プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -






車ドロボウとお姫さま

1.CANNON BALL


  そのレースは『キャノンボール』と呼ばれていた。

 ルールは至って単純明快、己の愛車を走らせてゴール地点まで運べば勝利。

 ただちょっと普通のレースと違うところは市街地のど真ん中で行われる事と、ライバル以上に警察との競り合いを覚悟せねば

 ならないという事。

 キャノンボールは違法の公道レースだった。



  夜に黒く塗り潰された神薙市の中心地、最も人が集まる坂江町は天空に散りばめられた星に負けじと夜景を瞬かせていた。

 午後十時半、24時間人通りが途切れる事のないこの町では繁華街を行き交う人々も道路を泳ぐ車たちも一向にその熱気を留める

 気配はない。

  上空から見ると町を網の目のように走る道路の中でも一際目立つラインがある事がわかるだろう。

 点々と明かりをつけた黒い布をいっぱいに広げたような大地を、ビルで凸凹をつけられた地平線から地平線まで横断する二つのライン。

 100m道路という呼び名通り幅が100mほどもある広い道路で片側四車線、合計八車線あり、広い中央分離帯は樹木が植えられて

 縦長の公園になっておりセントラルパークと呼ばれている。

 昼は足を休める買い物客や営業をサボっている背広姿の男たちなどで賑わっているが、夜ともなれば非合法の薬物の取引を行う

 売人たちや生気のない眼でうろつくホームレスなどの街の裏側の空気が溢れる場所となる。

 ここはセントラルパークの下に広がる地下街と連動する犯罪多発地区なのだ。

 まともな人間ならば近寄らない夜のそのセントラルパークの一角に、一つの大きな人だかりができていた。



  少年と彼より頭一つ分背の高い大男は並んで舗装された小道を歩いていた。

 道に沿って街灯がポツポツと灯るセントラルパーク内の道は両側の林に挟まれており、その隙間からちらちらと夜の街や道路を

 行き交う車の姿などが見て取れる。

 林の中にはいくつもビニールシートやダンボールで作られたホームレスの居住するテントが存在している。

 時折花が置かれているテントはその主が長い安らぎを迎えたことの証だ。彼らにとって冬は毎日が戦いなのだ。

 麻薬の売人たちや得体の知れない男たちの投げかける視線の網の中を少年は悠々と前進していた。

 少年は黒服の上にもこもこした毛皮のブルソンのジャンパーを羽織っており、特別目立つふうはない。

 艶の有る肩までのアッシュブロンドの髪から猫のような吊り眼が見え隠れしている。

 対して隣の男は背広姿の上からでもわかる隆々とした筋肉を持つがっちりとした巨躯の持ち主で、少年に仕える影のように

 控えていた。

  彼らが足を運んだ場所はセントラルパーク内でもかなり広めの駐車場で、様々な風体の若い男女が集まっている。

 若者達はトレーラーの前に固まっており、荷台に搭載された大小様々なモニタのその映像に見入っていた。

 彼らの吐く真っ白な息や煙草の煙で陰り、で少年の位置からモニタはやや霞がかかったように見える。

 少年は口々に騒がしいお喋りを楽しむ人垣を押し退けてモニタの前に行こうとしたが、身長が160にも満たない小柄な身体では

 壁と化している彼らの隙間に顔を突っ込むのがやっとだった。
                     ランウー
 「見えないな…クソ、ちくしょ! 斑雄!」

 大男は地面に片膝を突いて身を屈め、少年に向かって自分の頭を差し出す。

 少年がそれにひょいとまたがると男は彼を肩車して立ち上がった。

  モニタは大きく分けて三つに分類されていた。

 右脇には駐車場に控えている各車の中継、左脇にはそれぞれの数値的なデータ。

 中央の一際大きなスクリーンにはまだ何も映っていない。

 「うーん…」

 男の硬い髪の毛を掴んで各車のデータに目を凝らしていた少年は、眉根いっぱいに皺を寄せた。

 「ねえ、ねえ」

 突然ジャンパーの肩の部分を引っ張られた別の若者が大男に振り向く。

 しかしどうやら自分の服を掴んでいるのは彼が担いでいる少年のようで、二十歳前半の青年は視線を上に持ち上げた。

 少々その組み合わせの異様さに彼は引いていたようだったが、少年は構わずに話しかける。

 「おお?」

 「あのさ、どの車がどの車なのか良くわかんないんだケドネ。説明できるぅ?」

 屈託の無い舌足らずな少年に彼はああ、と頷いて咥えていた煙草を地面に落とした。

 「今夜ぁ色んなチームから来てんぜ、月末だかんな。
                   ド グ マ
 『アウトバーン・ビースト』、『怒愚魔』、『ロードオブファントム』あたりは定番だな。

 まあ何つっても今夜の注目は…」

 「アレは? なんてーの?」

 悪びれた様子もなく青年の言葉を中断し、少年はトレーラーの右後方に控えて暖気を行っている車たちの一つを指差した。

 調子良く舌を回転させていた青年は話の腰を折られて少々憤慨したが、彼の細い指先が向けている車を見てにやりと唇の端を

 吊り上げる。

 「今夜の注目のカードさ。

 チーム『ニトロドライヴ・オルゴール』より参戦の神薙に現れた一筋の流星!」


     キリュウホウ
  その几龍咆と言う名の付いた車は、今夜この場に集まった車達とは随分違っていた。

 かなり使い込まれた様子で改造を繰り返している事が一目でわかるが、何の車がベースになっているかははっきりしない。

 大半の車と異なり際立って流線型を描く部分が少なく、まるで板金を組み合わせて作ったかのようなゴツゴツした車体を持っており

 小型の装甲車のような迫力だ。

 派手なカラーリングを施された車が多い中、几龍咆だけは錆を吹いたような焦げ茶の塗装が施されて飾り気というものがほとんどない。

 ただ、フロントに大きくトランプのカードがペイントされていた。

 このまま額に入れて飾ってもおかしくないくらい緻密な美しいグラフィティで、ハートのクイーンと龍が上下で半々に描かれている。

  その上に腰を下ろしてぼーっと煙草をふかしている男が、几龍咆の主だった。

 不揃いに短くした金髪に僅かな顎鬚、きりっとした眉が特徴的な二十歳前半の青年だ。
    はなまち そのお
 名を花町 苑生と言い、彼の所属する暴走族のチーム『ニトロドライヴ・オルゴール』の中ではソノで通っている。

 各所にプロテクタの入った黒いツナギを身に付けており、同じようなものを装着しているドライバーはこの中にも何人かいた。

 総じてソノくらいの年齢の、いくらか年季の入った男たちは皆ツナギを着込んでいる。

 対してまだ十代とおぼしきドライバーの若者達は着慣れた軽装で仲間たちと雑談を交わしていた。

 排気ガスと暖気で上がる白煙でやや闇に霞んで見える彼らにソノは忌々しげに眼を細めた。

 「あーあー…あんなカッコで来やがって」

 なーにー? バニーガールでもいた?

 ソノの独り言を拾ったのは彼の耳に突っ込んである通信機の向こう側にいる女性である。
 ユンフィ
 銀姫と言うソノよりも一つ年下の日本育ちの韓国人で、レースの際は彼のパートナー兼ナビゲーターを勤めている。

 聞き慣れた呑気そうなその声にソノは持ち前の不機嫌そうな声を返した。

 「キャノンボールが公道レースだって事、忘れてやがる…早死にするって誰か教えてやってねーのか」

 あんたが言えばいいじゃんよ

 「言ったよ、とっくに。臆病者の警告を聞くつもりはないとさ。…ガキがよ」

 吐き捨てたソノの語尾に別の青年の張り上げた声が重なった。

 スタートを告げる合図だ。ポケットから携帯用の灰皿を取り出すと、咥えていた煙草をそこに突っ込んでソノは車に乗り込んだ。

  黒で統一された車内は座席が前部の二つしかなく、後部のものは取り除かれてエンジンルームの一部となっている。

 ソノが腰を下ろした運転席の背もたれの、丁度うなじが当たる部分には四つの小さな穴が開いていた。

 ハンドルの裏側についているスイッチを押すとそこから四つの端子が飛び出し、ソノは構わずそこに身を沈めた。

 端子がソノのうなじに開いていたジャックホールにぴったりと収まると彼の意識は霧散し、遠退いて行く。



  死闘の火蓋を切るのはスタート地点の作成だ。

 レースを仕切るチームのメンバーが信号手前付近の道路を何台かの車で封鎖し、空間を作る。

 そこにセントラルパークの駐車場から飛び出してきた出場車が手馴れた運転で並んで列を成す。

 今回出場する車は八台、交差点前の車線いっぱいに陣取って前後に四台ずつ、ソノは今回後列の一番右端だ。

 突然道を阻まれた一般車が嵐のようにクラクションを鳴らす中、これで準備は完了した。

  前方の歩道では関係者の少年が鉄パイプに派手な赤いTシャツをくくりつけて作ったフラッグを振っている。

 信号が黄色から赤に変わると各車はエンジンをふかし始め、周囲は爆音に支配された。

 違法改造車特有の遠慮のないエンジン音は激しく鼓膜を震動させる。

 空気が凍り付いてドライバー達は皆一様に口を一文字に結び、前方を凝視している。

 張り詰める緊張はダイナマイトの導火線が縮んで行くように見る見る高まって行き、爆発を間近にしていた。

 信号が青になると旗は真っ直ぐに下ろされた。

  鉄が咆哮を上げた。

 アスファルトをタイヤで斬り付けながら一斉にスタートした各車が砂埃と排気ガスを噴き上げ、周囲の視界は瞬時にして霞む。

 ソノの意識はある一点で凝固し、その空間で自我を形作っていた。

 几龍咆が切り裂く風の勢い、自車を含める機械たちの雄叫び、そしてスピードに対する凶暴な快楽と高揚。

 踊り狂う空気の分子さえも感じ取れるような気がする。

 ソノは几龍咆そのものとなっていた。

 元はバーチャルリアリティーを追求するアーケードゲームから進化したと言われる、数年前から流行り出したシンクロシステムを

 搭載した乗用車で、身体につけた端子を繋ぐ事で五感を車に預ける事ができる。

 車の各所に埋め込まれたカメラはソノの眼となり、車は足となり、装甲は皮膚と化すのだ。

 波打つエンジンの震動は鼓動となって彼の全身を駆け巡る。

 イメージとしてはソノは己の身一つで地上すれすれを滑空しているようなもので、脳と車の操縦を直結させる事で考えてから

 行動するまでのライムラグを限界まで縮める事が可能だ。

 文字通り手足のごとく操縦ができるのである。

 恐ろしく高価なのでソノのように運が良くない限り所有できるようなものではなく、現にシンクロシステムを持った車は今回ノレースでも

 彼のただ一車だった。

  几龍咆を含めた八台は押しつ押されつ、揉みくちゃになりながら道路を爆走した。

 仕事帰りの自家用車やタクシーで賑わう道路は交通法規を一から十まで破っている彼らに巻き込まれ、たちまち大混乱と化すが

 ドライバーたちは巧みなハンドルさばきでその障害をかわしてゆく。

 そう、一般車両はこのレースでは障害物として扱われるのだ。

 クラクションが飛び交い、あちこちで接触を起こした車の細かい部品が宙に飛び散る。

  次の交差点の信号は赤になっていたが、勿論彼らがそんなものを守る訳がない。

 いち早く混乱を脱し、一同の先手を取った車がその中心へと踊り出す。

 ソノの視線の先でその車の横っ腹に横道から飛び出してきた別の一般車両が突き刺さった。

 限界まで軽量化していたのだろう、強風に煽られた木の葉のように吹き飛ぶとフレームが鉄を捻じ切る悲鳴を上げる。

 不意に現れたバリケードに別の車たちも避け切れずに次々と突っ込んで行く。
         ショックウェイブ・オブ・ブラック
 あっらー。『 黒 の 衝 撃 』かな?

 ソノが眼としているカメラから送られてくる映像を見ている銀姫の漏らした溜息のような声にソノは眼を細めた。
  ショックウェイブ・オブ・ブラック
 『 黒 の 衝 撃 』は最近できたばかりのチームで、今夜のドライバーは先程ソノが注意を与えた若者である。

 「年上の言う事は聞くモンだぜ」

 ぼそりと呟いたソノの行く手には今や車が凝り固まった巨大な鉄塊が姿を現し、道を塞いでいる。

 銀姫が何か言う前にソノは思い切り身を右に傾けた。

 アスファルトと接触したフレームが凄まじい火の粉を吐き出す。

 スピードを殺す事なく車体はそのままの勢いで右手のセントラルパークに突っ込み、一瞬視界が暗転した。

 街路樹や下生えを薙ぎ倒しながら斜めに公園を横切った彼が出た道は反対車線である。

 ちょっ…え?

 一瞬状況を理解しかねた銀姫に、ソノはにやりと唇の端を吊り上げた。

  突如踊り出してきた錆びた閃光にすべての対向車のドライバーが凍り付く。

 ソノは身をもたげてスピードを高め、アスファルトを削りながらその群れの中に槍と化して突き刺さって行った。

 まず最初に彼が鼻っ面を合わせたのは軽自動車だった。

 向こうが戸惑う暇でこちらはバンパーを擦りながらギリギリで右へと折れる。

 空気が凄まじい唸りを上げて軽と行き違いになり、そのすぐ右後方に控えていたシルバーのセダンは今度は左に折れてかわすが

 間に合わずにソノの几龍咆の右後方はセダンと浅く接触した。

 途端に100キロ近い風の領域に相手の鼻先が潰れる鈍い金属が上がる。

 角度が良かったせいで几龍咆の体勢は僅かに崩れたに過ぎず、後部の振り返しが終わるとすぐに再び錆色の流星と化す。

 几龍咆の装甲を厚くしているのはこの為で、接触の多い市街地でのレースに備えているのだ。

 ひらひらと風の中を舞う帯のような華麗さで対向車を避けながらしばらく逆走を続け、次の交差点でソノは元の車線へと舞い戻った。

 ムチャクチャするなよお

 「ああ」

 無謀を咎める銀姫の声を気にもせず、彼はどんどん別の車を追い抜きながら腑抜けた声で返事をする。

 走行に全神経を研ぎ澄ませているせいで他所に注意を向ける余裕が無いのだ。

 「パンダは?」

 あー。来てる来てる、わさわさ来てる

 パンダと言うのは彼らの使うスラングで警察、それも交通機動隊の事を示す。

 銀姫はチーム『ニトロドライヴ・オルゴール』の所有するコンピューターに囲まれた部屋におり、街の防犯カメラや衛星、警察の使う

 無線などをハッキングして情報を割り出し、道路状況や警察が来るまでの余裕をソノに伝える役割を担っていた。

 四号線から南下中。別働のチームがこの道を2キロ先で封鎖してるね…どうする?

 「よっしゃあ」

 それだけ言葉を返し、ソノは更にスピードを出した。

 道路脇に灯る街灯は彗星のように尾を引いて街の光景諸共後方に吹き飛んで行く。

 車たちの灯すライトはゆらゆらと不夜の街を残像を残して漂い、すぐに消える。

 唸り、悲鳴を上げ、絶叫する風の渦はソノの意識を白く煮えさせた。

 もっと速く! もっと風に近く!



  銀髪の少年はスナック菓子の袋に手を突っ込み、中から掴み出してきたものを口に運ぶ事を片時も休めなかった。

 バリバリと口の中のものを噛み砕きながらも視線はトレーラーのモニタに見入っている。

 「几龍咆っての? いい車だねえ」

 冬眠前のリスみたいに頬をいっぱいに膨らませながら、少年は肩車された上から先程の青年に話しかけた。

 「ああ。花町の野郎がどっかから盗んできたんだってよ」

 車泥棒はソノと銀姫の本業である。

 それまではバイトと車泥棒で稼いだ中古のシンクロシステムを搭載した車を使っていたのだが、今回はレース前に上等な車が

 手に入ったので主用パーツを几龍咆に移し、その新しいシステムと足回りの試運転も兼ねている。

 少年のスナック菓子を咀嚼する口の動きが止まった。

 やがてすぐにそれは横に寝かせた三日月を描き、笑みとなる。

 「僕の『ジュジュ』…見〜つけた」



  ソノとまだ脱落していない他数台はすでに警察が封鎖している地点まで500mの地点まで迫っていた。

 そして彼らの背後にもけたたましいサイレンを響かせるパトカーが数台、食い付いている。

 中でも目立つのが助手席の窓から半身を乗り出し、メガホンで怒鳴り散らしているよれた背広姿の男を乗せたものだ。

 四十台中盤といった所だろうか、撫で付けた髪には白いものが目立ち、不精髭と全体的に埃っぽい風貌からは明らかに三日程

 家に帰っていなさそうだ。

 特別交通機動隊のリーダーで沖田と言い、キャノンボーラーの逮捕に執念を燃やす男でソノらにとっては天敵たる存在だった。

 「俺の道路で何してやがるガキども! 止まんねえとケツにブチ込むぞオラア!」

 神薙市で最も警察らしくない男とキャノンボーラーに言わしめたいつもの暴言を吐き散らす彼を背に、ソノ達は決断を迫られていた。

 今すぐ横道に折れれば封鎖は突破できるがゴールまでかなりの遠回りになる上、空いている狭い道では警察を振り切り難い。

 かと言ってパトカーで封鎖してある場所へ突っ込むのはいかに厚い走行を持つ几龍咆であっても無謀極まりない。

  彼方にはもう揺らめくオレンジ色の警告灯が見える。

 交機隊がこの道を封鎖している事を示す合図だ。

 「ユンフィ、連中が封鎖してんのはどこだ!」

 え? だからこの先の交差点の前だよ

 「正確な位置を言え、左手の建物は何だ?」

 あー、えーと…百貨店の『マルA』だよ。一階はショウウィンドウとガラス張りになってるけど…あのー、花町さん?」

 嫌な予感に苛まれる彼女にソノは何も答えなかった。

 ただただ内側から湧き出してくるスピードへの凶暴な悦楽に恍惚として。

  不意に几龍咆の後部についたカメラの眼が、パトカー達の異変を捕えた。

 沖田を始めとして皆助手席から隊員が身を乗り出し、何か大きな長銃のようなものを肩付けしてこちらを狙っている。

 中でも眼を血走らせている沖田がスコープを覗き込んだのを見た瞬間、ソノは反射的に意識のハンドルを切った。

 明るい夜を切り裂いて銃口から放たれたのは街灯を受けて凶暴な銀色に輝く金属の矢で、ワイヤーの尾を引いている。

 ソノは間一髪でかわしたがそれは避け損ねた車の後部に突き刺さると電磁石の備わった鉤爪を開いて車体にがっちりと食い付き、

 バヂッとオレンジ色に弾けた。

 すると食らったソノと平走していた車は風船から空気が抜けるように勢いを無くし、よたよたとおぼつかないスピードとなって視界の

 後方へと飲み込まれてゆく。

 特別交機隊が使うフックショットという特殊な銃器で、撃ち込んだ車を電気ショックで強制停車させるものである。

  生き残ったのは二台、ソノの几龍咆と古参のチーム『サタンハウンド』のハンターシャドウ。

 真っ黒な車体を駆け抜ける銀色の炎をペイントした美しい車で、ドライバーはソノと何度もデッドヒートを繰り広げた仲だ。

 意識のバックミラーは新しいフックショットを用意している沖田の姿を映し出している。

 封鎖地点まではあと40mを切っていた。もうすぐそこに道路を封鎖しているパトカーが数台、見える。

 「逃げ切れると思ってんじゃねえぞ、ガキィ!」

 風圧に負けないほどの怒号が風を震わせる。

 ロマンスグレー、と呼ぶにはやや油っぽ過ぎる髪を躍らせ、沖田はスコープ内の照準の中央に几龍咆の後部を重ねた。

 彼がフックショットの引き金を絞り込んだ瞬間、几龍咆の姿は錆色の残影を残して思い切り左へと流れる。

 植木を薙ぎ倒して歩道へと乗り出した車はそのまま自身の虚像を映し出していた、すでに店じまいをしている百貨店のガラス張りの

 ショウウィンドウへと頭から突っ込んだ。

 通信機の向こうで銀姫が悲鳴を上げる。

 几龍咆は輝くガラスの破片を光の粒のように散乱させて闇に塗り潰された店内へと突入すると、商品を掻き分け棚を踏み倒しながら

 横目で封鎖されている道路を眺めつつ、それを越えた地点で再びガラスに突っ込んで道路へと踊り出す。

 ほんの一瞬の事だったが、常人ならば想像もつかない荒業で几龍咆は封鎖をするりと突破したのだ。

 紙箱や真新しい洋服を身につけたマネキンを弾き飛ばしながらレースへと戻った彼を交機隊が茫然と見送った。

 錆色の流星はあっという間に粒となり、街に溶けて消えて行く。

 部下に車を急停車させて助手席から降りた沖田だけがただ一人、それを眺め剥き出した歯を軋ませて握り拳を作っていた。



  神薙市を象徴するテレビ塔が彼方に見える最後の直線で二台は再び巡り合った。

 封鎖を遠回りしてかわしたハンターシャドウはやや遅れを取っていたが、装甲の厚い几龍咆は最高速で劣る為徐々にその差を

 縮められてゆく。

 風と化してせめぎ合うその姿は、まるで二つの稲妻のようだった。

 激しく火花を散らしながらお互いを牽制し合い、几龍咆は回り込んで追い抜こうとするハンターシャドウの前に出てブロックを繰り返す。

 ソノの事を車の性能に頼っていると中傷する輩は少なくなかったが、十四歳の頃から無免で慣らした彼のテクニックは本物だ。

 まさに針を刺す隙間もないほど精密な動きを見せ、後方のハンターシャドウに一歩も譲らない上に前方から迫り来る一般車両からも

 神経を途切れさせない。

 ソノはこの天性の集中力でキャノンボールでの常勝を誇っているのだ。

  彼は意識の両手を広げ、胸一杯に風を受け止めながら車の蠢く道路の地平線を眺めていた。

 身体の感覚は空気に溶け、より一層風へと近づいて行っている気がする。

 耳の奥はキーンと耳鳴りのような音に支配されていたが、それは何故か心地良い音だった。

 このまま迅風と化して風になってしまえばいい、もっと速く、もっと風に近く!

 彼の目は果てしなく広がる夜の街の一角、自分の疾走する途切れる事のない無限の道路の上に生じた白い点へと向けられた。

 それは速度を増すほど少しずつ大きくなってゆく。

 ソノは奇妙な感覚に支配された。

 頭の奥が熱の無い青白い炎に焼かれているような、苦痛もないのに自分の身体が少しずつ消し炭になって崩れ落ちて行くような…

  シンクロシステムを使い始めた頃にも同じような事は起きた。

 自分の意識の深い場所にまで車と繋がってしまうと深層意識が運転の動作にまで出てしまうという現象で、運転に慣れたらすぐに

 起こらなくなっている。

 しかしあの時とは微妙に違う。

 何かもっと、言いようもない奇妙な。

 白い点はやがて小さな人型となった。

 その人型の顔がこちらを向いて自分と視線を合わせた時、ソノは絶叫を上げて意識のブレーキに全体重をかけた。






  いつもの車の隠し場所である駅の地下駐車場の一角に几龍咆を置いてシートをかけると、ソノはレトロなロボットのキーホルダーが

 付いたキーを上着のポケットに突っ込んだ。

 車の中でGパンにトレーナー、黒い皮ジャンというラフな服装に着替えてツナギはボストンバッグの中に入っている。

 いつもはレース後の余韻で身体が浮くような高揚を覚えるが、今日に限ってそれは失せていた。

 「あのさ、ソノ」

 赤毛の天然パーマの入った長い髪をいじりながら、銀姫はすっきりと通った鼻の頭を擦った。

 服装はほとんどが黒のバイカーのようなファッションで決めている彼女は美女ではないが子犬のような愛嬌のある顔をしており、

 天真爛漫な前向きの性格と伴ってチーム内では人気者だ。

 母親が外国のスラム出身、夢のように豊かだと聞いてやってきたこの国で産み落とした父親のわからない街娼の子。

 別にこの街では特に珍しくも無い境遇の女だった。

 犯罪地下組織ザ・ショップが多額の出資をしていると噂される、『ハッカー養成学校』と悪名高いとある工業系専門学校の卒業生で

 コンピューターに滅法強く、本職の車泥棒の際には高級車のリストや防犯装置の暗証番号などを割り出すのを得意としている。

 ソノは生まれた子供の内の半分は成人する前に病気か怪我で死に、半分は確実に世の中の害悪となる大人に育つという噂の街で

 育った一点の曇りも無い不良で、十四歳の頃に実家を飛び出してからずっと暴走族と車泥棒をやっている。

 別にこの街では特に珍しくも無い境遇の男だった。

 二人はコンビを組んで車を盗んではその筋の中古屋に売り払い、上がりを愛車に注ぎ込み定期的に行われるキャノンボールを

 生き甲斐に、家族のように一緒に生きてきたニトロドライヴ・オルゴールの面々とその日暮らしを楽しむ二人の不良だった。

 お互い二十三歳に至る今日までまともな職に就いた事がなく、義務教育の学校にもほとんど通っていない。

 ちなみに銀姫は言い寄ってくる男が多いにも関わらずずっとソノ一筋で通しているが、彼は独身主義を貫いている。

  あん、と言ってこちらを向いたソノに彼女は遠慮がちな上目使いを向ける。

 「どしたの、最後?」

 「ああ」

 顎を掻きながら出口に進み、ソノはどう答えようか迷った。

 実はゴール寸前で見たあの光景が何だったか、彼にも説明ができない。
              盗 ん で
 「シンクロシステムがパクってきたヤツだからな。

 前の持ち主の意識とか…そういうのに触っちまったのかも」

 「へぇー。そんな事あるんだ」

  狭い階段を並んで上がると、人工的な光に満ちた明るい街の夜が迫ってくる。

 冷たい空気に露出している肌をちくちく刺され、真っ白な息を吐き出しながら二人は別の駐車場へと向かっていた。

 交機にマークされている几龍咆で街中を走り回る訳にはいかないので、ソノは別の車を足として使っている。

 まだまだ街に人通りは多く、特に派手な格好をして道端に立っている女性の姿がちらほらと見て取れた。

 様々な人種が混ざっている彼女らもまた、この国が豊かだと信じて危険な橋を渡ってきた貧しい者たちなのだろう。

 けれどソノも銀姫も知っていた。

 ああいう街娼は属する組織に搾り取られ、過労で倒れそうになっても強制送還を恐れて病院にも行けず最後は道端で野垂れ

 死ぬのが大方の運命だと。

 皆幸せになる為の希望を探してこの国に来るが、銀姫はザ・ショップに逆らった見せしめに顔をメチャクチャに潰されて処刑された

 自分の母親も含めて幸せになれた女は一人も知らなかった。



  几龍咆に続くソノの二台目の愛車はビルが見下ろす谷間の駐車場で静かに主を待っていた。

 フォルクスワーゲンの73年式ビートルという古い型の車で、その名の通り丸っこくてどことなくカブトムシに似ている。

 ソノのものは安く手に入れた中古車にスクラップ置き場から拾ってきた部品を組み合わせて三ヶ月かけてレストアした労作で、

 あちこちツギハギしているようでやや不格好だが性能は上々である。

 元はドイツ製だけあって質実剛健、エンジンに穴が開いても走ると持ち主は豪語している。

 ビートルはややくすんだクリーム色がレトロなイメージを増しており、駐車場の心細げな明かりを受けてセピアカラーに見えた。

 しかしその中におよそその車の雰囲気とは似合わない、不機嫌そうに煙草をふかす黒く塗り潰された人影が重なっている。

 反射的に立ち止まると強張って片手で銀姫を後ろに下げるソノに、その着崩した背広の男は錆を含んだ声をかけてきた。

 「い〜い車じゃねえか、花町君。俺が知ってるてめェの車よりちっとばかし遅そうだがな」

 煙を吐き出しながら街灯の下で顔を上げた男の顔を捕えた瞬間、ソノは今すぐ転進して逃げ出したくなる自分を抑えるのに

 必死の努力を必要とした。

 「沖田…さん」

 脂汗が吹き出るのを感じながら彼が付け加えた『さん』に沖田は不精髭を撫でてフンと鼻を鳴らす。

 執念深そうな三白眼をギロリと目の前の若造に向け、沖田はソノをねめつけた。

 背筋に氷水をぶっかけられるような、ヤクザも顔負けの迫力である。ソノ達でなければ彼が警察の一員だとは気付かないだろう。

 「今夜ァどこ行ってやがったんだい」

 「これから行くんだよ、彼女と楽しい深夜のドライブ」

 ソノに顎で指され、銀姫は沖田に手を振りながら慌てて引きつった笑いを浮かべて見せる。

 一瞬だけ視線で銀姫を射抜き、彼はすぐにソノの眼に眼光を戻した。

 「となるとほんの30分ほど前に東名自動車道二号線で二十台以上をクラッシュさせてくれたクソ野郎はてめェではないと仰る?」

 「らしいね」

 「聞きな、ガキ」

 沖田は限界まで相手ににじり寄ると歯を剥き出し、相手の喉元に人差し指を置いて怒を潜めた声を囁く。

 身長178のソノと沖田はほぼ同じ背丈だが、沖田は四十過ぎにも関わらず背広は筋肉で膨れ上がっていた。

 圧倒的な威圧感の前に全身が冷たい石になるのを感じながら、ソノはチームのメンバーらがつけた沖田のあだ名を思い出した。

 ―― 『狂犬』

 「この街に敷かれてる道路は全部俺のモンだ。100m道路もネズミの通り道も全部だ!

 そこで好き勝手するガキは逃がさねえ、ケツにフック突っ込んで一匹もな」

 今にも噛み付かんばかりの勢いで眉を吊り上げてそう吐き出すと、ひとしきり胆を切って彼は身を翻した。

 駐車場の出口へと去って行く彼の背を眼で追いながらソノはほっと胸を撫で下ろす。

 昔もソノは喧嘩で鳴らしたものだが、あの男にだけは絶対に勝てる気しない。

 プレッシャーから解放されて引いていた血の気が戻ってくるのを実感する。

 「こわー」

 ぶるっと身を震わせて肩を寄せた銀姫にソノは小さく頷いて同調を示した。

 「あのおっさんのがよっぽど犯罪者臭ェぜ」






















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