プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -
シスター・マリア
5.悪魔のような女
端正な顔に憂鬱そうな表情を乗せて、ミス・シンデレラはインターホンを押した。
ここはまだマンションの入り口で、インターホンで相手を呼び出しオートロックを解除してもらわないと入る事ができない。
マンションは超が三つくらいつきそうな高級なもので、駐車場にも見た事もないような外車がゴロゴロしていた。
10階建ての建物の外側はヒビ一つない真っ白な外層に包まれており、ガガが見る限りでも様々な場所にセキュリティシステムが見て取れた。
今も頭上の天井では監視カメラがこちらを胡散臭げに睨んでいる。
繊細な花のレリーフが入った入り口の扉の前で、二人は相手が出るまでしばし待つ。
暇潰しとでも言わんばかりに、ふとミス・シンデレラが顔を上げて監視カメラを覗き込み、にっこり笑って見せた。
「駐車場の車すべてに爆弾を仕掛けた、身代金100兆億円持ってこないと車どもの命はないぞ!
なに、人質の声が聞きたいだと? いいだろう」
きょとんとしているガガを他所に、ミス・シンデレラは両手を口に当てて車の排気音の真似をしてから、裏声を出して見せた。
「ブォンブォンブォンブォーーン!
ママーッママーッ、僕だよ、テスタロッサだよ! あ゙ー! あの腐れ誘拐野郎、僕の自慢の12気筒のケツに自転車用オイルを
突っ込みやがった! ママーッ助けてよー!」
ガガが堪え切れずに顔を伏せ、肩を震わせて笑っていると、インターホンの赤いランプがパッと灯った。
「ミス・シンデレラ?」
ねっとりとした若い女の声だ。
「ああ、そうだ。君のコレクションを見せて欲しくってね」
「待ってたわよぉ。一階のエレベーターの前で待っていて」
相手が切ろうとした時、慌ててミス・シンデレラは彼女を引きとめた。
「ああ、それからマダム」
「?」
「守衛室に適当なワインを差し入れておいてくれないか? 請求書は俺の会社に回してくれ。
そうだな、ワインは真っ赤なヤツがいい。テスタロッサのボディのようにね」
二人が堅牢な作りのエレベーターの前でしばらく待っていると、上部の階層表示が点滅を始めた。
四階で止まってから段々下がって一階でまた止まり、扉が開く。
両側に扉が開き切った時、ガガは自分の長い前髪の隙間から覗くその相手の姿に目を奪われた。
背が高く、ウェーブした豊かな黒髪が腰まである優しげな美女だ。
垂れ気味の目尻は淫靡な魅力を醸し出しており、雪のような肌の中で真っ赤な口紅だけが柔らかに微笑んでいた。
だがガガが美女であるという事だけで彼女、マダム・ホーンヘッドに目を奪われたのではない。
エレベータールームの照明を受けて艶やかに輝く髪から突き出しているのは、髪との調和を拒否するクリーム色の無機的な物質だった。
その名が現す通り、マダム・ホーンヘッドの頭部には山羊のようなねじくれた角が二つ生えていたのだ。
中世期に描かれた悪徳をもたらす存在、悪魔のように子供の腕ほどもある太さの角が。
黒ののワンピースの上に同色のレースのカーディガンを羽織っており、エレベータールームに風が吹き込むとそれが舞い上がってまさしく
悪魔の羽根のようにはためいた。
頭部の角も含めて何もかもが不気味なまでに調和を見せ、ガガはその雰囲気からもおよそ彼女が自分と同じ現世の存在だとは思えなかった。
DNAレベルでの『お洒落』ができるようになって数十年、ミュータント・デザイナーという特殊なエステを行う業者が現れ始めていた。
人間の遺伝子を少しばかり組替え、人体に元から存在しない部位を作り出す科学者たちである。
彼女のような角や動物の尻尾、耳、瞳など箇所は様々だ。
街中やテレビの中(特に芸能界)では時々見かけるが、ガガにとってはあまり馴染みの無い世界だった。
「久し振り」
今度はインターフォンで無機物を通していない、魅力的な肉声で彼女はミス・シンデレラに挨拶を送った。
続いてその隣、ガガに向けてやや視線を下に落とす。
優しいお姉さんというふうだが、やはりガガにとってはその異様さに一歩引いてしまう相手だった。
「あら。ショタコンに走ったの?」
「相変わらずの性格で嬉しいよ」
笑みを返すと、ミス・シンデレラはマダム・ホーンヘッドに招かれてエレベータールームに入り込んだ。
ガガがその後に続く。
「私の趣味に興味があるだなんて。珍しいじゃない、どうしたの? 突然」
「いやいや。俺も美しいものには興味があるさ」
三人が広いエレベータールームに収まると、マダム・ホーンヘッドがコントロールパネルの『▼』を押した。
ここは一階だった筈だけど、とガガが疑問を巡らせているうちに扉が開き、エレベーターは地の底に向かって降り始める。
密室の中にはたちまちマダム・ホーンヘッドのムッとするような香水の匂いが満ちた。
気が遠くなりそうな、溶けてしまいそうになる甘い香りだ。
長身の二人に挟まれて何だか居心地の悪いガガを手で示すと、ミス・シンデレラは簡単に紹介を始めた。
「彼はガガ。友人でね。実は彼にせがまれたんだ、君のコレクションを見せて欲しいって」
ミス・シンデレラの言葉にガガは黙っていた。彼には彼なりの作戦があるのだろう。
「へえ〜。こんにちは、初めまして」
柔らかに笑って見せると、その瞳を覗き込みながらマダム・ホーンヘッドは緊張で固くなっているガガの手を取った。
マダム・ホーンヘッド
「人は『角 頭 婦 人』と呼ぶわ。よろしくね」
「ガガです、こちらこそ…」
恐ろしく冷たい彼女の指にビクンと体を震わせたガガも慌てて挨拶を返す。
まるで氷か石膏でできているような手だった。
相手の雰囲気にクラクラしそうになってきたガガを見、ミス・シンデレラは楽しげな彼女を戒めた。
「あんまりからかうなよ」
「あら。バレた?」
悪びれたふうもなくさらりとマダム・ホーンヘッドが言って退けた時、エレベーターが停止した。
扉が開いた先にあったのは、コンクリートに覆われた短い廊下だった。
すぐ先がまた扉になっており、金庫のような頑丈そうな装甲に包まれている。
「ピッピのピッと」
マダム・ホーンヘッドがポケットから取り出したテレビの物のようなリモコンで操作すると、すぐに重苦しいを立てながら両側に開いた。
他人のマンションの地下にこんなものを作れる筈はない。
恐らく地上の建物は彼女が所有しているのだろう。
「さて、何から見たい?」
唇の両端を釣り上げると、嬉しげにマダムが二人に振り返った。
彼女の背後、扉の奥の室内には果てしない闇が広がっているだけだ。
四角く象られた闇を背に微笑を浮かべたマダム・ホーンヘッドは、闇から生まれ出てきたように見えた。
一瞬、ミス・シンデレラとガガの視線が噛み合った。
「あー、そうだな。とりあえずざっと、それから君のオススメで行こう」
いつもの快活さでそうミス・シンデレラは答えたが、ガガには彼の微妙な変化が見て取れた。
ぎゅっと結んだ唇は僅かに震えていたし、部屋の中は凍えるほど寒いにも関わらずしきりに手で額の汗を拭っている。
マダム・ホーンヘッドは彼の提言に心の底から嬉しそうな表情を見せた。
「嬉しいわね。じゃ、まずはエントランスホールから」
彼女が振り返ると、リモコンを闇の中に向けて親指でボタンを叩く。
たちまち天井の照明に電気が通い、闇の支配を払って部屋には光が満ち溢れた。
マダムがにこやかな笑みを浮かべたまま、先に室内に二人を通す。
部屋の中は洋風のエントランスホールで、地下室とは思えないほどの広さがあった。
天井にはきらびやかなシャンデリアが下がっており、部屋の中央に噴水があってその先ではゆるいカーブを描いた階段が二階へと続いている。
三人がふかふかの絨毯を踏みながら中に入ると、ふとガガは奇妙なものに気づいて足を止めた。
水を吹き上げている(よく見るとホログラフィのようだ)噴水の中に立っている、六つある大きなガラスケースの中に、何か生白い物体が
浮かんでいる。
しかしガガは無意識のうちに、その何かを見る事を拒否している自分に気づいた。
そこにあってはいけないものが、あの中には絶対に入っている。
「ふーん、素晴らしい!」
突然、ミス・シンデレラが棒読みなセリフと共に無理矢理ガガの肩を掴み、彼を半ば引きずるように部屋の奥へと歩き出した。
そして噴水の右手に立っていた、大きな柱の前までやってくると足を止める。
ガガの眼は否応無しに下半分が水槽になっている柱の中に向けられた。
悲鳴が上がりそうになった。口は開いたが声は出なかった、しかし慌ててその口をミス・シンデレラが自分の手で防ぐ。
水槽の中に浮かんでいるのは一人の少女だった。
漂白したような白蝋の肌は無機質ながらも艶かしく、同じくテグスのように真っ白な銀の髪がゆらゆらと液体の中を漂っている。
歳は14,5といったところだろう、虚ろな青い瞳がじっとガガの恐怖に見開かれた眼を見つめ返していた。
ゼンマイ仕掛けのように彼女の両手がぎこちなく動き、そっと自分とガガのいる外界とを阻むガラスに手を当てる。
何か言いたげだったが、憐憫を誘う瞳でこちらに視線を送る以外は何もできないようだった。
幽玄のように存在している少女の後頭部にはいくつものコードが繋がっており、それは頭上の柱の中へと消えている。
パオ・ナナ
「あの女は包娼(人造人間)やドールズのボディのコレクターなんだ」
自分の背後からやや離れた場所いるマダム・ホーンヘッドに聞こえないよう、細心の注意を払ってミス・シンデレラはガガに囁きかけた。
ガガは半ば放心し、呆然と水槽の中の彼女を眺めている。
水槽の曲面のガラスには彼とミス・シンデレラの顔が映り込んでおり、その背後には微笑みを浮かべたマダムの佇む姿が見えた。
そしてその更に背後、噴水の中に置かれた六つのガラスケースの中身の白い女たちも、見知らぬ人間の気配に沸き立っているようだ。
見ればミス・シンデレラの顔にもびっしりと冷や汗が浮かんでいる。
彼とて平気ではないのだ。
「包娼の製造業界やオシリス・クロニクル社に強力なコネがあるらしいんだがな…あの女は狂ってる。
何で俺がここへ来たくなかったか少しは理解できただろ?」
苦々しげに歯を向いてから、ミス・シンデレラは腰を折って強引にガガの首に腕をかけた。
二人は肩を組み合うような形となってひそひそ話を続ける。
「楽しそうな顔をしろ。マダム・ホーンヘッドは気分屋だ、自分の趣味を解さない人間には絶対協力しようとしない。
クドリャフカに辿り付きたいんならそれを忘れるな」
その言葉で幾ばくか我を取り戻したガガは、正面の水槽に釘付けになったまま何度も頷いた。
水槽の中の少女は、相変わらず哀しげな瞳で彼を眺めていた。
そこから始まった道中で見たものの大半を、二人は悪夢の中でしか思い出せないだろう。
エントランスホールから先は延々とマダム・ホーンヘッドのコレクションルームが続いていた。
自分の両眼を探して永久に檻の中を這い回る少年。包娼の四肢を組み合せて作った、歩き回る生きている椅子。
巨大なビンの中では超再生能力を与えられた二人の男がいつ果てるとも知れない死闘を続け、血液の水槽の中では腕の四本ある
人魚が他の人魚を食うべく争い、餓えに苛まれてどんなに食い千切っても生えてくる自分の体を食べる女、鳥篭に押し込まれ歌い
続ける首、絡み合う頭部の存在しない男女の体、中身を取り出そうと狂ったように自分の腹を切り裂く妊婦…
何もかもが地獄の底に手を突っ込んで、気まぐれに引っ張り出してきたような悪夢の造形物たちだった。
なるべく見た物を次の瞬間忘れるように務め、二人は嬉々としてそれらの説明をするマダム・ホーンヘッドの後に尾いてゆく。
彼女の声は狂気的な歓びを帯びており、忘れようと努力する二人を嘲笑うかのように光景ごと脳裏に刻み付けた。
ここにあるボディのおよそ半分は手に入れた時すでにこうだったが、残り半分は彼女自身が改造を加えたらしい。
ガガは最初見た時マダムに悪魔のイメージを持ったが、それが間違いでない事に今気づいていた。
これは正気の人間がする事ではない。
マダム・ホーンヘッドの後姿が床に落とす影が、今にも飛び立ちそうな悪魔を象っているように見えた。
一通り回って一休みという時、ミス・シンデレラはトイレを借りたいと言って休憩室を出ていった。
彼の顔色が気になったのでガガもその後に続く。
ガガがトイレに入ると、洗面台で顔を洗っているミス・シンデレラの姿が見えた。
表情は青ざめ、げっそりとしてこの一時間で体重が10sは減ったように思える。
「わああっ!?」
突然隣に姿を現していたガガに気づき、ミス・シンデレラは悲鳴を上げながら大袈裟にその場から飛び退いた。
驚愕に高鳴る胸を押え、水を含んだハンカチを顔から退けると、情けない表情が顔を出す。
「お…驚すなよ! いるんならいるって言ってくれ!」
何だかその彼の姿が滑稽で、ガガは思わず笑ってしまった。
今までこの短い人生の中でも色んな人間に逢って来たが、ミス・シンデレラのようなタイプの人物は異例だった。
ガガはこの愛すべき変人の人格を好きになれそうだった。
非現実的な悪いものばかり見すぎて悪くなっていた気分が、毒が抜かれたように僅かに良くなってゆく。
「今晩夢に出るだろうなあ…」
笑いを漏らしたガガに怪訝そうな視線を送りながら、ミス・シンデレラがハンカチをしまい込む。
「そろそろ聞いたほうがいいんじゃない?」
ガガが珍しく意見を口にすると、相手も最もだと言わんばかりに頷いた。
「そろそろこっちも限界だしな」
照明の抑えられた休憩室に戻ると、マダム・ホーンヘッドがその悪魔的美貌に微笑を浮かべて待っていた。
休憩室は壁のすべてがガラス張りになっており、その中では胴体に刺さったピンで壁に串刺しにされた人形たちが、昆虫採集の昆虫のように
居並んでいる。
彼女が座っている骨のように白い白木でできた丸テーブルまで行くと、二人は椅子に腰を降ろした。
休憩室とは言え周囲のオブジェの虚ろな視線が気になって落ち着く所の話ではない。
まさしく地獄の博物館のようだった。
「とまあ、ざっとこんな所かしらね」
マダム・ホーンヘッドは悠々と紅茶の注がれたカップを口に運びながら、ほっと一息ついて言った。
ミス・シンデレラが隣に何時の間にか立っていたメイドの気配にビクッと体を震わせる。
体が半ばガラスのように透明になっており、シースルーの服装の下に見える内臓や器官が脈々と波打っていた。
メイドがほとんどの人形がそうであるように、虚ろな瞳のまま自分の手首を引っこ抜くと、中から現れた金属管をテーブルの上のカップに向ける。
胃袋あたりのタンクに蓄積されていた紅茶が、メイドの体内を巡ってその手首に行き着き、カップに注がれるのがよく見えた。
ミス・シンデレラもガガもカップを手に取りはしたが、こみ上げてくる拒絶感に遂に口にする事はできなかった。
そんな二人の様子を知ってか知らずか、マダム・ホーンヘッドは言葉を続けた。
「大体これでウチの三分の一くらいは見ちゃったけど、他に何かご希望はある?」
計らずも巡ってきた好機に、二人の間に緊張が走った。
お互い眼を合わせて意思の疎通をし、ミス・シンデレラがもったいぶって答える。
「うーん…そうだなあ」
顎に手をやって考え込むふりをしながら、彼は天井を眺めた。
そしてさも今思いついたような素振りを見せながら、ぽんと両手を打つ。
「いつか君が言っていた『クドリャフカ』…って人形は? 手に入ったのかい」
彼女の柔らかい光を湛える瞳が、すっと細くなるのが感じられた。
「残念ながら。オシリス・クロニクル社絡みだったんだけど、どこかの力が介入してたみたいでね。
あっという間に手に入らなくなっちゃったわ…欲しかったんだけどね」
落胆すると同時に(彼女の手に落ちていたらそれはそれで別の恐ろしい事になっていただろうが)ガガには疑問が浮かび上がってきた。
クドリャフカがオシリス・クロニクル社絡み? どういう事だろう。
ガガの疑問はミス・シンデレラが代弁した。
「オシリス・クロニクル社?」
紅茶のお代わりを注ぎながら、マダム・ホーンヘッドはじらすようなゆっくりとした口調で彼に答える。
「ええ。あの会社が何かの実験用に作った七体のうちの一つのドールズにクドリャフカって言う名前がついてたみたい。
ちなみにその中の四体だけなら手に入れたわよ」
「見せてもらえますか?」
身を乗り出したガガに、彼女はにっこり笑って見せた。
「もちろん」
廊下をしばらく行くと、大扉の前までたどり着いた。
廊下の壁には真っ黒な幕が下がっており、そこには糸で人形たちが縫いこまれていた。
彼/彼女らがもがくせいで、その幕は風もないのにいつ何時でもバタバタとなびいているようだった。
正面の扉には今までとは違い、円に閉じられた六芒星が大きく浮き彫りにされている。
恐らくマダム・ホーンヘッドにとっては、コレクションの中でも特別に思い入れのある人形が保管されている場所なのだろう。
彼女がリモコンを取り出して操作すると、仰々しい錆びついた音を立てて扉はゆっくりと両側に開いた。
コンクリートに覆われた七角形をした室内は広く、大きな駐車場くらいはあるだろう。
ガガの鼻腔を無機質な冷えた空気の匂いが満たす。
マダム・ホーンヘッドがハイヒールを高らかに響かせて部屋の中央へと二人を導いた。足音が室内で木霊を呼ぶ。
照明は七角形の壁の面にそれぞれ二つずつで、ライトが強烈な灯りを中央に投げかけている。
一同はひと時たくさんの影を持った。
ガガとミス・シンデレラは、その壁の明かりの元に生白い人影が座り込んでいるのに気づいた。
所々に赤い筋が走っている彼女らはぐったりと壁に背を預け、俯いて死んだように動かない。手足には銀光が冷たく輝いている。
「デルジャヴィナ!」
マダム・ホーンヘッドが張り上げた声に、思わずガガがすくみ上がる。
「フリューシャ! アンナ! ユーリヤ!」
ガチャリ。
マダムの声に答えたのは、部屋中で鳴った金属とコンクリートの擦れ合う音だった。
四方向からその音は上がり、少しずつ三人に向かって迫ってくる。
壁で座り込んでいた真っ白な人影が、手足に付けられた枷を引きずりながらこちらに接近してきているのだ。
四人は一様にマダム・ホーンヘッドから3mほど離れた場所で、申し合わせたようにぴたりと停止した。
「四人とも良い子ね」
優しげに微笑んで見せると、彼女はその四人のうちの一人の髪に手をやった。
四人はガガと同じくらいの歳の少女だった。
手足や背中からいくつも伸びている鎖は遠目には枷に見えたが、それは先端に逆刺のついた矛先のようなものの尾に鎖がついている物で、
彼女らの白蝋の肌に直接食い込んでいる。乾いて固まっている血液も真っ白だった。
年齢は違えど全員一様に同じ顔をしており、一糸纏わぬ全身に赤い糸による乱暴な縫合の跡が這い回っている。
皆表情から意思や生気といったものがまるで感じられず、ただ空気のような存在感の無さでその場に佇んでいるだけだった。
「手に入れた時にはもう人格が崩壊していたわ。魂をどこかに置き忘れて来ちゃったみたいにね」
愛しそうに一人の少女の頬を撫でながら、マダム・ホーンヘッドは眼を細めた。
「ちょっとした事から手に入れたパンフレットにこの子たちの写真が載っててね。一目惚れしちゃって、どうしても欲しかったの。
二体は焼却処分されちゃってて、本当はもう一体手に入る予定だったんだけど…」
「それが『クドリャフカ』?」
聞き返したミス・シンデレラは、ガガが焦点の合わない目をした正面の少女に食いつくように見入っているのに気づいた。
マダム・ホーンヘッドは小さく頷いていた。
「パンフレットって言うのは? つまり、その…彼女らは何の為に作られたんだ?」
やけに質問の多くなったミス・シンデレラに不思議そうな顔をしながら、彼女は腕を組んで考え込む素振りをする。
「さあね。パンフレットは何かの関係者だけに配られたものらしいし、私は内容はほとんど読んでない。
パンフは実物を手に入れた直後に捨てちゃったし。
…随分熱を上げてるみたいじゃない、クドリャフカに興味でもあるの?」
答えに詰まったミス・シンデレラの傍らで、ガガは目の前の少女に心気を奪われたようだった。
七体作られたうちの四人が同じ顔をしている。恐らく残りも彼女らと同じ顔なのだろう。
という事はこれがクドリャフカの顔なのだろうか?
表現し難い気分だった。
目の前の自我を持たない少女は虚ろにこちらに視線を返しているが、ガガには彼女が悲鳴を上げているように思えた。
そしてあの最後の『シスター・マリア』の放送の後半で、ノイズに紛れて放たれたクドリャフカの助けを求める声とも重なるようにも感じる。
今、クドリャフカはどこかで同じような眼に会っているのだろうか?
ガガはキリキリと痛む胸を押えた。
しばらくぶりの地上はまぶしく、二人は少しの間、太陽に眼を焼かれて瞼を開けている事もできなかった。
地下で見てきたものがすべて遠い昔の悪夢のように思える。
マンションの入り口まで送ってくれたマダム・ホーンヘッドに心ばかりの礼を言うと、二人は両眼の上に手をかざして駐車場へと歩き出した。
「ガガ君」
呼び止められてふと彼が振り返る。
マンションの入り口では壁にもたれかかったマダムが煙草を口にしながら手招きしていた。
ガガが困ったようにミス・シンデレラの顔を見上げたが、彼は両肩を竦めて言った。
「大丈夫だ。あの女は人造人間にしか興味がない」
そのセリフもガガの心配を取り除くにはあまり効果的でなかったようだが、彼はその場に残ったミス・シンデレラに背を向けてマダムの元へと
舞い戻った。
半ば体を建物の影に埋もれさせながら、口から糸のような紫煙を吐く彼女の姿はそれだけで絵になって見える。
年上の女性と一対一になってドギマギしているガガを見下ろすと、マダム・ホーンヘッドは楽しげに眼を細めた。
「もしかしたらクドリャフカを追ってるんじゃない?」
「そうです…けど」
詰まりがちの声であっさりそう答えたガガに、彼女の表情で笑みの濃度が増した。相手の反応を楽しんでいるようだ。
「何で?」
ガガは手短にクドリャフカとシスター・マリアの事を話した。
「助けたいんです。クドリャフカを」
反らしていた視線をマダム・ホーンヘッドと噛み合わせると、精一杯の勇気を振り絞って彼は最後にそう付け加えた。
彼女の静かな色を湛える瞳の中で、何かの感情が現れたように思えた。
それがどす黒い欲望の炎なのか、ガガに対する哀れみなのかは最後までわからなかった。
「可愛いわ」
唐突にそう言ってにっこり微笑んで見せた彼女を前に、彼は真っ赤になった。
ミス・シンデレラの言う通り、この人は多分自分をからかっているのだろう。
腰を折ってガガに顔を寄せると、マダム・ホーンヘッドは囁くように語り掛けた。
「コレクションに加えたくなるくらいにね」
びくっと体を震わせた相手の姿を見届けると、彼女は腹を抱えて笑い始めた。
硬直しているガガを前に笑いの発作が収まると、煙草の灰を落として続ける。
「冗談よ、冗談。そんな顔しないで。いい事教えてあげるわ」
はっと顔を上げた彼の目の前には、悪魔の微笑を浮かべたマダム・ホーンヘッドの顔があった。
車の助手席に乗り込むと、すぐにミス・シンデレラが質問を浴びせ掛けてきた。
「何だって?」
ドアを閉めて窓から外を見ると、まだマンションの入り口付近でこちらを見ているマダム・ホーンヘッドの姿が見えた。
陽光を避けるように、肢体から滲み出してきたような建物の影を身に纏っている。
「ゴッドジャンキーズに会いに行ってみなさいって」
「ゴッドジャンキーズ?」
オウム返しの答えを口にした彼にガガは頷いた。
「ゴッドジャンキーズのリーダーがクドリャフカの兄妹かも知れないんだって」
「兄妹ぃい?」
シートベルトを締めながら、またも同じ調子でミス・シンデレラは眉根を寄せた。
ゴッドジャンキーズとは神薙市を根城にする無数のチームのうちの一つの名前だ。
「まあ、行けばわかるか…しかし連中の根城を調べるのはちっとホネだぞ。
ゴッドジャンキーズって言えばわからん事だらけのチームだしな」
そう言いながらミス・シンデレラがエンジンに火を入れて駐車場から出る時、相槌を打ってガガはもう一度外に眼をやった。
もうマダム・ホーンヘッドの姿は見えなかった。