を切り裂く鋭い音が上がった。

 今度は庭からだ。途端に窓越しに土を蹴る多数の音が飛び交う。



 「非常警笛だ!」

 ジェフキンスがいきなり跳ね起きたものだから、当然彼の胸の上に腰掛けていたミカティは床に放り出された。

 腰を押えて唸っている彼女には目もくれずにバスローブを身に纏い、階段を駆け上がる。

彼が出て行ってしばらくした後、痛苦から立ち直った彼女は腰をさすりながら苦々しげに吐き捨てた。

 「あの大馬鹿!」

 それがジェフキンスに対するものだったのかジャジャ達に対するものだったのかはわからない。



  三人は屋敷を出る事は出来たが、すぐに正門に行く手を阻まれた。

 内外どちらからも閂がかかる仕組みになっている門は固く閉ざされ、裏に回ろうと慌てて行く先を変える。

 「見て、前!」

 ジャジャが指差す方向を見ると正面からも兵士が数人、こちらに走ってくるのが見えた。

 来た道を戻ろうにも追いかけてきた兵士に塞がれている。完全に挟み撃ちにされてしまった訳だ。

 彼らはぐるりと三人を取り囲むと口々に『何者だ』とか『大人しく投降しろ』とかの呼びかけやら罵倒やらを彼らに浴びせ掛ける。

 外壁を背に一斉に剣や槍の切っ先と殺気の視線を向けられながら、シュマリは背後に隠れている二人の娘のうちの一人を見た。

 「魔法で何とかならねえか」

 「魔晶石が…」

 不安で縮こまりながら答えたシェラハの言葉にジャジャはピンと来たようで、懐から執務室で失敬してきた宝石箱を取り出し、

 蓋を開いて彼女に差し出す。

 色とりどりの眩いばかりの宝石たちがひしめく中に、シェラハは不思議な感覚を放っている石を見付けた。

 まるで熱も色もない炎のような波動を纏う紫色の石だ。魔晶石に間違い無い。

 「魔法を使います。少しだけ時間を稼いで!」

 石を手に取って精神統一を始める彼女を背に、二人は兵士たちに向き直った。

 ジャジャは吹き矢を手にしているがシュマリは丸腰だ。

 取り巻いている兵士の数は二十人と言った所だろう。全員が板金鎧に剣あるいは槍で武装している。

 どうしたものかと思いあぐねるシュマリの太腿をつっつきながら、ジャジャは彼に囁いた。

 「もっと怖そうな顔してさ、雄叫びの一つでも上げて兵士たちをビビらせてよ。時間を稼ぐの」

 「お、おお」

 いつもの気の抜けたような表情を引き締めると、彼は精一杯牙を向いたいかめしい表情で地鳴りのような咆哮を上げた。

 さっきのネズミと相対した時にも迫る声量だったが今度は聞くものの体に雷撃を与えるような威嚇が込められており、

 たちまち衆を頼みにしていた兵士たちを圧倒する。

 彼らの間に走った動揺はシュマリの間合いに踏み込む勇気を容易く奪った。

 「やあやあ、ここに居るのは血に餓えし伝説の魔獣・シュマリだ!」

 それに上乗せするかのようにジャジャが歌劇の前口上のような口調で煽り立てる。

 「その凶暴さは荒れ狂う嵐のごとし、その豪腕たるや人を枯れ枝のように薙ぎ倒すぞ。

 まさに現世に降り立った地獄の獣だ! さあ、こいつの晩飯になりたい奴はかかって来いってんだ!」

 「えれえ言われようだな」

 「黙ってなさいよ」

 よくもまあこんなに口が回るもんだと半ば呆れたシュマリに彼女は口を尖らせた。

 そんなジャジャの説明に気圧されたのかどうかはわからないが、兵士達は浮き足立つばかりで向ってくる雰囲気も無い。

 しかしその時、一行の背後から投げかけられた怒声が彼らの心に一石を投じた。

 「何をしている、早く捕えろ!」

 騒ぎを聞きつけて庭に出てきた、バスローブを羽織ったままのジェフキンスだ。

 拳を振り上げる彼の形相に恐れをなしたのか、兵士達はやや自棄になったような喚き声を上げながら一斉に飛びかかって

 行く。

 思わずシュマリとジャジャがその場から背後に後ずさると、ようやく背後で希望の声が上がった。

 「出来た!」

 シェラハの手の中に発した光の球は城壁へと投げかけられ、そこに見る見る広がってやがて大きな穴を作った。

 淵は魔法の光に彩られておぼろげに揺らめいており、穴の向こうには彼方の街明かりと真っ暗な海が見えた。

 シェラハが使った透過の魔法だ。ある程度の厚さの壁なら少しの間だけ穴を開け、通り抜ける事ができる。

 三人は猟犬に追われるアナグマみたいに転げるようにその穴に身を投じた。

 兵士達もその後を追うも穴の淵は中央へと迫り、すぐに跡形も無く消えた。

 勢い余った兵士が壁に派手なキスをする様子を眺めながらしばらくこめかみを震わせていたが、、ジェフキンスはまた

 私兵たちに気違いじみた命令を飛ばす。

 「追え、追うんだ、絶対に逃がすな。港を封鎖しろ!」

  ジャンクションシティは今宵も静寂とは無縁の夜を送ろうとしていた。





















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