プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -






クレイジーハートブレイカー

4.キャプテン・ヘルダイヴ


  一時声を上げたハヤシバラに少年たちの火線は集中した。

 力のない存在に対して感じる愉悦に浸りあからさまに得意になっている少年たちのリーダーに対し、ハヤシバラは身長に言葉を続けた。

 「いや、重そうな銃だ」

 同じ事を言って彼は自分の鼻先に向けられている節くれの銃口を眺めた。右手は喉のあたりをしきりに撫でている。

 「俺達はあなた方の言う通りアンダーガードです。ご用件は何でしょう」

 「てめェがアタマか?」

 少年たちの中で一番多くを口にしている少年が銃を突きつけたまま問う。

 彼がネヴァーエンズのリーダーたるヘルダイヴかと蝶姐は相手を睨むが、どう見てもただの少年だ。

 ザ・ショップの目の上のコブとして長年重役の頭痛の種となった屈指のチームのリーダーとはとても思えない。

 そう言えばネヴァーエンズのリーダーの背格好までは聞いていなかった。

 「いえ、俺らのリーダーは忙しいもんで。俺が代行しましょう」

  内心恐怖と相手が発する圧力に押し潰されそうになっていたのだがハヤシバラはあらん限りの精神力で堪え、少年の眼をじっと

 見つめながら言葉を続けた。

 「にしても重そうな銃ですねえ」

 「ざけんな!」

 彼の態度に沸点に達したようだ、少年が銃を持っていないほうの腕を振り被る。

 あ、殴られるとハヤシバラが思うのとほぼ同時に自分の右頬でゴツッと骨同士がぶつかる音が弾けた。

 よろけた彼の体を紫陽花が慌てて受け止める。唇が切れ血液が尾を引いて地面に散った。

 「いでで」

 じわじわと口の中に苦痛が広がる、朦朧としたハヤシバラの視界の中に映ったのは額に銃口を押し付ける少年の姿だった。

 瞳の中に理性の光が存在しない事が彼のその後の運命を物語っているかのようだ。

 「死ね」

 引き金にかけた指に力がこもるのを見、紫陽花がハヤシバラから手を離して電光の勢いでレッグホルスターに手を伸ばす。

 突然支えを失って後ろに倒れそうになりながらも彼は突然高らかに叫んだ。

 「お前らはその銃が重くて持っていられない!」

  ハヤシバラの語尾に重なる闇を裂く銃声。

 おそるおそる彼が瞼を持ち上げてみると、目の前では硝煙を吐く銃を地面に置くような格好で硬直している少年が見えた。

 慌てて体中に手を当ててどこも撃たれていないか調べる。幸い顔の傷以外はないようだ。

 ほっと安堵の溜息をつく彼以外の全員がその場で何が起こったのか理解できないでいた。

 今目の前、いや彼らアンダーガードを取り囲んでいたネヴァーエンズのメンバーは10人ほど、そのうち銃を持っていたのは五人だったが

 その五人ともがハヤシバラの目前の男と同じく得体の知れない力に上体を折った奇妙なポーズを強要させられていた。

 数人は舗装された歩道に張り付いている銃を引き剥がそうと必死に力を込めていたが、一行に成果は上がっていない。

 そう、彼が言ったように突然手の中の銃に重量が加算されたように。

 「その銃は手にくっついて剥がれない」

 銃を手にした者たちは自分の意識に染み込んでくるようなハヤシバラの声を感じていた。

 手の中の武器は地面との磁力が発生したかのごとく凄まじい力で張り付いている。

 人質に取ったネヴァーエンズの面々に情報を吐かせたのと同じ、サイボーグ化した声帯による声で相手に暗示をかけたのである。

 危険な賭けである事に間違いはなかったがこれで出世が二年は早まったな思い、彼は唇を伝う血を拭いながらにやりと笑った。

  事態を飲み込んで我に帰るのはアンダーガードの方がはるかに速かった。

 全員が申し合わせていたかのようにそれぞれ自分の得物を炸裂させ、たちまち包囲網を崩壊させる。

 中でも目立っていたのが紫陽花で、両手にした二丁の拳銃は彼女自慢の早撃ちにより猛り狂った獣のごとく犠牲者を食らい尽くしてゆく。

 この夜闇の中でも眼球に改造を加えてある紫陽花にとっては昼のように光に満ち確実に敵を捕え、小柄な体はくるくると舞うようにステップを

 踏んで次々に連中に狙いをつけていった。

 装填されている弾丸はすべてゴム製の暴徒鎮圧弾だが至近距離で胴体に受けた者は派手に吐血して崩れ落ちる。

 内蔵破裂を起こしているのだ。

 ほぼひっきりなしに続いていた彼女の銃声が終わる頃には、もはやアンダーガード以外で立っている者はいなかった。

 「ナチョラルボーンキラァ〜! イエー」

 いつものように得意になって二つの拳銃をくるくる回し、西部劇の真似をしてレッグホルスターに滑り込ませて見せた。

 紫陽花は全身の筋肉と骨格を人工物と交換してある俗に言う強化人間の類いで、細い腕にも関わらずライフル弾を発射する怪物拳銃

 マキシンを片手で撃つ事ができる。

 本来ならば熊のような大男にしか撃てない拳銃なのだが常に二丁携帯しており、場合によっては片手にそれぞれ持って早撃ちを披露していた。

 「ナイス! かっこよすぎ!」

  彼女が頭上で炸裂する銃声に耐え切れず、耳を塞いでしゃがみ込んでいたハヤシバラに上機嫌で声をかける。

 「そりゃもう百枚舌の名は伊達じゃありませんから」

 銃を手にしていたせいで身動きが取れなくなっていた男たちにも容赦なく弾丸が撃ち込まれているが、特にやりすぎだとは感じなかった。

 人殺しの武器を携帯する以上、反撃で殺される可能性まではある程度覚悟せねばならないのだ。

 だが少なくとも紫陽花が倒したネヴァーエンズは皆虫の息とは言え死んではいない。

 ハヤシバラが古滝と蝶姐の無事を確認しようと振り返る。その瞬間ぎょっとして眼を剥いた。

 「助かったわ。ありがと」

  蝶姐はハヤシバラに少しだけ微笑みを見せた。

 普段なら嬉しいと感じるであろう彼女のお礼だが、今回ばかりはさすがに彼も言葉に詰まる。

 彼女の顔面の半分ほどは液体に覆われていた。闇に塗り潰されて真っ黒に見えるがあれは間違いなく人間の血液だ。

 ハヤシバラに押し付けたロングコートの下に身に付けていた黒いハイネックのセーターは、どういう訳だか肘から先が千切れてなくなっている。

 露出した両手もまた返り血に完全に染まっていた。

 「またシャワー浴びなきゃ」

 彼女は事もなげにそう呟きながら頭を掻いたが、髪に血糊が着くのに気付いて慌てて頭から手を離した。

 足元にはまだ断続的に血を吹き出している三人ほどの人間が転がっているが、どれもこれも決定的に人間の形をしていない。

 それぞれの死体にはすべて五体のいずれかがが消失しているのだ。切れ口に覗く赤い肉は鮮やかな切り口を残している。

  蝶姐は刺青を拭うように立てた指でゆっくりと顔の淵を撫で、そのまま闇に手を一閃させて空に返り血を払った。

 街灯の淡い明かりを浴びて鈍く光を反射する血液を浴びた彼女は恐ろしく、そして凶悪だった。

 宙に散った血の粒が更に光を砕いてきらきらとその姿に降り注ぎ、映えさせる。

  ハヤシバラは恐怖を感じながらも蝶姐のその姿をどこか美しいと思った。

 まるで人の生き血を啜る、麗しき地獄の淑女のようだと。

  ぼーっとその彼女の姿に眼を奪われていた彼は枝を踏み折る乾いた音で我に帰った。

 「HA! 派手にやってくれるねえ、ザ・ショップの犬畜生どもがさあ」

 どうやらハヤシバラ以外は全員気配に気付いていたようで、彼だけがはっとその声に振り返る。

 「まあコレでてめェらがアンダーガードって事に間違いはねえわけだな」

 今度は別の方向からだった。

 先にした女の声とは別人だ、アンダーガード達の立っている歩道の両側を挟むようにある林の中から今度は男の声が放たれる。

 右手の林から現れた人影は軽やかな足音と共に悠然と歩道に降りた。

 一方反対側から現れた男はバキバキと派手に枝を踏み鳴らしながら前進している。

 お互いの背を守るように身構える四人の前にそれぞれ現れたのは、声の通り一組の男女だった。

  女の方はインナーだけしかつけていない上半身に茶のロングコートを羽織っている。頭にはドクロのバッヂをつけたベレー帽。
                                                       いかり
 体つきは小柄で華奢だが切れ長の眼をしたきついイメージのする美女だ。片腕には先端に錨のような分銅がついた鎖を巻いている。

 一方の男は2m近い身長で、はちきれんばかりのシャツの下に隆々とした筋肉を押し込んだ熊のような大男である。

 ベリーショートの髪型で顔も相応に厳つい。腕に走る逆十字の派手な刺青が目立った。

 お互い共通しているのはその雰囲気で、蝶姐の凍りつくようなそれとは違いこちらは焼けるような灼熱の凶暴性を秘めている。

 「お前等もネヴァーエンズか」

  古滝が銃を片手にしたまま油断なく男の方に声をかけた。

 抜いた頃にはもう紫陽花と蝶姐が一仕事終えた後だったので全弾装填されたままである。

 いつでも撃てる体勢を維持し作戦参謀の常として状況を計りながら、彼は腑に落ちない状況に考えを巡らせていた。

 仮にこの連中がこちらをアンダーガードと知っていて襲い掛かってきたのなら恐らくはネヴァーエンズは待ち伏せしていた事になる。

 そもそもこの二人が林の中で今まで状況をうかがっていたではないか。

 こいつらどうやって俺らがこの道をこの時間に通る事を知った? それとも何もかもがタダの偶然か?

 「仲間に随分ヒドイ事してくれるじゃねえの」

 質問には答えずそう言った男の唇の端を持ち上げた歪んだ笑みは、これから始まる暴力への期待に少々引きつっていた。

 「全部殺っちまっていいんだよなァ? ヘルダイヴ」

 「一人くらいは生かしときな。ケースの中身の価値を知りたい」

  ヘルダイヴ? こいつが?

 女の方と対峙していた二人、蝶姐とハヤシバラの視線が名を呼ばれた相手に注がれる。

 この華奢な美女がネヴァーエンズのリーダーとはにわかには信じ難く、二人とも驚きを隠せなかった。

 ふと蝶姐と背中合わせになっていた古滝が一歩後退し、視線は油断なく前方に向けたまま彼女に囁く。

 「こいつ、スキンシャークだ」

 言われてやはり視線は前方に向けたまま彼女も記憶を巡らせていた。名前だけは聞いた事がある。

 出身鬼没で知られるネヴァーエンズの中で破壊を撒き散らす事を何より好む為、彼らが引き起こした事件の中では一番目立つ男だとか。

 ヘルダイヴの片腕と呼ばれる男で確か人間ではないらしい。

  突如、鉄板同士を叩き合わせたようなガチンという重い音が夜空に響いた。

 スキンシャークが己の両拳をぶつけ合わせたのだ。とても素手の音とは思えない。

 「…俺、帰っていいですか?」

 青ざめた顔でハヤシバラが誰とはなしに問う。彼はすでに逃げ腰で膝が笑っていた。

 「いいけどまだ連中の残りがそのへんにいるかもね」

 思い切り他人事で隣のハヤシバラにそう口走ってから、蝶姐はゆっくりと深呼吸を繰り返す。

 氣の循環を落ち着けて緊張を解き、腰を落とすと両の掌を手刀の形に開いて構えた。

 緊張とは別に全身に駆け巡る戦慄が彼女の体に凶々しい力を漲らせ、武者震いに血に塗れた両腕がカタカタと音を立てる。

 そう、人間を素手で真っ二つにできる蝶姐の腕は生まれついてのものではない。

  そんな彼女を楽しげに眺めながら不意にスキンシャークが街灯の鉄柱を掴んだ。そのままその根元に何気なく蹴りを入れる。

 それだけで街灯は枯れ枝のようにへし折れて彼の手の中に残った。

 「!?」

 死闘は何の前口上もなく開始された。

 「脳味噌ブチまけろや!」

 一同が驚く暇もなくスキンシャークはそのまま野球のバットの要領で街灯を横薙ぎに振り回す。

 紫陽花が慌てて伏せながらハヤシバラの足元をすくって転倒させていなければ、彼はまさしくボールのように吹き飛ばされていただろう。

 古滝は飛び退きながらかわしてヘルダイヴのほうに銃口を向けるが、ただでさえ少ない街灯をたった今破壊されてしまった為狙いがつけられない。

  一方、蝶姐はその場に立ち尽くしたままだった。

 スキンシャークの街灯がその身を薙ごうとした瞬間、左手の二の腕でその鉄柱の中ほどを撫でるように振る。

 彼が街灯を踏み折ったのと同じ位簡単に、それは見事な切れ口を残して真っ二つに両断された。

 僅かに眉を跳ね上げて驚きの表情を作った相手に対して蝶姐はゆっくりとした動作で構え直し、じりじりと間合いを計る。

 「てめェ…サイボーグかァ?」

 「腕だけね」

 答えた通り蝶姐は肘の先の二の腕からはすべてが人工のものである。

  光を吸収する黒の特殊な金属に覆われたその腕と手は彼女の意思次第で超震動させる事ができ、あらゆる物体を切断する。
                                しとう
 蝶姐の実家は道場で幼い頃から中国武術の一つ『刺踏』を学んでおり、彼女が名実共に素手ではアンダーガードで最強だ。

 何せその腕で少し触れただけで人間の体などあっさり千切れ飛んでしまうのだ。

 逆に防御の際も相手の攻撃を手で防いだ瞬間に超震動を発動させれば、それだけで相手の手足を切り落とす事ができる。

 この事を知っているのならば彼女が恐るべき強敵だと言う事に相手が理解するのはそう難しくない。
                                       わんとう
 ハヤシバラが『百枚舌』と呼ばれるようにこの腕から彼女もまた『腕刀』の二つ名を持つ。

 この改造はアンダーガードに入るとほぼ同時に受けたもので犬飼の提示した条件の一つだった。

  スキンシャークは手の中に残った鉄柱の残りを頭上へ振り上げると、次はそれをそのまま投擲してきた。

 200キロは下らないであろう物体をボールのように片手で投げ付けてきたのである。

 街灯を踏み折った事と言い恐らくは紫陽花と同じく(その力の差は歴然だが)筋肉と骨格を強化したサイボーグかあるいはドールズなのだろう。

 軽く横へステップしてそれをかわした蝶姐に向かって相手は突進をかけた。

 怪力が武器ならば掴まれるとまずい。人間の骨などスキンシャークならば少なくとも鉄柱よりは簡単に砕ける筈だ。

 相手の攻撃に備えて一歩踏み出した彼女の1m近くまで接近すると、突然男の爪先が跳ね上がった。

 普段ならばその足を両手で防いで超震動で切り落としてしまうところだが、もしも相手の装甲がこちらの切断力を上回っていれば蝶姐は

 一たまりもない。

 冷静にそう判断して身を左に泳がせ、前蹴りをやり過ごす。

 と、いきなりスキンシャークは突き出した右足に全体重と力を込めてそのまま足元の歩道に叩き落した。

 ブーツに包まれた足の裏は歩道をいとも簡単に踏み砕き、甲高い乾いた音と同時に舗装された道に亀裂が広がる。

 突然凹んだ踏み場に足を取られて一瞬体勢を崩した蝶姐に向けて、スキンシャークが床を踏み割った足を軸足に次は左足を振り上げた。

 「死ねやぁ!」

 腹の底からの相手の怒号を浴びながら、唸りを上げるその中段蹴りを彼女は自ら地面に転倒してかわす。

 思ったより頭を使う奴だと認識を改めると地面を左へ横転して蹴りを掻い潜り、相手から一歩ほどの距離を取って立ち上がる。

 スキンシャークの右側の位置に蝶姐が陣取った瞬間、相手の右肩が揺れた。

 再び男の口から漏れた怒声よりも早く鞭のようにしなった右腕が宙に炸裂する。裏拳だ。

 しかし拳は身を沈ませた蝶姐の髪を僅かにかすっただけで後は空気を裂いただけだった。彼女の金髪が数本闇に散って消える。

 素早く体勢を立ち直した蝶姐がたった今頭上を過ぎ去り限界まで行って停止したスキンシャークの丸太のような右腕を、何気ない仕草で

 片手で押さえた。

 慌てて左手を振り被ろうとした彼の右脇に彼女が右の掌をそっと押し当てる。

 それだけで蝶姐の攻撃は終わっていた。苦しげに肺に残った空気を絞り出しながらスキンシャークは上体を折ると、派手に歩道に転がる。

 普段は切断に使用する超震動の方向を変えて掌から震動だけを相手の体内に叩き込んだのだ。

 どんなに筋肉の鎧が厚くても、浸透した衝撃波は確実に脆い相手の内臓を破壊する。

 「お姐! こっち、こっち手伝ってよー!」

  紫陽花の悲鳴に振り返ると同時に蝶姐の視界に銀光が閃いた。

 抵抗する暇もなく彼女の全身をたちまち鎖に蹂躙され、先端の錨型の分銅ががっちりとハイネックのセーターに食い込む。

 次の瞬間軽々と蝶姐の体は宙を舞っていた。ヘルダイヴがあらん限りの力で鎖を引き寄せたのである。

 人間に出せる力ではない事から、こいつもドールズか何かかと彼女は瞬間的に考えを巡らせた。

 「これまたマズそうなのが釣れたこと」

 腕刀で縛めを断ち切る間もなく木の葉のように飛んできた蝶姐の体にヘルダイヴが膝を突き出した。

 湿った音と同時に左肩あたりに鈍い痛みが炸裂する。

 地面に落ちながら顔のすぐ横でバキバキと枝が砕ける音が聞こえた。どうやらヘルダイヴは林の中へと戦場を移していたようだ。

 恐らく古滝達が苦戦しているのはこのほとんど視界の利かない闇のせいだろう。草木の葉や枝に遮られ月明かりさえも届かない。

 紫陽花は動体視力を格段に上げられていると同時に眼球に赤外線視力を備えているが、こうも樹木という障害物が多くては銃も大して

 役には立っていないらしい。

  巻きついた鎖から逃れようと蝶姐はもがいたが胴体と一緒に両腕も巻き込まれている。超震動を発動させたが切れないところを見ると

 よほど強固な物質でできている鎖なのだろう。

 ざわざわと仲間達の足音は聞こえるがこちらに一行に近づいてきている様子はない。

 ヘルダイヴは目の前に転がっている彼女を足蹴にすると、楽しげに眺めて口を開いた。

 「ケースの中身は書類がいくつか。知り合いに聞いたら何かのヤクの設計図らしいけどさあ」

 何とかあお向けになった蝶姐の瞳を覗き込みながら彼女は目を細めて笑って見せる。

 「アレってカネになんの? だとしたらどんくらい?」

 相手の言っている事が本当かどうかはわからないが、何らかの薬物関係の書類らしい。もちろん初耳だ。

 微笑みを返しながら蝶姐は大声で答えた。

 「YOU ASS HOLE!」

 呆れたような笑い声を漏らしたヘルダイヴの爪先が彼女の腹部に突き刺さる。

 たまらず咳き込んだ彼女の耳に僅かな希望の声が入ってきた。

 「ティエチェ!」

 こちらの声を察知して位置を割り出したようだ、古滝らしき声が闇の中に上がる。

 一瞬闇に眼を向けたヘルダイヴは素早く考えを巡らせるが、更に野太い男の声が追い討ちをかけた。

 「ヘルダイヴ、ダメだ! 新手が来やがった、逃げようぜ!」

 スキンシャークの声だ。

 もうほんの一瞬だけ思考にふけっていたようだが、舌打ちを一つして彼女は目の前に転がっている蝶姐の体に食い込んでいる錨を外した。

 そのまま鎖を引くと相手の体がその場で回転して鎖が解けてゆく。

 「仲間を殺ってくれた事ァツケにしとく。必ず返してもらうからな」

 痛苦に悶える蝶姐に憎々しげにそう言い捨て、ヘルダイブは公園の外を通る道路の側に向かって林の中へと消えた。

 その遠のいてゆく足音を聞きつつしばらく林の中を駆け抜けてゆくビル風に身を委ねていた彼女を一番最初に発見したのは紫陽花だった。

 「お姐!」

 蝶姐の全身に塗れていた返り血を彼女自身の血と勘違いしたのだろう。紫陽花はしゃがみ込んで彼女の肩を掴むと逆上して喚き始めた。

 「うわあああお姐! 死んじゃやだーっ」

 「いてててててて死んでない死んでない、死んでないから触らないでよ!」

 涙目になっていた紫陽花を安心させると蝶姐は自力で立ち上がり、とりあえずは歩道へと向かった。

 押さえている腹部と左肩に染み込んでくるような苦痛を感じるが、骨までは折れていないだろう。

 ヘルダイヴにスキンシャークほどの怪力がなくて幸いだった。

  歩道に降り立つと、すでに古滝とハヤシバラが疲れたようにベンチに腰を降ろしていた。

 当たり一帯には蝶姐が刻んだ少年たち以外の恐らくは生きていたであろうスキンシャークを含む男たちは全て姿を消している。

 「逃げてくれて助かったね」

 「まったくだ」

 紫陽花の言葉に古滝が同調を示した。

 ヘルダイヴにどうにかされたのか彼とハヤシバラもかなりの打撲を負っている。無傷なのはどうやら紫陽花だけのようだ。

 「あいつらタダもんじゃねえな、紫陽花の鎮圧弾食らってんのにすぐに気がついて逃げてったぜ。

 まあ何人かはスキンシャークが担いでいったけどよ」

 新しく取り出したガムを噛みながらのんびりと古滝が続けた。

  周囲は相変わらず真っ暗だがはるか彼方のビル群の合間を縫って僅かに空は青みを帯び初めている。もう夜明けだ。

 「紫陽花みたく強化人間か、ドールズか…どっちにしろネヴァーエンズってのは厄介な連中くせえな」

 「ところで新手ってのは?」

 律儀にも彼女の言葉を守りしっかりと自分のロングコートを手にしていたハヤシバラからそれを受け取り、羽織りながら蝶姐がきょろきょろと

 闇に視線を巡らせた。歩道の両端のどちらからも人の声も気配もしない。

 「アレは僕の嘘ですよ」

 目の周りに作った痣を撫でながらハヤシバラが得意になって答えた。

 ついさっき初めて聞いたばかりのスキンシャークの声を真似て見せたのである。

 「さて」

 しきりに感心する一同の中、古滝が立ち上がって大きく伸びをした。

 「メシ食いに行くか」



  彼らにとっての不運は続き、古滝の意向を黙殺して喫茶アイアンメイデンに帰った一行をたんこぶを作ったユマが迎えた。

 地下室に閉じ込めてあった三人のネヴァーエンズが脱走したと言うのだ。

 蝶姐たちが去った後で少年らが一人が死にそうだの何だの哀れっぽく騒ぎ出したので、ついユマがカギを開けてしまったらしい。

 彼に当身を食らわせて脱兎のごとく逃げ出した連中を追える者はおらず、結局人質を失ってしまった。

 「マズいなあオイ」

 椅子にどっかと腰を降ろした古滝があまり緊迫感のない声で呟いた。

 「犬飼のダンナにどう説明すりゃあいいんだよ」

 「僕は」

  蝶姐がエプロンをつけたままのユマに向かい直った。

 顔を伏せて涙目になっている少年の頭を片手で抱き寄せると、できるだけ優しく声をかける。

 「貴方のせいじゃない」

 涙目で震えている目の前の彼の銀髪からは淡い花のような香りがした。

 慰めを口にしてみたものの蝶姐も彼の身がどうなるかまでは保証はできない。

 一応重要な情報を引き出しはしたが彼らアンダーガードのようなヤクザの下部組織にとって、人質を逃がしてしまったというのは

 大失態である。

 功を焦っている犬飼が聞いたら逆上するかも知れないと全員が不安に苛まれているのだ。

 「ネヴァーエンズの仲間がここに来てユマをぶっ飛ばしてカギを取って、んで逃がしたって事にすれば?」

 紫陽花が口にした提案をお絞りを顔に押し当てていたハヤシバラがあっさり否定する。

 「それでも結局は俺らの責任になりますよ。人質がいるにも関わらずここを空っぽにしてたワケですし」

 「えーとえーと、じゃあ…」

 頭を使うのは苦手ながらもユマの立場を救おうと必死なのだろう。紫陽花は身振りを交えて考え込んだ。

 「ダンナの犬が見たものは映像として記録されてるでしょ? 言い訳は無理だと思う」

 ユマを抱いたままの蝶姐の言葉に紫陽花が外へ出る前にもいくつかサイボーグ犬とすれ違ったのを思い出す。

 彼らが見聞きした情報は電脳に蓄えられ、右耳の下にあるジャックから専用の装置につなげれば呼び出す事ができるのだ。

  そんな一同の様子を眺めながら古滝は一人、もう一つ別の考えを巡らせていた。

 ネヴァーエンズがセントラクパークでたまたまたむろしていた所に自分たちアンダーガードが通りかかったとはやはり考え難い。

 何らかの手段でこちらが公園を通る事を知り待ち伏せをしていたのであろう。しかし自分たちが食事をしようと地上へ出たのは定められて

 いた事ではなく、偶然古滝がそう口にしたからだ。ここがどうにも噛み合わないのである。

 まるでアンダーガードがセントラルパークを通るという事をさっき知ったので、連中は慌てて近場にいたメンバーを掻き集めたような…



  その日から三日間、先の戦闘で一番重傷を負った蝶姐は自宅療養を強いられていた。

 重傷と行っても打撲程度で入院するほどではなかったが、彼女は骨休めとばかりに仕事を休んでいる。

 神薙市の一角、アンダーガードが根城にする地下街からそう離れていない繁華街近く。

 商店街の合間を縫ってひっそりと建つマンションの最上階に彼女の自宅はあった。

 それなりに上等で部屋数も多く最近引っ越してきたばかりで、愛人関係にある男の九灯に買ってもらったものである。

 「いーなー家なんか買ってもらってさー」

 居間の深い藍色の絨毯の上でパジャマ姿のまま、ストレッチを続ける蝶姐に紫陽花がそう漏らした。

  彼女は見舞いだと言って毎日やって来ては冷蔵庫の中の物を勝手に食べている。

 今日は蝶姐が風呂上りに食べようと思っていたアイスクリームをしきりに口に運んでいた。

 ソファでくつろぐ姿はセーラー服姿ではなくカジュアルな普段着である。

 一方、体の痛みも幾分収まってきた蝶姐は毎日欠かしていないトレーニングに余念がない。

 格闘技をやっているだけあってその体は非常にしなやかで、無駄なぜい肉の介入する隙間もなく均整の取れたプロポーションを維持していた。

 「紫陽花も彼氏に買ってもらえば?」

 「ムチャクチャ言うなあ」

 部屋には蝶姐の汗の匂いが溶けている。

 テレビと軽い運動を続ける蝶姐とを見るとはなしに交互に眺めながら、紫陽花は深く溜息をついた。

 アンダーガードは仕事がきつい割には薄給である。

 その為他でバイトをしてる者も多く、蝶姐は愛人業(?)をしているしハヤシバラは駅前の英会話教室で臨時の教師として教鞭を振るっている。

 わからないのが古滝で、特に羽振りが良いという訳ではないがいつもカネに困っているふうもない。

 彼は常に新作のゲームソフトが発売されるとその日のうちに購入しているから金遣いは相当荒い筈だ。

 「いーなー。愛人って儲かるんでしょ?」

  彼女の羨望に満ちた言い方の中にいかにも自分が楽をしてカネを稼いでいる事をバカにしているような響きがあったので、床の上で開脚して

 前倒しになったポーズのままむっとして蝶姐が言い返した。

 「あのねえ、この世に楽な仕事なんてないの。前言ったでしょ、私は九灯さんの三人いるうちの中で一番格下なの。

 いつだって交換できるような間に合わせの愛人。大変なんだからね、仕草も香水も化粧の濃さも話し方もぜーんぶ相手と付き合ううちに好みを

 探って行かなきゃなんないんだから。恋人と違って飽きられたら…」

 蝶姐の携帯電話の音を聞きつけ、一気に愚痴をまくし立てる彼女からの救いとばかりに紫陽花が咄嗟にすぐ脇にあったそれを取る。

 風呂に入っている間に紫陽花に預けてそのままにしてあったのだ。

 「はーいシンですぅ」
           スィン
 「シンじゃなくて『真』よ」

 にこやかに受け答えする彼女に蝶姐はすぐまた別の文句を言った。

 立ち上がって歩み寄ってきた蝶姐に、電話の向こうの相手と2、3言葉を交わした紫陽花がを受話器を渡す。

 「誰」

 「島原って人だけど」

 汗をパジャマの袖で拭う蝶姐の仕草が停止する。

 「島原って…島原摩昼?」

 「さあ?」

 運動の直後という理由とは別に高鳴る胸を押さえて震える手で彼女は受話器を受け取った。

 予想だにしなかった電話と事態に早くも脳裏は混乱を始めていた。



















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