プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -






車ドロボウとお姫さま

2.ユアン・ソムファ


  神薙市の端っこは海に面した工業地帯になっており、そのままに港区と名付けられている。
                                 ユンフィ
 工場の合間にぽつんとある駐車場に車を止め、ソノと銀姫は潮の匂いを嗅ぎながら人気のない道を歩き出した。

 夜の工業地帯は不気味なほど静まり返っており、車通りもまったくなく街全体が沈黙と闇に閉ざされている。

 ぽつぽつと続く街灯だけが灰色のアスファルトと両隣の工場の壁を延々と夜の中に浮かび上がらせていた。

 何故か暴走族というものが湾岸に本拠地を構えて縄張りとしている事が多いのは今も昔も変わらず、ソノらが所属するチームである

 ニトロドライヴ・オルゴールもその一角の車の整備所が溜まり場となっている。

 彼らのチームのリーダーが経営する小さなもので出ている看板には『アイダ整備所』とある。

 閉ざされたシャッターの脇にある扉をくぐって様々な器具の置かれた整備所内を通り抜けると裏手は広いスクラップ置き場となっており、

 その隅に建てられたプレハブの倉庫の窓からは光が漏れている。

 ここはいつ来ても錆びた鉄とゴム、腐ったオイルの匂いがする。

 今にも崩れてきそうな闇に塗り潰された鉄塊の山の合間に出来た道を通って倉庫に近づくと、香ばしい香りが二人の鼻を刺激した。

 「ピザの匂いだ」

 銀姫がにっと笑って舌なめずりをする。

  扉をくぐった二人を熱気といくつもの視線が迎えた。

 そしてそれはすぐに割れんばかりの歓声へ取って変わる。

 口々にソノの勝利を湛えながら肩や背中を叩く柄の悪い少年らは皆馴染みの仲間達だ。

 大抵はソノと同じような境遇で、所謂社会のはみ出し者である。

 余裕たっぷりに彼らの賞賛に答えながらソノは奥のカウンターに向かった。

 倉庫中は絨毯が敷かれいくつかのソファとテーブルが並び、チームメンバーが各々趣味で集めてきた様々なガラクタが陳列されている。

 居並ぶ棚にはミニカーから古い玩具、鉄屑を溶接して作った得体の知れないオブジェや異様な液体の詰まった酒瓶、写真立てなどが

 飾られており、家具の類もメンバーが適当に拾ってきたものを修理して使っている為あちこちでオフィス用のスチール製の机・椅子が

 見られる。

 統一されたコンセプトというものが存在しないこの部屋は秩序というものが存在せず、混沌たる内装となっていた。

  一同は何かあるとここで会談を行う事になっている。

 今夜はソノがキャノンボールで見事勝利を収めた事を祝する宴会が行われており、総勢100人ほどのメンバーは酒と肴を持ち寄って

 思い思いの場所で談笑に花を咲かせていた。

 倉庫の一番奥は酒瓶の並ぶ棚を前にしたカウンターになっており、バーテン気取りのメンバーの一人が腰を下ろした仲間達にカクテルを

 振舞っている。

 ソノが腰を下ろすと他のメンバーに比べやや年配のそのバーテンは唇の端を吊り上げ、手にしていたシェイカーを置いた。

 不精髭と大きな鼻が特徴的な筋肉質の男で、室内の熱気に負けたのかシャツ一枚になっている。

 ニトロドライヴ・オルゴールのリーダーで相田と言い、付き合いの長いソノにとっては父親のような存在だった。

 「見てたぜ。最高だった」

 「どーもどーも」

 彼にビールを注いで出しながらひとしきり誉めた後、相田は視線を室内に移して良く通る太い声を張り上げた。

 「おー、ちょっと注目!」

 波の様に広がった声に仲間達との雑談を中断されてメンバーの視線が相田に集まる。

 それを浴びながら一瞬場を支配した沈黙の中、彼は顎をしゃくってソノを指した。

 「今夜もやってくれた。ニトロドライブ・オルゴールが誇る最速の男!

 とても坂道ごとでエンジン止めてたヤツとは思えんな」

 気まずそうに頭を掻くソノを含め一同から苦笑が上がる。

 彼は昔、坂道発進が下手でしょっちゅう車を停めていた。

 相田が片手に持ったグラスを軽く持ち上げ、場を締め括る。

 「俺達のスピードキングに乾杯!」

 膨れ上がった大歓声と共にメンバーが手にしていたジョッキを掲げ上げると、ソノは照れ臭そうに笑って見せた。

 隣に腰を下ろした銀姫はカウンターで頬杖を突いてそんな彼を嬉しそうに眺めていたが、相田のセリフを聞き終えてからはっと

 顔を上げる。

 「あのさ、相田さん。あたしの努力は?」

 「ああ。ついでにユンフィも良くやったな」

 「ついでかよ! ヒドイわー!」

 遣り取りを見ていたメンバー一同が爆笑する中、ビールをジョッキで呷るソノに相田が顔を近づけた。

 「悪ィけどコレ終わったら残れや。話がある」

 「いいよ。仕事のこと?」

 煙草の匂いが染み付いた相手の口臭にソノが眉を寄せると、相田は少し複雑そうな顔をする。

 しばらく不精髭に指を這わせた後に彼は溜息のように言葉を吐いた。

 「ま、今は飲んどけ」



  ソノは仲間達と談笑している間も、この時の相田の態度が気になっていた。

 しかしそれはすぐに彼を興ざめさせない為の気遣いだったと知る事になる。

 内容がやや重いものだったからだ。

 酔い潰れてソファで伸びているメンバーに毛布をかけ、部屋の中で一通り洗い物と拭き掃除を済ませてから二人はカウンターで

 向かい合った。

 すでに街の彼方は白み始めている。

 相田はしばらく何も言わず、ごつごつした大きな掌でカウンターの上を撫でていた。

 整備所で出た廃材やスクラップから拾ってきたものを彼が組み合わせて作ったもので、所々木材と金属とが不協和を奏でている。

 ソノは温くなった日本酒の注がれたグラスを片手に相手が口を開くまでひたすら待つ。

  彼との付き合いは長い。そして経験からして大抵こういう場合は仕事やメンバー間のトラブルだ。

 相田を覗けばソノと銀姫はニトロドライヴ・オルゴールで最も古参のメンバーで、チーム内では実質的な副リーダーの地位にある。

 「ユンフィとはうまくいってるか?」

 ソノは視線を相田からソファでだらしなく寝こけている銀姫に移し、ゆっくりとまた彼に戻す。

 「も…もしかして結婚しろってんじゃないよな?」

 「聞いただけだ。他意はない」

 ふう、と溜息をついて胸を撫で下ろすソノを前に相田はまた表情を渋くした。

 口に含めた液体を舌の上で転がしながらソノは内心仕事の事ではないかと考えていた。

 彼らのチームでまともな定職に衝いている者は当然ながらと言うか、ほとんどいない。

 僅かな例外は相田が弟子として抱えている数人で、彼らは表の整備所を手伝う傍ら将来整備士となるべく専門の工業校に

 通っている。

 残りはその日暮らしのバイトやソノらのような非合法の商売を生業にしている者たちだが、ニトロドライヴ・オルゴールでは麻薬関係の

 仕事のみ携わってはならないという鉄則がある。

 「実は仕事のことで物言いがあってな」

 「車泥棒で? …どこから?」

 「ザ・ショップだ」

 ソノの動きが止まる。

  ザ・ショップとは神薙市の非合法活動のすべてを仕切っていると言われる最大の犯罪地下組織である。

 逆らった者がどのような末路を辿るかはこの街に住んでいれば嫌でも耳に入って来る。

 ソノ達が盗んだ車は一度相田に預けられそこからザ・ショップの闇ルートに流れる仕組みになっていたが、ニトロドライヴ・オルゴールは

 チームとしては比較的小さく大して利益を生むという訳でもないので、今までザ・ショップも特に干渉してくるという事はなかった。

 「一番最近盗んだのはシンクロシステムのあるヤツだったよな。アレぁどこから盗ってきたっつってた?」

 「ああ、花吹の駐車場よ。けどアレって俺がパーツ取りに使っちまったじゃねえの。

 ザ・ショップの誰だか知らねえけど何の文句が?」

 「わからんが」

 相田は重く溜息をつくと、灰皿から尽きかけた煙草を取って唇に乗せる。

 まるで溜息ばかりつく口を塞ごうとしているようだった。

 「アレを盗んだヤツにどうしても逢わせろっつってんだよ…ロッキング・チェアーズのユアンとか言う野郎がな」

 「ロッキング・チェアーズって?」

 「ザ・ショップの一角だよ。元は台湾だか韓国だかのマフィアらしい」

 「縄張り…かな?」

 「だろうな」

 今までも縄張り関係で他所のチームとの小競り合いは後を絶たなかったが、今回ばかりは相手が相手だ。

 ソノは自分の予想に間違いは無いと踏んだ。この街での仕事を辞めるか、売上のいくらかを上納金として納めるか。

 呼び出して二択を突き付けるに違いない。

 苦い顔をしていたソノは自分の考えの矛盾に気付いてふと顔を上げた。

 「…って、何で俺が? 普通相田さんとか、チームのリーダー格じゃねえの?」

 「だからこうして俺は溜息ついてんじゃねえか」

 どう言う事だ、という顔をするソノを前に相田は煙草を灰皿に押しつけ、やや目尻の垂れた眼孔を相手に向ける。

 その瞳の奥で見え隠れしている不安をソノは見逃さなかった。

 「見せしめに呼び出したヤツをボコるか殺すかしてから要求を突き付ける気かもな。

 …ザ・ショップならやりかねん」

 「まさか」

 笑い飛ばそうとした彼は相田の真剣な表情に慌ててそれを飲み込む。

 吹き出してくる冷や汗を拭い、ソノは努めて冷静な声を出した。

 「いつ来いって?」

 「お前は行くな。俺が話をつける」

 「ご指名は俺だろ」

 煙草の灰を落とす相田にソノは根拠の無い自信から来る虚勢を張って見せた。

 「いきなり殺されたりしねえって。向こうのご希望に添えなかったらむしろヤバイんでねえの?

 大丈夫大丈夫。ヘンな雰囲気になったら逃げて来るからさ」

 しばらく無言のままソノに釘付けられていた相田の視線が手元の煙草に落ちる。

 ソノは笑って彼の背中を叩いた。






  その日の夕方、ソノは指定された立体駐車場へとやってきていた。

 港に近いひっそりとした工業地区にあるそれは建物自体は出来たてで真新しく、壁などはろくに排気ガスを浴びておらず真っ白だったが

 夕闇を受けて真っ黒に染まっており、何かこちらに対して敵意を持っているように見えて彼の不安を増長させた。

 営業時間を過ぎているのか駐車場の入り口は封鎖されていたので、適当なところで車を降りて脇の人間用の入り口から入る。

 相田が言うにはロッキング・チェアーズが待ち合わせに指定した場所はここの屋上らしい。

 恐らく港の労働者を客層として想定しているらしいが個々のスペースに車はほとんど見つからない。

 人影は一つも見えない。迎えも見張りもいなかった。

 ソノは今日はモスグリーンのツナギの上に厚手のオレンジ色のジャンパーを羽織って来た。

 これはどちらも内側にミリタリーショップで買ったケプラー材という高密度繊維の布が縫い込まれており、交通事故の際には着用者を

 破片などから守る働きをする他、防弾の効果もある。

 ソノとてまったく不安を拭い切れなかった訳ではないのだ。

 店員に言わせれば『死亡を重傷に変えるだけだ、過信はするな』との事だが少なくとも彼の気休め程度にはなっていた。

 見つけ出したエレベーターは幸いながら動いていたので、ソノは胸でざわめく嫌な予感を堪えて上へ向かった。



  屋上では真新しいコンクリートの床が夕日を浴びてオレンジ色に輝いていた。

 その彼方に見える日輪を飲み込みかけた海は本日最後の陽光を名残惜しげに映し込んでおり、ソノのような鈍感な男でも何らかの

 感傷的な感情を呼び起こしそうなものだ。

  先客は十数人の男達だった。

 皆一様に黒服に身を包み、背で腕を組んで一列に並んでいる。

 服の下が不自然に盛り上がっているのはソノと同じく背広に防弾素材を縫い込んであるせいだろう。

 台湾マフィアは昔から銃を抜くのが早い事で有名で、前世紀では日本のヤクザを震え上がらせたものである。

 恐らく全員が拳銃で武装しているのだろう。ソノは身が強張るのを感じた。

 背広の男達が作った壁の前ではどこから持ってきたのか、木製の椅子に腰を下ろしている男がいる。

 いや、男ではなかった。ソノよりも頭一つ分小さいアッシュブロンドの少年。

 背もたれに腕をかけたその痩身は男らと同じ黒服に包まれているが、膨れ上がったポケットの口からは様々なものがはみ出して

 覗いている。

 それは携帯用ゲーム機だったりオモチャだったり菓子の包み紙だったりした。

 異様な光景だった。上背のある屈強な男達はすべてその少年を前に直立不動の姿勢を崩さない。

 ソノが彼の元まで歩いて行くと退屈そうにスナック菓子の袋に手を突っ込んでいた少年は、最初から相手の存在に気付いていたかの

 ように顔を上げる。

 「うん、まあ。話ってのはそう難しいこっちゃないんだよ」

 口の中のものを飲み込んでからジュースで舌を洗い流し、少年は何はさておきそう言った。

 しばらく周囲に気を配っていたソノは取り合えずの交渉の相手を少年と決め、視線を前方へと落とす。

 「ユアンってのはどいつだよ」

 相手の不躾な言葉に指を舐めていた少年の動きが止まる。

 彼の猫目は物怖じもせずしばらくソノを射抜き、すぐに後方へと巡らされた。

 音も無く男達が退いて彼らが作っていた壁が両側に開かれると、遮られていた夕陽が奔流と化して少年に注がれる。

 銀髪がオレンジを含んで美しい色彩と光の帯を放つその向こうには、二つの鉄塊があった。

 お互いにそっぽを向き合って背中合わせになっている二台の四輪駆動車だ。

 二つは後部のバンパーに結び付けられた鎖で繋がられている。

 その鎖の丁度真ん中あたりが妙に太くなっているように見えたソノは突然、どうしようもない不安と恐怖に駆られた。

 急速に早まる鼓動を胸にした彼は目を細め、その正体を知る事となる。

 あれは人間だ。二本の鎖をそれぞれ男の首と足首に縛り付け、両端は二台の車へと結び付けられている。

 まだ鎖は大きくたわんで余裕はある。

 しかしガムテープで雁字搦めにされてもがき狂うあの男をこの状態にして保持してある、その意味するところは?

 「彼は困ったちゃんだよ。僕らの貯金箱からお金を持ち出して逃げようとした悪い子だぴょん!

 これから始まるのはちょっとしたお仕置きだよ」

 少年は弾むような口調でそう言うとポケットの中からトランプのようなカードの束を取り出し、ソノに見せつける。
                       ロッキング・チェアー
 表はすべておなじ図柄の死神を抱いた揺り椅子、裏は十一枚のジョーカーと一枚の天使のカードからなっていた。

 手馴れた手つきでカードを切った後、少年はしゃがみ込むとカードを伏せて円形に成るよう床に並べ始めた。

 「これはね、僕らのルールさ。僕らが鬼や悪魔じゃないって事を示すとっても慈悲深いルールなんだ。

 せめてもの善行を積んでおけば地獄に落ちてから閻魔様に受けがいい」

 適当な一つのカードの上にお菓子のおまけについているような、何かのキャラクターのフィギアを置くと少年はソノを見上げて笑って見せた。

 蝶を羽根を平気で毟る事のできる、ぞっとするような少年特有の無邪気な残酷さが瞳の奥で冷たく燃え盛っている。

 戦慄するソノを前に少年は赤いサイコロを取り出した。十二面体のものだ。

 勿体つけてそれを手の中で回した後、大仰に祈るような動作をして見せる。

 冷たい炎が全身を這い回っているような、異様な緊張感だけが場に高まって行く。

 「あああ神様、どうかあの愚か者を救い給えィ〜」

 少年の手からこぼれ落ち、からからと渇いた音を立ててコンクリートの上を転がった十二面体が指し示した数字は六。

 彼はすごろくのようにその数字だけカードの上をフィギアを移動させた。

 フィギアが乗ったカードを手に取り、その裏側に眼を細めた後に少年はそれを裏返してソノにも開示する。

 カードの中では揺り椅子に腰掛けた死神が少年と同じくらい残酷に微笑んでいた。

 「さあ楽しい理科の時間だプー! 『人間の頭と足に鎖をつけて両側から車で引っ張ったらどうなるかな?』」

 少年の掲げられていた手が下りると、二台の車はホイルスピンしながら猛スピードで発進した。

 ソノは何もできなかった。

 絶叫と共に引き伸ばしすぎた輪ゴムみたいに千切れた男の胴を、ただ幻のように呆然と眺めていた。

 少年は腹を抱えて笑っていたが、黒服達はこの絶叫にも微動だにせず、また表情もぴくりとも変わらない。

 尾を引いて消えて行く男の絶叫が遂に寒空に消えてなくなった時にはもう、ソノはこれが現実だという確信が持てなくなっていた。

  突然その膝に電撃のような苦痛が走り、空っぽになっていた脳を痺れさせる。

 黒服の一人に膝を蹴られたのだ。

 理解し難い光景に感覚が麻痺して相手がこちらとの距離を詰めているのに気付かなかったらしい。

 地面へと引き倒されたソノの全身にあらゆる方向から伸びたつま先が突き刺さり、彼は一度ごとに肺に残った空気を吐き出した。

 それも尽きて途中から全身が砂袋になったように重く無感覚になった頃、絶え間無く血の混ざった咳をしながらソノは白く濁った

 視界の中でこちらを覗き込む少年の顔を認めた。

 相手が何か一つ動作をするごとにそれに遅れて残像が陽炎のように走る。

 特に風を受けてなびく銀髪は幾重にも重なり、何故かソノはそれが真っ白な羽根のように見えた。

 「死んでないよねン?」

 少年の血の気の無い細い唇がしきりに動いているのはわかったが、ひどく耳鳴りがして半分も理解できなかった。

 自分の途切れ途切れの呼吸だけが頭の中でがんがん響いている。

 大きな猫目が半月を描き、笑みを作る。

 「僕の『ドラウプニル』を盗っちゃったのは君だよなー。僕の大切なドラウプニル…

 君が几龍咆とか呼んでるアレの部品になっちゃったヤツさー」

 ソノは何か答えようとしたが、喉に咳が絡んで言葉にならない。

 苦しげな彼の様子を見、少年はぱっと両手をソノに向かって翳して見せた。

 片手には十二枚のカード、もう片手にはサイコロとフィギア。

 あの誰とも知れない男を処刑した際と同じく、にっこり笑って少年はソノの目の前にカードを並べ始めた。

 「困った時のカード様…と。実は僕ら、迷ってるんだよん?

 君をリサイクルするか。それともさっき見たカレと同じく真っ二つにぷちーんって千切っちゃうか…」

 カツン、とフィギアはソノの鼻先から2センチも離れていないカードの上に置かれる。

  ソノは胃の底から湧き上がってくるような、静かだが焼け付くような果てしない狂気をこの少年に感じていた。

 沖田が烈火だとすればこの少年は液体窒素のような冷たい恐怖。

 人の命の炎を吹き消す事など何ら躊躇いを持っていない。

 彼の手から落ちたサイコロが二転三転する様は何故かソノには恐ろしく長く感じられた。

 空気が粘ついているみたいにゆっくりと転がり示した数字は十。

 少年は口笛を吹きながらフィギアを進めた。

 それがカードを一枚渡るごとに、ソノは心臓を冷たい手で締め上げられているようなストレスが胸に圧し掛かる。

 「十二分の一なんて確率としちゃ高い高い!

 宝くじと競馬とパチンコで100回連続大当たりするくらいカナ?!

 だけど神様ってこういう時ばっかり意地悪するもんねー」

 ぱちくりと瞬きをする目で止まった場所のカードとソノを交互に眺めた後、、ゆっくりと持ち上げる。

 そのカードを見ていた少年の動きが止まった。

 次の瞬間細い眉がしばし跳ね上がったり下りたりを繰り返し、少年は様々な表情を顔の上で目まぐるしく作り変える。

 ――― ジム・キャリーか、お前は。

 ソノは心のどこかでそんな事を考えた。

 「ツイてない。ほんっとーにツイてないわ! 良くない霊でも憑いてんじゃないカナ?」

 しゃがみ込んでソノのの顔を覗き込んでいた少年は笑ってそう吐き捨て、立ち上がった。

 着衣を正して彼に背を向けると、もはや相手に興味はないとばかりに大きく伸びをする。

 「丁寧に送って差し上げてネ。途中でイジメちゃやーよ?」

 黒服たちがぐったりしたソノを引き起こすと、少年は同じ目の高さになった彼と鼻の先がくっつきそうなくらい顔を寄せた。

 大きな猫目はまた歪んで笑みを作っている。

 「僕がユアン・ソムファだぽーん」

 内緒話をするようなひそひそ声で少年はそう囁くと、自分の鼻先とソノの鼻先の間に手にしていたカードを割り込ませた。

 近すぎて焦点が合わなかったが、その紙面では確かに天使が微笑んでいた。

 「君にはとある仕事をしてもらう。難しいこっちゃないのよ? ただちょっと」

 カードをソノの上着のポケットに突っ込むと、ロッキング・チェアーズの頭領は口の先を尖らせる。

 「人を轢いてもらいたいだけ」






  自宅のベッド兼ソファに横たわりながら、ソノはすぐ右の窓ガラスに映っている包帯とバンソウコウだらけの自分の姿を眺めて

 溜息をついた。

 この街で育った不良なのだから喧嘩の経験も幾度と無くある。

 もっと若い頃には肋骨を鉄パイプで粉砕されて死にかけた事もある。

 だが流石に成す術もなくここまで完膚なきまでにやられたのは始めてだった。

 目の前の状況に頭が付いて行かなかった事を差し引いても、蹴りの一つも出せぬままというのは失態だと思っていた。

  ソノの住居は押田が所有するスクラップ置き場の隅っこにある、仮設住宅のような建物である。

 元はこの近場にある工場を建設する際に作られた肉体労働者の宿泊施設だったらしいが、それをそのまま改装して使っている。

 吹けば飛ぶような建物だが二十畳ほどの広さでユニットバス付きとなかなか快適だ。

 家賃は無しだが水道光熱費などはソノの盗んだ車の売上から差し引かれる事になっている。

  ベッドの脇ではさっきから銀姫が涙を拭っては鼻をすすっている。

 彼女を慰めるかのように膝に乗っかっているこげ茶の物体はソノの飼い犬のミニチュアダックスフンドで、ドゥーシーボという名前が

 付いていた。

 「…鼻、かめよ」

 ソノが手元のティッシュの箱を取ってやると、彼女はしゃっくりを上げながらそれを受け取った。

 「年上の言う事は聞くモンだろ」

 相田は呆れ半分、安心半分という所で溜息をついてそう言った。

 あの後ロッキング・チェアーズの黒服はご丁寧にもソノを表の整備所まで届けてくれ、それから彼は相田の運転で病院へ

 連れて行かれた。

 幸い入院するほどの怪我ではなく全身打撲だけで骨折も内臓への損傷もなかったのは、恐らくソノをボコボコにした連中が

 手加減していたからであろうという相田の推測にソノは有り難いね、涙が出るぜと吐き捨てた。

 それから一晩した後に事情を知った銀姫が駆け付け、今に至るという訳だ。

 彼女は最初一人で相手の懐へ乗り込んで行ったソノの無謀を狂ったように罵倒していたが、嵐のようにそれが過ぎた今は

 泣きじゃくっている。

 ソノはそんな彼女に何となく気まずい気分だった。

 「ロッキング・チェアーズっつったらザ・ショップの一角だろ。それもかなり有力な…」

 怪我人の手前一応火を付けないままの煙草を咥えながら相田は前の晩と同じ事を言い、ソファの一端に腰を下ろした。

 ソノが生還した事は二人に安息をもたらしたが、向こうが突き付けてきた要求というのがわからないのだ。

 「そのリーダーがガキってどういう事だよ。ガキみたいな大人じゃなくてか?」

 「ああ。ありゃガキだったよ、どう見てもな。15か6か、そこらの…」

 口の中に沢山できた傷から鈍い痛みが滲み込んでくるせいか、ソノは半ば口篭もるような声を出した。

 「ユアン・ソムファだって名乗ったぜ。身代わりにしたって…もちっとマシなヤツで来るだろ。

 でさ、相田さんどう思う?」

 「何が?」

 「人を轢けってヤツ」

 ソノから視線を外し、相田は顎の不精髭を撫でた。

 「…交通事故に見せかけて誰か殺せ、って事じゃねえかなあ、やっぱ」

 「暗殺者になれってか」

 ソノは予想していたその答えに頭を掻きながら溜息をついた。

 ふと、彼は自分の左に柔らかい感触が重なるのを感じた。

 痛む首に鞭打って振り向くと、銀姫が自分の手をぎゅっと握って何か言いたげな目でこちらを見ている。

 振り乱した天然パーマの赤毛がくしゃくしゃになって顔にかかっていた。

 彼女が言わんとしている事はソノにもわかる。

 しかしあのユアンの性格からしてソノが逃げたり無視したりしたら、今度はチームのメンバーに矛先を変えるかも知れない。

 手を固く握り返しながらソノは何とか笑顔を作ろうと努めた。

 「大した事ねえって。あのガキ真っ先に轢いてやる」

 言っていて自分でもこれ以上ないというくらい、相手を安心させるには程遠い言葉だった。

 しかしどの道これから先は明るい未来が待っているとは思えない。

 自分がロッキング・チェアーズの手先として罪を重ね、最後にはトカゲの尻尾のように切り捨てられる事は容易に想像できた。

 気楽さと呑気を楽しむ生活は終わってしまったのだ。

 「…クソ!」

 誰とも無く罵倒を吐き出し、ソノは不て寝しようと瞳を閉じた。

 瞼の裏側ではあの銀髪の少年が自分を小馬鹿にしたように笑っていた。

 あの時ユアンが何故『ツイてない』と言ったのか、ソノには良くわかる。

 自分は悪魔に目をつけられてしまったのだ。

















 第三話へ



本・漫画・DVD・アニメ・家電・ゲーム | さまざまな報酬パターン | 共有エディタOverleaf
業界NO1のライブチャット | ライブチャット「BBchatTV」  無料お試し期間中で今だけお得に!
35000人以上の女性とライブチャット[BBchatTV] | 最新ニュース | Web検索 | ドメイン | 無料HPスペース