プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -






シスター・マリア

17.NO ESCAPE


  梯子は途中で途切れており、代わりに移動手段は僅かな足場と上へと続く階段に切り替わっている。

 一時の休息を入れると、ガガは棒のようになった手足に鞭打って更に上を目指した。

 ガガがこの縦穴を登り始めて30分も経過しただろうか?

 所々で赤い非常灯が灯っているものの直径20mはありそうなこの穴を照らすには不充分で、周囲を赤黒く照らすその明かりは

 返ってガガの不安を加速させた。

 四方の壁には一面に様々なチューブや得体の知れない制御盤などが張り巡らされており、妙に有機的に思える。

 明滅する非常灯の元にそれらは脈動しているように見え、生物の腹の中のようだ。

 パイプと鉄板を組み合わせただけの簡素な非常階段を踏む、カンカンというガガの足音が穴の中で反響していた。

 時折底から吹き上げてくる風がその音を飲み込み、食らい尽くしては去って行く。

 螺旋を描く階段を延々と上がるのは思った以上の重労働で、ガガは息を切らしながら足を進めた。

  頭上を見上げても何も見えなかった。

 ただ闇だけが天を支配しており、そしてそれは遥か眼下も同じ事だった。

 階層表示さえもなく、ガガの時間の感覚は次第に麻痺してゆく。

 最初のうちは通過した踊り場の数を数えていたのだが、それは50を超えた辺りで曖昧になっていた。

 途中いくつか別のフロアに通じる通路が階段の途中に口を開けており、彼はその脇を通り過ぎる度に神経を擦り減らすような

 ストレスに襲われた。

 通路の奥に潜む暗黒の中から何かが飛び出してくるかも知れないという、半ば妄想じみた観念。

 ガガは幽霊を信じる方だったが、今はそれよりも恐ろしい存在がこちらを監視しているかも知れないのだ。

 あの巨大な虫はシスター・ヴェノムが作り出したものに間違いない。

 無防備な己に追撃を行わなかった理由はガガにはわからなかったが、あの女が自分を見逃したとも到底思えない。



  もうどのくらい階段のタラップを踏んでいるだろうか。

 暗く足元がおぼつかないせいか何度もつまづきながらも、ガガは歩みを緩める事はなかった。

 一刻も早くこの場から脱したいという欲求に突き動かされひたすら足を動かす。

 それからもうしばらく行った頃に額の汗を拭って上を見上げると、見飽きた闇の彼方からせり出すものが見えた。

 同時に伝わってくる空気を静かに振動させる音響に耳を澄ましながら、ふとガガは立ち止まる。

 上にあるのは遥かな闇ばかりだ。

 通路の形に四角く切り取られたそれはもう嫌というほど見せ付けられている。

 汗で額に張り付いた長い前髪を掻き揚げガガは目を凝らすと、その闇が少しずつ片側の壁の中から現れた何かに

 侵犯されつつあるのがわかる。

 嫌な予感に襲われてガガは階段を駆け上がる。

 もう五つほどの踊り場を越えると、彼はその嫌な予感が的中している事を知った。

 闇を遮断しているものは緊急用の隔壁だ。恐らく火災時などに炎や煙を他所の階層に漏らさない為のものなのだろう。

 ちょうど縦穴を真っ二つにするように壁から伸び、緩やかな絶望と共にゆっくりとガガの行く手を覆って行く。

 縦穴全体を震撼させるような低い鳴動を感じながらガガは血相を変えて両足にありったけの力を込めた。

 限界を超えた速度を搾り出すガガを嬲るかのように、隔壁はゆるゆると対岸の壁と自分との間を縮める。

  隔壁のある場所で階段は途切れており、そこは鉄板の足場を敷かれた小さな広場になっていた。

 脇に小さな梯子があり、隔壁が閉じていない場合はそれを伸ばして上下を繋ぐようにできている。

 焦燥に身を焼かれたガガが最後の踊り場を駆け抜けた時、彼の目と鼻の先で隔壁の間隙は消え失せた。

 壁が閉じるズン、という重圧を含む音がガガに落ちて来る。

  急激な体力の消耗と失望に声も出ないまま、ガガは硬い階段の上にがっくりと膝を突く。

 しばらくは空気を貪るのに必死で顔を上げる事もできなかった。

 目の前をすり抜けて行ってしまった希望への名残で、少しの間ガガの心を無気力と虚無感が支配する。

 彼がその場に座り込んで一瞬経った後、突然その目を閃光が焼いた。

 驚いて片手を目の前にかざしながら立ち上がると、広場の各所に置かれていたサーチライトが光を投げかけている。

 ただしその光の柱はガガにではなく、彼の頭上へと伸びていた。

 今や天井となった隔壁はガガの立っている足場から2mもない高さにあり、思い切り跳べば指先が届きそうな場所にある。

 四つのライトが投げかけたまばゆい明かりは空気中を舞う埃を光の粒として呑み込み、薄闇の中から隔壁の表面を照らし

 出していた。

  最初は大き過ぎて何が何だかわからなかった。

 隔壁の表面には錆止めの塗装とは明らかに異なる、後から入れたものらしき黄色が無造作に広がっている。

 それが何か一定の規則の元に描かれていると理解できた時、ガガは階段を数段降りてその全体を視界の中に納めてみた。

 背筋が凍りついた。

 耐え難い冷たい恐怖に心臓を串刺しにされたガガは、過労に立っているのもやっとだったに関わらずその場に居る事が適わず

 転がり落ちるように階段を下って行った。

 隔壁にペイントされたシスター・ヴェノムのスマイルマークがその背ににこやかな笑顔を向けて見送る。

 その上にはこうメッセージが残されていた。
  逃 げ ら れ な い ぜ
 『NO ESCAPE!』




  ネズミのように小さくなって逃げ出したガガは階段を駆け下りると、一番手近な横道に飛び込もうとした。

 何かが背後から追い駆けてくる被害妄想に判断力を奪われた彼の鼻先で、再び通路の入り口は隔壁に遮断される。

 そこには同じスマイルマークと同じ文句が壁にペイントされていた。

 その笑顔を向けられたガガは焼け付く狂気に精神に恐慌を来しながらも、再び逃げ道を求めて階段に戻った。

 ひどく耳鳴りがする。途切れ途切れの自分の呼吸音が遠くに感じられた。

 それらに混じって笑い声のような、自分を嬲ることを楽しむ嘲りのような言葉が響いているような気がする。

 しかしガガにはそれが現実に起きている事なのか、自分の被害妄想から来る幻聴なのか区別がつかない。

 これが悪夢なら今すぐにでも覚めて欲しいと、ただそれだけを祈って階段を下る。






  ミス・シンデレラは隊が準備と再編成を行う様をイライラしながら眺めていた。

 幸い先ほどの虫との戦闘では大した損害はなかったが未知なる恐怖の存在に兵士たちの士気が著しく下がってしまい、

 部隊の再編成に手間取っているのだ。

 恐れおののく兵士を無理矢理戦場に放り込んだところで役には立つまい。

 そこで巴川は破格の特別手当を出す事で希望者を募っていた。

 同時進行で有線の無人探査機を使った斥候も出されており、現在縦穴の状況の確認が行われている。

 忙しない巴川の一挙一動のすべてがミス・シンデレラの憎悪を掻き立てた。

 この視界の中からあの存在だけを抹消できたらどれだけ幸福な事か。

  椅子を離れたり腰を下ろしたりと、落ち着きのない様子で辺りをウロついていたミス・シンデレラに声をかけた男がいた。

 「お前さんがイラついた所でどうにもならんよ」

 呆れたような表情を乗せた貞島だった。

 「これが落ち着いていられるか」

 「客が来ている」

 憮然とした相手の態度に構わず、貞島は用件を告げる。

 ミス・シンデレラの顔が狐につねられたように不思議そうなものに変わった。

 「客? 俺にか?」

 「ああ。最初は『社長に逢わせろ』とか言ってたから誰の事かと思ったがな」

  ミス・シンデレラが首を傾げながら社の玄関口まで赴くと、広場の中でポツンと一人の少年とニューハーフが待っていた。

 物珍しそうに周囲を見渡すパフと、対照的に退屈そうに煙草をふかしているスィスィだ。

 先に彼に気づいたパフが背伸びをすると、ミス・シンデレラに向かって思い切り手を振る。

 「あー、社長!」

 「何だよ。どうした?」

 彼らはどちらも姿格好からしてこの機能的なオフィスには恐ろしく場違いに見えたが、ミス・シンデレラも人の事を言える

 立場ではないので黙っておく事にした。

 「ああ。社長にさ、メールがあって」

 堂々と床に煙草の灰を落としながら、大きな旅行用のトランクに腰を下ろしたスィスィが気だるげに告げる。

 この薄暗い中では彼女の細い指が摘んだ煙草の火だけが煌々と灯っていた。

 「届けて欲しいモンがあるって言われてさ。持ってきてやったワケ」

 「どういう事だ?」

 パフが返答代わりにポケットから折り畳んだプリント用紙を取り出すと、ミス・シンデレラに手渡した。

 彼は受け取ったそれを広げて眼を通す傍ら、片手でスィスィの煙草を奪って揉み消す。

 「禁煙しろよ」

 「へいへい」

 用紙はメールの内容を印刷したものらしかった。

 薄闇の中でミス・シンデレラは月明かりを頼りに内容を呑み込み、そしてその表情を毅然たるものに変える。

 驚くべき人物からの贈り物だった。

 「素晴らしい。こいつは意外なプレゼントだ」






  どこをどれだけ走り回ったのか。

 手足が引き千切られるような筋肉の苦痛と、水分を汗として失った事から来る激しい動悸に見舞われて目が覚めた。

 薄く開いた視界にはフィルターのように白いもやがかかっている。

 起き上がろうと力を込めた四肢に走る鈍い痛みは稲妻のようだった。

 何度も顔を振って頭にかかる霞を払い、ガガは悲鳴を上げる体に鞭打って上体を起こした。

 全身が恐怖に襲われた余韻で強張っており、ストレスのせいか胃がキリキリする。

 ふとすれば再び意識を奪わんと狙う苦痛と疲労に辛うじて抵抗を見せながら、彼は何か体を支えるものはないかと

 手探りで中空をまさぐった。

  そこはガガの落ちた縦穴の最深部で、彼はそこへと続く階段の最後の踊り場で気を失っていたようだった。

 底にはくるぶしくらいの深さにまで錆の浮いた水が溜まって強烈な腐臭を放っており、ほんの数時間前にあやうくガガを道連れに

 しかけたインセクトロイドの残骸が物言わぬままその中に転がっていた。

 落下の衝撃でボディの半分ほどは砕けており、ぶちまけた部品の欠片が水面を泳いでいる。

 すべてがくすみ、錆が浮いて朽ちかけているこの光景の中で、その真新しいインセクトロイドだけが夜空の月のように輝いて

 見える。

  何とか階段の手すりを掴んで立ち上がるとガガは階下を見下ろしてまだ夢うつつのまま自分の現状を把握した。

 記憶にはほとんどないがどうやら下へ下へと向かって階段を駆け下りてきたようだ。

 悪夢を見た後のように全身は汗にまみれており、ひどい倦怠感にフラフラした。

 とりあえず階段の一段に腰を下ろして気分が回復するのを待ちながら、ガガはこれからどうするべきか考えた。

 迷子になった時の鉄則は『その場を動くな』だ。

 しかしいつ救助が来るかもわからないのに、この場でじっとしていてもいいのだろうか?

 ガガの体は著しい水分の損失を感じていたし、食料に至っては持ち合わせが何もない。

 餓死か渇死か。

 シスター・ヴェノムの攻撃を待たずしても、自分の未来はそう明るくないように思えた。

 彼は階段に腰を下ろしたまま柵に寄りかかると、しばらくその場で浅い眠りと緩慢な覚醒を繰り返す。



  どのくらい時間が経っただろう。

 錆の臭いを含んだ温い空気と餓えた狼のように吠える風の音に、心身は少しも休まった気がしない。

 次第にガガの眠りはより浅くなり、喉の乾きに苛まれる苦痛の覚醒が大きくウェイトを占めるようになった。

 ひりひりする喉の奥からしきりにゼイゼイという自分の苦しげな呼吸が響き、鼓膜を震わせる。

 しかしガガにはどうしても立ち上がろうという気力が沸いてこない。

 もうこのまま死んでしまってもいいと、彼は漠然とながらそんな事を繰り返し考えた。

 死がこの苦痛を解放してくれるというのならすべてを手放しても惜しくない。

  肺を焼く荒く乾いた呼吸を続けながら、彼は何となく高校受験の事を思い出した。

 進路は将来を決める事だから、慎重に考えなさいと親と教師は言った。

 ガガには『将来』の価値がわからない。中学を卒業すれば高校が、高校を卒業すれば大学か会社が。

 頭痛と倦怠に苛まれる朝に目覚め、苦痛でしかない人間関係の中で生き、『明日もまた学校』という脅迫に晒され続ける人生。

 何でみんなと同じように学校に行く事ができず、同じように人と話す事ができないのだろう。

 何故自分は変われないのだろう。

 こんな事がいつまで続くんだろう。

 そんな将来が何故大事で慎重に決めなければいけないのか、それがガガにはわからなかった。

 だけどもしもそれらすべてを引っくり返す反則的方法があるとしたら?

 それが自殺だとしたら?

 彼には今までそれに踏みきれる勇気はなかったが、ここでこうしてゆるやかに果てて行けるのなら ――

  ふと、落ちた視線が自分の右手の甲に差しかかった。

 無意識のうちにどこかで手袋を脱ぎ捨てていたらしく、ろくに日に焼けていない生白いガガの素肌が露出している。

 そこに走っているナヴァルーニャの入れてくれた十字架のペイントが、ガガの心の底に不思議な波紋を起こした。

 激しい運動をしたせいか半ば剥げかけてはいるが辛うじて原型は残っており、力強く彼の手の甲を彩っている。

 その現実世界との僅かな接点がきっかけとなった。

 肉体は重くガガの意思に不平を上げるが、それを押し込んで彼は体を持ち上げた。

 休んだせいかいくらか筋肉痛は収まっていたが入れ代わりにだるさが血液を鉛に変えている。

 手足に枷を受けたような感覚はまるで重力が増しているかのようだった。

 再び腰を下ろして二度と動きたくないという欲求が尾を引くが、ガガはそれを堪えて一歩を踏み出した。

 きっとここで座ったまま果てて行った方が楽だったと思えるような事がこの先何度も起こるだろう。

 けれど彼は前に進む事を選んだ。

 ガガはシスター・ヴェノムに対して恐怖以外の感情がむくむくと湧き上がってくるのを感じていた。

 あいつの思い通りになってたまるかという、圧倒的な恐怖の前には吹けば飛ぶようなささやかなものだったが、それは

 ガガの意地だったのかも知れない。



  慎重に階段を降りて穴の底に立つと、ガガは僅かな明かりを頼りに扉を探す。

 足元では腐ってドロドロになった水が足に絡み付き、ただでさえフラつくガガの安定を奪った。

 どこかで漏れている水が長い時間をかけてここに堆積したのだろう。

 ペシャンコになったインセクトロイドのすぐ隣にエレベーター用の扉があり、何とか身を滑り込ませる事が可能なくらいの

 隙間が口を開いている。

 水を掻き分けながら進むとガガはその中へと入って行った。

  所々天井では明かりが灯っているものの大部分は寿命が尽きており、通路は半ば闇に埋もれている。

 コンクリートと剥き出しの鉄筋に囲まれた殺風景なその通路に入ると、ガガはすぐに右手の案内板に気づいた。

 壁に掲げられたそれにはこの階層の地図と『資料・被験体保存区』というプレートが降りている。

 階層は広く横に伸びておりガガは食料を確保しようと食堂を探したが、居住区ではないせいかどこにも見当たらない。

 代わりに休憩所というのを発見し、とりあえずはそこを目指した。

  通路は広く、天井の照明も壊れているのを含めれば多目にあるように思える。

 恐らく長期に渡って地下施設に滞在する者の精神的負担を少しでも和らげる為なのだろう。

 所々に鉢植えの観葉植物も置かれていたが、すでに枯れて朽木となっていた。

  時折通路の隅の暗がりに転がっている白いものからガガは無意識のうちに眼を逸らしていた。

 白衣を纏った人間だ。僅かに露出している不気味な紫色に変色した肌はカサカサに乾いてミイラ化しており、恐らく今際の

 際にもがいたであろう事を示すかのように体はねじられていた。

 餓死したものと思われる無傷の死体も多かったが、中には二つになっている者や体の一部が消え失せている者もある。

 腰に差したナイフの柄を握り締めながらガガは必死に恐ろしい自分の考えを打ち消した。

 ここにはもう誰もいない。いるとすればシスター・ヴェノムと自分だけだ。

 ナイトメアウォーカーが暴れ回っていたのはもうずっと昔の話だ…

  朦朧とする自分の意識に喝を入れるべく何度も自分の頬を平手で叩き、ガガは10分ほどの道程を終えて休憩所に辿り

 着いていた。

 その場所だけ脇に通路を拡張し、出来た道沿いのスペースにテーブルや椅子がいくつか置いてある。

 各種の自販機と奥にトイレに続く扉があり、ガガはもつれる足取りでトイレに駆け込むと洗面台の蛇口を捻った。

 差し出した両手に生ぬるい飛沫が迸る。

 乾きを癒そうと一目散に口に運ぼうとした瞬間、鼻の奥を腐った鉄の臭気が刺激した。

 落ち着いて手の中を覗いて見ると、水の色がおかしい。果汁の低いオレンジジュースのような色をしている。

 水道管が腐って錆が混入しているのだ。

 すべての判断を捨てて思う存分飲み干したくなる衝動を必死に押さえ、彼は水を出しっぱなしにしたままトイレを出た。

  自販機は壊されており、露出した内部に物品の影はない。

 数年前に起きた事故を隠蔽する為に社は地下施設スプートニクに通じるすべての通路を封鎖したと菱上が言って

 いたのを思い出す。

 取り残された職員たちも生き残る為に必死だったのだろう。

 来る筈のない救援をここで待ち続け、死んで行ったのだろうか。

  新たに襲ってきた失望は簡単にガガの心を挫いた。

 へなへなとその場に腰を下ろすと、もはや立ち上がろうという気力が沸いてこない。

 地面に置いた地図を改めて見直してみても、他に水が手に入りそうな場所はどこにもなかった。

 もう瞳を閉じてしまおうかと思いかけたガガの視界を、地図のある表記がよぎる。

 思い浮かんだアイデアに新たな希望を見出すと、全霊を込めてガガは立ち上がった。



  もうしばらく歩くと彼は大きな扉に行き当たった。

 『冷凍保存室』というプレートが降りており、冷気を漏らさない為か扉は非常に厚そうだ。

 円形の小さな窓があるが覗き込んでも小さな個室があるだけだ。その更に奥にもう一つ扉が見える。

 入ってみようと取っ手に手をかけたがビクともしない。

 見れば扉の横にコントロールパネルがあり、職員のIDカードが必要なようだった。

  ガガは通路を取って返すと適当な死体を見つけて屈み込んだ。

 嫌悪感に胃液を戻しそうになるのをぐっと飲み込み、白衣の胸に降りているカードを引っ剥がす。

 職員の顔写真とプロフィール、各扉を通過する為のバーコードなどが刻まれており、どうやらガガが拾った物の主は

 女性だったようだ。

 ガガは改めて写真と実物を見比べてみたが、死体の方はすでに白骨化して無残な様を晒している。

  再び冷凍室の前までやってくると、彼は手の中のカードをコントロールパネルの読み取り機に通した。

 ここはまだあまり重要でないものが保管されている場所なのだろう、幸いにもカードだけで通過は可能だったようで扉の鍵は

 重苦しい音を立てて解除される。

  入ってすぐのところは防寒服を身に着ける部屋になっており、すぐ出るつもりだったガガは多分大丈夫だろうとたかをくくって

 そのまま奥に入った。

 ガガの視界は瞬時に凍てた青に満ちた。飲み込んだ冷たい空気が肺を刺す。

 棚がいくつも並んでいる予想以上に広い場所で、じっとりとした暑さの外と打って変わって汗が凍り付くほど寒い。

 予想通り壁には一面に霜が降りており、それをナイフで削ると彼は獣のような勢いで夢中で口に運んだ。

 渇きが存分に癒される頃には指先が動かなくなるくらいに体が冷えており、外気を浴びようと慌ててその場を後にする。

  とりあえずこれでしばらくは水の心配はないだろう。

 枯れ果てた体に活力が戻るのを感じながら、ガガは廊下で指先についた氷の欠片を拭った。

 その場に腰を下ろしてしばらく休むと、頭にかかったもやも少しずつではあるが晴れてゆくようだ。

  天井で切れかけた一つの電球が気が違ったように瞬いており、気まぐれに周囲に闇と閃光を落としている。

 何となくその様子に眼をやりながらガガは色々な事を考えた。

 ―― 助けはいつ来るんだろう。

 人間は水だけでもどのくらい持つんだっけ…一週間? 一ヶ月? ――

 腕には菱上にもらった時計が付けてあったが、虫に引き込まれて穴に落ちた時のショックか動きを止めている。

 何かがきっかけで活動を再開してくれる事を期待して付けっぱなしにしていたが沈黙を守ったままだ。

 ガガはその腕時計を外すとその場に捨てた。

 そう言えばしばらく気にもしていなかったが、もう学校は冬休みに入っていたような気がする。

 両親は警察に捜索願を出しただろうか。

  シスター・ヴェノムの陰謀についてはどんなに考えても答えが出ない。

 何故隙だらけの今の自分を襲ってこないのだろう。ここに閉じ込めた目的は一体何なのか。

 天井ではあちこちに監視カメラの眼が光っているが、彼女は渇きと空腹に苛まれる自分をどこかで嘲笑っているのだろうか。

 廊下の壁に背を預けながら、ガガはまた浅い眠りの中へと落ちて行った。






  巴川はひとしきり自分の息子を眺め回した後、あからさまに眉根を寄せて彼と視線を噛み合わせた。

 腕部のプロテクターをつける手を休めて相手の本心を探る。

 「今、何と?」

 「俺も連れて行け」

 腕を組んで直立不動のままミス・シンデレラは一歩も引かない構えを見せた。

 部隊の再編成・縦穴の調査が終了し、いざ再び踏み込まんという際だった。

 中隊長が任を降りたので今回は巴川が直接指揮を取る事になり、彼はスーツを着込んでいる最中だ。

 苦笑とも呆れともつかない表情を浮かべて彼はため息をついた。

 「素人は戦場で二つの事ができる。犬死にか、全員の足手纏いか」

 「何と言われても着いてくからな、『巴川さん』」

 最後の言葉にのみ意味ありげに力を込めて発音すると、ミス・シンデレラは傍らにあったトランクを叩いた。

 「こいつも頼む。大事なモンが入ってるんでな」

 「あのなァ…『神無崎くん』、これから行く場所がどこだかわかっているのか?」

 一瞥して頭を掻く巴川に対し、しかし彼は構えを崩さない。

 しばらくそんなやり取りが続いた後に遂に巴川の方が折れた。

 「いいだろう、スーツを着ろ。ただし荷物は置いて行け」

 最後の付け加えにミス・シンデレラはにやりと笑って見せ、その取っ手を指先で撫でる。

 「こん中にはガガの友人が入ってる。助けるのに協力してくれるそうだ」

 「?」

 彼は意味が飲み込めない巴川にトランクを開いて見せた。

 「紹介しよう。アザー君だ」

 「どーも、アザーです。趣味はお茶とネットサーフィン」

 中から現れた、ごてごてとメモリを山のように増設されたパソコンはマイクからそう言って挨拶をした。






  ようやく体力が回復して歩き回る元気が沸いてきたガガは、どうしても落ち着いている事ができずにスプートニクの

 探索に出ていた。

 じっとしているとどうしてもシスター・ヴェノムの事について考えてしまい、不安と恐怖に押し潰されそうになるのだ。

  事務室で見つけたノートに案内板の地図を写し取り、それを片手に更に奥へと進んで行く。

 彼は遠出を予定して拾ったペットボトルに氷を溶かして作った水を詰め、水筒代わりにして腰に下げていた。

 大体このブロックは一町内ほどもの広さがあるようで、行けども行けども得体の知れない保管庫が並んでいる。

 休みを入れつつ一時間ほどかけてそこを通り抜けると、新たなブロックへ続く事を示すプレートの降りた廊下が現れた。

 「『精神感応構造被験体 特殊保管室』」

 読み上げてみたがもちろん何の事やらさっぱりだ。

  足を踏み入れた先では相変わらずの灰色の光景が続いている。

 同じような景色ばかりでガガは時間の感覚を失うと共に、何だか眼が回ってくるような錯覚を覚えた。

 歩いても歩いても同じ場所をぐるぐる行き来しているだけのような気分になってくるのだ。

 何故だか自分の育ったあの団地が無性に懐かしく思えた。

 長い廊下をなるべく体力を浪費しないようゆっくりと歩きながら進む内に、壁の両側に扉が現れ始めた。

 それは鏡合わせのように並んでおり、はるか彼方まで残像のように続いている。

 一つ一つの扉には番号がふられており、一番最初のものにのみ部屋の名前を現すプレートが降りていた。
  トゥアーリ
 『Czer』とある。

 クドリャフカが北方領土の出身と知ってから色々調べるうちに、少しだけロシア語がわかるようになったガガは、その名の

 現す意味に眉を寄せた。
  トゥアーリ
 「『皇帝』?」






















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