プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -






シスター・マリア

13.アザー


  時間が停止していた。

 力いっぱい目を閉じたガガはただ自分の体が両断される瞬間を待つ事以外何もできず、自由を奪われたまま蹲っていた。

 上半身が永久に下半身と繋がらなくなる時を想像する。

 この世界で情報としての死を迎えれば、それはすなわち精神的な死だ。

 残された肉体だけあっても心を再現する事はできない。

  自殺自体はあまり考えた事がない。

 死ねば楽になるとは思うが、結局そんな勇気はないままガガはずるずると生きてきた。

 いつも何かに心を圧迫されるこの窮屈な毎日は、死のみが解放になるのだろうか。

 だけど今、ガガは初めて『死にたくない』と思った。

 恐らく自分以外にクドリャフカを救おうとしている人間はいない。では誰が彼女を助けると言うのだ。

 シスター・ヴェノムの言う通り、ガガはクドリャフカに対して嫉妬していたのかも知れない。

 彼女のひたむきな生き方と性格に惚れながらも、自分にはできないその生き方に。

  しかし今、ガガの中では別の願いが首をもたげていた。

 ガガの悩みはずっと『クドリャフカを助けて彼女に逢う事ができても、自分は嫌われるかも知れない』という不安だった。

 だけどガガはどうしたってクドリャフカに生きていてもらいたいのだ。

 どんな形であれ彼女がこの世にいてくれたから、自分は何度も助けられてきたように思う。

 クドリャフカは自分を嫌いになるかも知れない。だけどそれが何だと言うのだ。

 彼女が生きていて、笑ってくれたらそれでいい。

 「嫌われたっていい」

 せめて声が出る内にと、ガガはありったけの精神力を尽くして口にした。

 「嫌われたっていいから、クドリャフカを助けたい!」

  金属同士が噛み合う凄まじい音響がガガに答えた。

 自分を切断したにしては派手に甲高い音に驚き、ぎゅっと結んだ瞼を恐る恐る開く。

 繋がっている事を確認しようと無意識に腰に手を伸ばしたガガの目の前には、黒い革靴がいっぱいに映っていた。

 徐々に視線を上げて行くと、やがて一人の青年の姿が浮かび上がる。

 「その言葉を待っていた」

 にっこりと微笑んだ彼の顔を見た時、ガガはぎょっとして身を引いた。

 黒いスーツに身を包んだ長身の男で掲げた片腕で軽々とクドリャフカの大剣を防いでおり、しかしそれ以上にガガを震撼させたのは

 その顔だ。

 シスター・ヴェノムを男にしたら丁度こんなふうであろう、双子のように瓜二つの顔立ちをしている。

 唯一異なる点である涼しげな目元を背後に回すと、彼はシスター・ヴェノムを見据えてニッと挑発的に笑って見せた。

 「久し振りだな、ヴェノム」

 歯にヒビが入るのではないかというほどの力を込めて歯軋りすると、シスター・ヴェノムは相手と視線を噛み合わせながら狂ったように

 呟いた。

 「アザー…アザー! アザー! アザーぁぁああ!!」

 血走った眼から発せられる燃えるようなその視線を涼しげに受け流し、アザーと呼ばれた男は片手を柵に置いた。

 ガガを枷と手錠で繋ぎ止めていたそれは溶けるようにして崩れ、地面に吸い込まれてゆく。

 「君の欠点を指摘しよう。一つの物事に熱中し過ぎると周りが全然見えなくなる事だ」

 鎖を引き摺りながら立ち上がったガガを片手で背後に押しやると、青年は嘲るようにシスター・ヴェノムに言葉を投げかける。

 深い茶色の髪を掻き揚げる動作といい、一挙一動のすべてが相手の平常心を失わせるべく芝居がかっているようだった。

 「僕が君の結界を破ってる事にも気づかなかったろ? 甘いんだよ、詰めがね」

 噴火せんばかりに怒り狂ったシスター・ヴェノムは、取り殺しそうな勢いで相手を睨みつけていた。

 怒りにしなやかな四肢は震え、柳眉は見る影もなく歪んでいる。

 「貴様…このガキ…ブッ殺してやる、ブッ殺してやる!」

 「やってみろ!」

 火がついたように絶叫した相手のあまりの気迫にガガはたじろいだ。

 アザーも片腕に剣を残したまま身構えはしたものの、シスター・ヴェノムは霞のようにあっという間に掻き消えていった。

 それに従いこの狂った裁判所のすべてが現れた時と同じく目まぐるしく収容されていき、呆然と眺めていたガガの目の前はすぐに

 草原の中へと姿を戻す。

 今までの事が悪い夢の中の出来事だったかのように、さわさわと心地良い風がガガの頬を撫でた。



 「止まった…?」

 床へ吸い込まれて消えてゆくスライムを呆然と眺めながら、ミス・シンデレラは拍子抜けしてその場にへたり込んだ。

 二つのスライムの包囲は限界まで狭まり、もはやこれまでという時に突然相手が動きを止めたのだ。

 背中合わせに立っていたホノカグヅチが、額に沸いて出ていた汗を袖で拭う。
               オーバーフロウ
 「ソフトが破壊されるか機能停止を起こすかしたんだ。…ガガ君ッスかね?」

 ミス・シンデレラは力なく頷くと、コンクリートの上に寝転がった。

 「連絡を入れてみよう。…寿命が縮まったよ、まったく」



 「平気かい?」

 緩めたネクタイを調節しながら、不意に青年が振り返った。

 手首と頸部にできた痣や傷を撫でていたガガが顔を上げる。枷は裁判所と同時に消滅していた。

 「遅れちゃったね。ごめん」

 「?」

 呆気に取られたような顔をしているガガにしばらく眉根を寄せると、アザーは『ああ』と漏らして一人納得する。

 「顔がわかんないかな。ホラ、地下街で会ったろ? クドリャフカのメールアドレスを渡した…」

 ガガの脳裏にあのOLの姿が浮かび上がる。

 まださっきのショックが抜け切れていなかったが、ガガは思わず聞き返した。

 「あの人…?」

 「あの体は借りモンだよ。僕の本体ははネット空間に存在する」

 改めてアザーと名乗った彼はほんのさっきまでシスター・ヴェノムが腰を降ろしていたテーブルと椅子を見つけると、そこに腰掛けるよう

 ガガに勧めて話を始めた。

 テーブルの上には紅茶が置きっぱなしになっていたが、ガガは口を付ける気にはなれなかった。






  ようやく戻る事ができた自分の体は、妙に重く感じられた。精神的疲労が影響しているのかも知れない。

 場所はミス・シンデレラの所有するビルで、ミッドナイトパンプキンのメンバーも全員無事なようだった。

 疲れからかこの日は皆帰宅し、久し振りにビルはミス・シンデレラ兄妹とガガのみとなっている。

 何でもゴッドジャンキーズのアジトではこれから大切な儀式があるとかで、これ以上あの場所は使用できないらしい。

 ホノカグヅチとイコンは事後処理とその儀式に追われ、後日連絡を入れる事をミス・シンデレラに約束させて休む間もなく仕事に

 戻った。

  ミス・シンデレラは呼び出しに応じて戻ってきたガガの無事を一頻り喜んだ後、現実世界で起こったスライムとの格闘を彼に話した。

 それを聞きながらクルミが出してくれたハーブティーに口をつけると、ガガはようやく自分が生還した事を実感できた。

 「とまあ大体こっちでの出来事はそんなモンだ」

 二人はミス・シンデレラの私室でちゃぶ台を挟んで情報を交換しているのだが、彼の部屋の調度類などの趣味は少々変わっており、

 1960年代の日本の家庭を彷彿とさせる。

 畳敷きにちゃぶ台が置かれ、テレビも白黒テレビふうにアレンジされており、桐ダンスの上にはだるまや置物の将棋の駒などが

 ひしめいていた。

 すでに日はとっぷり暮れており、それらは夕日を浴びて郷愁豊かに染め上げられていた。

 これでミス・シンデレラがステテコにパッチシャツのハゲオヤジならぴったりなのにとガガは勝手に失礼な事を想像し、思わず

 吹き出しそうになる。

 「どうした?」

 「い…いや、何でも」

 必死に笑いを堪えているガガに対してちょっと疑問を抱きながらも、ミス・シンデレラは相手を促した。

 「そっちじゃ一体どうなってたんだ?」

 ガガはシスター・ヴェノムによって処刑されそうになった事を話した後に、アザーの事を噛み締めるようにゆっくり語り始めた。



 「僕は人間じゃない」

 まず、アザーはそう言った。

 「人工的に作られた模擬人格だ。

 人間の精神のすべてを情報化した際に現れる数値のいくつかをコピーして作られた、ね。

 まあつまりわかり易く言えば、人間っていう存在の重要な部分だけコピーして足りない部分を適当に打ち込んで作った『人間もどき』…

 ってとこかな。

 記憶した情報を組み合わせれば返事だってできるし、経験した事の応用から喜ぶ真似も悲しむ真似もできる」

 自嘲的な事を淡々と語る彼の姿からは、あまり悲愴感は感じられない。

 「話し掛けてもらえばその会話の内容を記録し、自分でパターンをいくつも作って会話を成立させる…

 その為に生まれてきた人形みたいなモンだよ。

 そして僕のママはクドリャフカだ」

 「!」

 身を乗り出すガガを制すると、アザーは紅茶のカップを手に取った。

 「彼女は話し相手が欲しくてネット空間に擬似的な恋人を作ったのさ。

 自分の心の一部をコピーして僕という人形を作り、孤独を癒そうとした…でも無駄だったんだ。

 僕の心はクドリャフカが作った。だからクドリャフカは僕と一緒にいても、一人でいるのと同じだった」

 「クドリャフカは今、どこに?」

 待ち切れずに放ったガガの質問を受け、カップを口に運ぼうとしたアザーの手が止まる。

 「それは僕にもわからない。彼女は僕を残してある日突然、消えたからね…」

 無言のまま身を引いたガガを見遣り、アザーは視線を宙に移して考え込むような仕草を見せた。

 しばらくそれが続いた後、ようやく答えを導き出してそれを口にする。

 「シスター・ヴェノムの目的が段々僕にもわかってきた」

 「ヴェノムの…?」

 「あいつの強烈な欲望は『もっといい自分になる』って事だ。

 クドリャフカの人格の一部から生まれたヴェノムはどっちかというと人間ではなく僕のような存在に近い。

 だからこそヴェノムは狂ったように求めてるんだ、不完全な自分を改良する手段を。

 よりオリジナル、つまりクドリャフカに近づく方法を。そしていつかは超えるだろう。

 クドリャフカから分離したヴェノムはネット空間の情報を手当たり次第に吸収しながらどんどん強大な情報体になってゆく…

 そのうちネット空間から世界を征服しちゃってもおかしくないんだよ。

 その気になれば核ミサイルだって背中を掻くより簡単に操作できるようになるんだから」

 もちろんそうなるまでには相当の時間がかかるだろうが、肉体を持たないシスター・ヴェノムには人間のように寿命というものがない。

 時間による制約を受けない以上、彼女は何百時間、何百年という果てしない時間をかけて無限に進化を続ける事ができる。

 あの性格の持ち主が何時の日か、ほんの気まぐれで人類の命運にちょっかいを出してみたくなったら?

 考えるだけでぞっとする。

 「だけどヴェノムにはアキレス腱がある。どうしようもない弱点がね…それは肉体が存在しないって事。

 クドリャフカがそうだったように、ヴェノムもどうも直接現実世界に干渉したいと思ってる節がある。

 肉体を手に入れるって事はヤツの『もっといい自分になる』の一つにも当てはまるだろうしね。
                               フォーマット
 だけど君も知っての通り、人間の体と精神には『 配 列 』がある。他人の体には長くはいられないんだ。

 となればあいつは必ず自分…クドリャフカの体を狙ってくる」

 「だって…クドリャフカのボディは無事なの?」

 ガガの言葉にアザーがちっちっちっ、と唇を鳴らしてキザったらしく指を振って見せる。

 「オシリス・クロニクル社の地下施設…『スプートニク』に眠っている。それも無傷でね」

 「本当に?!」

 「ただし」

 アザーのびっと立てた指先が、表情を明るくしたガガの鼻先を指した。

 「あそこはまだ回線が生きててアクセス可能なんだ。
                         コンフリクト
 だけど事故でムチャクチャに絡み合って内部衝突が起きてて、それが防壁代わりになってたからヴェノムも今まで手が出せなかった」
  コンフリクト
 「内部衝突って…?」

 「つまりカオスなんだよ。電話回線とかって大抵秩序立てて繋いであって、何でかって言えばそうしないとお互いに干渉し合って力場が

 発生しちゃうからだ。

 えーと、まあ…つまり。電話回線が迷路みたく複雑に絡み合ってて道程を困難にしてる。そう考えてよ」

 「うん…?」

 「オシリス・クロニクル社がスプートニクに重要な情報が大量に残ってるにも関わらずアクセスできないのは、地下でこの内部衝突が

 起きているからなんだ。

 だけど普通にやってちゃ絶対に通れないこの道を今、シスター・ヴェノムは攻略しつつある。

 もしも君が先にクドリャフカのボディを手に入れたいなら、現実世界で物理的にスプートニクへ赴く必要がある」

 音を立てないようにゆっくりとカップをソーサーに置いて、彼は深く溜息をついた。

 「ヴェノムとの戦いは避けられないよ。あいつを倒さないとクドリャフカとは絶対に逢えない」

 「何で?」

 率直に聞き返したガガからアザーは視線を反らした。

 人付き合いが豊富で人間観察に長けた者ならば用意に看破できたであろう、彼が何か言おうとした言葉を飲み込んだのを。

 「言えない」

 ガガは相手の表情に微かに憐れみを見たような気がした。

 「地下街で逢った時、僕、君に言ったよね。『クドリャフカに近づくな』って。

 アレは実を言うと君を試したんだ…忠告を無視してそれでも助けに行ってくれた時は、本当に嬉しかった。

 …残念だけど僕にクドリャフカを救う事はできない。

 ヴェノムと違って僕には激しい欲望や感情がないから…ここでこうして君に助言しているのも、『人間だったらそうするから』っていう

 プログラムに従っているだけだ。別に君を助けたい訳でも、クドリャフカを助けたい訳でもないのかも知れない…

 だけど君にはあるんだろ? 『クドリャフカを助けたい』という、無二の思いが」

 アザーは涼しげに笑った。ガガにはその笑みがどこか哀しそうに思えた。

 ガガにはその瞳は優しい光を持っているように思えたが、その奥に心は存在していないのだ。

 人の心を真似て作られた哀しき玩具の底に宿るのは、果てしない無だけ…



  結論として、今回得た情報は以下の通りとなる。

 クドリャフカはサイバーダイヴ能力を用いてネット空間に脱出した後、孤独に耐え切れずにアザーを作った。

 しかし彼は彼女を癒すには及ばず、結果としてクドリャフカは孤独を憂いた心からシスター・ヴェノムを作り出してしまう。

 クドリャフカ本体がどこに逃れたかは不明のままだが、アザーの話によればシスター・ヴェノムによってどこかに監禁されている

 可能性が高いという事だった。

 クドリャフカのボディはオシリス・クロニクル社の地下に眠っており、シスター・ヴェノムはそれを狙っている。

  これらの事から、どう考えてもクドリャフカのボディを先に手に入れなければならないらしい。

 シスター・ヴェノムの力は強大で、実体であるクドリャフカのボディを手に入れてしまえば途方もない破壊力を発揮するだろう。

 彼女はナイトメアウォーカー発動キーという、精神力を物理的な破壊力に転換できる能力の持ち主なのだ。

 そうなったらもうすべてが手遅れだ。あの女を止める手段は存在しなくなる。

 さりとて現実問題としてクドリャフカのボディを得るにはどうすれば良いのか?

 再び誰かの体をジャックしてオシリス・クロニクル社に忍び込むにしても、地下施設までたどり着けるとは到底思えない。

 そもそも地下は半壊状態で半ば埋もれており、入る手段すらないばかりか恐ろしく広大なそのスペースを探し回っている時間で

 10分などあっという間に過ぎてしまうだろう。

  その日、ガガは自室で目を閉じてダイバーフォンを起動させていた。

 自室とはミッドナイトパンプキンのビルの一室であり、元は誰も使っていなかったらしく倉庫として使われていた。

 半日かけて掃除をした後、何とか人が住めるようになったこの四畳半の狭い部屋がガガの部屋だった。

 メンバーの不要品を譲り受けてテーブルや座椅子など、色もムードもちぐはぐな家具で一応生活空間としての体裁を整えてある。

 お世辞にも住みたくなるような場所ではなかったが、ガガはこの部屋が気に入っていた。

  目を閉じて心の中で起動ボタンを入れると、瞼の裏に様々な図式や文字が浮かび上がってくる。

 ガガはそれは力いっぱい眼を閉じた時に見える、サイケデリックな模様が浮かび上がってくる様に似ていると思う。

 メニューの中からメールボックスを選んで開くと、そこには一通のメールが保存されていた。

 クドリャフカからの返信だった。先日出会ったアザーと別れる際に彼から受け取ったものだ。

 今日まで放っておいた理由は開く勇気がどうしても絞り出せなかったからである。

 返事が貰えたのは本心から嬉しかったが、しかし同時に内容が否定的なものだったらどうしようという不安が湧き上がってくる。

 深呼吸を三度ほどしてから開いたメールの内容は、以下のようなものだった。

 『始めまして。メールを有り難う。

 アザーのメールで知ったわ。貴方がどんな人なのか…

 お願い、これ以上は絶対に私に近づかないで。

 ヴェノムは決して貴方を許さない。

 貴方のメールには色々勇気付けられた…本当に有り難う』


 これだけだった。

 ガガの期待していた励ましも、好意の言葉もなかった。

 やはり迷惑だったのだろうか?

 相手は自分の事を気持ち悪いと思ったのかも知れない。ネットストーカーのような気違いじみた愛情を抱く、異常な存在として

 写ったのだろうか。

 嫌われたのかな。暗い雲のように鬱の感情がガガに圧し掛かってくる。

 シスター・ヴェノムの言葉がその鬱の闇の奥から、まるで彼の本心を見透かしたかのように響いてきた。

 『クドリャフカが君を好きになると思う? じーっくり考えてみなよ、ガガ君。君は彼女に愛されるに値する人間かしら?』

 『君はクドリャフカを愛しながら、その裏側で殺したいほど嫉妬してる』

 その言葉はガガを揺さ振り、その心の一番深い所をじわじわと覆ってゆく。

 クドリャフカを助けたいというガガの願いは確かであり、絶対のものだ。だからこそそれを否定した時、ガガの心は崩壊するだろう。

 盲信だとしても信じる以外にガガが取るべき手段はないのだ。

 クドリャフカがダイバーラジオで言ってた言葉を思い出す。

 『人はそう簡単に自分を信じる事なんかできない。

 だからせめて、自分の中で一番好きな自分だけは信じてあげて』

  不意のノックの音にガガが顔を上げると、彼の返事を待たずに扉が開いた。ミス・シンデレラがドアの隙間から顔を出す。

 「メシだぞ。天気がいいから屋上で食おう」

 「うん」

 返事をして立ち上がると、ガガはダイバーフォンのスイッチを切った。



  陽光がさんさんと降り注ぐ、久し振りに暖かい日だった。

 屋上から見える街は若干排気ガスの傘を被ってはいたが、それでも果てしない蒼は彼方まで続いている。

  基本的にミッドナイトパンプキンでは自分の食事は自分で作るのが掟だが、この日はミス・シンデレラが作ってくれたらしい。

 クルミは学校だし今日は他のメンバーも留守のようだった。

 二人で盆に乗せたサンドイッチを屋上へ運ぶと、白いプラスチック製のテーブルに置く。

 ガガと向かい合って腰を降ろすと、食事に手を付けながらミス・シンデレラは唐突に話し始めた。

 「オシリス・クロニクル社のレベル3ブロック…『スプートニク』まで行く手段が見つかった」

 口に突っ込んだサンドイッチを噛み千切ろうとしていたガガの動きが止まる。

 それは昨日の夕食の残り物を適当にパンに挟んだだけのものだったが、そのカオスな味わいはミス・シンデレラの好むところだった。

 相手が口の中のものを飲み下すのをじっと待っているガガの前で、ミス・シンデレラは紅茶を口に含んで喉を鳴らす。

 「最後の一通の『ペリカン文書』が戻ってきたんだ。そこに添付されてた情報によりゃァ、先日の事は全部バレてたらしい。

 草園博士の体を乗っ取ってイシスにアクセスしたアレだ」

 ガガはミス・シンデレラを見た。

 彼はその端正な顔に乗っかっている細い鼻筋を擦ると、いつもの声の調子で続ける。

 「どこの誰だか知らんが意図的にペリカン文書に載せたんだ。『お前らがやった事を知ってるぞ』ってな具合にな…」

 「じゃあ」

 「落ち着け。バレたっつってもオシリス・クロニクル社自体にバレたワケじゃあないのさ」

  その何者かは恐らくはオシリス・クロニクル社の社員であろうが、個人的に先日の犯人を掴んだらしい。

 『彼』は取引を持ちかけてきたのだとミス・シンデレラは言う。

 近々社はスプートニクに人員を送って大規模な発掘を行うらしく、現地での情報回収活動にサイバーダイヴ能力者が必要との事だ。

 協力を断れば今後ミス・シンデレラとミッドナイトパンプキンの一同、加えてガガは一生逃亡者になるのは明白である。

 以上から分析するに、『彼』の立場は前回のイシス侵入についての情報を収集・分析できるだけの地位を持つ有能な社員或いは

 オシリス・クロニクル社に近い者であり、しかしながら社に忠誠は誓っておらず、今回の発掘を成功させる事により最も利益を得る者。

 「まあここまでわかりゃ、しらみ潰しに探しても割り出せるだろうが…」

 ポータジュを一口すすってミス・シンデレラは眉を顰めた。

 「向こうもそれを承知でこっちに連絡したんだろうな。下手に探りを入れたら消されかねない…。ガガ」

 顔を上げた彼は真っ直ぐにガガの視線を捕え、一度大きく溜息をつく。

 「君が決めるんだ。イヤなら逃走に関しては可能な限りバックアップはする。

 スプートニクが今まで放っておかれた理由は、ただ埋まっちまったって事だけじゃあないんだ…

 あそこは警備ロボットが暴走してて、まだ生き残っている被験体らもいるらしい。

 行くんだとしたら社も戦争をしかけるつもりの装備で向かう筈だ。当然だが危険度は計り知れん」

 返事に窮したガガが言葉を捜している間、ミス・シンデレラは靴を脱いで椅子の上であぐらをかいた。

 しばらくその状態のまま、場の時間が停止する。

 風は暖かく、僅かに甘いミルクのような匂いを含んでいた。メンバーの誰かが屋上で栽培している薔薇の香りだ。

 冬でも枯れないよう遺伝子改良された、プラチナスノウという非常に頑健な種類である。

 「行ってもいいよ」

 突然の返事だった。

 ミス・シンデレラはその答えに数回眼を瞬かせた後に、苦渋に満ちた表情を見せる。

 「責任なら感じるこたァないよ。イシスに侵入するのは、俺ら全員その覚悟でやったんだ」

 「ううん。責任とかじゃなくて…」

 とは言ったものの、実際にはガガは自分のせいで相手が脅迫された事に責任を感じずにはいられなかった。

 しかし押し潰されそうなその重圧を撥ね退けて、ガガはつっかえつっかえ理由を口にする。

 「やっぱり、僕は行くしかないよ。ヴェノムだってサイバースペースからスプートニクに侵入しようとしているんだから。

 ほっといたら先にあいつにクドリャフカを取られる」

 「そうか」

 もう一度溜息をつくと、ミス・シンデレラとガガはどちらともなく食事を再開した。

 「急で悪いが明後日になったらオシリス・クロニクル社に行ってもらう。

 …死ぬかも知れないんだぞ?」

 「うん」

 サンドイッチにかじりつきながら、ガガは頷いた。

 ここまで来たら後戻りする訳にはいかないのだ。

 クドリャフカは確かに助けを求めており、そしてそれに応えられるのは今自分しかいない。

 そう自分を勇気付けたが、ガガの中ではシスター・ヴェノムの言葉が渦巻いていた。



  二日間が早急に過ぎ、二人は夕食を摂った後にオシリス・クロニクル社へ向かった。

 ミス・シンデレラは車の中で押し黙ったままだった。

 彼は部外者だが、今回は特別にコントロールルームに入る事を許されている。

 彼にも色々な不安や心配があるのだろう。ガガはそう察していた。

  夜の街を車で疾走するのは、何故か気分を不安にさせる。

 それはこの闇に塗り潰された街に飲み込まれ、そのまま帰って来れないような奇妙な不安だった。

 ガガが流れ行く街のネオンや揺らめく反対車線の車のライトなどを呆然と眺めていると、何の前触れもなしにミス・シンデレラが

 口を開く。

 「俺の妹の事だけどな」

 「?」

 唐突な内容に、ガガは街の様子から相手に振り向いた。

 長い前髪に半ば閉ざされた視界の中で、ミス・シンデレラは運転席で闇の中に埋もれている。

 窓から漏れる僅かな街の明かりとナビコンのモニタが放つバックライトだけが、ミス・シンデレラの端正な横顔に深い陰影を刻んで

 浮かび上がらせていた。

 「クルミだよ。見ての通り血は繋がってない。…気づいてただろうけど」

 あくまで正面を向いたまま、ミス・シンデレラは声に抑揚を付けずに続ける。

 そう言えばクルミの事はガガにとって疑問の一つだったが、ミス・シンデレラはその事を話そうとした事はなかった。

 彼女は褐色の肌に彫りの深い顔立ちをしており、明らかに日本人ではない。

 「アメリカに奴隷商人どもの一大マーケットがある事を知ってるか? 冗談みたいな話だが今でもあるんだ。

 戦争が続いて貧困に喘ぐ中東あたりから子供を買って来るんだ…日本円で一万くらいでな。そいつをオークションにかけて捌く。

 クルミは奴隷の子だ。買ったのは俺の親父だ」

 何の話か理解でいないでいたガガの目が見開かれる。
  パオ・ナナ
  包娼やドールズが一般にも普及している昨今だが、それでも人造人間というものに嫌悪感を感じる潔癖症な人間を相手にして

 奴隷商人と言う存在は今でもある。

 ミス・シンデレラの言葉の通り親から買う場合も多いが実際には別の大きな組織が動いているらしい。

 戦争と混乱が続く中東付近には戦災孤児やストリートチルドレンを引き取り養子に出す非政府組織があるが、それが国際的な

 奴隷商人組織の隠れ蓑で、年間数百人ほど出る孤児をごっそりとマーケットに出品しているのだという。

 ガガもテレビで見た事くらいはあるが、もちろん現実的に関わった人間を見るのは初めてだった。

 「俺の母親は院長でな。自慢じゃないがカネだけはいくらでもあった…親父はクズみたいな人間だったけど。

 ある日、ふとした偶然から親父の隠れ家を見つけちまってな、そこの地下室でクルミを見つけた。中2の夏だった。

 クルミは15歳だったっけ…全身に焼きゴテと鞭の跡があった。玩具奴隷ってヤツだ、親父に遊びで拷問されて犯されてたんだ」

 語尾を吐き捨てるとミス・シンデレラはハンドルを切った。

 彼方にそびえていたオシリス・クロニクル社がもうすぐそこまで迫り、ガガ達を見下ろしている。

 ミス・シンデレラの深い溜息が車内に漏れた。

 「俺はクルミの事が気になってそれから親父の動向を探ってたんだがな、ある日クルミを始末するってな話を偶然聞いた。

 どうしても助けたくて…俺は親父を撃った」

 ふと彼はハンドルから右手を離すと、ガガによく見えるよう闇の中にかざして見せる。

 それに数本継ぎ目が走ったと思うとバシャッという機械音と同時に腕が開いた。

 横に退いた人工筋肉の間からサイボーグ手術で仕込まれたランチャーの砲塔がその無機質な様相を見せている。

 これには特殊なプログラミングを施したバリアブルメタルを使用しており、持ち主の体格や年齢の変化に合わせて無理が

 発生しないよう自身を微妙に変化させる能力を持つ。

 「液体窒素弾だ。あのクソ親父を苦しませてやらにゃ気がすまなかった…

 左腕と顔の半分を失ったが親父は今でもどっかで生きてる筈だ。見つけ出してトドメを刺すのが俺の人生の目標なんだ」

 ガガには頷く他なかった。

 クルミがミス・シンデレラとは血の繋がらない兄妹であるという事。

 そして今目の前にいる友人の人生の目的が人殺しだと言う事。

 ガガの想像や理解の範疇を超えている。彼は家庭環境には特に問題はなかったし、そんな経験がある訳もない。

 理解しろという方が無理な相談だった。

  ふと、ガガはミス・シンデレラの話の中の矛盾に気づいた。

 クルミは今現在の年齢が15かそこらだろう。しかしミス・シンデレラが中学二年生の時にも15歳だったとは?

 眉根を寄せたガガの疑問の雰囲気に気づいたのだろう、ミス・シンデレラは腕を通常の形態に戻してハンドルを握り、また大きく

 溜息をついた。

 「間に合わなかったんだ。本当のクルミは親父に殺されてもう死んでる…今のクルミは俺のドールズだ」
















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