プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -






レディオガール
RADIO GIRL


14.レディオヘッド


  脇腹の鈍い痛みで目が覚めた。

 身体をうつ伏せた状態で、視界の中には黒ずんだ灰色のアスファルトがいっぱい広がっている。

 ああ、そうだ。僕はクシミナカタにぶっ飛ばされて…

 徐々に晴れてくる意識を手繰り寄せ、パンハイマは何とか身体を折って上体を起こした。

 静寂の中にどこからか聞こえてくるオーケストラの壮大な音楽が場違いなコンクリートのジャングルの中に静かに響き渡っている。

 腕の中の体温に気づき、サチがそこに居る事に気づく。

 一瞬気を失っていたようだが、何故その程度で済んだのかわからない。かなり高い場所から落ちた筈なのに。

 「いててて」

 紙に絡まった砂埃を払いながらパンハイマを追うようにサチも起き上がった。意識を取り戻したらしい。

 我に返ったパンハイマがすぐにまだ呆然としている彼女の身体を調べるが、特に重傷は追っていない。

 「叔父さん平気?」

 くしゃくしゃになってしまった髪型を直しながら起き上がったサチに言われて彼は眉根を寄せた。

 「何で平気なのか今考えてるとこ」

 クシミナカタの言葉を信じるのならばこれは夢であってどんな無理も無茶もまかり通る世界なのだろう、しかし科学者の性分として

 納得の行く答えが見つからないパンハイマはしきりに思考を巡らせた。

  落下地点はデパートの目の前にある広い道路で、彼らと共に落ちてきた鉄筋コンクリートやガラスの破片が周囲に散乱していた。

 大通りの筈なのに車の往来は一台もなく不気味に静まり返っている。

 歩道ではデパートの中と同じくついさっきまで生きていたかのような様子のまま、通行人たちが凍りついたように動きを止めていた。

 等身大スケールの模型のようになってしまった街に不安そうに視線を巡らせていたサチがふと、自分に落ちた影に気づく。

 思考の迷宮に陥ってしまっているパンハイマは気づいていない。

 空を仰いだサチは影を落としている存在に気づき、ぎょっとして彼の袖を力いっぱい引っ張った。

 「お…叔父さん!」

 「ん」

 上の空で答えて振り返ったパンハイマの視界にいっぱいに空を切り抜いた淡い影が映り込んだ。

 蝶の羽根に美しい文様が浮かび上がり、と同時にその羽根の持ち主の片手に光の分子が収束を始める。

 二人が悲鳴を上げる暇もなくクシミナカタの片手から放たれた光弾は雨のごとく降りかかり、たちまち舞い上がった埃のカーテンに

 陽光が覆い隠された。

 一瞬だけ落ちた薄闇の中で淡い光を放って輝くクシミナカタは高度を落とし、爪先にアスファルトの感触を確認すると羽根を閉じた。

 次なる破壊を求めて僅かに震動する腕を垂らし、攻撃の体勢を解いて力を抜く。

 たちまち折り畳まれてエネルギーの密集体である身体へ羽根は吸い込まれ、ほんの僅かな光の粒を燐粉のように周囲に放ち、消えた。

 踵まである長い髪は光ファイバーのような光の糸の束と化して風に泳ぐようになびいている。

 この地上に存在する何からもかけ離れたあまりも神々しい姿とは裏腹に表情は険しく、彼の内心は焦りに満ちていた。

 あらゆるデータを元に自ら研究・実験を繰り返し経験と才能を持ってして開花させた、現実世界に一時的に『夢』の世界を展開させる

 という彼の能力はまさに一歩神の領域に踏み込んだものと言えよう。

 この世界は現実世界と微妙なところで繋がっており、物理的な干渉は不可能でもこの世界からならば『アンテナ』を駆使して現実世界の

 あらゆる人間の精神に関わる事が可能で取り込む事も逆に放つこともできる。

 いわばこの世界自体がすでにクシミナカタの『アンテナ』なのである。

 しかし今、この目の前の取るに足らない小娘が行っている事は。

  もうもうと舞い上がる砂煙の中、めくれ上がったアスファルトの大きな破片に混じって大きな影が見えた。

 しかしそれは二つの人型をしているという点で決して破片などではなかった。

 「驚いた…」

 すでに冷や汗を流す器官は存在していなかったが、人の頃の名残かクシミナカタは額を拭う仕草をした。

 「ワタシがかなりの歳月をかけた技術をこうもあっさり真似してくれるとはね」

 やがて視界が徐々に色を取り戻し明瞭になった頃、彼は内心で否定していたものが眼前に現れた事を感じた。

 3mほど前方で立っていた少年は背後にサチを庇い、片手を前方に突き出して何かを防ぐような形を取っていた。

 異様なのは彼らの周囲にだけまったく砂煙がまとわりついておらず、また巻き上がったアスファルトの破片も綺麗な円を描いて

 その圏内には一つ足りとも落ちていないという事だ。

 クシミナカタが再び右腕を巨大な槍と化し、ほとんど予備動作もなしに一瞬の踏み込みと同時に二人に斬撃を加えた。

 振るったほんの一瞬だけ槍の先端が巨大な斧の刃先のように変貌し、戦車でも両断できそうな刃となって二人に横殴りに襲い掛かる。

 慌てながらも突き出した右手をクシミナカタの槍に噛み合わせたパンハイマの反射神経は賞賛すべきものだろう。

 金属が金属を跳ね返すような凄まじい衝撃音の次の瞬間、クシミナカタの一撃は彼の掌の寸前で停止していた。

 おぼろげながらにパンハイマの周囲に生まれた彼の姿をすっぽり覆う光の球をクシミナカタは見た。

 いかにも頼りないガラス質の物体でできたそれは、しかし圧倒的な力量の差に見えるかの相手の槍を見事に拒んでいる。

 「やっぱり!」

 恐る恐る目を開きながらも確信に満ちた口調でサチが口を開いた。

 「イメージしたものを実際に作れるんだ」

 「もう大抵の事じゃ驚かないよ」

 興奮気味の彼女にどこか疲れたようにパンハイマが答える。

 途端に自信に満ち足りた表情でサチがびし、とクシミナカタに人差し指を突き出した。

 「そこの少女誘拐アンドゴスロリマニア! あたしを宇宙人と知ってどうしようかは知らないけど甘かったね!
                   こっち
 大体いっつも誘拐すんのは宇宙人だって決まってんのよ、キャトルミューティるぞコラ!」

 彼女の言葉が終わると同時に相手の左腕が跳ね上がった。

 激光を放ちながら右腕と同じように槍へと変貌を遂げたその腕で、クシミナカタは挟み込むように二度目の斬撃を放つ。

 防ごうにもパンハイマの片手はクシミナカタの右の槍を抑えているし、左手はサチの手とつながっている。

 彼女に屈むように指示しながら二人は慌ててその場から飛び退いた。すぐ頭上を唸りを上げてエネルギーの槍が大きく尾を

 引いて通り過ぎてゆく。

 髪の先端を焦がしたそれに冷や冷やしながら全力失踪するパンハイマにサチが不満を喚き散らした。

 「何で戦わないのよ、教えた通りに戦ってよ!」

 クシミナカタの放った光弾が炸裂する瞬間、サチはパンハイマに『バリアをイメージして』と告げた。

 受け答えする暇もなく脳裏にそれを思い浮かべた彼の周囲には光の壁が現れ、見事に相手の攻撃を防いだのである。

 デパートから叩き落される際にパンハイマはサチを庇いながら無意識のうちに『自分が盾にならなくては』と考えた。

 その結果すべてを防げないまでも、中を通る鉄筋ごと紙のようにコンクリートを切り裂く槍の一撃を肋骨にヒビが入る程度で

 許したのだ。

 虚空に放り出された時はふと羽根があればいいなと思った。

 想像が具現化するというサチの考えは正しいらしい、パンハイマはその意見を元に仮説を組み立てた。

 クシミナカタがイコンの絵に、または久牢の影に『電波』を注入する事ができたように『アンテナ』の持ち主であるサチも電波を何かに

 送り込む事ができるのでは?

 そしてその『何か』とは今現在のパンハイマの想像力そのものなのではないだろうか。

 「無茶言うなよ!」

  サチの言葉を否定しつつパンハイマは必死にアスファルトを蹴った。

 バリアなどの物はある程度イメージできないでもないが、彼女の言うように武器を作り出して戦う事は無理だ。

 平和主義者を貫くパンハイマにとって武器など想像できたところでせいぜい持ち歩いている護身用の拳銃が限界だ。

 しかもそんなものであの男を倒せるとは思えない。

 脱兎のごとく駆け出す二人を静観しながらクシミナカタは地面の上に直立不動の姿勢を取った。

 ふわりと音もなくその爪先がアスファルトから離れる。

 光の粒を放ちながらその背中から生えたものは今度は蝶の羽根などと言う生易しいものではなく、ジェットエンジンを

 搭載したデルタ翼だった。

 「くそ…美しくない!」

 背に生えた物と自身との不調和に眉をひそめて不満を垂れながら、彼の全身が地面と平行になる。

 サチが自分と同じに取り込んだ『電波』の成型や操作をできるようになったという事は彼も理解した。

 わからないのは彼と彼女の『アンテナ』の性能の違いによる、圧倒的な『電波』の質量の差が何故破れないかと言うことだ。

 確かにサチの能力は底知れないが目覚めている分だけで言えばすべてに置いて性能はクシミナカタが上回る。

 この世界は現実世界とつながっている、相手とて『アンテナ』を使えば『電波』を集めて物質化することは不可能ではなかろう。

 しかしサチの今現在引き出せる力を100とすればクシミナカタは軽く万を超える

 そんなサチのか細い枝のようなもので如何にしてクシミナカタの鋼の剣が防がれたのだろう?



  100mほど走った頃だった。

 とにかく態勢を立て直そうと息を切らして距離を稼ぎながら、ふとパンハイマが振り返る。

 凍りついた通行人たちの合間から青白い光に包まれた人型の物体が小さく見えた。クシミナカタだ。

 追ってこないのかと疑問に思い、二人が立ち止まった時だった。クシミナカタのその姿が煙のように霞んで消えた。

 背筋に走った凍りつくような感覚にパンハイマはサチを抱いて反射的に脇の建物に飛び込んだ。

 何かの店のようだ、扉が開いていたのが幸いしてサチの短い悲鳴と同時に二人の姿はすぐに歩道から消える。

 ほんの一呼吸置いて猛烈な衝撃波と突風を巻き起こし、弾丸と化したエネルギーの塊が進行方向にあるすべてのものを

 薙ぎ倒して吹き抜けて行った。

 砕けたガラスから逃れようと慌てて店内の奥へ駆け込みながら、気絶しそうなほどに圧倒的な衝撃音に思わず耳を塞ぐ。

 削り取られたアスファルトや建物の材料、人間の一部など巻き上がったものが遅れて天から降ってくると歩道に散乱した。

 「ホラ、戦わなくちゃダメだって! あいつあたしを解剖する気なんだよ、宇宙人つったら解剖よ解剖!」

 無責任なサチの後半の言葉は適当に濁しながら、しかしパンハイマとてこのまま逃げ切れるなどとは思っていない。

 そもそも二人にはこのクシミナカタが作り出した世界の事がまだよくわかっていない。

 逃走中ぴくりとも動かない人間たちを見てようやく異変がデパートの中でだけ起きているのはでないと理解したくらいだ。

  焦りを募らせながら薄い緑色のタイルの床に手をついて立ち上がり、打開策を求めて脳細胞を総動員させる。

 理解不能な部分はひとまず置いておき、大切なのは理解が可能な範囲の問題から片付けていかねば。

 飛び込んだ場所は本屋のようだ。クシミナカタが通り抜けていった際に発生した衝撃波で店内の物品は見るも無残に散らかっている。

 咄嗟に本棚の影に隠れたおかげでガラスの破片や発生した衝撃波の直撃を受けずに済んだのだ。

 二人とも細かい擦り傷はあれど重傷ではない。ただしパンハイマの脇腹の傷は時間を増すごとに苦痛がひどくなってきていた。

 そこは街の本屋らしく雑誌が豊富で、パンハイマの足元にも一つ転がっていた。彼が毎週愛読している少年漫画雑誌だ。

 ふとその雑誌に視線を落とした瞬間、真理を求めて混迷を続けていたパンハイマの思考が一瞬にして色めきたち見る見るうちに

 素晴らしい案を組み上げてゆく。

 「これだ」

 人目を引く派手な表紙のその雑誌を拾い上げて少年は頭が冴え渡るのを感じた。

 「何が?」

 訝しげに眉をひそめるサチにパンハイマ不敵に笑って見せる。



  地面に降り立ったクシミナカタは背中の羽根を再び身体に吸収させ、道路の真ん中に立ち尽くしていた。

 この世界ではどこに隠れたってクシミナカタからは逃げられない。ここは彼の作り出した彼の夢の中の世界なのだから。

 相手の位置は把握していたが、しかし突然頭上から飛び掛ってきたのにはさすがのクシミナカタも驚いた。

 建物の中から飛び出してくると停車していた車を踏み台に跳ねたようだ、逆光で陽光の中に身を隠しても漂わせる『電波』の

 タイプでわかる。

 サチではない。パンハイマだ。

 槍の両手を胸の前で交差させて防ぎながら内心クシミナカタは相手の愚行に冷笑した。

 何か両手にそれぞれ武器を持っているようだが所詮蟷螂の鎌、自身と一対一で戦ったところで勝ち目など塵ほどもあるまい。

 「鬼…」

 相手の呟きと刃が噛み合う音が重なった。

 パンハイマの武器は二つではなかった、口にもう一本刃を咥えている。

 両手に加えさらにもう一つ、三つの刃を組み合わせた斬撃を槍で防いだものの敵のあまりの斬圧の重さにクシミナカタは驚愕した。

 アスファルトに生やした足が耐え切れずに膝を付きそうになる。

 「斬り!」

 更に加わった圧力にぐお、と呻いてクシミナカタの身体は鞠のように後方に撥ね飛ばされた。

 道路を2,3転しながら体勢を立て直し、何とか立ち上がった彼に追いすがり再びパンハイマの攻撃が炸裂する。

 「虎…」

 クシミナカタが理解が及ばないまま混乱する頭で構えるが、遅い。

 「狩り!」

 彼の脇を通り抜け様放ったパンハイマの刃は相手の背を切り裂き、水銀のような銀光を放つ血液が陽光の下に噴水のごとく

 吹き上がる。

 地に膝をついたクシミナカタの絶叫が空気を震わせた。

 両手の刀を垂らしてパンハイマが悠然と振り返る。表情には明らかな自信が浮かび上がっていた。

 「想像力がそのままパワーになるってのはこういう事か」

 「貴様…どこからそんな力が」

 憎悪に燃える瞳で睨む相手を睨み返しながら、口元だけ笑ってパンハイマは答えた。

 「漫画は読まないのかい? なに、ちょっとソレをイメージの手助けに借りただけさ」

 忌々しげに歯噛みし、クシミナカタは背の傷に意識を集中させた。たちまちのうちに血の奔流は細まり、背に走った亀裂は

 跡形もなく消えてゆく。

 「サチ!」

 相手の治癒力に今度はパンハイマが強張りながら慌てて少女の名を呼ぶ。

 車の影に隠れていたサチがぱたぱたと駆け寄ってくると、三本とも刀を捨てたパンハイマの背に両の掌を押し付ける。

 「ちょっと待ってね」

 彼女が目を閉じて意識を集中させると、彼の足元に転がっていた刀がすべて陽光にさらされた雪のように溶けて消える。

 背中からサチの小さな手を通してエネルギーが流れ込んでくるのを感じる。

 しかし彼にはそれはサチがかつて言っていたように、頭を引っ掻き回されそうになるようなマイナスのパワーだとは思えなかった。

 人の住む空間に蔓延する鬱の電波は様々な異形と化してナイトメアウォーカーの具現化などに力を貸していたが、今クシミナカタに

 対抗し得る唯一のこの力は漲るような純粋なエネルギーに満ち溢れている。

  血液と一緒に全身を駆け巡る、ほとばしるような熱を持つそれを保ちながらパンハイマは瞳を閉じて意識を集中させた。

 四六時中漫画を読んでいるだけあってその武器などのイメージならいくらでも湧いて来る。

 やがて金属が砕けるようなバキバキという音を立てて彼の右腕はトレーナーの袖を千切り飛ばして変貌を開始した。

 一方構え直したクシミナカタもただ見ていただけではない。

 『アンテナ』を駆使して『電波』をかき集めると相手に対抗すべく武器の成型を始める。

 腕の槍は溶けるように元の腕へと形を戻し、再び粘土のように形を変えて長いノコギリのような形状へと変わった。

 ノコギリと言っても長さはクシミナカタの身長以上あり、並んだ刃の一つ一つは掌ほどの大きさもある凶悪なものだ。

 まだ相手の準備が整わない間に、遠い間合いで彼は新たに腕にできた武器を空で一閃させた。

 同時にノコギリが分裂するように虚空に放たれ、ノコギリの外輪を持つ円形になって一直線にパンハイマたちに襲い掛かる。

 サチを片手に抱くとパンハイマは地を蹴ってその場を離れ、着地と同時に兵器と化した右手を建物の壁に押し付ける。

 その腕は人間の形を取っているものの元の三倍近く膨れ上がり、表面は金属質の深い茶色の物質に硬質化していた。

 五指はそれぞれが刃のように鋭くがっちりとコンクリートに爪を突き立てて固定している。

 クシミナカタが二つ目の円輪を作り出そうと振り被った瞬間を突いてパンハイマはその腕を持ち上げ、狙いをつけて頭の中で

 引き金を引いた。

 相手に向けられた掌の空洞から放たれた、人間の腕ほどもある巨大な弾丸はクシミナカタの右腕を肩から根こそぎ吹き飛ばす。

 突如として消滅した腕の感覚にクシミナカタが愕然と表情を変えた。

 「よっしゃ」

 ガッツポーズをして見せるパンハイマの脇のコンクリートの壁は大きく抉れている。

 掌を当ててコンクリートを取り込み、弾丸に成型して電導で打ち出したのだ。

 さすがのクシミナカタもこれは応えたようだ。再び塔のように立ち上った己の銀の血液に理性を失い、二度目の絶叫を上げる。

 「叔父さん、二発目! 早く!」

 駆け寄ってきたサチに頭をパシパシと叩かれてすぐに我に返り、パンハイマが再び壁のコンクリートに掌を押し付ける。

  もはや勝利を確信していた彼の脳裏に不意に誰かが語りかけた。

 自らの身体の底から湧き上がってくるその思念のような声に、パンハイマはびくっと身体を震わせた。

 不意にサチに振り返り、怪訝そうな表情で問う。

 「…何か言った?」

 「え? 何にも」

 気のせいかと振り返った先ではクシミナカタが身体の再生を始めるのが見えた。

 急がなきゃ、と慌てて意識を腕に戻すと今度は疑いようもなくはっきりとその声は響く。

 『力が…』

 え?と誰とはなしに聞き返そうとした時、彼はその声を発した何かが自身の中で爆発的に膨れ上がるのを感じた。

 『力が欲しいか!?』

 「うわあああさささサチ、チェンジだ!」

 慌てて叫んだパンハイマに剣幕に思わずサチが彼の背に両手を押し当てる。

 「何でさ! 勝てそうだったのに…」

 不平を垂れながら『電波』を送り込んでくるサチに高鳴る胸を抑えてパンハイマは答えた。

 「勝てるかも知んないけど君まで焼きリンゴになっちゃうよ、カツミ!」

 「…カツミ?」

 意味不明なことを口走ったパンハイマにサチが眉をひそめる。






  まったく、何をやっているんだろう。

 心の中で呟きながらイコンは一人、喫茶店の隅の席でストローを咥えながら時間を潰していた。

 とっくに約束の時間になったというのに二人は姿を見せず、イコンはポツンと取り残されたようだった。

 デパートの中を満たす雑音もここでは遠く、喫茶店の中に流れる静かな音楽だけが何だか彼女の眠気を誘う。

 テーブルの上に両肘を立てて手の上に顎を預けながら、呆然と取り留めのない事を考えつつふとイコンはパンハイマの顔を

 思い出した。

 サチに好きになっちゃった? と指摘された時に全身の血液が逆流するようなあの恥ずかしさはなんだったんだろう。

 確かに今まで優しい人というものには出会った事はない。

 ゴッドジャンキーズではほとんど一人でいたようなものだったし、クシミナカタが自分を見る眼は珍しい玩具のようだった。

 それを相手から自分に向けられた好意だとイコンは曲解していた。わざとそう考えていたのだ。

 元の持ち主に捨てられてからイコンは誰かに愛されたくて仕方がなかった。

 何事も冷めた目つきで物事を見る彼女は自分のそんな思いにも気づいていたが、余りのどうしようもなさに無視する以外なかったのだ。

 パンハイマは自分をどう思っているのだろう。

 何時の間にかコップの中身のジュースが空っぽになっていたがイコンは気づいていない。

 カラカラと氷とガラスがぶつかり合う冷めた音を聞きながら、彼女はサチに対する感情もまた抑えきれないでいた。

 それは『不安』だったのかも知れない。

 パンハイマをサチに取られてしまうかも知れないという、絶望的なまでに現実的な不安。






  ようやく身体の再生を終えたクシミナカタはゆらりとその身を起こして二人に向き直った。

 周囲には水蒸気が立ち上り、陽炎のようにその姿を曖昧なものにしている。

 前方の二つの影を睨みつけながら、彼はかつてないほどに胸の内側に嵐と化して渦巻く感情をどうにもできないでいた。

 「『怒り』という感情かな、これは…」

 自嘲するように呟いてギラつく眼を細め、五指に戻った手を垂らしながらアスファルトに仁王立ちになる。

 達成寸前の悲願を前にして邪魔をされる燃え盛るような怒り。

 感情が表層に影響として出るのだろう、彼の全身を構築する白銀のエネルギーはかすかに震えている。

 不意にふわりとその爪先が地面を離れた。

 「いいだろう。完全に消し尽くしてやる」

 冷笑を浮かべてクシミナカタは片手を前方に差し出す。時間が止まったこの静かな世界で二人を前に彼は高らかに語りだした。

 「今までは雑多なエネルギーをゴチャ混ぜにして使っていた…そのせいで精度は二の次だった。しかしワタシの能力を持ってすれば、

 個人的な憎悪として放たれた『電波』を凝縮して武器として撃ち出せる。つまり」

 不意にぽつぽつと彼の周囲に光点が発生した。

 曖昧そうにゆらゆらと漂うそれは鬼火のようだが、しかし確実にクシミナカタの持ち上げた右手の掌に収束している。

 クシミナカタの半身ほどの大きさになった時、彼は再び嘲笑に歪んだ口を開いた。

 「君たちに個人的な悪意を持つ人間の意識を抽出して武器に変えるという事だよ。

 君達にのみ最大の破壊力を発揮する最強の武器だ!

 あえて醜いという罪を犯して行使しよう、どのみちサチ君が死ねば『コンバータ』などなくともワタシを上回る存在などいなくなるのだから」

 くっくっくというクシミナカタの喉の奥での笑いは、やがて高らかな吠えるような笑い声へと変わる。

 凍りつく二人の前で彼は初めて作り物めいていない、心底人間くさい笑顔を見せた。

 そして面白くて仕方がないという表情で二人にとって驚愕すべき事実を口にすると、すぐに背に蝶の羽根を作り出して天空へと悠然と

 舞い上がっていった。

 「ここに集まっているのが誰の何の感情かわかるかな? …イコンの『嫉妬』さ、サチ君、君に対するね!」






















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