プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -






シスター・マリア

10.『陽炎回廊』


  オシリス・クロニクル社は神薙市の中央にそびえる巨大な建造物だ。

 真上から見ると完璧な五角形をしており、外層は太陽光を眩く反射するマジックミラーになっている。

 彼方から見た時、その建物は天空の青を映し込んで空に溶け込んでいるように見えた。

 他の建物を圧巻するように立っているその元に、今通勤してきたばかりのスーツ姿の男女が蟻のように群がっている。

 その中で草園陽子、正確にはその身体を間借りしているガガは絶望的な場違いさを感じていた。

 外見からバレる事は万に一つもないだろうが、彼女の知り合いに出会った時にさばき切れるかと言われると自信はまったくない。

 陽子の記憶を探ればそれが誰で自分とどんな関係なのかはわかるが、元から人と接する経験の薄いガガにはどんな態度を

 取っていいかまったくわからないのだ。

 話し掛けられたら? 仕事の事を聞かれたら?

 どんな風に受け答えすればいいのだろう。

 ザッ どうした? 時間がないんだぞ、急げ

 「あ、ああ…うん」

 右耳につけたピアス型の通信機から、ミス・シンデレラの急かす声が聞こえてくる。

 彼はガガを降ろした後に別の車でゴッドジャンキーズの管制室へ向かい、今はスィスィとパフが社の前で路上駐車して待機している。

 こちらを眺めているスィスィ達からミス・シンデレラに、まごついているガガの姿を伝えられたのだろう。

 ガガはよたよたと社の正面入り口へ歩き出した。

  とにかくハイヒールとスカートがここまで歩き難いものだとは思ってもみなかった。

 転ばないように気を使うせいで、歩みは遅々として進まない。

 加えてガガと陽子では基本的に身長・体重が異なる為に、どうしても身体能力の感覚にズレがある。

 動きにくい服を着ているようで、全身の筋肉に統一感がないのだ。

 他所から見たら酔っ払いのように不自然な動きに見えるだろう。実際ガガはこの身体に酒気が残っているのを感じていた。

  オシリス・クロニクル社の巨大な入り口をくぐると、霞みがちなガガの視界にいっぱいに光が差し込んだ。

 エントランスホールは三階まで吹き抜けになっており、採光を考えて立体的な構造になっている。

 ガガが今までに見たどんな建物の玄関口よりも巨大だ。背を向けている入り口側の壁は一面ガラス張りになっており、淡い冬の

 陽光を社員に柔らかく落としていた。

 あちこちから静かなざわめきや朝の挨拶が聞こえてくる。

 いきなり別の世界に放り込まれたような気分になりながらも、なるべく足を止めないように努力しながら、ガガは引き摺るように

 陽子の身体をエレベーターに持って行った。

 途中何人かの社員に挨拶を送られたが、それを返す余裕もない。

 オシリス・クロニクル社のマークが入ってるヤツだぜェ、間違えんなよ

 今度はパフの声だ。

 彼の言う通り、今ガガの前にあるエレベーターの扉にはオシリス・クロニクル社のマークが大きく入っている。

 エレベーターはこの壁に他に四つほど並んでいるが、ここだけ出社してきた社員は誰も並んでいない。

 主に重役のみが使用する特別なエレベーターだ。そして今のガガにはこれを使用する権利がある。

 ボタンを押して数秒した後、目前のマークが真っ二つに割れて扉が開いた。



  エレベーターの中は予想以上に広く、ちょっとした個室くらいあっただろう。

 天井の無機質な明かりに照らされ、金属で囲まれた室内は薄ら寒く感じられた。

 扉の脇にはよく知るエレベーターと同じくコントロールパネルがついているが、デパートなどの物とは違い色々と端子やジャックホールが

 ついている。そして停止させる階数のボタンから、『5』が欠落している。

 その最上部には次に止まる階層を示す電光表示があった。

 やり方は憶えてるな? 一応手順を説明しとくぞ。まずコンパネの一番下に小さなシャッターがあるだろ、その上の差込口に

 カードを入れろ。青いカードだ、草園博士の顔写真が貼ってあるヤツ

 パフが探し出して彼女のポケットに突っ込んであったカードを取り出すと、ミス・シンデレラの言う通りにする。

 キャッシュディスペンサーのようにコントロールパネルはするするとカードを飲み込み、差込口のすぐ隣にあるランプが点滅すると、

 あっという間に戻ってきた。

 その真下にあった正方形の凹みを守っている小さなシャッターが開き、中から飾り気のない灰色のボタンが姿を現す。

 それを押せば五階に止まる筈だ

 親指でボタンを押し込むと、コントロールパネルの最上部の電光表示が『5』になる。

 すぐにエレベーター特有の不快感が表れ、すぐに止まった。

 まだ二階層分も上がっていない筈だ。不測の事態にガガは慌てて通信機に悲鳴のような声を上げる。

 「止まっちゃったよ!?」

 落ち着け、誰かが乗るんだ。知らんぷりしとけ

 扉が開く気配を見せたのであたふたと身なりを整え、ちらりと時計に目をやる。

 残された時間はあと6分弱だ。

  開いた扉をくぐり、陽子の姿にぱっと表情を明るくした人物は、ガガの予想を大幅に裏切る容姿の持ち主だった。

 歳と背格好は本来のガガと同じくらい、伸ばした金髪が肩にかかっている白人の少年だ。

 顔の約半分、眼窩の周囲は機械性のゴーグルのようなものに覆われており、瞳をうかがい知る事はできなかった。

 ポケットに手を突っ込んだややぶかぶかの白衣をなびかせながら、少年はパタパタとエレベーター内に滑り込んできた。

 「やあ、陽子ちゃん! なんか久し振りだよね、元気だった?」

 開口一番そう言って笑顔を作って見せた相手に対し、当然ながらガガは返事に窮した。

 陽子本人と知り合いのようだが何故こんな子供が堂々と社内を歩いているのだろう。

 しかし胸に降りている社員カードを見る限り、オシリス・クロニクル社の社員である事に間違いない。

 カードには『ハンス・パンハイマ』とある。

 その声はパンハイマ博士だな? マズいとこで会っちまったな

 舌打ちを挟んでからミス・シンデレラの苦々しげな声が聞こえてくる。

 ヘンな素振りを見せるなよ。彼と草園博士とは古い親友同士だ。

 何か聞かれても『うん』とか『まーね』とかとにかく曖昧に答えとけ。笑顔を絶やすな

 「うん。まーね」

 子犬のようにこちらを見上げているパンハイマに、ガガは不自然な作り笑いを浮かべて返事をした。

 それがうまくいったのかパンハイマが単に鈍いだけなのか、彼は特に疑問の表情を浮かべる事なくコントロールパネルのボタンを押した。

 ガガがその間に一瞬だけ眼を閉じ、陽子の記憶の底に向けて意識を集中させる。

 湖の底に積もった泥のように蓄積された記憶のバンクから、陽子が彼に感じている様々な感情が浮かび上がってくる。

 本名ハンス・パンハイマ。

 37歳、ネク・ホワリー並びに自分と同じ三博士の一人で親友。ドールズのボディの開発に関わった天才。

 性格はお喋り・女好きで明朗快活、天真爛漫。

 陽子は彼の事を好意的に思っている。

 「どしたのさ? 元気ないね」

 相手の年齢の点に若干疑問があったが、この際気にしない事にした。

 心配そうにこちらを覗き込んでいる彼にガガはもう一度笑顔を作った。今度はさっきよりうまくいった。

 「昨日のお酒が残ってて」

 「まーたジャック・ダニエルを? 君も凝りないなあ」

 大袈裟に両手を開いて見せた彼は冗談ぶっていたが、もちろんガガは気が気でない。

 陽子本人の身体を借りているのだからちょっとくらいで正体がバレたりはしないだろうが、それでも他人に成り済まして人を騙すと

 いうのはかなりのプレッシャーだ。

  異様に長く感じられた数階層分の上昇が終わり、ようやくエレベーターの階層表示が五階で停止した。

 「イシスに用が?」

 「ちょっとね」

 意外そうな顔を見せたパンハイマに振り向き、ガガは精一杯笑って答えた。



  エレベーターから降りるとすぐに四方を黒い壁に覆われた部屋に出た。

 プラスチックのような無機的な輝きを返す材質でできており、正面のゲートの上部ではカメラの眼がこちらを睨んでいる。

 床は一歩進むごとに足元で僅かに沈み込む。陽子の体重を審査しているのだろう。

 ゲートは両開き式で、カミソリの刃を差し込む隙間もない。

 その脇の小さなコントロールパネルに再びカードを差し込み、しばらく待つ。

 ゲートに入ったな?

 心なしかミス・シンデレラの声も緊張気味だ。

 「うん」

 ここからは電波が遮断される。言われた通りにやれよ、自分を信じろ。グッドラック! ブツッ

 カードが戻ってくる間に彼の激励を胸にしまい、ガガは開門の手順を思い出していた。

 カード → 指紋・掌紋 → 網膜 → 声紋の順番だ。

  差込口から戻ってきたカードを取ると、コントロールパネルの下部が開いて鮮やかな青色のパネルが現れる。

 生暖かく弾力がある不快な感触のそこに掌を押し当てて数秒すると、確認が終わった事を示すランプが明滅した。

 次に丁度目の高さにある、長方形の銃眼のような場所を覗き込む。

 覗き込んだ闇の奥で一瞬フラッシュが発せられ、ガガは眼が眩んだ。

 指紋・掌紋の時と同じくまたコントロールパネルのランプが光る。

 最後が声紋だ。壁にいくつか小さな穴が密集しているマイク部分に向かって自分(草園陽子本人)の名前と社員番号を唱え、

 これで一通りの手順は終了した。

 認証を示すランプが満足げに輝き、重い金属が軋む音を立てて扉は開かれた。



  廊下はさっきまでと同じ黒い壁に囲まれており、重く息苦しい場所だった。
                                             ピーピング・ビー
 天井や壁では電灯が灯っているが窓は一つもなく、時々道を徘徊している告げ口蜂がやってきてはこちらを胡散臭げに眺めている。

 ガガはここがとても地上だとは思えなかった。どこか見知らぬ地下室の通路のようだ。

 時折告げ口蜂の羽音がする以外が一切物音はせず、悪い夢のような通路の先では沈黙が支配を続けていた。

 冷たくも暖かくもない不思議な手触りのする壁面には奇妙な文様が刻み込まれている。

 文字とも絵ともつかない狂ったようにのたうつそれは壁と天井一面に広がっており、時折ガガを訳も無く不安にさせた。

  分岐と交差が複雑に絡みあう道程は困難だったが、陽子の中には道順が記憶されている。

 何度目かの分岐点を通り過ぎた時、ガガは腕時計に眼をやった。あと3分強。

 ふと、ガガは地下街で会った人物の事を思い出していた。

 あのクドリャフカのメールアドレスを教えてくれた誰かも、10分以上は他人の身体にいられないと言っていた。

 となると彼女(彼?)も自分と同じサイバーダイヴ能力者なのだろうか。

 だとしたらクドリャフカとの関係は一体?

 答えの出ない迷宮のような疑問に自問自答を続けるうちに、何だか頭がクラクラしてきた。

 足元を眺めていた顔を上げた時、ガガはようやく単調な景色の中に一つの異物を発見した。

 自動ドアだ。開こうと手を伸ばした時、ガガの動きが止まった。

 このドアには見覚えがある。イシスに続いている扉ではなく、ガガが五階に入る際にくぐった入り口だ。

 一瞬、現状の把握ができず思考が停止する。

 それから噴き出してくる冷や汗と困惑を拭い、額に片手を当てて必死に神経を研ぎ澄ました。

 陽子本人の記憶を手繰って廊下を進んだのだから、間違っているとすれば本人も知らなかったという事になる。

 しかしそんな事がありえるのだろうか?

 彼女はイシスの回覧を許された数少ない研究員の一人だ。

 その草園陽子が道程を知らない?

 考えるより早くガガは再び彼女の記憶を頼りに道を進み始めた。

 早足になっていたせいか何度も転びそうになり、彼はその原因であるハイヒールを脱いでポケットに突っ込んだ。

 入り口から進んで右・左・左・左で交差点を真っ直ぐ、左・左・右・左で次の分岐を左へ。

 壁に当てていた左手の指先に、何か文様の凹凸以外の突起が引っかかった。

 ガガが入ってきた入り口のコントロールパネルだった。

 耳腔に突っ込んであった通信機に触れようとして、それは無駄だと気づく。

 もうミス・シンデレラの助けは借りられない。

 「落ち着け」

 心の底から滲み出てくるような不安に耐え切れず思わずそう自分に言い聞かせ、ガガは汗を拭って眼を閉じた。

 記憶を探るんだ。ただ記憶しているだけの道順でなく、もっと深い場所まで。



  ガガの脳裏にはやがて、どこかの会議室の光景が浮かび上がってきた。

 窓が一つもなく、この廊下と同じような重苦しい雰囲気が満ちている。

 そこに集まった十数人のメンバーを相手に、一人の背広姿の男が声高にシステムの説明を続けていた。

 ―― とまあ、ここまではいいですね? …最後に。これはもしかしたら無駄になるかも知れない防衛システムなんですが。

    世の中には非常に稀な能力の持ち主がいましてね…あなた方の言う所の『アクセス』ってヤツです。

    私達の防衛システムならばネズミ一匹通さない自信はありますが、非常に厄介な事に世の中には『他人』になってしまう賊も

    おりまして ――

 ―― 『他人』になる? ――

 質問の声を上げたのは、陽子の隣に腰を降ろしていたパンハイマだった。

 ―― ええ。というよりは他人の精神を乗っ取ってしまい、一時的に他人に成り済ます事ができるのです。

    そんな不届き者を排除する…まあ、保険のようなシステムなのですよ。どうぞお気楽にお聞き下さい。

    自分の影を追い駆けているウチに入り口に戻ってしまう…我々はこれに『陽炎回廊』と名づけました ――



  はっと眼を開くと、ガガは壁に走る文様に向き直った。

 ゆっくりとその溝に指を這わせながら、どうしようもなく絶望的な現実に硬直する。

 ミッドナイトパンプキンでさえ掴めなかったが、『ネメシス』は極秘でサイバーダイヴ能力者に対する防御を張っていたのだ。

 それはこの奇妙な文様だ。

 イシスにアクセスする権利を持つ十数人は全員特殊な催眠術を受けて精神に壁を作っているが、その身体を間借りしているガガの

 ような存在にはこの文様が直接働きかけてくる。

 文様は視覚から無意識のうちに本人の心を蝕み、絶対にイシス本体に辿り付けないよう方向感覚を惑わせ道に迷わせる暗示効果を

 発するのだ。

 ハイテクの塊のようなこのイシスの貞操帯の中にはこんな、ある意味ローテクな罠が仕掛けられていたのである。

  鼻先を通り過ぎていった告げ口蜂が、ガガのうろたえ様を嘲笑っているようだった。

 この恐ろしく複雑な道程を目をつぶったまま行けるとは思えない。

 大体もう時間がない。あと一分半ほどで陽子の精神との融合が始まってしまう。

 緊急時には電話回線を使用して精神だけ外部に逃がせ、と言うミス・シンデレラの言葉を思い出す。

 もう時間は90秒もない。

 ガガの内心の大半は『退くべきだ』という考えが占めていた。

 このままでは自分のみならず、無関係な陽子まで道連れにしてしまう。それは彼としても避けたい事態だ。

 焦燥に身を焦がされ入り口の開閉ボタンを押そうとした時だった。

 奇策が閃光となってガガの脳裏を走る。

  今この草園陽子の体を支配しているのはガガの精神だが、体の自由とある程度の精神を彼女に返し全体の支配率を下げれば

 こちらの言う事だけを聞かせる特殊な操り人形のような状態に持ち込む事ができる。

 陽子に一時だけ部分的に支配権を譲り、彼女の心を盾にして前進すれば何とかなるかも知れない。

 今までにも増して他人の意志を踏みにじる行為だが、こちらの好みを言っている場合ではない。

 これもホノカグヅチが会議の後で後でこっそり教えてくれた方法だった。

 迷っている時間はない。

 眼を閉じて意識を集中すると、眠りに落ちている陽子の心を呼び覚ます。

 指先から始まった凍りつくような麻痺が体を這い回り、やがてガガは肉体の主導権が本来あるべき人物に渡ったのを感じた。

 今の陽子の体は彼女のものであって彼女のものでなく、ガガの精神という見えない鎖で雁字搦めに縛りつけられている。

 陽子は最初、壁に手を当てて呆然と暗い通路を眺めていた。

 完全に覚醒されていない心は霞のように捕えどころがなく不安定で、朧なままにガガという侵入者の存在を許している。

 彼は四肢も五感も失いはしたが、意思のみの存在として彼女の中に残っていた。

 陽子は半ば眠っているような気分のまま、頭の中で誰かが自分に命令するのを聞いた。

 『進め』と。

 それは多分自分の本心ではなかっただろうが、進まなくていけないような気がした。

 ここってどこだっけ? アタシ出社してるとこだったような…あれ、ここって夢? 本当の私は布団の中?

 色々な疑問が渦巻いたが、それとは別に陽子は砂が詰まっているように重い足を一歩踏み出した。

 何時の間にか靴がなくなっている。どこに忘れてきたのだろう。

 頭の中では誰かが『急げ』と繰り返している。急げ、急げ、急げ。

 その何かに急かされて、陽子は抵抗する事もできないままできる限りの速度で前へと進んだ。

 進む目的も理由もわからない。だがひたすら足を交互に動かし、記憶しているままにイシスへと続く迷路を進む。

 妙な気分だった。全身を温いゼリーに包まれているような気だるさを感じる。

 腕の時計を見なければいけないような気がしたので、ふっと腕を持ち上げて手首のベルトを見遣る。

 何だか知らないけれど、あと30秒ほどで到着しなければいけないような気がした。

  永遠に続くかのような廊下を抜けた時、ようやく終着点が姿を現していた。

 通路一杯に姿を現している大扉が陽子の目の前にあり、重苦しく彼女を見下ろしている。

 脇のコントロールパネルに掌を押し当てると、ガクンという重圧を含む金属音を立てて扉は両側に開いた。



  部屋は一種祭壇のようにも見えた。

 まず目に付いたのは、円形の部屋の中央に吹き抜けの天井を突き抜けてはるかに聳えている巨大な円柱。

 あれこそがこのオシリス・クロニクル社すべての情報を管理するメインデータバンク・『イシス』だ。

 その正面で床から迫り出しているブロックがアクセスの為の端末だろう。

 陽子から再び支配権を奪ったガガが部屋に踏み込むと、背後で扉が閉じる重い音と同時に一斉に部屋の壁の模様がこちらを睨んだ。

 ここにも廊下と同じような、しかし僅かに規則性の異なる奇妙な眼のような文様が刻み込まれている。

 それらに囲まれてイシスは人造の神のごとくそこに鎮座していた。不気味なまでに神々しく。

 コントロールパネルまで歩み寄ったガガに、合成された機械音声が声をかけてくる。

 「草園陽子博士本人である事を認証します。質問にお答え下さい」

 老若男女や歳の差というものがまったく欠落している感情のない声に対し、彼は意識を集中させて陽子の記憶を探った。

 見上げたイシスの頂上は視界に捕える事ができず、視線の果てで消えている。

  陽子本人が打ち込んだ質問の種類は様々で、親の名前、乗っている車の種類、いつも吸っている煙草の銘柄から好きな酒、男性のタイプ、

 果ては中学生の頃に好きだった男の名前まで多岐に渡った。

 もちろん答えている途中ガガは気が気でなかった。

 あと12秒しかない。

 ひどい頭痛と悪寒を感じる。陽子の精神がガガという異物に対して抵抗を始めている証拠だ。

 ふとすれば陽子の意思に頭の中を食い破られそうになりながら、ガガは必死で回答を続けた。

 「お気に入りの香水は?」

 「CRISTIAN DIORの『プワゾン』」

 「貴方の最も印象に残っている誕生日は?」

 「20××年の7月29日、ネクとハンスが二人で祝ってくれた」

 「高校二年の夏休み、従兄弟に言い寄られた時に言ったセリフは?」

 「死ぬまでてめえの右手とファックしてろ!」

 あと六秒。

 「貴方を草園陽子博士と認めます。アクセス承認…」

 慌ててうなじから接続端子を引っこ抜こうとした際、一緒に何本か髪を指の中に巻き込んでしまうが、構わず手を伸ばす。

 柔らかい陽子の髪が数本抜け、はらはらと肩に落ちた。

 あと四秒…

 右手が痙攣を起こして接続端子が刺さらないのは、平常心を失っていたせいだけではない。

 もうタイムオーバー寸前でガガの支配権は奪われつつある。

 端子の先端はもどかしげにジャックホールを滑り、材質不明のブロックの上に細かな傷をつけた。

 「落ち着け、くそ!」

 吐き捨てるように自分に言い聞かせ、まだ比較的思い通りになる左手で右手首を掴む。

 頭蓋骨の奥で金属を打ち鳴らしているような、激しい耳鳴りがする。

 三…

 焼けた鉄に触れた皮膚みたいに凄まじい拒絶がガガの精神を揺るがした。

 心が引き千切られそうだ。

 正眼で左手に捕えた右手を真っ直ぐに構え、安定させる。

 右手に掴んで下から生えているのは接続端子だ。その真下にジャックホールがある。

 二…

 自分を信じろ。

 ミス・シンデレラの言葉が粉々に砕けそうなガガの心に響く。

 一…

 ありったけの集中力を振り絞り、ガガは左手を添えた右手を振り下ろした。






 「落ち着けよ、社長」

 檻の中に閉じ込められた欲求不満の虎みたいに同じ場所をぐるぐると歩き回っていたミス・シンデレラは、その声にふと顔を上げた。

 パソコンに向かい合っていたメンバーの一人が、しばし手を休めて彼に苦笑を送っている。

  ホノカグヅチが用意してくれたコントロールルームは非常に上等なもので、用意されていた電子機器の質の良さにも一同は感嘆を

 漏らしたものだった。

 白い壁に囲まれたそこは綺麗に片付けられており、ちょっとした会議室くらいの広さがある。

 ただし場所はホノカグヅチらゴッドジャンキーズが根城にしている地下駐車場の中の一つで、カビ臭い空気は一同の不満だった。

 この部屋は天井に豊富に明かりがあるが、一歩廊下に出ればそこには申し訳程度の照明と無限の闇が満ちている。

 ミッドナイトパンプキンの一同がこの場に集まっている理由はただ一つ、ガガのバックアップだ。

 オシリス・クロニクル社の付近に飛ばせているサイボーグバードで覗き見をしつつ、警備が手薄な一部の防衛機構にハッキングを

 かけて社内の様子を見張っているのである。

 万一ガガが下手を打った場合は、ここから様々な手段を用いて彼の真の存在と目的を隠さねばならない。

 この手の仕事はメンバーの一人、ロッコの得意とする所だ。

 彼が今できれば使う事がないように祈りつつ用意を進めているのは、地下組織ザ・ショップが経営する違法ソフト屋で買った

 『蜃気楼の恋人』というもので、これは監視カメラに偽造の人物を映し出して相手側を混乱に陥れる事ができる。

  ミス・シンデレラは自分の手の届く範囲でベストを尽くすべきだという座右の銘を肝に銘じてはいたものの、やはり不安の念を

 隠し切れなかったのだ。

 溢れ出るように湧いてくる失敗のイメージを何度も打ち消し、繰り返しその場で行ったり来たりを続けていた。

 「落ち着いてられるか」

 不安を込めて相手に言い返すと、ようやく自分の机に腰を降ろす。

 パソコンの画面では一部ハッキングに成功した、社内の監視カメラの映像が映し出されていた。

 あまり重要度が高くない場所はカウンタープログラムや防壁が手薄で侵入もある程度容易だが、それでもあのオシリス・クロニクル社に

 ハッキングをかける事は簡単な道程ではなかった。

 煮え湯を飲まされた去年の経験と優秀な面子により、彼らはそれでもここまで入る事ができたのだ。

  頬杖をついて画面の中に見入るミス・シンデレラの視界の中では、社員達があくせくと動き回っていた。



  密着した頬に染み込んでくる無機物の冷気で眼が覚めた。

 ひどく頭痛のする頭を抱えたガガがどうにか瞼を開くと、視界に一気に大量の色彩がなだれ込んでくる。

 思わず眼を閉じ、心の準備をしてもう一度開くと、疲労に悲鳴を上げる身体に鞭打って何とか立ち上がった。

 すぐに視線にまとわりついてくる眩暈がするような色の洪水に、ガガは頭痛が増すような思いだった。

  そこは街だった。

 レンガが敷き詰められた道が続き、両側にはきらびやかなショーウィンドウが軒を連ねている。

 規則正しく整然と並んだ街路樹は青々と葉を付け、街を美しく彩っていた。

 まるでおとぎ話か絵本に出てくるような小奇麗な街並みだ。

 ただしそのすべてが原色の色彩を持つプラスチックで構成されていた。

 街を含め道行く着飾った人々も、物言わぬプラスチックの人形としてマネキンのようにその場に佇んでいる。

 美しいがすべてに置いて人造物の臭いがきつく、逆に気味が悪い。造花のような不自然な街だった。

  全身に表現し難い、特有の現実感のなさが漂っている。間違いなくここはイシスの中だ。

 どうにかガガは命をつなぎ止める事ができたらしい。

 安堵の溜息をついて呼吸を整えると、ガガはプラスチックの街の中を歩き出した。




















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