プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -






ネモ

1.ランナー


 耳をつんざく、熱狂した観客たちの歓声。

 小さな球場ほどもあるその施設の中は、今や千人ほどの人間の熱気に満ちている。

 高い天井から落とされる過度の明かりと、ところどころ剥き出しになっている鉄骨からここが本来は別の用途で作られた場所であるにも関わらず

 それ以外の理由で使用するにあたり無理矢理な改装を行ったことを物語っていた。

 ザ・ショップがそのすべてを仕切り経営するある賭け試合の競技を行う地下会場である。

 これから始まる狂える宴に対する血と暴力への期待のすべてを引き受けているのは、ドーム内の中央に位置する二人の人間だった。

 口々に嬌声や罵倒を喚き散らす観客に埋め尽くされた床から2mほど高くなっている二つの台座の上に、それぞれが立っていた。

 台座の二つは同じ方向へ会場の突き当たりの壁へと伸び、そこから先はコンクリート製のトンネルとなって壁の中へ続いている。

 二人が睨んでいるのはその、口を開けたそれぞれのトンネルの向こう。

 一人は、人間。

 全身ヘルメットをかぶった頭も含めて外に露出している肌は一つもない。

 黒いウェットスーツのようなものを着込んでいるが、関節や急所などの要所要所はごてごてとしたプロテクタによって保護されている。

 注目すべきはその両足のごついブーツの底部に取り付けられたローラーだろう。

 電力で稼動する『モーターブレード』と呼ばれるそれは使用者にもよるが最高時速140キロ近いスピードをたたき出す。

 もちろん使いこなすには訓練が不可欠であり、ある程度の才能がなければそのスピードとパワーに振り回されて言う事などまるで

 聞いてはくれない。

 まさに暴れ馬という言葉がぴったりだ。



 もう一人は人間とは異なる。

 体つきは150cmより少し低いくらいの小柄で華奢な女性のものだが、しかしよく見ればまったく無駄のない筋肉とは別に眼を引く別の要素。

 観客たちの怒声に神経質そうにピクピクと痙攣しているのは、彼女の頭頂から生えている二つの耳である。

 細長い耳は柔らかな毛に包まれ、内側は下の毛細血管が透けて見えるピンク色をしているのはまさに兎のそれだった。

 大体彼女の二の腕くらいの大きさがある。

 そしてその足だけ見れば、誰が彼女を人間と思うであろう。

 地を蹴るエネルギーを無駄なく伝えるべく中足が極端に大きく、膝の関節と踵が人間のものよりもずっと高い。

 兎の足のサイズを変えて人間に取り付けたようなものである。

 しかし彼女の猫のような黒目がちで大きな瞳と、中性的な雰囲気を漂わせる表情から不思議と異様さは感じられなかった。

 人間で言えば年齢は大体15か6だ。まだあどけなさが残る顔は愛くるしい。

 彼女の雰囲気と足と耳にむしろ微妙な調和を感じて彼女を妖精と言ったら、人は頷くかも知れない。

 名をネモと言う。彼女と呼んだが、彼女に性別はない。

 元から性別が存在しないように作られた存在なのだから。

 彼女は走る為だけに遺伝子に手を入れられ生まれてきた異形の子である。



 先ほど紹介したスケーターと同じく、黒のウェットスーツのようなものを着込んでいるが露出している部分は多い。

 開放的なヘルメットと関節と左胸に白いプロテクターがあるのみで、他は黒い光を吸収する素材のスーツで覆われている。

 下半身はスパッツと膝のプロテクタのみで、膝から下のすべては露出していた。

 ネモは今日で通算五回目の舞台だ。

 生まれたのは約一年前。長い時間をこの競技の為にトレーニングや特殊な訓練を積むのに費やした。

 人より構造上音声に敏感にできているネモは、相変わらずこの会場の観客の歓声が苦手だ。

 兎の耳はさっきから雑音を拒絶すべくしきりに痙攣を繰り返している。

 人間のものである耳は、ピアス型の通信機から発せられる男の音声を拾っていた。

 ザザ… 相変わらずやかましいのは苦手か?

 「まーね」

 まだ若さを含む男の声に大して興味もなさそうに答えた時、正面に取り付けられている巨大なモニタに画像が浮かび上がった。

 ネモら二人の写真と、その対決をあおる文句が表示されている。

 その下に表示されている掛け率を見れば、ネモの方が格段に返金率が低い事が知れただろう。

 つまり客はネモが勝つと踏んでいる方がはるかに多いのである。

 ネモはそれが表示されると同時に、隣のスケーターの空気が変わったのを感じた。

 新人風情に甘く見られているのを憤慨しているのだろう、ネモは彼の舌打ちを聞いたような気がした。

 もっかい説明しとくぞ。相手はチーム『ダイナマイトチョコレート』のスケーター、アックスだ。

 勝率は六分ちょっと、まあそこそこ強いクラスだな。打撃系、特に蹴りに気をつけろ。ヤツぁ膝を狙ってくる

 「はいはい。わかってますよー」
                                                                 はぶき
 両腕を回した後に軽くその場で屈伸しながら、ネモは男―自分の所属するチーム『ノーチラス』のリーダー、葉吹―に投げやりに答えた。

 ほどよく緊張した全身から湧き上がってくる。気迫と、闘志が。

 やがて発せられたスピーカーからのアナウンスが、会場の観客の嬌声を貫く。

 ピーガガガ Yo!便所行ったか?歯磨いたか?今夜も地獄の釜蓋が開くぜ、ファッキンなブラザーどもはもうチケットの購入は済ませたか?

 ネットで見てるマニア諸君は俺の実況とライブ中継でこの宴に狂ってくれ!

 耳鳴りがするような大音量で発せられたアナウンスにネモは一瞬身を竦ませた。

 彼女は別に人間に対して否定的ではないが、何故人間は大きな音が好きなんだろう。繊細さがちょっと足りない。

 今日始めての客の為にちょっとだけ説明しとくぜ、『1500mの死線』デッドラインロードは1500m続くトンネルの中を二人で走る

 クレイジーなレースだ!勝利条件は相手が行動不能になるまでブチのめすか先に1500m先のゴールに到着すればオーケー!

 今夜の舞台で踊り狂うイカれたケダモノはこちらの二人、チーム『ダイナマイトチョコレート』所属24戦目アックス!

 一気に波となって発せられた歓声にアックスが振り返ると、余裕たっぷりに観客に答える。

 こちらは注目の新人小兎ちゃん、『ノーチラス』所属五戦目のネモ!

 アックスの際よりもはるかに強大な歓声が会場を奮わせた。

 ネモは思わず耳を塞いで縮こまりたくなったがすぐに側頭部の耳のピアスから、葉吹の声にうながされて落ち着きを取り戻す。

 ゴーグルとヘルメットを外し、振り返って精一杯ブリッコぶり(死語)の笑顔を作って見せながらウインクと投げキッスを観客に送る。

 これは別にネモの趣味ではなく葉吹の提案でやらされているのだが、このおかげかどうかはわからないがネモは最近人気者である。

 一部の熱狂的なファンを始めとして愛くるしく妖精のような容姿を含めてアイドル視する者が多いのだ。

 目立つのが好きなワケではないが人気というはデッドラインロードのプレイヤーにとっては重要な要素だ。競馬の馬と同じである。

 ネモと相手、アックスは数歩前に出るとトンネルの入り口と対面した。

 それぞれがスターティングポーズを取る。

 アックスは身を屈めてスタート時のインパクトに耐えられ尚且つ空気抵抗を減らせるように。

 ネモは短距離走の選手がやるように地面から出ている突起物、スターティングブロックに足をくっつけて手を床に下ろす。

 腰を突き出すようなポーズは、縮んだバネを思わせた。ぴん、と全身の神経が張り詰める。
                             イ
 それじゃあそろそろ始めるぜ!興奮しすぎて逝っちまうなよ? READY…

 二人の空気が目に見えて変わるようだった。限界まで引き絞った弓のような圧力を感じる。

 雑音を拒否してしきりに痙攣していたネモの兎の耳がピン、と張り詰めたように固まっていた。もはや観客の声は聞こえていない。

 次のアナウンスが聞こえるまで一秒もなかっただろうが、それは果てしなく長く感じられる時間だった。

 Go!

 その発せられたアナウンスの内容を理解するよりも早く、観客にはその場にいたネモが霞んだように見えただろう。

 屈めた全身に溜め込んだエネルギーを爆発的な勢いで開放させたネモは一筋の稲妻となって姿を消した。

 ゴーグルを通して見える世界が一瞬で後方へすっ飛んで行く。

 連続的に聞こえるのは、ネモの両足が交差することによって生まれる空気を切る音だ。

 一呼吸遅れてアックスもスタートする。スタートダッシュではネモのようなランナーの方が速い。

 それぞれのトンネルは10mほど行ったところで一つになっており、そこから1500mの死線は始まる。

 トンネルと言うよりは、チューブと言った方がいいかも知れない。

 コンクリート製のそれは縦・横ともに7m。デッドラインロードのプレイヤーはこの通路を100キロ以上のスピードで走行しながら相手と戦う。

 壁の中に埋め込まれているのは強化ガラスで覆われた照明だけでなく実況を中継するカメラや緊急用の出入り口の扉などだ。

 ところどころ見える黒い固まりは血痕であり、このレースが決して表立ってできない極めて暴力的なものである事を物語っている。

 壁の向こうでモーターブレードの微細な音がするのをネモは感じ取っていた。

 もう通路を抜けて二つのチューブが合流する地点に入る頃だ。

 相手もそれを感じ取っている頃だろう、これから始まる戦闘に全身の細胞が沸き立つ。



 不意に左側の壁が途切れた。

 同時に黒い閃光が反対側の通路から飛び出してくる。アックスだ。

 モーターで稼動するローラー推進で走行するスケーターの特徴は、ネモのように己の足で走るランナーとまではいかないが行動範囲の広さと

 蹴りの威力にある。

 モーターブレードのブーツ自体の重量に加え、それに埋め込まれた鋼鉄のスパイクは命中した場所次第では一撃必殺の武器となり得る。

 このアックスというプレイヤーもそれに例外なく、蹴り技がネモを脅かす最大の武器になっていた。

 二人はお互い2mほどの距離を取って並んでチューブの中を走行していた。出方を伺い、走りと相手のプレッシャーの両方に気を配る。

 開いた距離の間に火花が散るような探り合い。

 先にそれを破ったのはアックスだった。

 一瞬、アックスの体が閃くのを感じたネモは一瞬の動作で足を屈伸させてその場から姿を消した。

 その残像をかき消すかのごとく炸裂したのはアックスの旋風脚だ。

 野生動物のごとし動体視力と兎の耳で相手の攻撃を見越したネモは天井へと跳んでいたのである。

 流れていくのとは別の蹴りによって巻き起こった風圧はネモの兎の耳をかすかに震わせた。

 空中で反転し頭を下にして迫ってくる天井に足を向ける。

 ネモはデッドラインロードは超高速で行われるチェスだと言う、格闘技の師匠でもある葉吹の言葉を思い出していた。

 すべての手は最後の詰めとなる一手の布石だ。四手くらい先の攻防の状況が考えられなければ、プレイヤーなどやってはいられない。

 天井を蹴って床へと向かう落下速度を速めたネモは途中膝を抱いて回転しながら体勢を立て直し、ネズミを狙う鷹のようにアックスに

 襲い掛かった。

 鎌首をもたげた足は相手の装甲の継ぎ目である、うなじを狙っている。

 アックスとて奇跡や偶然でここまで上り詰めたプレイヤーではない。

 頭上に感じた殺気をいち早く感じ取り、片足を思いっきり背後に尾のように伸ばして床を這うほどに身を伏せると空気抵抗を更に減らす

 姿勢を取る。

 スケーターが最もスピードが出せるのがこの『ヘビ』と呼ばれる体形である。

 コンクリートを削りながら速度を増し、ネモの蹴りが炸裂するであろう地点を背後に持ってきたアックスはタイミングを計って後ろ蹴りを放った。

 着地した瞬間はバランスが崩れる。回避はおろか防御もできない。

 素人め、とヘルメットの下でアックスはネモをなじった。

 しかし蹴りはネモの無防備な胴体を捕える事はなかった。

 アックスは蹴るべく突き出した足が衝撃を受けて大きく反れ、そしてそれに影響されて自らの体勢もが崩れるのに驚愕した。

 彼の背中に目がついていたのなら、彼女の行動に再び驚愕したであろう。

 ネモはタイミングを合わせてアックスが蹴りを繰り出した足の膝の側面を空中で蹴飛ばしたのである。

 蹴りに合わせて蹴りを当てる。こんな芸当は人間の反射神経では不可能だろう。

 バランスを崩し転倒しかけたアックスの背に一瞬、大きな重圧が加わりすぐに消えた。

 着地したネモが再び軽く前方に跳ね、つんのめるように前かがみになっていたアックスの背を踏みつけて彼の前方に回ったのである。

 屈辱に頭に血が上るより早くアックスは前転するように転倒した。



 「わ」

 コンクリートを蹴って疾走しながら、アックスが行動不能になったのを確認しようと振り返ったネモが目を剥いた。

 自らの肉体を削る100キロ近い速度のコンクリートを殴るように手を当てて立ち上がった黒いものが見えたからだ。

 こういう芸当もスケーターならではである。ネモなら軽装である関係上転倒したときのインパクトに耐え切れず全身を骨折しているだろう。

 立ちやがった…気合だな

 変に感心したような声がネモの通信機から発せられた。



 会場のトンネルが口をあけているのとは逆側の壁の向こうは、いくつかの個室に分かれている。

 試合に出場するプレイヤーのそれぞれのチームが、試合中指令を出したりコンディションの状態を調べたりする場所である。

 うちの一つの部屋の扉には派手なロゴで『ノーチラス』という札が下がっている。

 縦長の十畳ほどの、コンクリート製の寒々しい雰囲気の部屋の散らかりようは、ちょっとした潔癖症の人間なら簡単に拒絶を起こすだろう。

 山積になっているコンピューターから伸びる様々な色のコードは縦横に伸び、生物の体内のような様相となっている。

 この狭苦しい部屋の中で、目まぐるしく写り変わるモニタに貼り付くようにして腰を下ろしている男がいる。

 溢れんばかりの灰皿に短くなった煙草を押し付けると、男はヤニ臭い息を吐きながらインカムに話し掛けた。

 「膝を狙ってくる蹴りに気をつけろ。あいつの勝率を支えてる必殺技だ」

 年齢は30代に足を突っ込んですぐだろうか?無作為に伸びた銀髪がたくましいうなじまで迫っている。

 見る者が見れば、その体つきと漂わせる空気から彼が何らかの常人とは違うものを持っている事がわかる筈だ。

 男の名は山内葉吹。ネモの所属するチーム『ノーチラス』のリーダーであり、彼自身も過去はプレイヤーだった男である。
                                                                            タイラント
 古参のファンならば思い出すであろう、現役当時の彼のあだ名―クラッシュさせた相手は三桁にも上る事からこう呼ばれる―『暴帝』を。

 「エミリーナ、ネモの体調は?」

 「オール正常、いっつも通り小兎ちゃんは元気よん」

 ごつい顎を回して振り返った先にいるのは、氷でできた大男のような雰囲気の彼とはまったく対照的な女性だった。

 片耳にだけ突っ込んだイヤホンから漏れるダンスミュージックに合わせて、机に腰を下ろしたまま体を揺らしている。

 浅黒い肌に黒い髪、ラフな服装の上に白衣を羽織った情熱的なイメージの女だ。

 魅力的な瞳は聞こえてくる音楽に心奪われながらも、しっかりとパソコンに表示されている数値を睨んでいる。

 ネモの全身に取り付けられたプラグから送られてくる彼女の心音や脈などの状態である。

 ヒシマ・エミリーナ。日系三世のブラジル人で、24歳という若さにして『ノーチラス』のドクターだ。

 「真面目にやれ」

 「アタシはいつも真面目だよー。Hu-!」

 音楽に合わせて時折彼女の厚い唇から発せられるコーラスは毎回葉吹をイラつかせてくれるが、彼女はおかまいなしだ。

 「ピリピリしなくたって大丈夫よ。ネモがあんな足振り回してただけで勝ってきたようなヤツに負けるかって」

 ゆるいウェーブを描く長い黒髪を振りながらエミリーナが続け、そしてまたすぐに音楽に意識を戻した。

 呆れ返りながらも葉吹も内心エミリーナの言葉には同感だったが。

 葉吹が良くないと評判の目つきでモニタに視線を戻す。

 煮えたぎるような怒りを感じているのだろう、アックスがネモに猛攻をしかけているのが見えた。

 この状況は会場の巨大なモニタにも映し出されており、観客を更に熱狂させている。

 「もちろん、負けねえさ」

 葉吹は別に背後の女に聞かせるつもりもなく、つぶやいた。



 アックスは激しい怒りと共に、己の精神を焦燥が覆っていくのを感じていた。

 残りの距離はもう300mもない。

 ここまで到達する間に彼が仕掛けた猛攻は、霞を殴るかのごとく一撃として手ごたえのないものだった。

 彼の攻撃をことごとく受け流すこの少女は、時速100キロ以上で走りながら同時に攻防を行っている。

 この小さな体のどこからこんな桁外れのスタミナが沸いてくるのか。

 スーツの下はもう彼自身の汗でぐっしょりだ。怒りに任せて猛攻を加えた結果である。

 己の足で走るプレイヤーであるランナーを相手にしたのは今回が始めてではない。

 対ランナー戦の戦闘の重点は後半戦である。

 己の足で走る関係上、ランナーは後半スタミナ切れを起こして集中力が続かなくなるのだ。

 しかし何故今回の相手には一撃も入らないのか。

 何故この女はランナー最大の弱点である後半戦の攻防に一瞬も隙が生じないのか。

 今アックスは軽く勝てると踏んでいた相手が、恐るべき強敵に変わった事を実感していた。

 隣を走っていたネモに向かって、彼の右足が跳ね上がった。

 相手の膝の内側を狙ったローキックである。

 しかし幾多の相手を屠ってきたその必殺の蹴りは空しく宙を撫で、ネモは右へと跳ねていた。

 そのアックスのローキックの軌道が閃光のごとし速さで変わったのが観客たちには理解できただろうか?

 尾を引いた蹴りの残像はほぼ90度の角度で跳ね上がり、壁を蹴ってこちらに攻撃を加えてくるであろうネモへと襲い掛かった。

 アックスが相手の膝への蹴りとは別に持つ彼の勝率を支える蹴りで、ファンの間では『イカヅチ』で通っているフェイント技である。

 くたばれ!

 アックスの中でネモに対する罵倒と恨みを晴らす瞬間の快楽が炸裂した。

 岩盤さえも削る彼の蹴りが捉えたのは、空気だけだった。



 右へ跳ねて突き当たった壁を蹴り、再びアックスの元へと戻ったネモはめいっぱい身を伏せて彼の蹴りを掻い潜っていたのである。

 精一杯倒した登頂の二つの兎の耳を、アックスの蹴りがかすめていった。

 やれ!

 タイミングを知らせる葉吹の声を聞くまでもない。

 アックスの表情が驚愕と絶望に固まるより速くネモはその伸びた足に腕を回して掴むと、力を加えて彼を100キロ近いスピードで流れていく床へと

 彼の体ごと倒すと同時に軽く跳ねる。

 その足を掴んだままでの着地地点は仰向けに倒れたアックスの胸の上である。

 ネモは腕の中にあるアックスの足の内側で肉が千切れ骨が砕ける音を聞いた。彼女があらん限りの力でその足首を捻ったのだ。

 ヘルメットの中で響いたくぐもった悲鳴さえもネモの兎の耳は捕えていた。

 相手の足首を粉砕する、プロレスで言うところのヒールホールドと呼ばれる関節技だ。

 激痛に身をよじって悶えるアックスに、ネモはできるだけ負担をかけないようにその胸の上で跳ねて床へと降り立った。

 足首を抑えてチューブを滑って行く彼の姿は一瞬だけネモと並んでいたが、すぐに視界の外へと消えた。



 遠くに見えた光点は見る見るうちに大きくなり、やがてチューブを抜けた空間でネモは絶大な歓声と罵倒に迎えられた。

 入った場所と同じく、倉庫を改造して作られた二つ目の会場である。

 作りは同じで、ほとんど入り口の会場と同じ数の観客は思い思いの言葉を現れた勝者に浴びせていた。

 台座に立ったネモに、派手な照明が当てられる。彼女が光に耐え切れず手を目の上にかざすと同時にアナウンスが入った。
            テンペスト
 なーんと何と!『嵐』の異名を持つアックスの猛襲もこの小兎ちゃんにはそよ風も同然だったようだぜ!? 勝者ァア、ネモォォォーーー!!

 ネモは割れんばかりに膨れ上がった歓声も今度は平気だった。

 勝利を称える言葉の前に葉吹に促され、ネモはゴーグルとヘルメットを外して額の汗を拭った。

 腰に手を当て、観客に投げキッスを送る。対決前のものと同じファン待望の彼女の勝利アピールである。

 色んな意味で事実とは大いに異なるがネモはファンの間で『ワガママな美少女』というイメージが定着しているらしい。

 だけど今度は作り笑顔ではなかった。












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