プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -






クレイジーハートブレイカー

10.セーフハウス


 「さて、これからの事を話す。まずはお前が生きていた事についてはこれ以上ないくらいの喜びを伝えとくぜ」

 「ありがと」

  窓の外を呆然と眺めていた視線をふと運転席の古滝に移した蝶姐が、無機質に答える。

 老朽化に所々へこんだり剥がれたりしている荒涼としたアスファルトの上を行くワゴンはゴトゴトと揺れ、その両側に広がるのどかな郊外の

 風景の中は完成された油絵のように気分の良いものだった。

 日曜日の昼下がり、相手が九灯で弁当でも積んでいればもっと楽しい気分だっただろうに。

 そんな蝶姐の溜息をつきたい気分に気づかず、古滝はハンドルを握ったまま言葉を続ける。

 「知っての通り現状は最悪だ。特にユマに逃げられたってのがデカい」

  ジャスミンの住処に迎えにきたのはハヤシバラで、そのままアイアンメイデンへと連れて行かれた。

 一同に重く圧し掛かる失策の責任。その重圧をいくらか解いたのが蝶姐の口にした、拷問時にユマから吐かせた情報だった。

 彼がたまたま立ち聞きしたヘルダイヴと誰かの話によれば、来週ザ・ショップのビルの一つである商社の一つに殴り込みをかけるのだと言う。

 その日そこでは九灯 芹人を含むザ・ショップの幹部の面々が集まって定期的な会議を開く事になっている。

 この一致は偶然ではない。別の場所でもザ・ショップにはネヴァーエンズの内通者がいるのだ。

 ここで古滝が提案し、犬飼を通して今頃上層部に渡しているであろう計画がこれを機にネヴァーエンズを壊滅させる作戦である。

 件のビルではそのうち改装と称して大掛かりな工事を行うだろう。ネヴァーエンズを迎え撃つ要塞に変えるのだ。

 蝶姐が持ってきた情報は極めて貴重なものであると言えるが、問題が一つある。

 それはネヴァーエンズの一員(恐らくは摩昼なのだろうが、蝶姐は彼の存在は喋っていない)に保護されたユマが、ヘルダイヴにその

 情報を吐いたと言ってしまう事だった。

 日時を変更されるか中止されては結局は情報の意味がない。この情報は貴重でなければアンダーガードの存続に関わるのだ。

  そこで古滝のもう一つの提案により蝶姐には死んでもらう事になった。

 といっても実際に殺す訳ではなく、ザ・ショップの各情報機関を使用してマスコミに働きかけて情報を操作し、昨晩彼女がユマに拷問を

 行った直後に何らかの事故で死んだ事にしておくのだ。つまり情報の上で人々は彼女の死を知る事になる。

 ユマの吐いた情報をただ一人知っている蝶姐が死んだのだから、それを知ったネヴァーエンズもあえて計画を変更はすまい。

 この古滝の巧妙な発案で何とかアンダーガードの面々も首の皮一枚で繋がりそうだ。

 ちなみに蝶姐の話ではあの晩スキンシャークを倒した後、死の恐怖に脅えたユマが自分から情報を話したということになっている。

 そのすぐ後にネヴァーエンズが数人駆けつけてきたのでやむなくユマを見捨てたと。

 「そういうワケでお前さんにはコトのほとぼりが冷めるまでしばらくホテルにカンヅメになってもらう。質問は?」

  アンタのその悪魔的頭脳はどういう構造をしているの、という疑問は飲み込んでおく。

 「コトのほとぼりが冷めた後に父さんと兄姉にどんな顔して会えばいい?」

 「顔はそのまんまでいいだろ。だけど足がついてる事がよくわかるようにミニスカート履いてきな」

 ちなみに彼女の家族が死体を改めようと言う際には整形を施された、廃棄処分のものをリサイクルした適当な包娼が使用される。

 そう言えば今後このような事がない限り自分は人生のうちに二度葬式を上げた人間になる。

  葬式代はザ・ショップが払ってくれるのだろうかというどうでもいい考えを除けて、蝶姐はふと新たな疑問を口にした。

 「もう一つ。紫陽花は?」

 彼女の言葉の語尾が車内の空気に薄れ、消えてからしばらく彼の時間が止まった。

 ヒーターを入れなくても今日は充分暖かい。ほんの数秒間が随分長い時間に思え、それから古滝は重い口を開いた。

 「消えた」

 「?」

 「今朝病院から連絡があった。手術の後で麻酔がバリバリに効いてる筈だったのに、ベッドの中ァ空っぽだったとよ」

 「何で?」

 思わず運転席の背もたれを掴んで口にした疑問に、やはり古滝は予想通りの答えを返す。

 「俺が知るか」

 処刑の可能性に勘付いて脱走した、というのが口に出さずとも二人の考えだった。

 事の成り行きを知れば紫陽花は必ず蝶姐を狙ってくるだろう。あの子を傷つける事ができるだろうか?

 自問に答える間もなくやがて車は目的地へと到着した。



  畑や空き地が目立つ郊外の一角に、その屋敷は堂々とそびえていた。

 まず驚いたのはその大きさだ。

 普通の学校くらいの面積の土地に広大な庭を持て余した立派な日本家屋で、瓦の乗った白い塀がぐるりと囲っている。

 黒服の警備員が二人油断なく立っている大きな門の前でワゴンを止めると古滝は彼女に降りるように促した。

 「ここがお前の滞在するホテルだ。話は通ってる、行きな」

 「行きなって、ちょっと…」

 こちらに返事もせずに走り去る相手をしばらく呆然と見送っていたが、気持ちを改めて正面の門に向き直る。

 ホテルだと言うからてっきり安っぽい建物を想像していたが目前の建造物はそれをはるかに裏切っていた。

 木製だが恐らくはそれに模した何かの金属製であろう門の前で、胡散臭げにこちらを睨む門番に何と言って事情を説明しようか一瞬

 躊躇している間に向こうが先に口を開く。

 「お話は伺っています。どうぞ中へ」

 「ここは? 誰の家?」

 「百狼会が所有するセーフハウスです」

 いかにも何も知らない小娘を見下すような目つきを送りながら、警備員の制服を着た大柄な男が説明した。

 「真 蝶姐様ならどうぞ奥へ」



  その日からその屋敷の中が蝶姐の世界のすべてになった。

 従業員(女中と言うべきなのか)に頼めば大抵のものは手に入ったが敷地の外へ出る事は絶対に許されず、驚くほど広い屋敷の中を

 探検した初日と腕の整備をしにサイボーグ医が来た二日目は良かったが、三日目ともなるとさすがに退屈で辟易してくる。

 真新しい畳の敷かれた部屋数は数え切れず、台所やプールのように広い檜の風呂も各所に置かれていた。

  退屈を紛らわそうと一日に何度も風呂に入り、他をコタツに入ってテレビと雑誌を交互に眺めながら過ごす。

 体を動かしたい時は適当な面積のある部屋で一人空気を相手に組み手をした。

 今までここにやってきた何らかの理由のある人間も、やはり同じような事をしていたらしいという話を従業員の一人から聞いた。

 時々百狼会の面々、特にヤクザ関係の人間が儀式や会議を行う際にも使用するらしい。

  屋敷は大体大きな四角形をしており、中央の中庭には見事な日本庭園と池があった。

 春ともなれば美しい彩りを見せるのだろうが、今は枯れ木以外には何もない。

  いつも頭に浮かんできたのはやはり摩昼の事だった。

 必死にその事を打ち消そうと努力をしてもその思考は底無し沼のように暗く深く、何をしていても決して頭の中から消えようとはしない。

 その考えが出口のない深淵に迷い込もうとした時には決まって一人で組み手を始める。

 四日目の朝、自室に決めた部屋の一つでいつもの豪華な朝食を済ませると、何の気はなしに中庭へと降りてみた。

 空は高く、空気は澄んで雲ひとつない。ここに来た日と同じく暖かい日だった。

 吸い込まれそうなほど青い空は四方を建物に囲まれ、中庭の形に四角く切り取られている。

 玄関から持ってきた靴を踏み石に置いて履くと、庭の中央にある竹のベンチに腰を降ろして池の鯉に目をやる。

  この屋敷で働いている人々はあまり蝶姐に好意的ではないような気がした。最初に会った警備員と同じ眼で自分を見ている。

 せめて電話をかける事ができれば良かったのだがそれも禁止されており、昨日の夜インターネットのできる環境の揃ったノートパソコンを

 注文したばかりだ。

 冬の空に自分の溜息が溶けて消える。

 今頃アンダーガードを始めザ・ショップのいくつかの部署は大忙しだろう。

 色々と因縁の深いネヴァーエンズの裏を掻いて一網打尽にしようという算段なのだから。

  眼を閉じるとなるべく摩昼の事を考えないようにアンダーガードへ入ってからの出来事を思い出す。

 紫陽花と一緒に地下街で遊んだ事。古滝にパソコンを教えてもらった事。カラオケでハヤシバラに音痴だと言われて思わず彼を殴った事。

 ジャスミンみたいな妹が欲しかったと思った事。ミタカとの出会いと別れ。拷問。星の数ほどした喧嘩。九灯との思い出。

 だけどもしあの時、摩昼が自分の気持ちに答えていてくれたらどうなっていただろう?

 いつからか摩昼と一緒になるという事が夢になっていた蝶姐が月日の流れの中で刹那的にしか生きられなくなったのは、やはり彼の心を

 永遠に失ったというのが多大に関係しているのだろう。

 同じ大学に通って、新しくできた仲間達と一緒に騒ぐ。夏になったら免許を取って車で海に行こう。

 泳いで、一緒に花火を見て、その後二人っきりになって…

 「元気そうだな」

  突然聞こえてきた男の声に慌てて空想を中断し、陽の照らす明るい庭から翳った屋敷内に向き直る。

 彼女が何時の間にかニヤけていたかも知れない顔を元通りにしているうちに、相手は影の中から抜け出て縁側に立った。

 光を吸収する背広に身を包んでまだほぼ半身を影の中に溶け込ませている長身の男の姿を認めて、蝶姐は一瞬次にどんな表情を見せて

 いいかわからなかった。

 「芹人さん」

 「暖かいな、今日は」

 靴下のまま降りるのはさすがに躊躇ったのか縁側であぐらをかきながら、冬の陽光に鋭く反射して銀の板と化す眼鏡を押し上げる。

 角度が僅かに変わって見えた眼鏡の奥の目が微笑を浮かべているとわかって蝶姐はいくらか緊張を解いた。

 摩昼のことを考えている時に彼と顔を合わせるといつも変な気分になるが、今日はそれとは別の気まずい問題がある。

 「どうした。俺が来るのは意外だったか?」

 相手が妙な顔になっているのを見ると、九灯は手にしていた新聞を開いた。蝶姐がこの屋敷に来た日の夕刊だ。

 「『昨晩夕方5:57ごろ、市内に住む無職・真 蝶姐さん(21)が白の乗用車にはねられ、全身を強く打ち救急車で病院に運ばれたが

 まもなく死亡。警察は轢き逃げと見て捜査を進めている』…ふむ。ものの見事に君は死んだワケだ」

 陽光の差す縁側で新聞を開いている彼はなんだか随分年寄りに見えた。

 「今回の作戦は君のチームの古滝君が提案したそうだな? 彼の明晰さには毎回随分驚かされるがな、完璧に見えて今回の作戦には

 大きな穴がある。

 この件はすべて百狼会が進めているがロッキング・チェアーズはそれを面白く思っていないんだ、まあ当然だ。

 自分の庭を他人の舞台にされたのだから面目は丸潰れというワケだ」

 新聞を畳んで脇に置き、ネクタイを緩める彼の顔は随分久し振りに見たような気がする。

 「もしもロッキング・チェアーズが君の死が虚偽であるという情報を他へ漏らしたら? もちろん連中はワザとやったとはバレんようにやるさ。

 一応こちらで眼を光らせてはいるがな。今回の件がすべてうまく行けばザ・ショップの組織内すべてと『社長』の百狼会への信用が大幅に

 上がる事は確実だ」



  中庭の中央にはどういう名称なのかは知らないが、よく和風の旅館のパンフレットに載っているような赤い布に包まれたベンチのような

 ものが置いてあり、従業員の持ってきた緑茶とお茶菓子を盆の上に置いて二人はそこに隣り合って腰を降ろしていた。

 サンダルを履いた九灯が高そうな茶をすすりながら話を続ける。

 「一番最初の報告では作戦に失敗し君が帰還しなかったので死亡の扱いとして報告を受けた。

 俺の受けたショックがどのくらいのものだったかわかるか?」

 さきほどからほとんど口を聞かない蝶姐に向き直り、彼は大きく溜息をついた。

 「その日の晩にウチに着てリカに追い返されたのは君じゃなかったのか?」

 「…」

 やはり彼女は何も答えない。

 「関係を終わらせる件で少しややこしくなってな。家に呼んで話し合っていたんだが…ありゃあしっかりした女だよ。

 お前とは終わらせたいと言う話を切り出した私に、まず一番最初に口にした言葉が『手切れ金はいくらくれる?』だったからな」

 『愛人はカネで一方通行の愛を売る』。先輩のレイヴンが言っていた言葉だ。

 『相手が別れようと切り出した時にする算段はふんだくれる限りの手切れ金と次の相手の事、それが恋人と愛人の別れ話の違い』。

 こちらは遊の言葉。

 冗談っぽく言ってみたつもりだったが、呆然と先輩の言葉を思い出していた蝶姐に反応がない事に気づくと九灯は咳払いを一つして話を進めた。

 「君も多分わかっていただろうが俺にはもう二人愛人がいた。どちらもケリをつけたよ、手切れ金は予想以上の出費になったがね」

 胸の内側にじわじわと広がってゆく嫌な感情を押し殺して、彼女は無言で相手の次の言葉を待った。

 もしかして他のお姉さん達と同じくこの人は私に別れ話をしにここへ?

 確かにあの晩苦しみに悶えていた自分に会ってくれなかった彼を逆恨みだとわかっていても僅かに憎みはしたが、それでも九灯と離れたいと

 思った事は一度もない。

 理由は形として現す事はできないが無理矢理言葉にするなら『優しくていい人だから』。

 もしかしたら摩昼に見捨てられた自分を慰めてくれるのならば相手は誰でもいいのだろうかと思った事がない訳ではない、だけど。

 「ティエチェ」

 一瞬の内に激流と化して渦を巻く暗い思考を抱える彼女に、九灯は静かに告げた。

 「俺と結婚して欲しい」



  ざわざわざわ。

 風がまだ木々に残っている枯れ葉を撫でる音が随分遠くで聞こえた。

 「それはつまり」

 理由は不明だが異常に落ち着いたまま蝶姐はゆっくりと九灯に向き直った。

 表情といい雰囲気といいあまりに変化に欠けたので、逆に九灯の方が緊張が高まってくるようだった。

 「私と結婚したいという事ですか」

 「ああ、まあ…そういう事になるが」

 拍子抜けした彼の目の前で再び正面の庭園に視線を戻しながら、彼女は自分でも何故ここまで平静としていられるのか不思議に思っていた。

 枯葉を僅かに残すばかりの庭園を眺めてしばらく瞬き以外には何ら行動を見せず、物思いに耽っているような格好を見せる。

 それから随分経っていつもの口調で口を開いた。

 「何で私なんかと」

 「ずっと一緒にいたいと思える女性が君だったからだ」

 九灯も何となく視線を正面に向けて思ったままの事を口にする。実を言えばここに来るまで彼なりに様々な段取りを考えていたのだが、

 相手のあまりの反応の無さに計画などすべて頭の中から吹き飛んでしまった。

 「料理できませんよ」

 「構わん」

 「礼儀作法全然ないですよ」

 「構わん」

 「サイボーグですよ」

 「構わん」

 もう何も断っておく事がなくなってしばし視線を反らす。

 相手の考えは本当に理解できなかった。何故自分を選んだのだろう?

  次の瞬間猛烈に高まる自分の心音と同時に、改めて現状を把握した自分に凄まじい困惑が襲いかかる。

 どうしよう。どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 結婚など21年間の人生で一度も考えた事はない。中学生の頃に一度このまま摩昼と結婚するのだろうかとふと悩んだ事はあるが、その

 考えも次の日の朝の登校の時に彼の顔を見た瞬間にすぐに消えてしまった。

 あの日常が永久に続くと思っていたからだ。

 別に九灯が嫌いな訳ではなくこの人ならば幸せにしてくれそうな気もしたが、しかし何故か肯定の返事は絞り出せなかった。

 「あの…」

 唾を飲み込んでカラカラに乾いた喉をどうにか湿らそうと思ったがうまくいかない。

 一方相手も固唾を飲んでこちらの返事を伺っており、どう答えていいかわからなかった彼女の真っ白になった頭に一筋の光明が差す。

 「ネヴァーエンズを撃滅する作戦があるんでしょう? 返事はそれが済むまで待って欲しいんです」

 「アレに参加するつもりなのか!? アンダーガードの一員として?」

 自分の怒鳴り声に身を竦めた蝶姐を見、すぐに落ち着きを取り戻した九灯が『すまん』と漏らして乗り出した身をベンチに沈める。

 「今回のものは今までのような局地的な小競り合いではなく文字通りの戦争だぞ。こちらの部隊はすでに編成しつつあるしガキを

 蹴散らすには充分すぎる装備だ。しかし死者が出るのは免れん」

 「最初から私にだけはその戦争に出なくていいと許可を出すつもりだったんですか? アンダーガードの他のメンバーは参戦するんでしょう」

 「それは」

 いいごもる九灯の前で立ち上がって彼に背を向けた蝶姐は、凛として続ける。

 「仲間が死ぬ気で戦っているのに私だけが隠れてるだなんて。そんなの」

 「ダメだ」

 「でも」

 「絶対ダメだ!」

 いつになく強い口調の彼に振り返った蝶姐の目には、固く決意を結んでいる相手の瞳が見えた。

 自分の事を想っていてくれるのは多分本当なのだろう。しかし戦いとは蝶姐を形作る上では何時の間にか重要な要素となってしまっていた。

 自分は仲間と生死を共にして戦うのが好きなんだと思う。むしろ生き甲斐に等しい。

 そしてもし、摩昼がネヴァーエンズの一員となっているのならば。

  相手も自分の中に同じくらいの決意を見たのだろう、しばらく強張らせていた表情を解いて九灯は溜息をついた。

 「私の秘書兼ボディガードとして当日はずっと側にいてもらう。それもイヤと言うのなら君は百狼会会長九灯芹人の名の元にザ・ショップから

 永久に追放する。つまりクビだ」

 そこが理想と現実のギリギリの境界線だった。

 渋々ながらも頷く彼女に緊張を解いて眼を細めて笑いかけると、九灯はポケットに手を突っ込んで屋敷の縁側へと向き直った。

 「さ、そろそろ昼飯にしよう。食事が美味いのがこのセーフハウスの自慢だからな」






  時間はしばし蝶姐の死が新聞の隅にささやかな記事として載った当日に戻る。

 市内のある高架の下は公園になっており、少年らのチームやホームレスたちの溜まり場になっていた。

 コンクリートと申し訳程度の砂地ばかりで遊具と言えば錆びたバスケットゴールしかなく、常に日陰になっている事もあって非常に陰鬱な

 空気の立ち込める場所だった。

 その頭上の高速道路を支える大きなコンクリートの支柱の周囲で、少年たち数人が思い思いの姿勢でたむろしている。

 彼らの間に漂う空気は重苦しく、無機質な雰囲気の立ち込める場所も相まってか息苦しくなるような閉塞感だった。

 「いや驚いたわマジで」

 俯き加減でベンチに腰を降ろしていた青年を前に、立っていたヘルダイヴが前髪を掻きあげながら冷ややかな声で静寂を破る。

 ハーフのジャンパーを羽織ったカットソーにジーンズという、非常に活動的なスタイルの彼女はずっと柳眉を寄せていた。

 「『腕刀』の拷問女と幼馴染だって? 運命ってヤツぁ…」

 本当に面白い、と続けようと思ったが沈みがちの相手の心情を配慮してそれは飲み込んでおく。

 大きな道路に挟まれているせいか一同に圧し掛かる沈黙とは反対にこの公園は車の雑音が多い。

 たまに通る大型車が空気を震わせ、ポニーテールにまとめたヘルダイヴの髪を小さく鼓動させる。

 「島原」

  呼びかけにも相手は石化したように動かなかった。

 溜息をついて助けを求めるように彼女は向かい側のベンチに腰を降ろしている男に視線を注ぐ。

 集まっている他の数人の少年らに比べると随分年上だ。三十代の中盤というところだろう。

 背広にロングコートを引っ掛けたどうと言う事はない会社員風で、先ほどから相手の真贋を見極めようとするように正面の摩昼を

 見つめていた。

 「香鳴川先生、どう思う?」

 「『本当に死んだ』として仮定して考えりゃあ二通りだな」

 香鳴川と呼ばれた男は無精髭の生えた顎を撫でて視線をヘルダイヴに移す。

 「『@本当に事故で死んだ』『A何らかの理由でザ・ショップに始末された』とまあ、こうなる。

 その女はなんだ、ユマを拷問してたんだろ? 知っちゃいけない事実を聞いちまったとかな」

 「あの日の事か?」

 少年の一人がヘルダイヴに不安そうな声をかける。

 「いや…特攻かける日の事ならむしろ連中にとっちゃ貴重な情報だろ。それにあの子にゃ日時のことは喋ってない、知るワケないんだ。

 大体香鳴川先生の話によりゃ連中途中から無線使うの止めちゃったんだしさ。例えあの女が知っちゃいけない事を聞いたとしても

 その事実を連中の指令部はどうやって知ったワケよ?」

 「ユマが回復してくれりゃ何でも聞けるんだがなあ」

 バリバリと頭を掻きながら香鳴川も大きく溜息を一つ。

 その彼の言葉にヘルダイヴが大きく表情を曇らせる。

 「良くないの?」

 「怪我も相当なモンだが精神的なショックが大きい。傷はまあいずれ治るだろうが心が元通りになるかどうかは微妙なとこだな」

 ジーザス、と呟いた彼女が奥歯を噛んだ。また仲間を傷つける結果になってしまった自分に怒りを感じずにはいられない。

 「だが場合としてはもう一つ考えられるワケよ、島原」

 香鳴川が煙草の先をコンクリート製のベンチの隅に押し付け、うつぶせている彼に視線を戻す。

 「例えばその何だ、お前さんの幼馴染の女は何らかの意図があって情報の上でだけ殺されとるとかな」

 「どういう事?」

 眉根を寄せて返事はしたのはヘルダイヴだ。

 「こいつは昔っからあるザ・ショップの情報操作のやり方でな、生きてちゃ都合が悪いが本当に死んでもらっても色々困るっつう微妙な

 立場の奴を情報機関に働きかけて死だけ報道しちまうのよ。『実は生きてる』って場合がないでもないんだな」

 顔を上げた摩昼の視線の先で香鳴川は唇の端を持ち上げ、ニッと笑って見せた。






  そして遂に会議の開かれる当日、夕方。

 夜十時から始まる事になっているその時間を前に、市内の官庁街にあるエスチェボーンビルではいよいよ慌しい時が過ぎていた。

 ザ・ショップの中でも資金管理の仕事にあたる部署、『バンク』が経営する表側の顔の会社だ。

 昼間からひっきりなしにダンボールを手にして出入りする背広の男たちは一見して社員に見える。

 しかし接近すればその全身が放つ殺気のようなものを感じ取れただろう。彼らの多くはザ・ショップから掻き集められてきた戦闘員達である。

 極力そうは悟られないように振る舞いながら彼らは黙々と資材を運び込んでいた。

 50階立ての建物はミラービルとなっており外面のガラスはすべてマジックミラーで、昼間は外からは中の様子はうかがい知る事ができない。

  ハヤシバラはそのビルの中のある一階層でダンボール運びの手伝いをしながら、ふと中退した大学の文化祭の事を思い出していた。

 彼がこの世界に足を踏み入れたのは、不良少年として単に憧れだった。

 どのみち自分のような人間がカタギの会社員になんかなれっこなかっただろうし、人と違う仕事というのは少年にとって魅力だったのである。

  そこここでで男たちが続々と届くダンボールを開封し中身の銃器と弾丸を確認する作業に没頭している。

 弾除けの鉄板を組み合わせて、通路や踊場にトーチカを作っているものもいる。

 釘打ち機や冷たい金属が打ち合う音を聞きながら、ハヤシバラは咥え煙草をそのままにダンボールを抱えて指定された場所へと足を運ぶ。

 一目でわかるヤクザの面々は百狼会の構成員だろう。

 顔つきや雰囲気が日本人とは微妙に異なるのは恐らくロッキング・チェアーズから派遣されてきた台湾マフィアの一員だ。

 やはり百狼会のメンバーとの仲は険悪そうだった。

 他にも戦闘用にいい実戦データを取る機会だとばかりに『ファクトリー』の技術者連中や戦闘用の違法改造ドールズも大勢いた。

 みな一様に雰囲気を高揚させている。これから戦争が始まるのだ。

  廊下を通り過ぎる途中、クリップボードを手にした古滝とすれ違う。彼は今回は司令官として活躍する事になるだろう。

 「おう。元気か」

 他の頭脳労働が仕事の男たち数人と話し合いをしていた彼が先にハヤシバラに気づいて顔を上げた。

 相変わらずの気だるげな表情に口調で何ら変化は見られないが、そんな彼でも緊張しているのだろうかとハヤシバラは疑問に思った。

 「ウィーッス。お疲れさんです」

 通り過ぎ際に古滝がひょいと手を上げてハヤシバラの口から煙草をもぎ取る。

 「禁煙だぞ。その箱の中身は地雷だ」

 「じらっ…」

 「戦場が広いからな。ブービートラップが山ほどいる」

 言葉を失うハヤシバラの目の前で彼は指で火を揉み消しながら、再びクリップボードに眼を移す。

 ビルの中は各所に赤いロープが張られて立ち入り禁止の区域ができていた。彼らの作ったトラップハウスである。

 「楽しみだな。久し振りに面白そうなゲームだ」

 「ゲームって…」

 「ゲームさ」

 口だけで笑って古滝は答えた。

 「今までのは遊びのゲーム。今度のはマジのゲームだ」





















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