プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -






シスター・マリア

6.スマイル・タイラント


  車の中から見える流れ行く町の風景を眺めながら、ガガは色々な事に思いを馳せていた。

 まずクドリャフカが人間でないという事。

 彼女はオシリス・クロニクル社で何らかの目的で作られたドールズなのだという。

 ガガは何時の間にか拳を握り締めている自分に気づいた。

 クドリャフカが人間ではないとしても、それが何だと言うのだ。

 自分がラジオ『シスター・マリア』で感動したのも、彼女が助けを求めていたのも事実だ。

 例え人間でなくともクドリャフカには心があり、そしてだからこそガガはそれに共感する事ができたのだろう。

  ガガは僅かだが他人という存在に対する、自分の柵が低くなったような気がした。

 今までは相手の何を信じていいのかわからなかったが、大切なのは相手の『心』を信じるという事だ。

 まだガガは誰かを信じるという事はできないが、努力はしてみようという気になってくる。



  ミス・シンデレラの運転する車は電気街に入り、しばらく街を行くと彼は路肩に寄せて停車した。

 「色々買うモンがあったんだ。ちょっと寄ってこう」

 シートベルトを解きながら、ミス・シンデレラは相手の返事も聞かずにさっさと車を降りた。

 さっきまでマダム・ホーンヘッドのコレクションを見せ付けられて死にそうな顔をしていたのに、もうけろりとしている。

 ガガにとっては羨ましいほどの立ち直りの速さだった。

  街は主にパソコン機器などを売る店が軒を連ねており、行き交う人々の風体にも偏りが見られる。

 ガガもよくこの手合いの街には行くが、ここは初めてだ。

 ようやくミス・シンデレラと打ち解ける事ができたガガは、店を回りながら多少声が詰まる事もありはしたものの彼と色々な事を話した。

 こんなに一人の人間とたくさんの事を話したのは、小学校以来のような気がする。

 ミス・シンデレラはガガの性格を察知したのか、なるべく彼をリードするような形で会話を組み立てていってくれた。

 「しばらくァうちに泊まってくといい」

 ジャンクショップで籠に山積みにされている、元が何だったのかさえわからない部品の山を手に取って眺めながら、ミス・シンデレラが不意に

 提案を口にした。

 店頭販売のパソコンにダイバーフォンの接続端子を突っ込んでいじっていたガガが、驚いたような顔をして振り返る。

 「でも学校が」

 「後から学校のデータベースに侵入して君の単位を変えちまえばいいさ」

 さらりと言ってのけると、ミス・シンデレラは金髪を掻き揚げながら手にしていた何かの基板を籠に戻す。

 ここはいくつものジャンクショップが入っている大きな一つのビルで、中は端から端まで延々部品を売る小さな店が続いている。

 主に機器を改造・自作するタイプの人間だけが出入りする場所だ。

 そこら中で有線放送を流しているせいか、あちこちから人のざわめき以上に音楽やラジオのDJの声が聞こえてくる。

 ガガ達のいる店は2m四方しかない店内をほぼ部品が占めており、隅の方で店員の男がパイプ椅子に腰かけて雑誌を読みふけっていた。

 「県教(県立教育委員会)に侵入して、どっか適当な学校の卒業者名簿に加えちまう手もあるぞ。

 そう難しいこっちゃない、戸籍の存在する人間なら結構簡単だ。教育機関の情報てのは何故か電子的な防御対策が遅れてるんだ」

 立ち上がって茶色い紙袋に入った荷物を持ち直すと、ミス・シンデレラはビルの奥へと歩き出した。

 親に着いてゆく子供のようにガガがその背を追う。

  あんな事を言いはしたが、ガガにはもう学校に行くという気力が湧いてこなかった。

 無断外泊をした上にもう二日もサボっているのだ、家から学校に連絡が行っているだろう。

 このままいつ果てるともわからない探索を続ければ、留年するのもそう遠い未来の事ではないような気がする。

 そしてどんな形であれ、帰ったら確実に追求を受けるだろう。

 教師や親に様々な事を問い詰められる事を考えると、もうこのままあの世界には帰りたくないとさえ思えてくる。

 それだけにミス・シンデレラの言葉は魅力的だったが、残った理性みたいなものが一応の反抗を見せた。

 「そんな事していいの?」

 「大人は『学校に行かないヤツはロクな大人にならない』と言う」

 二人でエレベーターに乗ってビルを出ると、道路を歩いて路上駐車してある車に向かう。

 ミス・シンデレラの大きな四駆は遠くからでも目立った。

 「一理あるが、そいつは気づいてないのさ。そんな事を当たり前のようなツラして吐く自分自身がロクな大人じゃないってな。

 『学校に行く』って事の優先順位をもっと下に置けばいいんだ、君にゃクドリャフカを助けたいって目的があるんだろ?

 ソレの優先順位が学校より上だからサボってまで来たんじゃあないのかい」

 車の後部座席のノブを掴んで指紋照合を済ませると、荷物を放り込んで運転席の扉を開く。

 「『学校に行く』ってのが優先順位の一番上にあるヤツなんざつまらん奴だ。

 それよりも『惚れた女を助けに行く』を選んだ君ァかっこいい男なのさ、もっと胸張って行けよ」

 話を聞いていたガガに笑って見せると、ミス・シンデレラは車に乗り込んだ。

  相手の言っている事はムチャクチャなような気がしないでもなかったが、ガガは彼の言葉に甚く勇気付けられたような気がした。

 自分はどちらかと言うとほとんど部屋から出もせず人と話す事も会う事もない、どうしようもない部類に入る人間だと思っていたが、

 そんな自分をミス・シンデレラはかっこいい男だと言ってくれる。

 ラジオで知った顔も知らない少女を救いに行くなど、普通に考えれば正気の沙汰ではない事をしているこの自分を。

 そう言えばクドリャフカも『シスター・マリア』の放送の何回目かで言っていた。

 『貴方に誰かを助けたいと思う心がある限り、貴方には誰かを助けられる力がある』と。

 正直言って自身にそんな力があるとは思えないが、ほんの少しでもクドリャフカの力になれれば良いと思う。



  何だか嬉しくなって自分に気合いを入れ、ガガが助手席のノブを掴んだ時だった。

 ドアの窓には直射日光を避ける為の黒いフィルターが貼られており、サングラスのような表面をしている。

 その暗く澄んだ表面に映り込んでいる、ガガの顔のすぐ隣にいくつもの黄色い笑顔が見えた。

 真円を描く輪郭に、眼帯をつけた一点の曇りも無い笑顔。

 忘れる筈もない、シスター・ヴェノムのスマイルマークだ。

 ガガはゆっくりと背後を振り返った。車の停めてある道路の反対側では、ショーウインドウの中でいくつも積み重ねられたテレビモニターが

 一つの巨大なモニタとして機能しており、TVコマーシャルを流していた。

 そのモニタの中の映像が、渦を巻くように端からスマイルマークに塗り替えられてゆく。

  血相を変えて助手席に飛び込んできたガガに、運転席のミス・シンデレラが不思議そうな顔をした。

 「どうした?」

 「逃げっ…」

 まだ状況が飲み込めないミス・シンデレラがガガ越しに窓の外を見ると、向かいの電気屋のショーウィンドウのテレビいっぱいに

 スマイルマークが映し出されているのがわかった。

 いくつものスマイルマークは、やがて積み重ねられたテレビのすべてを一つの画面として使用し、一つの大きなスマイルマークとなる。

 そのスマイルマークが浮き上がった。

 ミス・シンデレラには確かにそう見えた。3D眼鏡をかけて観賞した特殊映像のように。

 テレビの枠により分断されていた隙間が埋め合わされ、それは更に二次元空間から三次元空間へ向けて身を乗り出す。

 「何だ、ありゃ…」

 彼の語尾はショーウィンドウのガラスが砕け散る凄まじい音に掻き消された。

 相変わらずその球面では笑顔を浮かべたまま、高さ2mはあろうかと言う巨大な黄色い球体は通行人を押し倒しながら道路に乗り出し、

 ミス・シンデレラの車の前でピタリと停止した。

 スマイルマークは空中60cmほどの所で音も無く浮遊し、じっと窓の外から二人を覗いている。

 「え…ええ?」

 街の時間が停止していた。

 テレビの中から出てきた巨大なスマイルマーク。

 通行人も何が起きたのか理解できず、こちらを茫然自失としたまま眺めている。

 ミス・シンデレラは何故か、あの理不尽な理由で砕け散った窓ガラスの修理にカネを出さねばならない電気店を哀れに思っていた。

 スマイルマークの球体の両側から、不意に鋭い金属光を弾く物体が飛び出す。

 機械製の巨大な腕だ。

 それと同時に笑顔が失せて一瞬ノイズのようになると、すぐに球面に女の姿が浮かび上がる。

 球面モニタのせいでやや歪んで見える婦警の姿をした女は、口に加えた笛を目いっぱい鳴らした後に、目の前の二人に高らかに

 警告を与えた。

 「そこは駐車禁止ですよー、罰金百億万えーん!」

 楽しげな笑みを浮かべたシスター・ヴェノムがびしっと車を指差すのを、ミス・シンデレラは呆然と眺めていた。

 「強制撤去させて頂きますぅ」

 スマイルマークの右腕が高々と持ち上がり、太陽と重なってガガ達の頭上に長い影を落とした。

 ガガがミス・シンデレラを覚醒させようと、その肩を掴んで必死に揺さ振る。

 「逃げないと! あいつがシスター・ヴェノムなんだ」

 「お? お、おう!」

 まだ理解できないままミス・シンデレラが目いっぱいアクセルに体重をかける。

 タイヤでアスファルトを斬り付けながら発進した車がほんの数秒前までいた場所に、スマイルマークの腕が唸りを上げて振り落とされた。

 無機物が砕ける激しい音が空気を震動させる。

 振り向いたガガの視線が今道路を叩き割ったばかりのスマイルマークと噛み合い、そして見る見る遠ざかってゆく。

 「なななんだありゃあ!?」

 人と物に接触しないよう運転に極限まで神経を注ぎ込みながらも、ミス・シンデレラは糸が切れたように声を張り上げた。

 「シスター・ヴェノムだよ」

 「そいつはサイバースペースの存在だろうが、何で現実世界にいるんだよ!」

 「知らない、そんな事!」

 リアウィンドウ越しにガガが背後を確かめると、地面にめり込んだ拳を引っこ抜いてスマイルマークは今まさにこちらへ追撃を開始した所だった。

 空中に浮いている球体は、音もなく滑るように走行している。

 球体の表面は何時の間にかシスター・ヴェノムの映像からスマイルマークに戻っていた。

  車は電気街を抜けて大通りに出、ミス・シンデレラの絶妙なハンドルさばきによってどんどん別の車を追い抜いてゆく。

 切り裂いた空気は悲鳴のような音を上げ、窓ガラスをビリビリと震動させる。

 風景の輪郭はもはやわからず、町は指で伸ばした絵の具のように尾を引いて背後へすっ飛んで行った。

 一方スマイルマークは車高よりも高く浮かび上がり、他の車の頭上を飛び越えているようだった。

 当然、障害物の回避に手間を取られる二人よりも速い。

 バックミラーにいっぱいにその笑顔が映った時、ミス・シンデレラの表情が対照的に蒼白になる。

 顔の前で祈るような形に両の掌を組み合せたスマイルマークの正面がモニタに変わった。

 口を尖らせるとチッチッチ、と口を鳴らし、婦警姿のシスター・ヴェノムが人差し指を振る。

 「公務執行妨害でぇ…」

 再び車に影が落ちる。

 「ペシャンコの刑!」

 はるかな高みに上がったハンマーナックルが落ちてくる寸前、ミス・シンデレラは右にハンドルを切った。

 横に滑った車を霞めてスマイルマークの拳は再び道路に炸裂する。

 粉砕されたアスファルトの破片が散弾のように飛散し、走行中のあちこちの車に突き刺さった。

 ガガが顔を貼り付けていたドアにもいくつも小さな破片が命中し、窓ガラスに蜘蛛の巣のような断裂が走る。

 内側に凹んだ助手席のドアに視線を奪われると、ミス・シンデレラは憤慨に声を張り上げた。

 「あーっ人の車に何て事…」

 「前! 前!」

 ガガの声に慌てて注意を正面に戻し、ミス・シンデレラはハンドルのクラクションの下についているボタンを押した。

 すぐにフロントガラスに半透明の地図が浮かび上がる。

 「立体駐車場に逃げ込もう。あいつの図体なら入り口を通れんだろうしな」

 早くも冷静さを取り戻し、ナビコンによる地図を眺めた後に彼は更にアクセルを踏み込んだ。

  砕けた道路にタイヤを取られて転倒する車にも構わず、スマイルマークは執念深く追い駆けてきた。

 笑顔の正面にしっかりと二人の乗る車を見据えたまま、ひょいと右手で路上に駐車してあった無人の車を手に取る。

 そしてそれを粘土のように手の中でこねくり回し、やがて巨大な円錐状の鉄の塊に変えた。

  一同は巨大なビルが見下ろす町から、中程度の大きさのビルが目立つ都心からやや離れた場所までやって来ていた。

 二人とも警察が来るのを心待ちにしていたが、その気配はまったく見えない。

 ネット空間からシスター・ヴェノムが情報を操作し、通報が警察にまで届かないようにしているのだろう。

 道路が直線になり車とスマイルマークが一本の線で結ばれた時、スマイルマークは手にしていた円錐の底部を相手に向けた。

 頂点から紐のように伸びている元は車のバンパーだったものを片手で掴むと、それをクラッカーの要領で一気に引き抜く。

 炎が吠えた。

 円錐の底部を塞いでいた鉄板が弾け、中から吹き上がった凄まじい爆炎が車を飲み込もうと空中に伸びる。

 「だああーっ!」

 悲鳴を上げながら咄嗟にハンドルを切って右手の大きな公園の中に突っ込み、炎をやり過ごす。

 若木を薙ぎ倒し花壇を踏み越えて広場を横切ると、再び同じ道路に戻る。

 公園のホームレスや営業をサボっているサラリーマンなどが、何事かと口を開けたままこちらを眺めていた。

 「見えた、あそこだ!」

 ガガがミス・シンデレラの視線に沿ってその先を追うと、入り口を黄色と黒のバーに塞がれたくすんだビルが見える。

 「弁償すっから!」

 窓を開けるとミス・シンデレラは料金所にいた従業員にそう叫び、駐車券も取らず車をバーの降りた入り口に突っ込ませた。

  ガガが振り向いた一方で、同じく公園を突っ切ろうとしていたスマイルマークは足止めを食っていた。

 丁度ミス・シンデレラ達が通ったルートと同じく大きな公園の中央を突っ切ろうとしていたのだが、広場の中央で突然浮力を失って

 地面に落ち、数度ボールのように地面を転がる。

 突然停止した相手に疑問を浮かべたガガが見た最後の光景は、スマイルマークの頭部の頂点からアンテナが伸びる姿だった。

  幾分遅れて再び活力を取り戻し、スマイルマークは空中に浮かび上がった。

 ミス・シンデレラがバーを折った入り口まで来ると、スピードを落とさずに顔を突っ込む。

 額の当たった入り口の天井が砕け、全身が入り口にめり込んだが、それ以上はどうやっても潜り抜ける事ができない。

 ここは一般乗用車用の駐車場で、トラックなど車高のある車は入れないようになっているようだ。

 入り口を破壊すれば上下を擦りながら何とか入っていけただろうが、しかしスマイルマークは躊躇ったようだった。

  ふとその表情がモニタに変わると、大きく『圏外』と表示される。

 コンクリートの破片を撒き散らしながら、はまり込んでしまった全身を両手を使って引っこ抜くと、笑顔に戻ったスマイルマークはそのまま

 思案するかのようにその場で動きを止めた。

 料金所では従業員が呆然とそんな相手を眺めていた。



  地下四階まで来るとミス・シンデレラは車を止めた。

 上でなく下を選んだのは、あのスマイルマークが空を飛べるかも知れないという事を危惧しての策だ。

 ミス・シンデレラは一気に憔悴し切ったような表情を見せ、車を降りてエレベーターの前まで来ると自販機と向かい直る。

 ガガがその後に続いた。

 地下のどんよりと湿った空気に反応して鼻腔が不快感を伝える。

 点々と続いている薄汚れた蛍光灯の灯りは暗く、自販機の前のスペースだけが夜空に浮かぶ月のように明るかった。

 栄養ドリンクを買って喉に流し込み、ようやく人心地を取り戻したミス・シンデレラが地下に入って初めて言葉を口にする。

 「どうなってるんだ?」

 「…」

 ガガは質問に答えようがなかった。こっちが聞きたいくらいだ。

 「シスター・ヴェノムは本当にただのカウンタープログラムなのか? どうやって俺らの居場所を掴んだ?

 そもそもテレビから出てきたぞ、何なんだありゃあ!」



  一方、地上ではスマイルマークが奇妙な行動に出ていた。

 背中から尻尾のように伸びたコードと繋がっている大きなコンセントを手に取ると、料金所の壁を片手で引っ剥がす。

 腰を抜かしている従業員を放っておき、狭い室内に置いてあった電話に目をつけると、器用にもその電話を摘んで軽く引っ張った。

 壁に埋め込まれていた電話線が浮き上がり、電話だけ線が根本から千切れて床に落ちる。

 その電話線を拾い上げると、今度は片手の中のコンセントにぐるぐると巻いて繋げた。

 準備は済んだようだ。

 両手で料金所の入り口の上下のブロックを掴み、力任せに引っ剥がす。



  誰とは無しに矢次に疑問を喚く相手に、ガガは何とか答えようと努力した。

 急に取り乱しているミス・シンデレラという存在が怖く思えてくる。

 「あの」

 必死に勇気を掻き立てて彼と視線を合わせ、声を絞り出す。

 「えーと…」

 頭の中には何も浮かんで来なかった。

 それでも何とか答えなければいけないような気がした。

 ミス・シンデレラをこんな事に巻き込んだのは、すべて自分の責任なのだ。

 「待った」

 ガガが返事に窮している間、急に表情を引き締めたミス・シンデレラが自分の人差し指を口の前に持ってくる。

 今車で降りてきたばかりの通路に視線を送ると、ピンと神経を張り詰めて耳を済ます。

 「聞こえないか?」

 その言葉の意味はガガにもすぐにわかった。

 遠くでコンクリートを粉砕しているような激しい音響が、コンクリートに阻まれた空間の中に木霊している。

 それに合わせて地震のように床が震動し、音は通路の奥からでなくすぐ隣まで迫った。

 ミス・シンデレラとガガの視線が、ゆっくりとエレベーターの扉に注がれる。

 次の瞬間錆びて赤茶けた扉の隙間の内側から、鉄板を歪めて八つの指が飛び出した。

 そして扉を力任せに広げると、コンクリートの破片をかぶったスマイルマークが顔を覗かせる。

 「公僕を撒こうだなんて100億兆年はやーい!」

 球面に映ったシスター・ヴェノムが子供のように笑いながら二人を指差す。

  ミス・シンデレラが我に帰ると、咄嗟にガガの腕を掴んでエレベーター脇の非常階段に飛び込む。

 「そんなワケで死刑!」

 エレベーターの扉の枠を壁ごと広げ、スマイルマークは駐車場のスペースに身を乗り出した。

 潰れた扉とすぐ脇にあった自販機がメキメキと音を立てて潰れる。

  二人は転がり落ちるように階段を下っていた。

 振り向いたガガの視線の先では、背中のコードを引き摺りながら非常階段の踊場に身を乗り出すスマイルマークの姿が見える。

 「あのコード!」

 ガガの叫び声にミス・シンデレラは振り返る暇もなかった。

 「喋るな、走れ!」

 地下六階の踊場まで来ると、二人は駐車場のスペースに入る。

 「コード着けてたよ、あいつ」

 「だから何だよ!」

 スロープを登って地上を目指しながら、ミス・シンデレラはガガに怒鳴り返した。

 息を切らしながら必死にその背を追い、ガガが言葉を続ける。

 「ホラ、PHSとかだとよくあるじゃない、デカい公園とか浜辺とか、地下でさ。電波が届かなくなって圏外になっちゃう事。

 あのスマイルマークみたいなのはタダの乗り物で、シスター・ヴェノム本体はネット空間にいるんだ! 多分どっかのケータイ会社の

 電波を乗っ取って、ラジコン方式で電波を送ってアレを動かしてるんだよ」

 広い公園の中央で突然動きが止まり、微弱な電波でも行動できるようにアンテナを伸ばした事と、そして今地下に入った自分たちを

 追う為に有線に変えた事。

 これらの事から考えるに、あのスマイルマークは電波による操作を受けねば自律ができないのだ。

  息を切らして説明をするガガの背後で、非常階段の入り口をぶち破る音が響いた。

 「で?! それだったらどうだって言うんだよ!」

 五階に到達し、四階へ登るスロープを駆け上がりながらミス・シンデレラが振り返る。

 汗で癖の無い彼の金髪が額に張り付いていた。

 「ネット空間に潜ってシスター・ヴェノム本体を妨害すればあいつも止まる…と思う」

 ミス・シンデレラは内心舌を巻いた。こんな状況でそんな所に頭が回るとは。

 「今は有線なんだろ? あいつのコードをぶった切るか根元を抜いちまった方が速くないか?」

 「だから僕がアレの動きを止めてる間に、君がソレをやってよ!」

 「わかった!」





  スマイルマークが二人を追って狭苦しそうに駐車場を進んでいると、突然前方の闇から薄桃色の煙が舞い上がった。

 僅かな灯りを遮り、闇はたちまき煙に侵され暗黒の濃度を増す。

 「んー?」

 スマイルマークの表情が、柳眉を寄せたシスター・ヴェノムの姿に変わる。

 恐らくどれかの車が積んでいた、発煙筒の煙だ。

 目くらましのつもりなのだろう。

 真っ赤な口紅を乗せた細い唇の端を釣り上げて歪んだ笑みを浮かべると、シスター・ヴェノムは闇に目を細めた。

 球体の両脇についた巨大な手で適当な車を掴み上げると、粘土のようにこねて再び鋼鉄のクラッカーを作り出す。

 「迷子の迷子の子猫ちゃん〜♪ 貴方のおうちはどこですか〜?」

 歌いながら円錐の頂点から伸びているバンパーを引っ張ると、闇に炎の花が咲いた。

 爆風で煙が晴れ、一気に暗黒の濃度が薄まって行く。

 「名前〜を聞いてもわっかっらっなっい♪ おうち〜を聞いてもわっかっらっなっい♪」

 二つ目の車を手に取ると、もう一つクラッカーを作り出す。

 「にゃんにゃんにゃにゃ〜ん♪ にゃんにゃんにゃにゃ〜ん♪ 泣〜いてばかりいっるっ子猫ちゃん〜」

 二度目の炎が空気を焦がす。

 ほぼ煙が晴れ、視界がある程度良好となった所でモニタの中のシスター・ヴェノムは目を凝らした。

 「逃げられないわよぉ、子猫ちゃん?」



  ガガは地下にある非常用電話の回線からネット空間に潜っていた。

 現実世界ではミス・シンデレラが時間を稼いでいてくれる。急がねば。

  ネット空間はどちらを見ても180度、水晶のような透明感を持つエメラルドグリーンの砂が砂丘を作る砂漠だった。

 各地には点々と椅子や戸棚、机、ついさっきまで誰かが食事をしていたような食卓などが落ちている。

 それらすべてが相まって、本物の砂漠以上に乾いていて無機質なイメージを受けた。

  地平線に見える点を求めて砂を踏みしめながらしばらく歩くと、様々な疑問が脳裏を過る。

 まずシスター・ヴェノムが自分らの居場所を掴んだのは、恐らく買い物をしている時にガガが不用意にもネットにアクセスした時だろう。

 彼女はこの界隈のネット空間に網を張って、ガガが現れるのを待っていたのだ。

 しかしわからない事が一つある。何故シスター・ヴェノムはそこまでして自分を追い駆けてくるのか?

 クドリャフカのカウンタープログラムならば、彼女の情報にアクセスしようとした際に襲い掛かってきた事は理解できる。

 だがシスター・ヴェノムは恐らくは独立した存在であり、カウンタープログラムのようにあらかじめ入力された命令に沿って何か重要な情報を

 守っているのではなく、確固たる己の意思でクドリャフカを守っているのだ。

 そして一度でもクドリャフカにアクセスを試みたものを排除、追跡する。

 ではクドリャフカとは何なのか? そこまでして守らなければならない情報の主の正体とは?

  考えているうち、彼方で地平線の中に溶けていた点は次第に大きくなり、ようやくその輪郭が現れ始めた。

 それは小さなビルくらいはある巨大な水槽だった。

 青い液体の満ちた中では、モニタやジャックホールなど様々な電気機器を体に埋め込んだ熱帯魚たちが悠々と泳いでいる。

 底には玉砂利が敷き詰められ、海草が水の流れに凪いでいた。

 水槽が落とす青い影に飲み込まれながら、ガガは水槽を見上げた。

 これがあのスマイルマークを稼動させているメインプログラムだ。水槽はハードウェア、泳ぐ魚たちはソフトウェアを現しているのだろう。

 左腕と一体化している小型パソコンを開くと、コードを伸ばして水槽に突き刺し、手早くキーを叩く。

 すぐにモニタにはこのハードウェアのデータ積載量の数値が出た。すでにMAXに近い。

 停止させるにはこの水槽を破壊するよりも、別の適当なデータを放り込んで過負荷をかけシステムをダウンさせてしまう方が速いだろう。

 大量の情報を詰め込んだパソコンは止まってしまう。それと同じ事だ。

  ベルトに下げているパックから注射器と拳銃が一体化したような武器を取り出すと、ブローバックさせて別のパックから取り出した弾丸を

 込める。

 いつも持ち歩いているウイルス弾だ。

  コンピューター・ウイルスは現実世界ならばパソコンが壊れたり勝手に別の人間に送ってしまって人間関係が壊れる程度だが、サイバー

 ダイヴ能力者が感染した場合は命に関わる結果となる。

 製作者の意図はどうあれデータ破壊が目的で作られたウイルス達は、情報と化してネットを彷徨うガガのような存在にも容赦なく襲い掛かり、

 唯一の存在理由たる命令に従い相手の肉体を構成する情報を抹消せんと働くのだ。

 町にはサイバートリップと呼ばれる、人間の記憶から思い出の光景などを抽出して再びその記憶に浸れる遊具があるが、何らかの理由で

 そのマシンが他所のネットワークと繋がったまま利用者がトリップを開始し、その際ウイルスに襲われた場合は廃人と化す事もある。

 最近ではウイルスの制作・流出の罪は場合にもよるが殺人罪なみに重い。

  『腹ペコ虫』という名のついたこれはネットで知り合ったウイルスをコレクションしているという知り合いから譲ってもらった最新型で、

 感染するとネット空間から手当たり次第に情報を吸収してしまい、パソコンのメモリ残量をあっという間に埋め尽くすという非常に迷惑な

 ウイルスである。

 右手に銃を構え、左手でその手首を固定して水槽に狙いを付ける。

 幸い的が大きいので外すという事はなく、銃口から発射された注射器は狙いを違わず水槽へと飲み込まれて行った。



  現実世界ではミス・シンデレラが息を殺して時間が過ぎるのを待っていた。

 ガガに連絡して状況を聞きたいが、どんな手段であれネット空間にアクセスすればあのスマイルマークに自分の居場所や作戦がバレて

 しまうかも知れない。

 ありったけの消火器とちょろまかした発煙筒での目くらましもそろそろ限界だ。

 非常階段の入り口から顔を出して様子を伺いながら、滲み出る冷や汗を拭ってじっと焦燥に耐える。

 上まで戻って地上に逃げるという方法もないでもないが、それでは囮を失ったガガが危険に晒されるだろう。

 煙が渦巻き視界はほとんど利かないが、シスター・ヴェノムの歌声だけは幽玄のように聞こえてきた。

 「いっぬっの〜お巡りさん♪ 困ってしまって わんわんわわ〜ん♪ わんわんわわ〜ん♪」

 場違いに楽しげなメロディの童謡は、何故かミス・シンデレラの不安を掻き立てる。

 彼は内心ガガと出会ってしまった自分の運命を呪っていた。

 とりあえず顔を引っ込めようと、そっと後退したミス・シンデレラの踵に何か硬い感触がぶつかった。

 しまった、と思った時にはもう遅い。

 不届き物が捨てていった空き缶は耳障りな金属を撒き散らしながら、派手に階段を転がり落ちて行く。

 真っ青になったミス・シンデレラの顔から一気に冷や汗が吹き出した。

 じわりと発生した嫌な気配に全身が総毛立ち、再び扉から駐車場のスペースにゆっくり視線を戻す。

 煙の中で屈託の無い巨大な笑顔がこちらを見ていた。



















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