プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -






レディオガール
RADIO GIRL


最終話.LOVE LETTER


  鎮痛剤が効いているらしいサチはもやがかかった思考の中で、ようやく彼の姿を確認する事ができた。

 愛らしい瞳には大きく隈ができ、顔色も浮かないものだった。

 静寂だけが満ちている個人病室の中、少女と少年だけがひっそりと薄闇の中に佇んでいる。

 その二つはふとすればその暗さの中に溶けてしまいそうなまでにあまりにも曖昧な存在感だった。

 「気分は?」

 ベッドの脇のパイプ椅子に腰掛けたパンハイマは、まずそう聞いた。

 窓のない病室は少しでも息苦しさを解消する為か豊富に花を描いた絵がかけられており、棚に置かれた花瓶では蘭の花が艶然と

 微笑んでいる。

 「頭が痛い。ズキズキする」

 相手が叔父だと知ってサチは大して気兼ねもなしに答える。

 「前よりはマシだろ?」

 「そりゃあね」

  少しだけ微笑を浮かべてパンハイマは頷いた。さあ、どう切り出そう?

 しきりに頭を働かせて言葉を捜しながら、彼は言いにくそうに話し始める。

 「君の身体には異変が起きている。それはわかるかな」

 サチはその言葉に特に反応を見せなかったが、パンハイマは構わずに続けた。

 「わかりやすく言おう、脳内にできた血のカタマリとくっついている脳が炎症を起こし初めている。

 手術して取り出さない限り、放っておけば君は死ぬ」

 残酷なまでにはっきりと伝えたパンハイマに彼女は大きく溜息をつくと、瞳を閉じて次の言葉を待つ。

 何だかその表情はとても遠いものを眺めているように思えた。

 「問題はここからだ」

 意を決し、勇気を奮って彼はその言葉を口にする事を実行する。

 「手術をすれば君は人間になってしまう。二度と君の星には帰れない、だけど!

 確かに君の星に比べたらこの地球は過ごし難い場所なのかも知れない、だけど…

 僕は君にここにいて欲しいんだ、この宇宙にたった一人しかいないサチが必要なんだよ! お願いだから…」

 パンハイマは俯いたヘッドディスプレイの奥で瞳が熱くなるのを感じた。涙腺を除去していなければこんな時涙が流れたのだろう。

 涙を失うという事の哀しさを彼は今改めて知ったような気がした。

 今回の一連と言い、自分の何もかもが姉を失う事を恐れて己の時間を止めてしまったあの日から始まっていたようだと思った。

 孤独という恐怖は何故かくも人を狂わせるのか。

 「帰るだなんて言わないでくれ…」

 震える声を絞り出したパンハイマの頭に、ふと毛布の中から伸ばしたサチの手が触れた。

 軋むような頭痛に耐えて上体を起こした彼女は闇の中で精一杯の笑みを見せた。

 「叔父さんがいるとローズマリーが遠く思えるの。 …ここを二つ目の故郷にしてもいいかなーってちょっとだけ思ったりね」

 不意をついて彼のネクタイを掴むとサチは無理矢理パンハイマに顔を寄せた。

 「たまには帰郷もさせてね」

 次の瞬間自分の唇に重なった彼女の体温を、パンハイマはあらゆる意味で生涯忘れないだろう。



  病室から戻る途中の廊下で、パンハイマはニヤけた顔を元通りにするのに必死だった。

 まだ問題がすべて片付いた訳ではないが、ネクの腕ならば絶対という文字がつくのにふさわしく信用できる。

 そう、彼が今までに五分五分だと言った時は大概治してしまう時だったではないか。

 いつものプラス思考を取り戻し大丈夫さ、と彼が自分に言い聞かせている時、ふとカツンという乾いた音が廊下に高らかに響いた。

 パンハイマが手にしていたサチの衣服から滑り落ちた四角い長方形の物体が廊下に転がる。

 サチは患衣に着替えたのでこちらの服は彼が預かる事にしたのだ。サチの病室から運んでいる途中である。

 彼女の携帯電話だ、拾い上げると同時にパンハイマはもう一つの重要な事を思い出した。

 (ああ、サチの親に連絡しとかなくちゃあ)

 約束を破るだの何だのとももう言ってはいられまい。パンハイマは足を進めながら彼女の携帯をいじり始めた。

 慣れた手つきで操作をすると、登録してある電話番号がいくつか小さな画面に現れる。

 それらを一通り眺めた後にパンハイマは眉根を寄せた。

 あれ、と漏らしたのも無理はない。登録されているのは二つ、パンハイマの携帯電話と彼の自宅の電話だけだ。

 もしかして自分に勝手に見られる事を警戒して登録していなかったのだろうか?だとすればかなり用意周到な娘だ。

 廊下の空気は空調が効いていると言えど室内よりは冷えている。パンハイマは肩を寄せながらナースステーションに向かった。

  ちらほらといるだけの看護婦や医師たちに軽く挨拶しながら手近な椅子に腰を降ろす。

 雑多な書類が散らかっている中から電話を探し出して受話器を取ると、腕時計で時差を確認しながらダイヤルを叩いた。

 国際電話でまずはエミコの電話番号に繋げる。向こうはまだ昼前だ。

 しかしどうやらその電話番号はすでに使われていないらしい。相当前に逢った時に聞いたものなので仕方ないだろう。

 携帯端末を開いてこの前の結婚式で聞いた限りの女性の電話番号を調べながら、いぶかしむ同僚たちの視線も気にせず彼は粘った。

 何十人にもかけた後遂にエミコ・クラフトの名を知っている人間に行き着き、ようやくパンハイマは胸を撫で下ろした。

 と、同時に相当長い時間掛け続けていた関係上、自分に直接電話料金を請求されるかも知れないという不安が過る。

 数回のコールの後に受話器を取ったのは少女の声だった。サチと同じくらいの年齢だろう。

 「やあこんにちは。クラフトさんちかい?」

 サチに姉妹がいたのかなと思いながら久し振りの英語で挨拶をすると、すぐに肯定の言葉が返ってきた。

 「そうですが」

 「エミコ君はいるかい? 僕はハンス・パンハイマって言うもんだけど」

 「お母さん? 今お父さんと出かけてるけど」

 サチの両親は離婚寸前らしい。一緒に出かけたって家庭裁判所か?

 そう言えばパンハイマもすっかり忘れていたがそれ以前にサチは母親と日本に来ていた筈だ。

 娘を置いて本国へ帰ってしまったのだろうか?

 疑問に思いながらもパンハイマは彼女に伝言を頼んだ。

 「君でない方のエミコ君の娘さんの事でちょっと話があって。家出してる方だよ」

 「娘?」

 受話器の向こうで相手があからさまに不信感を込めた声で聞き返す。

 「私は一人っ子よ」

 この言葉は彼の内心のある部分を大いに刺激した。パンハイマの胸が途端にざわめき始める。

 放っておいたすべての疑問がこのひと言によって瞬間的に収束し、パンハイマの胸に恐ろしい巨大な影となって鎮座した。

 必死になって自分を落ち着かせ、彼は内心の自分が自分に聞くなと警告する質問を遂に口にしてしまった。

 「失礼だが君の名前は?」

 受話器の向こうで相手は更に彼をいぶかしみながらも、はっきりとした口調で答えた。

 「サチ・クラフトだけど」



 じゃ、あの子は誰なんだ?



  最初からそうだった。

 パンハイマは何を根拠にあの少女をサチ本人だと思い込んでいたのだろう?

 彼女の両親と一度でも話しただろうか、いや、そもそも彼女を知る人間と一人でも話をしただろうか?

 パンハイマは彼女を気遣い、その日常や周辺の事はなるたけ聞かないように心がけていた。

 だが本当は最初からそんなものはなかったのではないだろうか?

 結婚式で逢ったとサチ本人は言っていたが、その日しこたまワインを飲んでいたパンハイマにその記憶はすっぽりと抜け落ちている。

 次々に浮かぶ疑問の他に決定的に彼の不安を加速させるのがクシミナカタの残した数々の台詞だ。

 「まあ『コンバータ』を初めから持っていてくれたのはさすがのワタシも驚いたが…」

 「不躾な言い方で済まないが単刀直入に言えば君の脳内にある『コンバータ』が欲しい。

 どこの誰が作ったものかは知らないがそいつの性能はワタシの体内のものよりはるかに高性能でね」

 サチの脳内にあるのはただの血腫なのか?

 本当はもっと別の『何か』なんじゃないのか、そう。あらかじめ『電波』を収束できるように作られた…

  ほんのさっきまでパンハイマの胸の内にあった確かな物が音を立てて瓦解してゆく。

 受話器を置く事も忘れてその場に放り出すと、頭の中で激流のごとく渦巻く疑惑に耐え切れずパンハイマは椅子を蹴っていた。

 思い出したように鈍く痛み始める脇腹を抑え、出せる限りの速度で必死に廊下を駆け抜ける。

 ギシギシと肋骨が軋む嫌な音を立て、あまりの苦痛にパンハイマの視界はぼんやりとした曖昧なものとなってゆく。

 歯を食いしばって耐えながら人生で一番長く感じた距離を遂に走り抜け、彼は病室の扉を乱暴に開いた。

 最初にその視界に入った光景からは、パンハイマの期待していたものが決定的に欠けていた。

 鼓動は爆発しそうなまでに高まっている。

 彼は押し潰されそうな不安の元ゆっくりと前進し、まだ体温の残っているベッドに手を触れた。

 ここが空っぽだと言う現実を受け取るには少し時間がかかった。

 壁のナースコールのボタンを叩くように押す瞬間、彼は正面の壁に走る真っ赤な線を認めてふと手を止めた。

 薄闇に浮かぶ鮮やかなこの色は忘れる筈もない、彼女を初めて六角町の大瀬通りへ連れて行った時に買ってやった口紅だ。

 色気などというものには無縁のサチにこの色は似合わないとパンハイマは笑ったが、彼女は絶対に買うと言い張ったのだ。

 一体どこに隠し持っていたのだろう?

 線は拙い日本語を描いていた。


 『叔父さんへ

 ごめん、お迎えがきたからやっぱりあたし帰るね。

 寂しくなったら月を見て、私もきっと同じ頃同じ月を見ているから。

 P.S.ありがとう。愛してる。         サチ』



 パンハイマは拳でスイッチを殴りつけていた。

 「11031の患者が脱走した! 警備に連絡して探してくれ、15歳の黒髪の女の子だ!」

 そう叫ぶと相手の返事を待たずに脱兎のごとく廊下へと飛び出す。



  脇腹の痛みはすでに耐え難いものになっていた。

 真っ赤に腫れ上がったその部分はちょっと触れるだけでも燃えるように痛む。

 苦痛は徐々にパンハイマの意識を覆い曖昧なものへと変えていったが、それでも彼は足を止めなかった。

 立ち止まったらもう一生あの娘に手が届かなくなるような気がした。

 広い廊下にパンハイマの乱れた息遣いだけが響く。何だか天井の蛍光灯の灯りが蜃気楼のように揺らめいて見えた。

 「畜生」

 口汚く罵りながらパンハイマは己に鞭打って悲鳴を上げる身体を前進させた。

 汗を吸った背広は重く、鉛のようにのしかかってくる。

 医療ブロックから出るには通行許可カードが必要なゲートを通らねばならない、ならばまだこの地区にいる筈だ。

 要塞並にチェックが厳しいこのオシリス・クロニクル社の中で逃げ場がそうあるとは思えない。

 壁にかかっている案内図を見ながらパンハイマは見逃した場所がないか、頭にかかるもやを必死に払って考えを巡らせる。

 その案内図が不意にぐにゃりと水鏡に映したように歪んで見えた。

 溢れる玉のような汗を拭おうと額に触れた時、彼は初めて自身の凄まじい熱に気づいた。

 意識を手放そうとする己の精神に全霊を込めて抗いながら足を引きずるように脇の扉のノブを掴む。

 半ばほど開いた時点で遂に耐え切れず、パンハイマはがっくりと膝から前方に倒れ込んだ。

 「ちくしょ…」

 同じ言葉を繰り返しながら、内心に霧のようにどんどん広がる不安と絶望に彼は身を焼かれる思いだった。

 そう、例え彼女のすべてが嘘だったとしても、わがままで生意気で金遣いが荒くて口が悪くて、だけど優しく笑うあのサチは

 現実に自分が触れたものなのだ。

  燃えるように痛む脇腹を片手で掴んでパンハイマは片手を床に押し当てた。

 汗にまみれた掌に広がった感触に、ふとそれが廊下のタイルでなくコンクリートのブロックだと気づく。

 顔を上げた先にはフェンスを隔ててチラチラと輝く夜景があり、冷えた外気が彼の横頬を撫でていった。

 オシリス・クロニクル社は80階立ての建造物で三十階にはテラスのようにせり出している屋上のスペースがある。

 どうやら彼がくぐった扉はその中途の屋上のスペースへ出る扉だったようだ、渾身の力を込めてパンハイマは上体を起こした。

 そのフェンスの上にあるものを、最初は月が降ってきているように彼は思った。

 両足をそろえてフェンスの角の部分に立ち、胸を広げて天を仰いでいる。吹きすさぶ風が患衣の端を空に泳がせていた。

 冷ややかに降り注ぐ月光を浴びて彼女はさながら地上に降り立った月の化身のように見えた。

 あまりにも夜空とサチのその後姿は似合いすぎていた。あらかじめ描かれた完全なる絵のように。

 手を伸ばしても決して届かないくらい、いや、触れてはいけないほどに完成されたその光景にパンハイマは息を飲んだ。

 「叔父さん」

 振り向きもせずにサチは琴を弾くような声でそう言った。

 「止めろ」

 パンハイマはそう絞り出すのが精一杯だった。

 掌ほどもない狭いスペースで起用にくるりと振り返ると、サチは微笑を浮かべたままパンハイマを見下ろした。

 両手は夜空にめいっぱい広げたままだ。

 「やっぱり、ここは私の星じゃないから」

 「止めろ! 止めてくれ!」

 今眼の前でサチが消えてしまう恐怖に彼は声を張り上げたが、しかしその声も彼女は微笑みで受け流してしまった。

 彼女が今何をしようとしているのか考えるだけで気が狂いそうになる。

 今、サチの背にあるものは虚空だけだ。

 「叔父さん」

 ふと一瞬、彼女の爪先が足の下のフェンスを蹴った。華奢なその身体はあっさりと足がかりを離れる。

 闇の中で彼女の身体を受け止めてくれるものは何もない。パンハイマがほんの一瞬、瞬きをする暇でサチは虚空へと身を躍らせた。

 「ごめんね」

 フェンスの反対側へダイブしたサチを前にパンハイマはあまりにも無力だった。

 苦痛のすべてを無視してフェンスに駆け寄った彼の頬が何か暖かい一滴を受け取った。

 サチの涙だった。

 闇の中へと落ちてゆく彼女を前にし、夜の空にパンハイマの絶叫が木霊する。









  僕は負けたんだ。

 絶叫に最後に残った一欠けの体力を奪われ、薄れ行く意識の中でパンハイマはそう感じた。

 パンハイマは敗北したのだ。

 サチの空想が作り出した故郷の星、『プラネット・ローズマリー』は恐らくは彼女の孤独が作り出した彼女だけの居場所だったのだ。

 そしてそれを作り出す必要に迫られた理由はサチの絶望的なまでの孤独。

 自分はそれを癒す事ができなかった。故にパンハイマは敗北を感じた。

 意識を手放す事を許し、瞳を閉じた彼の瞼の裏側で姉とサチの姿が重なっていた。



  それから数日間は目まぐるしく過ぎ去って行った。

 傷をこじらせたパンハイマはしばらく入院する羽目となり、その間にイコンは自分を引き取りたいと言う相手の元へと旅立っていった。

 家を出る前に彼女は彼の入院している市内のさる病室に寄り、僅かな私物を詰め込んだバックを片手にベッドの上のパンハイマに

 精一杯の気遣いを見せた。

 イコンの心遣いは嬉しかったがパンハイマは笑顔を作るのがこんなに難しいと感じたのは初めてだった。

 「貴方が好きだったわ」

 完全にパンハイマの不意を突いてイコンは胸中を告白した。

 「不思議ね。人を好きになると自分を好きになる努力をしたくなるの…おかげで病気も治りそう」

 病気って? とパンハイマは聞き返したが、イコンは笑って答えなかった。



 サチの死体は見つからなかった。

 そもそもパンハイマはあの日屋上へ続く扉にもたれかかって失神していたところを警備員に見つけられたのだ、あれが夢だったのか

 どうかさえ彼には今ひとつ確証が持てない。

 ただ一つわかっているのは、社内中すべて洗いざらい探したが彼女は見つからなかったというネクから聞いた話だけだ。

 そしてサチのすべては闇の中へと消え去る事になるだろう、結局何者だったのかという事すらわからないまま。

  何だかひどく疲れたような気がする。

 今となっていはサチと出会ったが故に降りかかった身の災難がひどく懐かしい。

 その日の夕方、彼はベッドに腰掛けて手にした携帯端末のインターネット機能を使い退屈な入院生活の暇を潰していた。

 見るものも聞くものもすべてが身体を透き通っていってしまうかのように味気ない。

 明日の朝には退院できるだろうと言う話だったが、これから日常が始まると思うとパンハイマは無気力に押し潰されそうになった。

 無造作にカタカタとキーを叩いているとモニタの隅で封筒のアイコンが点滅する。メールが来たようだ。

 メールボックスを開いて届いたそれを開き、ざっと眼を通すと彼の錆びついた頭脳にある記憶が甦り始めた。

 メールはヤザワ火研という会社の知り合いのものからだ、内容はパンハイマが学会に出席する為(色々な理由から出席自体は別人が

 行っていたが)ドイツに赴いた際に企んでいたある事のお披露目についてだった。

 とてもそんな気にはなれなかったが一応この件に関わっていた責任がある。

 日時は明日の夜。気乗りはしないが彼は出向く決意をした。



  翌日の午後七時前後、迎えの車から降りるとパンハイマは雪を踏みしめて一しきりそのスペースを見渡した。

 商店街の中央にある噴水を中心とした広場だ、アーケードの下にはにはまだ明かりが灯っている店も多い。

 派手なあ赤いジャンパーに身を包んだ少年は指のかじかみを少しでも解消しようと手を擦り合わせながら、先客と挨拶を交わす。

 見物客や彼らなど含めて全部で100人程度だ、それなりに広いスペースがあるので特に狭苦しさは感じない。

 「や。ドイツ以来だね」

 「どうも、パンハイマ博士。お怪我の具合は?」

 数人の男たちに囲まれて大きな金属の筒のようなものの調子を見ていた背広の年配の男が彼に向き直る。

 ドイツの学会で知り合ったパンハイマと同年代の男で、ヤザワ火研の開発部門に所属する社員である。

 学会の第一日目が終わった所でパンハイマらが祝杯をあげていたところ、たまたま仕事の関係で同じくベルリンに来ていた彼が

 是非とも有名なパンハイマ博士に会いたいと会合を申し込んできたのだ。

 己の研究を以って自分の成長を止めてしまったパンハイマだが基本的に細胞学的な延命処理は現在は法律で禁止されている為(無論

 オシリス・クロニクル社も彼のその事実を隠蔽している)彼の研究の報告などを公の場で公表する際には影のようなもう一人の

 『パンハイマ』が必要になる訳だが一部の組織の上層部では本当の彼の存在も知れたものとなっている。

 酒の席でそのイリナカと名乗る男のユーモアがパンハイマはすっかり気に入ってしまい、うっかり開発中の品の事について口を滑らせた

 イリナカが開発に大きく貢献したと言うある光分子について色々を意見を交わしたものだった。

 ヤザワ火研はその正式名称『ヤザワ火器研究所』の通り日本では数少ない兵器に関しての研究を行う機関である。

 イリナカが開発した光分子とは夜間に飛行機で空中へ霧散する事で一時的に空気自体を光らせそのあたり一帯を昼のように

 照らすというものだった。

 問題はどうしても持続時間が短く数分しか発光しないとの事だったが、彼の差し入れの日本酒をぐいぐい飲みながら(後ですべて

 逆流させてしまったが)パンハイマはそれを聞いてある提案をした、クリスマスにピッタリな案があると笑って。

 そう言えば今夜はクリスマスイブなんだと、ふと彼は今更ながらに再確認した。

 「散々だよ、こじらせちゃってね。ところでどうだい? そっちの具合は」

 「これ以上ないというくらい万端ですな、もうすぐにでも発射できます」

  子供のように笑ってイリナカは白いものの混ざる頭を掻いた。

 彼以外にもヤザワ火研の社員は着ていたが、何だか研究所の実験のお披露目と言うよりは物好きな大人の集まりのようだ。

 他の社員がクーラーボックスのようなやたらと壁の厚いバッグから赤と白で派手にカラーリングされた円錐型の物体をイリナカに手渡した。

 幼児の頭部くらいあるそれをイリナカがいじり回していた円柱の先端にがっちりとはめ込む。

 何だか鉄でできたアスパラガスのような形になったその兵器を肩に担ぐと、イリナカは誇らしげに笑った。

 「冗談みたいにチャチなモンですがこんなグレネードランチャー一つ手に入れるにも随分苦労しましたよ。

 日本には兵器製造の関係のマニュアルはないし、手に入れようとしても指し止めを食うし、実物なら尚更…

 まぁ在日米軍にたまたま知り合いがいましてなあ、一つくすねてもらったんですわハハハハハ」

 「ハハハじゃないだろ! 知らないよ後から日米摩擦になっても」

 できるだけ空が開けている場所に移動しようと、彼は手近な建物の階段へと歩いて行く。

 「どうせ連中ロクに管理もしてませんよ、書類の上では問題のないルートで手に入れた事になっていますしな。

 ところで博士のお知り合いというのはもう到着したのですかな? 雪雲の具合からしてもあまりウカウカしておれませんぞ」

 しきりに時計と空を交互に見上げる彼に対し、そろそろじゃないかなとパンハイマが振り向いた先で見覚えのある車が広場の隅に

 停車するのが見えた。

 ドライバーはパンハイマのような性格でなくとも瞳に焼き付いてしまいそうな美女だ、ネクの助手である。

 彼女、中宮紅緒はまさに冷えた空気に白い肌の冴え渡るような美女だった。

 彼女と逢えた事でパンハイマは少し元気が出てくる自分の単純さに苦笑を禁じえない、

 二人に加え彼が連れてきた一人の客と簡単に挨拶を交わすとパンハイマはヤザワ火研の社員たちに合図をした。

 何故部外者である彼にそんな権限があるかと言うと、実行に移す際には自分に合図をさせろとドイツの酒の席でイリナカと

 約束していたからである。

 「本当に大丈夫なんだろうな?」

 一応ネクには事前に今日の事を話してあるが、彼は不安そうに細い目を更に細めてパンハイマに声をかけた。

 「信用してもらいたいね」

 その言葉が終わるより早く、曇った夜空に向かって白い尾を引きながらするすると昇っていくものが見えた。

 建物の屋根に上ったイリナカが撃ったグレネードランチャーの弾である、ただしその中味は火薬ではない。

 それは空一面を覆う鈍色の雲の中に吸い込まれ、消えた。次の瞬間雲の中で光が炸裂する。

 「ホタルフォトンって名づけられた、その名の通りホタルや何かの生体発光システムを科学的に解析、分子構造にちょっとだけ

 手を加えてだね…」

 得意になってパンハイマが解説を始めるが誰も聞いていない。

 一同が固唾を飲んで見守る中、不意に雲がまとっていた淡い光が層となって地上へと落ちてきた。

 最初に地上にたどり着いたその白く柔らかに光る雪はパンハイマの掌に当たり、溶けて消える。

 「すごい。雪が光ってる!」

 紅緒の言葉にパンハイマは得意満面だった、次々に地上に降り注ぐ雪はそれぞれが個体でホタルのような光を放っている。

 たちまちあたりは輝きに満ちて夜の闇がひととき払われた。

 見物客から歓声があがる、一際大きな声で嬌声を上げているのはヤザワ火研の社員たちだ。

 いよっしゃああーー!と夜空に響いた場違いな声は紛れもなく屋根の上のイリナカの声である。

  それぞれが胸に個別の感想を抱く中、いつもは舌の休む暇もなく喋るパンハイマは不思議な表情でじっと空を見つめていた。

 ―― サチは宇宙へ帰ったんだ。

 何故かは不明だが、ふとパンハイマはそう思えてきた。

 宇宙人はいないだなんて誰が決めたんだ。あの娘の性格だ、きっと元気でやってるさ。

 「パンハイマ?」

 ふとネクの声が彼を呼んだ。

 一瞬遅れて少年が振り返る。その初めて見る友人の表情を眺めてネクは声のトーンを落とした。

 「…泣いているのか?」

 夜気に真っ白な息を吐くとネクはもう一度天を仰ぐ。

 パンハイマに涙腺はない。

 全身の細胞を組み換えて15歳の時に己の時間を止めてしまった時に視神経を失い、摘出してしまったのだ。

 けれど今、パンハイマは泣いていた。

 この雪が彼の涙なんじゃないかとネクはどこかで思った。

 「バカ言っちゃいけないな」

 肩をすくめるとおどけて彼は言って見せた。

 「世界中に僕を愛してくれる女性がいる限り、このハンス・パンハイマが泣く事なんか絶対にないのさ」

 次に振り返った時には彼の表情はいつもの女好きで軽口を叩く、天真爛漫な少年のパンハイマの笑顔に戻っていた。

 溜息交じりに苦笑するネクの顔からは友人に対する畏敬の念で溢れている。

 「呆れたヤツだ。だが、尊敬するよ」

 もう一度笑って見せたパンハイマの視線が光る雪を浴びながらくるくると踊る少女に釘付けになった。

 桃色の長い髪をした美少女だ、ネクの連れてきた客で彼の患者である。

 凄まじい勢いでネクに駆け寄ると、その背広を掴みながらパンハイマは矢のような質問を浴びせ掛けた。

 「あれあれあの子、あの子って誰さ! 名前は? 趣味は?」



  その娘、プリズムはストレイドールズで行き場がないと言う。

 パンハイマは是非ともウチにきたまえと熱心に彼女を口説き落とし、遂にプリズムのほうが折れた。

 明後日退院したらしばらくは彼の家に世話になる事となり、彼はホクホクした顔で帰路についていた。

 あの後雪見酒と洒落込んだせいか顔が火照っている。酒には弱いがこんな気分良く酔ったのは久し振りだ。

 ふと空を見上げると先ほどまで曇り空だった空は、今は満月の笑顔を見せている。

 『寂しくなったら月を見て。同じ頃あたしも同じ月を見てるから』

 ふと、そんな言葉が彼の脳裏を駆け抜けた。

 すっと音もなく体の熱が抜けるような気がした。ついさっきの喧騒が恐ろしく遠い記憶のように思える。

 また一人になってしまったんだろうか。

 皮膚をチクチク刺激する孤独にパンハイマは呆然とそんな事を考えた。

 人といる時はいい。いなくなると同時に襲い掛かってくるこの心が抜け落ちるような虚無感はなんなんだろう?

 この感覚がこれからの生活で断続的に続くのだろうかと思うとパンハイマの胸は果てしない空洞になったような思いに駆られる。



  ようやく家についたパンハイマはポケットから取り出したキーをノブに突っ込んだ。

 今度はもうなくさないように大きなキーホルダーがついている。

 室内は身震いするほど空気が冷えており、同時に灯りのついていない自宅に帰ってくる事がこんなに空しいものなのかとパンハイマは

 また溜息をつかされるような感覚に囚われた。

 電気をつけてぺたぺたと足音を立てながら部屋を横切り背負っていたバッグを机の上に置く。

  ふと漫画や雑誌、書類などが乱雑に積み重なっている机の上でコトリと乾いた音がした。

 音を立てて床に転がり落ちたものを拾い上げ、まじまじと眺めてみる。香水の瓶だ。

 と同時に彼は机の上に置かれていた見慣れない封筒に気づき、手に取った。白地に青い曲線の走る美しい文様を施した封筒だ。

 その宛名に眼を通した瞬間、彼はどんな表情をしていいかわからずとにかくもう夢中で窓へ駆け寄った。

 乱暴にカーテンを跳ね除けるとやはり澄み渡った空には満月が顔を見せている。

 「ははは」

 乾いた彼の声が空気の中に染み込むように響く。

 「大人をからかうなよ!」

 笑って思わずパンハイマはその封筒に叫んでしまった。





























 『愛しの叔父さんへ

                プラネット・ローズマリーから貴方のサチより愛を込めて☆』
































 2002-02-16
 HAPPY END!


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