プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -






クレイジーハートブレイカー

1.勇者の約束







それは数え切れないほど幾星霜も昔に伝わる物語

かつて伝説の勇者が封じ込めた悪しき竜は千年の眠りから覚め、その強大な力を以って国を襲った

竜の吐息は紅蓮と化して街を焼き、竜の怒りは嵐を呼んで兵隊を葬る

悪しき竜は自分のお妃にすべく王様の元からお姫様をさらってしまった

王様は困り果て、国中に使いを出してお触れを広める

『かつて竜を封印せしめたる勇者の子孫 我が元へ来たれ』


かつて伝説の勇者と呼ばれた者の子孫である男の子とその幼馴染の女の子は

悪しき竜を倒すべく名乗りを上げて王様の元へとやってきた

王様から受け取った聖なる剣を手に女の子と共に幾多の困難を越え

男の子はいつしか真の勇者と成って遂に悪しき竜を討つ

勇者とお姫様は恋に落ち、二人は国を継いでいつまでも幸せに暮らしたということだ



だけどただ一人残された勇者の幼馴染の女の子は

愛しい男の子を失い、悲しみと怒りに猛り嫉妬に狂ってしまった

だけどすでにもう男の子の心を手にする手段はない

痛くて、哀しくて、寂しくて。

悲痛に閉ざされたその心の内はやがて女の子を悲しみの怪物へと変えてゆく








  少年の放った斬撃は閃光と化し尾を引いて闇に舞った。

 その一撃で鉄板を打って作られた頑強な扉の中央部に斜めに線が走り、やがてゆっくりとずれて上部は手前へ落ちる。

 息が詰まるほどの重苦しい闇に満ちた場所に、これまたズンと重圧を含む音が響く。

 その場にいる二人を白銀の炎だけが照らし出していた。

 それは少年が手にした刀が柄を除く纏っているものだ、この世の炎のどれとも違う銀の炎はそこがコンクリートに囲まれた通路で

 ある事を辛うじて示している。

 肌にまとわりつくような湿気を含む不快な空気は地下室特有のものである、二人の体温と吐息はほとんどこのよどんだ空間の中に

 完全に飲み込まれていた。

 ひと時役目を終え、徐々に刀の炎はその刃の内側に吸い込まれるようにして消えて行く。

 炎のベールを取り去って現れたのは僅かな反り身の美しい刀だった。鍔には豪奢な竜の文様が刻まれている。

 不思議なことにその刀身には色というものが存在せず、水晶のように反対側が透けて見えている。
                かむなぎ
  少年の祖父はその刀を『神薙』と呼んでいた。

 100年以上前にこの地に隕石が落ちたという記録がある。それを人々が神の一閃、『神薙』と呼んだ事がこの地の名の由来に

 なっている。

 その隕石が含む鉱物から、刀鍛冶だった少年の先祖が一振りの刀打ち出した。

 それが少年の手にしている刀、神薙である。使用者の精神力をエネルギーに転化するという能力をこの地球ならざる地から飛来した
                           しまばら  まひる
 鉱物は秘めており、代々少年 ―― 彼は島原 摩昼と言う ――の家は妖刀とさえ呼ばれたこの刀を引き継いできたのだ。

 使用者次第ではあらゆる物体を切断する恐るべき兵器にもただのなまくらにもなるこの刀を、少年は使いこなす能力を持って生まれていた。

 「摩昼。大丈夫?」

  彼の影のように控えていた少女が、その銀の炎に照らし出された芳しくない少年の顔色を覗き込みながら心配そうに問い掛ける。

 闇に浮かび上がる深い陰影を刻んだ彼の顔は精悍だがまだ幼さを残していた。少女と同じく今年で18歳を迎える。

 摩昼は力なく少女にうなづいて見せた。全身に負った傷は消して浅いものではないが、徐々にその痛みは引きつつある。

 刀が持ち主の傷を癒しているのだ。

 しかし摩昼はここに来るまでにあまりに力を使いすぎた。

 ボロボロになってしまった学生服に包まれた肉体はあちこちで悲鳴を上げ、今でさえこうして立っているのがやっとだった。

 神薙は所有者の精神力を食って破壊力を発揮するのだ、休みを置かずあまりに長期に渡り使用を続ければそのまま刀に精神を貪られて

 死ぬ危険さえある。だからこそこの刀は『妖刀』と呼ばれ恐れられてきたのだ。

  朦朧となって逃れようとする意識を必死に捕えながら、摩昼は扉の下半分を乗り越えて部屋の中へと身を滑り込ませた。

 室内は窓のない狭い部屋で、薄汚れたベッドや机など申し訳程度の調度類がひしめくように置かれている。

 そして物音に身を竦ませていた一つの小さな人影が、闇に浮かぶ少年の姿を認めてその名を呼んだ。

 「摩昼?」
          イ オ
 「待たせたな、伊緒」

 声を出すのも一苦労とばかりに摩昼は疲れを含んだ声を出した。

 摩昼と最初から一緒にいた少女が後から部屋に入り、ポケットからライターを取り出して火をつける。

 明かりの中に摩昼の顔を見つけて伊緒と呼ばれた少女は椅子から立ち上がった。

 「来てくれたの」

 「ああ」

 伊緒の震える声に摩昼は笑顔を作って見せる。

 次の瞬間少女の表情は見る見る崩れ、摩昼の胸に飛び込むと堰を切ったように泣きじゃくっていた。

 僅かな灯りの中に認められる少女の顔は、恐怖と孤独にやつれている。よほど怖い思いをしたのだろうと摩昼は思った。

 「何にもされてないだろうな」

 彼女が一通り落ち着くのを待って、少年は痩せ細った彼女の肩を抱きながら聞く。

 伊緒がその問いに小さく何度も頷いた。

 「うん。大丈夫」

 「そうか」

 もう一度摩昼は強く彼女を二度と放すまいと抱き、ほっとして呟く。

 「無事で良かった。無事で…」

 その二人の様子をただ一人、彼の側で控えていた少女だけが複雑な思いで見つめていた。

 何となくそうなんじゃないかとは内心思っていた。

 ただただ胸のうちにもやのようにどんどん広がる不安をひたすら打ち消し、少年の手助けをしてここまで来た。

 幼馴染だからって結ばれるとは限らない。現に彼が自分をほとんど家族のようにしか見ていないという事はよくわかっていたつもりだ。
  ティエチェ
 「蝶姐も?」

 突然伊緒に声をかけられ、動揺しながらも彼女が用意した返事を出す。

 「ま、幼馴染の縁ってヤツでね。摩昼にここまで付き合ってやっただけ」

 嘘をつくのにももう慣れていた。自分にも他人にも。

  諦めなきゃダメなんだと、蝶姐は何度も自分の胸に繰り返す。

 口付けを交わす二人から耐え切れずに視線を反らし、彼女は己の内に沸き上がる葛藤に決着をつけるのに必死だった。

 同時に今この空間に対するあまりの居場所のなさに落ち着きの消失を隠せない。

 摩昼とは幼馴染で殆ど家族のように一緒に毎日を過ごしていた。ずっとそんな日が続くのだと思っていた。



  すべては摩昼の友人が自宅で変死を遂げた事から始まる。
                        や  り  す  ぎ
 体内から発見された薬物から麻薬のオーヴァードーズで死んだと断定されたが、不可解なのは彼は決してクスリなどに頼る人物では

 なかったという事だ。

 独自に調査を続けるうちにやがて見え隠れする薬物の研究組織『ドラッグストア』、そしてその背後に控える犯罪地下組織ザ・ショップ。

 差し金と何度も死闘を繰り広げる摩昼と蝶姐の出会った少女、伊緒の話ではドラッグストアの所長は元は帝都製薬と言うれっきとした

 表向きの会社に努めていたが、彼は製薬を指揮した抗鬱剤『ハートリペア』に使用者が発狂するという致命的な欠陥があると発覚し

 製造中止に追い込まれると同時に姿をくらまし、今ではドラッグストアの中核たる存在らしい。

 そして見せかけの上だけでもあらゆる鬱病に決定的な効果があるとされる為、今なお需要の多いハートリペアの製造を地下で続けて

 いるというのだ。

 伊緒の摩昼と蝶姐への願いとは彼を、自分の父を止めて欲しいとの事だった。

 更にいくつもの苦難を乗り越え、遂に摩昼とティエチェは研究の成果を己の身までにやつした伊緒の父をも粉砕した。

 一度は連中の手によって連れ去られ、父の手によって幽閉された伊緒を救い出し、この一件は幕を閉じた。






  あれから何年経ったのだろう。

 ベッドの脇に腰掛けた女は片手で銅貨を弄びながら、薄闇の中でふとそんな事を考えた。

 眼を閉じればその光景は瞼の裏側に焼き付いている。

 辛い出来事の方がはるかに多い事件だったが、今となっては何故かたまらなく愛しい思い出だった。

  室内の空気には彼女の体臭と、別の据えたような臭いが入り混じって独特の香りとなっている。

 部屋は大きなダブルのベッドが一つ、あとは机と椅子があるばかりでほとんど何もない。妙に生活臭のしない空間だ。

 カーテンの隙間から漏れる僅かな光が女の顔を這うように柔らかく映し出す。

 左眼の左下に小さく顔を縁取るように、優美な曲線を組み合わせた紫色のラインが走っている。顔に刺青を入れているのである。

 目立たないながらもそれは彼女の年相応に見えない童顔に妖しい魅力を与え、いっぱしの女へと変えていた。

 脳裏に渦巻く気だるさに抵抗しようともせずに彼女は肩に男物ののYシャツを引っ掛けただけの姿のまま呆然と余韻を楽しんでいたが、

 ふと背後でのそりとシーツがうねる音がした。

 「どうかしたか?」

 錆を含んだような男の声にどう答えようかと、振り返らずにしばし彼女は考えを巡らせた。

 長時間握っていたせいだろう、体温が移った銅貨を空中に親指で弾いて女は溜息をつくように返事をする。

 「いえ」

 時間が凍りついたようにに静かな部屋に、小気味いい金属音と同時に銅貨が鈍く輝いて跳ね上がる。

 ほんの一瞬宙を舞っていた銅貨めがけて彼女の手が闇に霞んだ。落ちてきたそれを片手で受け取り、言葉を続ける。

 「別に何も」

 男の方が上体を起こし、彼女を背後から抱いて細い肩に手を回す。自分の冷たい素肌に這う相手の指は、前夜の記憶を断片的に

 甦らせた。

 刺青の入った左の頬に唇を寄せる相手に特に抵抗もせずに、彼女は銅貨を受け取った手を開いて見せた。

 掌に乗っていたそれは鮮やかな切れ口を残して真っ二つになっている。

 「面白い特技だ」

 彼から耳元に吹きかけられた言葉に女がぞわりと身を震わせる。同時に脳が痺れるような感覚。

 「武器は愛欲の為の最大の利器だが、君は何故それを?」

 相手の言葉に思わず彼女が肩をすくめて吹き出した。途端に全身を徐々に満たしていた高まりが引いていくのを感じる。

 「…セリトさん」

 眉を跳ね上げて動きを止めたセリトと呼ばれた男に、彼女が含み笑いを堪えきれないまま振り返った。

 「他のお姉さん達の時はわからないけど、私はそういうセリフを聞いちゃうとちょっと…」

 「白けるか? 俺なりに気を使ったんだが」

 ふてくされたように答える男に微笑みを返すと、ふと彼女の耳に無粋な電子音が入ってくる。

 済まなそうに相手の逞しい腕を外し、立ち上がって椅子にかけてある自分の着ていた衣服から携帯電話を取り出すと、手早く操作を

 済ませて小さなモニタに見入った。

 彼女が眉根を寄せてその内容に反応するのを見て男が先手を打つ。

 「仕事が?」

 「そのようですねえ…」

 ジーンズにハイネックのセーターを着込み、ロクにとかす暇もないセミロングの金髪を櫛で撫で付ける。
                         くとう せりと
 慌しく服を着ながら答える彼女にの姿に九灯芹人は思わず苦笑してしまった。

 色気も気遣いも他の愛人たちとはかけ離れていたが、この娘には何か手放したくないと思わせる魅力がある。

 「ティーチェ」

 名前を呼ばれ、彼女は得意になってたしなめるような表情をしてみせる。
                       ティエチェ
 「ノン。巻き舌がまだできてません、『蝶姐』です」

 「厳しいね」

 ベッドの脇に置いてある小さな円形のガラステーブルから携帯端末を取り、自分のキャッシュカードが刺さっている事を確認して

 九灯が苦笑した。

 画面に人差し指を置いて本人である事の照会を終え、蝶姐が差し出したキャッシュカードをもう一つの差込に挿入する。

 慣れた手つきで二、三度画面にタッチすると送金が済んだ事を示すアイコンが表示され、それを確認してカードを抜き彼女に投げ渡す。

 「毎度」

 薄暗い中でも平気でカードを受け取り、蝶姐は心底嬉しそうに笑って見せた。

 カードを握っている手にはすでに黒革の手袋に包まれている。しかし九灯の眼はその袖との境界から覗く、手首の僅かな素肌に

 見入っていた。

 そこにあるのは彼女の雪の白さの肌ではない、光を吸収する闇のように深い黒があった。

 「君は誕生日が近いんじゃ?」

 「ええ。そう言えば」

 ケータイをポケットに突っ込み、仕事に供えて士気を上げようと意気込んで蝶姐が答える。

 九灯は裸のまま立ち上がるとそんな彼女を柔らかく見つめながら続けた。闇に若々しさの溢れる逞しい肉体が垣間見える。

 「何か欲しいものがあったら」

 仕事に遅れると焦りながらも、蝶姐は考え込むようなポーズを取って見せた。

 そして同時にちょっと相手に意地悪をしてみたくなり、悪戯っぽく微笑んでその首に抱きつきながら囁く。

 「んー。お金で買えないもの」

 「考えておこう」

 蝶姐の横顔を手に取ると九灯はその瞳を覗き込んだ。刺青と同じく淡い紫色をしている、カラーコンタクトだろう。

 背伸びして男の口付けに応えると、彼女はぱっと身を翻し玄関に向かった。

 「行ってきまーす」

 「いってらっしゃい」

 振り返った先では九灯が自分に向けて軽く手を振っているのが見えた。

 彼に言われた言葉でようやく蝶姐は最初の疑問に決着がつくのを感じる。

 もうすぐに蝶姐は21才になる。あの日からもう三年が経過していた。



  玄関を出てすぐの所に男が突っ立っていたので、思わず蝶姐は相手にぶつかりそうになった。

 都内にひっそりと立つマンションの一つで九灯が主に愛人との密会(彼がそれを特に秘密にしなければならない理由はまったく

 ないのだが)する為に借りているものだ。白い廊下の両側にはずらっと同じスチール製の扉が並んでいる。

 バランスを崩してよろける彼女に慌てて男が手を貸す。

 「や、これはどうもどうも」

 憮然として思いっきり相手を睨みつけた蝶姐に対して男は愛想笑いで誤魔化しながら、無言で去ろうとする彼女の手を掴んだ。
 スィン ティエチェ
 「真 蝶姐さんでしょう? 俺ァこの度ロッキング・チェアーズから百狼会へ派遣されてここに配属したモンです」



 妙に滑舌のいい声が廊下に響く。

 「『アンダーガード』に?」

  一言目で蝶姐の名を発音できた日本人は初めて見る。相手を観察しようと彼女は相手に向き直った。

 背丈は自分と同じ位だ、中肉中背と言ったところだろう。

 ネクタイのない黒の背広を適当に着崩し、目深まで同じくらい黒いニット帽を被っている。

 年齢は蝶姐よりも少し下くらいか。瞳が放つ無謀さのようなものはこの街の少年特有の光だ。

 「人は『百枚舌のハヤシバラ』と呼びます。よろしく」

 丁度手を掴んでいたのでそのままそれを握手として、相手はもう一度親しげに笑って見せた。

 いぶかしみながらも彼女もそれに応えるが、しかし九灯の時は見せていた愛想はすべて消え失せていた。

 ほんのしばらく前までの温かみのある表情から打って変わって、凍りつくような雰囲気を放つ無表情で蝶姐も軽く自己紹介を済ませる。

 九灯は優しくてお金を払ってくれるのだからいくらでも笑って見せる。それが自分の仕事だし相手の事も少なからず愛している。

 だが一円も払わない相手に見せる笑顔など一つもない。

 「誰にこの場所を聞いたの」

 エレベーターに向かって軽く走りながら、蝶姐が背後についてくるハヤシバラに抑揚もなく問う。
  あじさい
 「紫陽花という方が」

 悪気のない相手の言葉に舌打ちしてから彼女は紫陽花のバカ、と内心で友人を罵倒する。

 たどり着いたエレベーターのコントロールパネルのスイッチを押し、彼女はくるりと男に向き直った。

 「今回だけは許すけどこれからは外で待ってるとかそういうのは止めて」

 「ウィース」

 返事をして何だか冷血な女だなとハヤシバラも内心毒づく。

 しばらくして開いた扉をくぐり、蝶姐が地下一階を選んでボタンを押す。このビルは彼女ら『アンダーガード』の職場である地下街へと

 繋がっているのだ。

 エレベーターの中でも髪型を気にしているのかコンパクトを手にしきりに櫛を通しながら、片手間でハヤシバラに話し掛ける。
         いぬかい
 「仕事の事は犬飼に聞いた?」

 「大体は」

 「あんたんとこにもさっきメールきた?」

 「ええ」

 額が露になるオールバックのいつもの髪型に何とか戻ったようだ、蝶姐はコンパクトと櫛をバッグに突っ込んだ。

 化粧ができないのは不満だがそうも言っていられない。

  エレベーター特有の内臓が持ち上げられるような不快感が終わって扉が開くと、平日のせいか人通りもまばらな地下街が目の前に現れる。

 外はもう夕方だが各所に電灯の配置されたここだけは、いつもと変わらぬ不夜城ぶりを見せていた。

 ほぼ神薙町の地下全体に広がると言われているこの地下街は果てしなく広く、とても一日あっても回れたものではない。

 同時に寂れて人目の届かない場所も多く犯罪の巣窟だったのだが数年前、犯罪地下組織ザ・ショップの要人が何人か襲われて以来彼らも

 この地下街の一掃に乗り出していた。

 特に多かったのがこの地を根城にしていた少年チームで、その一掃が終わって数年した今なお残党は各地に息づいている。

 少年らに代わってこの地下街を手にしたザ・ショップの頭痛の種とも言える存在で、彼らと連中のいざこざは未だに絶えない。

 ここはありとあらゆる様々な店が軒を連ね一種の観光名所にもなっている場所だが一部の治安は最悪なのだ。

 それでも休日ともなれば人が押し寄せ、このあたり一体は人込みで溢れるほどの活気がある。



  エレベーターを降りたばかりの二人に向かって僅かばかりの人並みを裂いて走ってくる女子高生が見えた。

 その足元ではやはり人並みの歩を掻い潜って黒い犬が彼女と平走している。
   ねえ
 「お姐、遅い!」

 二人の前まで来るとその娘は開口一番にそう言った。

 茶の混じったショートカットの髪にセーラー服といった別にどうという事はない昨今の女子高生らしい風体をしている、特徴と言えば釣り上がった

 目くらいのものだ。

 しかし最大限に違和感を発揮しているのはその露出した太股に走る派手な竜の刺青で、更にその上に両足にレッグホルスターをつけていた。

 そこに収められている銃は銃身が長く、膝のあたりまで伸びている。銃口は人差し指を突っ込めるくらい大きい。

 『マキシン』と言う、口紅くらいある大きさのライフル弾をそのまま発射するという世界最強のとんでもない拳銃である。

 それを両足の太股にそれぞれ一丁ずつつけているのだ、重量ですら相当なもののはずなのに彼女は軽やかに動き回っていた。

  蝶姐は返事をする前にとりあえず手刀を少女の脳天に落とす。

 ガツンというとても素手で殴ったような音とは思えない鈍い音が彼女の頭蓋骨内に響いた。

 「い…」

 「得体の知れない相手にホイホイ居場所を教えんじゃないの。九灯さんは地位のある人なんだから」

 なるべくハヤシバラに聞こえないように顔を寄せながら、頭を押さえて痛みに呻く彼女をたしなめる。

 緊急時の場合を考えて一部の人間にだけはあの部屋を教えてあるが、紫陽花に教えたのは失敗だったかなと蝶姐は後悔の念に駆られた。

 相手が痛苦から立ち直るのを待ってから彼女は口を開いた。

 「ネヴァーエンズの連中を見たってのは?」

 ネヴァーエンズというチームにはハヤシバラも聞き覚えがある。

 繁華街を根城にする少年たちのチームで、しょっちゅう暴力沙汰を起こしてはテレビを賑わせている。

 「本当みたいよ、イワノフがめっけた。今他の犬が追っかけてっからそいつについてって、じゃあね!」

 何時の間にか紫陽花の足元に控えていたイワノフと呼ばれた犬を残し、彼女は今きた道をすぐに戻り始めた。

 あっというまに人並みに消えた彼女から視線を離し、二人はイワノフに視線を送る。

 黒い毛並みの大型犬だが、瞳が放つ光はどこか獣性に欠けた無機質なものだ。耳の後ろには端子のジャックやセンサーなどが露出している。

 脳と肉体の一部に改造を受けかなり高い知能を有するサイボーグ犬で、一般市場に売りに出されている商品を若干改造したものだ。

 「じゃ、行こっかイワノフ」

 九灯のところを出て以来の初めての笑顔を犬に見せ、蝶姐は紫陽花の消えた方向とは逆の通路に疾走を開始する犬の背を追った。

 遅れまいと慌ててハヤシバラが革靴の音も高らかに床のタイルを蹴る。

 どうやら走る事が多い職場のようだ、明日からはスニーカーにしようと決心して前方で閃く蝶姐のこげ茶のロングコートを見失わないよう

 必死に走った。

  人が少ないせいか鈍足のハヤシバラの不安は杞憂に終わったが、蝶姐が右手に現れたチェーンに遮られた通路に飛び込んだ時は驚いた。

 『関係者以外立入禁止』とプラスチックのプレートが降りている、一飛びでそれを飛び越えた一人と一匹に続きハヤシバラもおずおずと

 チェーンを乗り越えた。

 「何か入っちゃいけないような事が書いてありますけど」

 早くも息が切れかけているハヤシバラが速まってくる鼓動に左胸を押さえて声を張り上げた。

 「私達は『関係者』なの」

 口を開く暇も惜しいとばかりに忌々しげに蝶姐が答える。猫のような俊敏さで駆ける彼女の呼吸は少しも乱れていない。

  華々しい大通りと違って今走っているこちらは地下道という名に相応しく、ひんやりと湿った空気が鎮座している。

 四方をコンクリートに固められ、大体人が二人並んで歩けるかどうかという広さしかない。

 等間隔で低い天井に下りている蛍光灯が落とす明かりは、返ってここの不気味さを増していた。

 どこかで水が漏れているのだろう、床には水溜りがいくつもできており先行する二人の足音が時々バシャバシャという水音に変わる。

 前方の闇の中に見え隠れする彼女の背を追うのに精一杯で、ハヤシバラにはズボンが濡れないように気を使う余裕もない。

 幸い一本道のようなのではぐれる事はなかったが、もしも彼女たちを見失ったら一生ここから出られないような錯覚さえ抱かせる閉塞感だった。

 地下街には何度も来たことがあるが、こんな通路があると彼は初めて知った。

  ほんの数分の走行だったがハヤシバラには随分長く感じられるものだった。蝶姐が消えた角を曲るとようやくそこでマラソンは終了となる。

 曲って数歩も進んだところで蝶姐が腰に手をやって佇んでいる。

 その脇には闇の凝固した獣となって存在しているイワノフがしきりに低く唸り声を上げていた。

 二人が見据えている先には三つほどの人影があった。

 古くなっているのだろう、チカチカと明滅する蛍光灯の下に映し出されている彼らの顔はまだ若々しいがその表情には恐怖が張り付いている。

 格好やアクセサリーからしても今時の若者ふうだが顔を見ればわかる、街をうろつくゴロツキのような連中だ。

 もっともそれは蝶姐たちといえど大して差はないのだが。

 彼らがその場に違いに背を寄せ合って凍り付いている理由は退路を塞ぐ蝶姐たちに加え、その背後で少年たちを値踏みするような目つきを

 送っている紫陽花の姿だ。

 彼女の足元にも途中で合流したらしきサイボーグ犬が三匹ほど控えており、やはり相手に対して敵意を剥き出しにしている。

 完全に挟み撃ちの形となった少年らに対してまず蝶姐がゆっくりと口を開いた。

 「ちょっと前に六角町でアタッシュケースを持った女が襲われた」

 相手に対する威圧を期待して声に感情は含ませていない。申し合わせたように紫陽花がその言葉を続けた。

 「お前らネヴァーエンズの連中がやったってとこまではわかってる。ケースはどこ?」

 しばらく緊張に途切れ途切れとなった彼ら三人の呼吸と、犬の唸り声だけが通路に木霊する。

 もう一度蝶姐が口を開きかけた時、彼女に向き直ったネヴァーエンズの一人がようやく声を絞り出した。

 相手に対して必死に声に威圧を作ろうとしているが所詮、虚勢だった。

 「てめェら『アンダーガード』か?」

  その語尾が消えるのと入れ代わりに突然落雷のような発砲音が炸裂した。

 たった今口を閉じたばかりの少年の後頭部に衝撃が炸裂し、彼は暴風に煽られた若木のように前に体を折って吹っ飛び顔面から

 床に着地する。

 そのまま勢い余って前転し終わった時にはもはやピクリとも動かなくなっていた。

 残りの二人が突然の事態に凍りついた、蝶姐と右手で長大な拳銃を引き抜いた紫陽花だけが爆音にも涼しい顔で立っている。

 「次は実弾かもね」

 テレビの真似をして銃口にふうっと息をかけて硝煙を消し、闇の中で紫陽花がにっこり笑って見せた。

 地面に頭を突っ込むように倒れている少年の後頭部から転がり落ちたものは、十文字に開いたゴム製のライオット弾だ。

 殺傷力がないという触れ込みだが、当たり所によっては骨折や内臓破裂を起こす事もある。

 この弾丸が発射できるのはかなり口径の大きいショットガンなどのライフルだけだ、彼女はこれをマキシンを用いて撃ったのである。

 常人ならば反動で腕の骨を折るくらいはしているだろうが、ただでさえ小柄な紫陽花は片手で扱っている。

 少年たちがたかが女子高生と犬数匹と甘く見ていないのは、ここに来る前にも一人彼女に撃たれていたからだ。

 「こちらの言う事にだけ答えて」

 腰から手を離して一歩蝶姐が踏み出す。

 「余計な事を言うヤツから順番に退場。OK?」



















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