プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -
シスター・マリア
8.記憶の中へ
翌日、ミス・シンデレラの所有するビルの一室では重苦しい雰囲気が落ちていた。
彼は前日のゴッドジャンキーズの二人の誘いを断り、逆に彼らを自宅に招待していた。
もちろん相手が信用できなかったからだが、イコンとホノカグヅチは快く了解して翌日にはビルの敷地内に足を踏み入れた。
天気が良く暖かい日で、風は柔らかくそよいでいる。
彼方では空気の澄んだ冬場のみ見える、吸い込まれそうな青空がビルで埋め尽くされている地平線まで延びていた。
一同のやや右手の奥の一角では吊られた洗濯物がはためいており、この場に似つかわしくない呑気な雰囲気を演出している。
屋上の日当たりのいい場所にテーブルと椅子が四つ置かれ、男三人と少女一人はお互いを牽制し合っているようだった。
そしてそれに加えて一人、前日には姿を見せなかった少女がイコンの隣に腰を降ろしている。
葬式の帰りのような喪服に顔には厚手のヴェールを降ろしており、顔はわからないが年はガガと同じように思えた。
「話を聞こう。ホノカグヅチって言ったな」
擦り切れた紋付袴姿のミス・シンデレラが、ビルの屋上から見える彼方に広がる景色から不意に視線を戻す。
クルミの持ってきた紅茶に口をつけていた男が、名を呼ばれて顔を上げた。
「やたらとうまいお茶ですね。羨ましい」
喉を鳴らして液体を飲み下すその表情は、本心なのかお世辞なのかわからない。
風に舞って目にかかる髪を撫で付けると、ホノカグヅチは真っ直ぐにミス・シンデレラに視線を返した。
「どこから説明したもんですかね…マダム・ホーンヘッドには会いしましたか?」
「ああ。あの女からゴッドジャンキーズに会えと言われたんだ」
ふんふん、とホノカグヅチが頷く。
相手をバカにしているような仕草のようにも取れたが、ミス・シンデレラは相手の言葉から真偽の程を計ろうと神経を研ぎ澄ませており、
それどころではなかった。
自分を疑ってかかる相手の態度を知ってから知らずか、ホノカグヅチはひどくのんびりとした口調で話を続けた。
「そんなら話ァ早い…『フリューシャ』『アンナ』『ユーリヤ』『デルジャヴィナ』には会ったワケだ」
どうにも会話に割り込む事ができず、傍観を強要させられていたガガの脳裏にあの四人の少女の姿が浮かび上がる。
マダム・ホーンヘッドのコレクションルームで見た、あの生気の無い眼はどこかこのゴッドジャンキーズの二人に共通しているように思える。
「あのシリーズは七体造られ、その内の四体があの女の手に落ち、二体が焼却処分された…って聞いた筈だ。
でまあアンタ方の想像じゃあ、残りの一体がクドリャフカって事に行き着くわな、当然。あ、お茶のお代わり貰いますぜ」
勝手にポットを手に取ると、彼は話を区切ってカップに注ぎ始めた。
ガガには自分の隣の席のミス・シンデレラがイライラしているのがわかる。
「昔々の話だ…オシリス・クロニクル社ってのは知ってますよね? あの会社のレベル3、通称『スプートニク』っつう地下実験場でずーっと
やってた一つの研究がある…」
「レベル3? あの会社にある地下施設はレベル2までだぞ」
オシリス・クロニクル社とは人工臓器の製造で一躍伸し上がった巨大医療企業の事だ。
口を挟んだミス・シンデレラに、ホノカグヅチの目が僅かに細まる。
「おっと、詳しいじゃないすか。ところがレベル3まであったんですよ、今はさる事故でブッ潰れちまってそのままにしてるんですがね。
…でまあ、そこでオシリス・クロニクル社の連中はロクでもねえ研究に没頭してた。『ナイトメアウォーカー』の具現化だ」
「?」
皿に乗っていたクッキーを手に取ると、噛み砕きながらホノカグヅチは続ける。
いちいち話の腰を折られるのでガガもミス・シンデレラと同じくやきもきし出していたが、相手はマイペースを維持していた。
「や、こいつもうまい。手作りだな。…えーと、そんで。何だったかな。
データ
ナイトメアウォーカーだ、まあ早い話ソレは人間の心を数値化した時に『憎悪』の部分だけを切り離したもんなんで。
それがまあ、ナイトメアウォーカーっつうソレなんですよ」
「わからんな」
腕組みをしてミス・シンデレラが相手の言葉を遮る。ガガにはその瞳に宿る疑惑の光は色濃くなっているように思えた。
いつもは半分冗談めかしてお喋りを楽しむミス・シンデレラも、この時ばかりはピンと張り詰めた緊張感を漂わせている。
「お前らは何者だ? 何故そんな事まで知ってる。そしてそれがクドリャフカとどう関係してるんだ?」
「ままま、ここはちっと我慢して聞いて下さいよ。
ナイトメアウォーカーを抽出するには誰でもいいってんじゃなくて、特殊な遺伝子を持つ人間が必要だった。
その遺伝子を元に作られた七体のクローンがつまり、さっき言った『フリューシャ』『アンナ』『ユーリヤ』『デルジャヴィナ』」
「クローン?」
初めて声を出したガガに、ホノカグヅチは頷いた。
マダム・ホーンヘッドのコレクションルームで見た四人は確かに同じ顔をしていた。
しかし彼女らは人造人間ではなく、クローンだったのだろうか。
「ま、クローンつってもほぼ脳も体も改造されまくってたんですがね。更に始末されたのが『オルガ』『イーカ』の二人、最後の一人が…」
ホノカグヅチが隣の椅子に腰を降ろしていた、喪服の少女の肩に手を置いた。
まさか彼女が!?
一瞬、ガガの鼓動が破裂しそうなほどに速まる。
釘付けられた彼の視線の先で、喪服の少女はゆっくりと顔を覆っていたヴェールを持ち上げた。
喪服と対比的に見えるせいか白蝋のごとく異様なまでに白く見える肌を持つ、人形のような美貌の少女だった。
透き通った薄桃色の髪が顔にかかっており、時折伏せがちな瞼をくすぐっている。
「この唯一の生き残り、『ナヴァルーニャ』」
ミス・シンデレラは拍子抜けしたようにガガに視線を降ろしたが、ガガは呆けたように真っ直ぐナヴァルーニャを見ているだけだった。
彼女は確かにあのマダム・ホーンヘッドに見せてもらった四人と同じ顔をしている。
しかしあの四人とは決定的に違う点がある。哀しげな光を湛えた双眸には明らかな意思が秘められているのだ。
四人には無かった、確かな『自我』が存在している。
混乱しかけた自分を静め、ミス・シンデレラは務めて冷静に言った。
「…ちょっと待てよ。七人が全部クドリャフカじゃないってこた…」
少しガガを気遣わしげに見ていたが、思い切って彼は質問を続けた。
「今、クドリャフカはどこにいる? 生きているのか?」
「ナヴァルーニャ」
呼ばれた少女が手を自分の髪の下、うなじの辺りに入れるとコードと繋がった端子を手袋に包んだ指に摘んで正面に差し出す。
ダイバーフォンの接続端末に似ているそれは、ガガと同じく先端にバリアブルメタルを使用しているようだった。
冬の淡い日差しを弾いて銀色に輝いている。
その先端はガガに向けられていた。
「まあ色々ぐだぐだ言いましたがね、こいつに接続してみりゃあわかる。そっちの…ガガさんでしたかね、端末持ってんでしょう?」
「え…」
顔を上げたガガの視線がホノカグヅチと噛み合い、次に真正面のナヴァルーニャと交わった。
恐ろしく深く澄んだ青い彼女の瞳は、底の無い深海を思わせる。
覗き込んでいるだけでその中に引きずり込まれそうだった。
「ナヴァルーニャの記憶を見てみりゃあ全部わかるって事。ただし、色々イヤなモンも見ちまうぜ」
ガガは隣を見上げたが、ミス・シンデレラは特に何も言わなかった。
自分で決めろ、という意思表示なのだろう。
怖くないと言えば嘘になる。しかし遂にクドリャフカに迫る発端に、ガガの胸は高鳴った。
不安が渦巻くまま、一同の視線が集まる中でガガとナヴァルーニャの端末は結合された。
最初に見えたのは、深い深い底無しの闇だった。
そこが外の光景なのか瞼の裏側なのかさえわからないほど続く、永久の闇。
光を掴もうと伸ばした手にその闇はまとわりつき、やがてはゆっくりと自分を消化しようと皮膚を這う。
まるで胃袋の中のように、消化された自分の自我が周囲の闇に拡散しては消えてゆくようだった。
―― 『光が欲しい』 ――
ガガの意思の中にナヴァルーニャの渇望が流れ込んでくる。
乾いた喉を掻き毟るような、圧倒的なその感情に頭痛がした。
気が付くとそこは、誰もいない小さな映画館だった。
背後の壁の高い場所には四角く穴が空いており、そこには投影機のライトから光点が生じている。
ガガの座っている最前列の席の目の前の、純白のスクリーンにはそれが投げかけた映像が流れていた。
随分古い記憶なのだろう、映像にはフィルムの傷らしきものがチラチラと混ざる。
その記憶の映画はサイレントムービーのようにセリフがなく、カタカタというフィルムが回る単調な音のみが背後で響いていた。
今流れているのはどこかの研究所らしき場所で、殺風景な病院のような白い廊下が延々と先に続いている。
ナヴァルーニャの視点はその通路をずっと一人で歩いているようだった。
画面が暗転し、いっぱいに字幕が現れる。
―― 『私が生まれた時、最初に二つのものを与えられた』 ――
次に現れたのは、研究員らしき男が二人。
胸に降りている社員カードは、確かにオシリス・クロニクル社のものだ。
ここはオシリス・クロニクル社の地下、レベル3なのだろうか。
―― 『一つは番号。私のすべてが11113という五つの数字で表される事。二つ目は』
――
研究員二人に連れられて、歩いても歩いても廊下は続いていた。
彼方は蜃気楼の生んだ移ろいのオアシスのように、歩いた分だけ遠ざかる。
―― 『絶望』 ――
場面は大きな広場に変わる。
ドームのような広大な部屋で、天井も床も何もかもが真っ白だった。
ただしあちこちにシーツに零したソースみたいに点々と色々なものが落ちており、視界はその中の一つに歩み寄って行く。
映画はすべてナヴァルーニャの視点で進んでいた。
ナヴァルーニャの手が視界に入り、その落ちていたものを拾い上げる。
携帯テレビだ。
画面の中では、この静けさに満ちた沈黙の空間とは場違いな賑やかさが展開している。
―― 『私は外の世界が存在するという事を知った。そしてこの世界からはどうやってもその世界へ行けないという現実も』
――
広い部屋の片隅には、ベッドが一つ置かれていた。
シーツにはいっぱい黒い染みのようなものが付着しており、ボロボロになって剥がれている。
血の跡だ。
―― 『毎日毎日目が覚めてはテレビを見て、ラジオを聞いて、インターネットをして、壁を殴り、手首を切り、走り回り、自慰もしたし、
自殺ごっこもした。
とにかく退屈で退屈で仕方なかった。やる事がなくて何度も喉の奥に手を突っ込んで胃液を吐いた。
暇潰しに一度、テレビ画面を割って作ったガラスのナイフでお腹を切り開いた事がある。
気が付いたら傷は治ってて私はいつものベッドで目が覚めた。気絶してる間にあの人たちが治しちゃったんだと思う。
あの時は痛くて死にそうだったけど、やる事がないからその後も二回くらいやった』 ――
場面は暗転し、ナヴァルーニャの雪のような肌の右の太股が画面に現れた。
部屋全体が放つ光を受けて艶かしく光るその皮膚に、突然赤い何かが走った。
見えない針で引っ掻いているみたいに、肌に文字が浮き上がっているのだ。
『これしか連絡手段がないの。痛くても我慢して』
日本語でそう浮かび上がった。
―― 『ある日、肌に文字が浮かび上がってきた。
最初は気のせいだと思ったけど、日を追うごとにどんどん色んな文が送られてきたの。
相手の名前は…』 ――
ナヴァルーニャの視界に入った、彼女自身の足に浮かび上がった次の文字はガガに無二の衝撃を与えた。
―― 『クドリャフカ』 ――
ナヴァルーニャは自分の足に浮き上がった文字を、ガラスの破片を用いてすべて床に刻み付けて残していた。
様々な文面が材質不明の白い床に走り、ベッドの周囲を埋め尽くしている。
―― 『色んな事がわかった。自分が彼女、クドリャフカという人間の遺伝子から生まれたクローンである事、そして他にも六人の姉妹が
いる事。
クドリャフカは私達を助けたいけれど、今はあの白い服を来た連中に捕まってて他に連絡する手段がない事。
クドリャフカとクローンたちは双子みたいにお互いの体がどこかで繋がってて、クドリャフカが怪我をするとクローンの体にも
腫れになって浮かび上がるようになってるみたい。逆は無理っぽかったけど。
クドリャフカは伝えてくれた。私達が世界に対して憎悪を持つように育てられ、その心から怪物を作り出す為に作られた事を。
最初はどうでも良かったけど、私はそのうちこの【手紙】が来るのが楽しみに思うようになってた』
――
次に現れたのは、ナヴァルーニャの足に浮かび上がった文字。
『ナヴァルーニャ、ここから逃げよう』
ナヴァルーニャは何度もその腫れの文字を指で撫でていた。
恋人からの手紙の文面を愛しく思い、指を這わせるみたいに。
―― 『ナヴァルーニャって言うのはクドリャフカが私だけにくれた名前。彼女、連絡する相手を選べるみたい。
逃げようって言うのには正直、迷った。
この世界は退屈だし他にやる事は何もないけれど、だけど外に出て生きていける自信なんて全然なかった。
私はテレビとインターネットでしか外の世界を知らなかったけど、何か…ほんとに何となくだけど。
外の世界もここの世界も変わらないような気がした』 ――
ベッドに腰掛けていた視界が持ち上がり、広い部屋の壁の一角へと突き当たる。
ほとんどその気が遠くなるような白の中に飲み込まれているが、指を当ててみると微かに凹凸が走っていた。
人間が潜れるくらいの大きさの長方形を描いている。出入り口だ。
―― 『だけど、クドリャフカは教えてくれた。外の世界は物凄く広いんだ…って。
探す事さえ諦めなければ、貴方だけの大切なものがきっと見つかるって』
――
ここからストーリーは目まぐるしく展開してゆく。
ナヴァールニャたち七人のクローンはある日を境に全員あの広い部屋(研究員らは『箱』と読んでいた)から出され、連れられてきた別の
場所に幽閉されていたクドリャフカと共に同じ地下施設の研究に回される予定だったが、当日に地下研究所は大混乱に陥る事となる。
クドリャフカの作り出したナイトメアウォーカーは研究所に配置されていた兵士たちをことごとく薙ぎ倒し、箱は片っ端から破壊され、
ナヴァルーニャと同じく連絡を受けていたクローン達は全員地上へと続くエレベーターホールの前の広場に集まっていた。
助け出した自分が名をつけた分身たちを一通り見渡した後、クドリャフカは微笑を見せた。
ガガにとっては初めて見るクドリャフカの姿だった。
心身ともの疲れのせいかやややつれて見えたが、それを踏まえた上でも花のような美少女だ。
奇妙な感覚だった。
マダム・ホーンヘッドのコレクションルームの四人、そしてナヴァルーニャの顔とも一緒なのに、何故か胸の奥からこみ上げてくるような
懐かしさを感じる。
ガガと同い年のようだが、表情はずっと大人びているように思えた。見る限りでは我の強そうな性格をしている。
彼女は単独でナイトメアウォーカーを具現化する事のできる、極めて稀な能力の持ち主だったらしい。
だからこそその遺伝子に目をつけたオシリス・クロニクル社に誘拐され、被験体としての運命を課せられたのだ。
連絡に使った為だろう、彼女の四肢には刃物で切りつけたような傷が縦横に走っている。
クドリャフカと一同は輪になるように手を繋いだ。
被験体たちの年齢は様々で、十歳から二十歳くらいまで様々だ。
クローンだけあって全員が同じ顔に同じ髪の色、同じ瞳をしている。
ガガはここで初めて気づいた。この中では最も年上のクローン、イーカがあのシスター・ヴェノムに瓜二つだと言う事に。
イーカがシスター・ヴェノムという事ではないだろうが、シスター・ヴェノムもまた何らかの理由でクドリャフカから生まれた存在なのだろうか。
全員のその瞳が一度にすっと閉じられ、表情が遠のいて行く。
ナヴァルーニャも例外なくそれに習い、画面は瞼に包まれて暗転した。
―― 『クドリャフカは簡単に説明してくれた。
自分は他人が発した誰かに対する憎しみや憎悪なんかの感情の残り香、【電波】を受信できる人間だって。
私達が憎いと思えばその感情を受け取り、ナイトメアウォーカーという怪物を作り出せる。
この地下研究所の地上へ続くエレベーターホールの扉はあらかじめナイトメアウォーカーが暴走した際の事を考えて、精神感応…
何とかとか言うシステムがついてて、普通にやってたんじゃ壊せないんだって。
だからみんなで協力して、コレの許容範囲を上回るだけの憎しみをぶつけろって』
――
ここから先は画像はなく、時折現れる物音や声を現す字幕から想像するしかない。
まずは恐らく兵士と思われる者たちの発する警告や怒号だった。
彼らはクドリャフカとクローン達を『エクトプロイド』と呼んでおり、貴重な研究材料である事から発砲はできなかったらしい。
テイザー
電気銃を使え、という声が放たれた。
―― 『バカ、近づくな! そいつらは今、力場を作ってる、近寄るな…』
バシャッ! ビチビチ
―― 『うわっ…』
―― 『くそ、だから近寄るなっつったんだ。おい、テイザーはまだか!』
バキ…ビシッ…
―― 『亀裂が…扉が破られちまう!』
―― 『喚くな、早くテイザーを!』
この状況下、クドリャフカだけがあくまで冷静だった。
しかし他のクローン達は迫り来る危機に浮き足立ち、中には集中力を乱して恐慌状態に陥る者もいた。
そうなった者は精神力で作り出した衝角に逆に精神を破壊され、発狂してしまう。
―― 『この時は夢中でわからなかったけど、多分クドリャフカはこの時に何人か発狂する事を予測してたんだと思う。
でも犠牲なしじゃ一人も助からない事もわかってたんだ。
一番多くの人数が助かる為の手段を取ったんだと思う。きっとそれしかなかったんだ』
――
遂に扉が破られクドリャフカの声にナヴァルーニャが瞼を開いた時、生き残っていたクローンは僅かに三人。
フリューシャ、アンナ、ユーリヤ、デルジャヴィナの四人は精神を破壊されて正気を失い、その場にうずくまっていた。
彼女らはこの後、処分される前にマダム・ホーンヘッドの手に落ちるのだろうが、もちろんナヴァルーニャの記憶にその事は残って
いない。
生き残ったオルガ、イーカ、ナヴァルーニャ、そしてクドリャフカの四人は粉々に砕けた扉を潜り、エレベータールームに入る。
エレベータールームは四つのエレベーターの扉がある広い部屋で、番兵の詰め所があったが中は空っぽだった。
一番速くたどり着いたナヴァルーニャが手近なエレベーターのスイッチを押す。扉はすぐに開いた。
クドリャフカは全員に乗るように促しながら、背後の大扉にしきりに注意を向けていた。
四人を追って兵士たちが半壊した扉の隙間から顔を出す。
クドリャフカが誰かの名を叫んだ。恐らく、手を繋いだままこちらに向かって必死に走ってくるオルガとイーカの名を。
オルガが手を引いていたイーカの背に、兵士が肩に担いでいる電気銃の引き金を引く。
銃口から放たれる空中にのたうった蒼いいかづちは二人に蛇のように巻きつき、瞬く間にその細い体を蹂躙して黒焦げにした。
恐らく力場を破る為に電気銃は電圧を上げたままにしてあったのだろう。
沸騰した血液が皮膚を破って弾け白煙を上げて絶命する二人の姿の光景は、すぐに閉じたエレベーターに遮られた。
この二人がマダム・ホーンヘッドの言っていた『焼却処分された二人』だったのだ。
エレベーターの中でクドリャフカは一言も話さなかった。
しかし六人の姉妹を失っても尚その瞳は絶対の意志を失う事はなく、ナヴァルーニャの視界の中でその姿は聖母のように見えた。
この少女の小さな体の中に何故これほどまでと思える、鬼気迫るほどの生への執念に満ちた聖母のように。
絶望するのは後だ。今は生き残りが助かる方法を考えなければ ―― そんな表情だった。
―― 『貴方は何でそんなに生きる事に執着できるの? って私が聞くと、彼女は笑って答えた』
――
スクリーンの中で微笑するクドリャフカの姿に、ガガは息を呑むような美しさを見た。
―― 『この世に生きているのが、好きだから』 ――
突然ガクンとエレベーターが身を揺さ振り、停止した。
外部から停止させたのだろう、クドリャフカは自分を踏み台にして天井から外に逃げるようにナヴァルーニャに指示した。
―― 『外のエレベーターが通る縦穴のはしごを伝って上に行けば、そのうち災害用にエレベーターが停止した際の為に作られた非常用の
出入り口に行き当たる。
外に出たらゴッドジャンキーズのクシミナカタを訪ねて、きっと助けてくれるからってクドリャフカは言った』
――
ナヴァルーニャが最後にエレベーター内を覗き込んだ時に見たものは、クドリャフカがうなじから取り出した接続端子をエレベーターの
緊急用回線に繋ぐ場面だった。
それを最後にカラカラというフィルムが空回りする音と共にスクリーンの映像は途切れ、会場内に照明が灯る。
またガガの意識は遠のいて行った。
データとして残されたのは精神の破壊された四体、死体となって処分された二体の計六つなのだろう。
最後の一体は脱走に成功し、クドリャフカも同じくネット空間へと逃れた。
マダム・ホーンヘッドがどのようなルートで情報を手に入れたかは不明だが、恐らく経由途中でクドリャフカという存在がナヴァルーニャと
混合してしまったと考えられる。
クドリャフカは間違いなく人間なのだ。
陽光に目を射抜かれて、ガガは眩しげに瞼を半開きに持ち上げた。
長い夢を見ていたみたいに体が重い。
ミス・シンデレラらが自分の顔を覗き込んでいるのがわかった。
色々な事を知りすぎて混乱しそうだった。人間ではないと思っていたクドリャフカが、やはり人間だったという事。
実を言うと彼女が人間でないと聞いた時、ガガは安心していたのだった。
人間だったら逢った時に嫌われるような気がした。
クドリャフカが人間ならば、当然の事ながら相手という存在を『人間』を基準して計る。
そしてガガは自分を人間の中ではかなりどうしようもない、ゴミみたいな部類に入ると思っていた。
ガガはクドリャフカが人間でなければ自分を受け入れてくれるかも知れないと思う自分を、嫌悪せずにはいられなかった。
相手をパソコンか何かの機械扱いしていただけだ。自分を嫌う事のない、心を持たない代わりにすべてを受け入れる『何か』に。
ナヴァルーニャの端子から自分のものを外すと自分のこめかみに戻し、カラカラになっている喉に冷めたお茶を流し込む。
ナヴァルーニャは何も言わなかったが、記憶の中で語った事をその哀しげな色を湛えた瞳で訴えかけてくる。
ガガにとってクドリャフカが人間だと言う事は、彼女が人間でないと知った時よりも大きなショックだった。
やはり自分は人なんか好きになれない、そして誰も好きにもなってくれない類いの存在なのだろうか?
「君が潜ってる間に彼から話ァ聞いた。クドリャフカってのは人間だったみたいだな」
なるべくショックを受けている様子のガガの気に触れないように、ミス・シンデレラは口調を和らげて言った。
「ゴッドジャンキーズのアタマもクドリャフカと同じ、オシリス・クロニクル社の地下で生まれて脱走してきた一人だそうだ。
あそこでああいう暴走事故は二回あって、犯人は一度目がクドリャフカ、二度目がそのアタマ…クシミナカタだ。
…で、肝心な問題だが…」
「アンタ方に可能な限り協力するよう、私らはクシミナカタ様に言われてましてね」
お茶をすすりながら、ホノカグヅチがミス・シンデレラの言葉を続ける。
「ま、同じ境遇を味わった兄弟か姉妹みたいモンですからね。気持ちはわからないでもないが…
でまあクドリャフカの現在の居場所なんだけど、こいつァ私らも知りません」
「オシリス・クロニクル社じゃないのか? クドリャフカは捕まったんだろ?」
「いいえ。最後の最後でクドリャフカぁエレベーターの非常回線からネットにアクセスしましてね、体を捨てて精神だけ逃げたんで」
ガガが今見てきたばかりのナヴァルーニャの記憶を反芻する。
そう言えば彼女を逃がした後、エレベーターの回線に端末を繋いでいた。
しかし、という事は…
「サイバーダイヴ能力者ってヤツだ。
まあナヴァルーニャの記憶で見る限りは彼女の行方はわからねえよな。
けど知ってますかね、オシリス・クロニクル社のメインデータバンク・『イシス』ってのを」
「オシリス・クロニクル社の全記録が裏表関わらず入ってるってヤツだろ? …そこに記録されてるとか?」
「もしかしたらね」
冗談だろ、とでも言いたげな顔をしてミス・シンデレラが椅子の背もたれに身を委ねる。
「オシリス・クロニクル社にハッキングをかけるつもりか? あそこの電子的防衛網は国防庁並なんだぞ!」
「ほんと詳しいッスね。やった事でも?」
体を前に倒すとテーブルの上に腕を乗せ、ぐっと顔をホノカグヅチに近づける。
「あるとも」
「結果は?」
ミス・シンデレラの視線が気まずそうに正面から反れる。
「…惨敗だ」
「貴方の腕の問題じゃないの?」
今回始めて口を開いたイコンの強烈な突っ込みに、彼は頬の筋肉を引きつらせた。
慌ててホノカグヅチが激突しそうな二人の雰囲気の間に割って入る。
「ままま。落ち着いて下さいよ、私ら明日もまた来るんでその時までに答えェ用意しといて下さいよ」
その日の夕方、ミス・シンデレラのビルに集まったミッドナイトパンプキンの面々は緊急会議を開いていた。
パソコンが居並ぶ散らかし放題の事務室で社員らを前に、ミス・シンデレラは和服の袖を合わせ腕組みをしてから演説を始めた。
咳払いを一つし、厳かにその口が開かれる。
「諸君。今回集まってもらったのは他でもない、大きな問題が発生したからだ。
さる事情、つってももうみんな知ってるか、俺とガガ君の追っているクドリャフカの情報はオシリス・クロニクル社にあると発覚した」
ここで彼は一同が注目する中、背を向けてブラインドの下がった窓に向き直った。
和服の背中側に大きく入っているミッドナイトパンプキンのマークが、逆光を受けて影の中に消える。
指でブラインドを押し広げると、夕焼けに染め上げられつつあるくぐもった空を見上げ、ミス・シンデレラはそのまま続けた。
「そこで俺達は無謀にもオシリス・クロニクル社にハッキングをかける事に決定したワケだ。もちろん危険ではあるが…しかし!」
自分用に作ってもらった隅っこの席で、ガガはゴクリと誰かが唾を飲み込む音を聞いた。
金髪を振り乱しながら、ミス・シンデレラは振り返った。
その髪は夕焼けを受けて黄金とオレンジの混ざった例えようの無い美を映し出し、光を砕いている。
端正な顔に決意と意志を込め、彼は力強く口にしたのだった。
「やっぱやめとこう!」
「…」
相手の言った事が一瞬理解できず、一同は思わず呆けたような表情になった。
思わずメンバーの一人が声を上げる。
「あの…社長?」
「だってオシリス・クロニクル社だぞ!? 目をつけられたら恐いじゃないか!」
たちまち情けない顔になるミス・シンデレラに対し、集まった少年らから口々に突っ込みの声が上がる。
「止めたいならコッソリ止めりゃあいいでしょうが、何で俺らに言うのよ」
「悩みは喋ってしまったほうが楽になるだろ」
「アンタがなっても俺らが楽になんねーんだよ!」
室内はたちまちざわめきに満ちたが、しかしムードはどちらかと言えば否定の方向に向かっているようだった。
ガガはゴッドジャンキーズの三人が帰ってから聞いた話なのだが、ミス・シンデレラたちミッドナイトパンプキンは一度あの会社に
ハッキングをかけようとして煮え湯を飲まされた経験があるらしい。
もちろん犯罪目的ではなく、オシリス・クロニクル社の電子的防衛網を手がけたある警備会社がミッドナイトパンプキンに公式に挑戦状を
叩きつけてきたのだ。
すなわち自分の社の対策に絶対の自信を持ち、『破れるものならやってみろ』と。
結果として見事に惨敗したミス・シンデレラたちはその社のPRの片棒を担がされ、また自分らの信用も落とすという踏んだり蹴ったりな
目に合ったのだという。
「別の方法を探すべきだ。正気の沙汰じゃない」
騒ぎ出す一部のメンバーをミス・シンデレラはそう言って治めた。
中にはあの事件のリベンジとばかりにいきり立つ若者もいたが、冷静に考えれば不可能な事くらいガガにだってわかる。
大体今度は前回のような模擬的なものではなく、侵入する理由は明らかに犯罪目的なのだ。
もしも相手側にバレたらミッドナイトパンプキンは潰され、首謀者であり責任者たるミス・シンデレラは逮捕されるかも知れない。
そんな社長の苦悩の重圧を知っているからこそ、大半のメンバーは彼を責めはしなかったのだ。
この中でただ一人、ガガだけが不安で胸が押し潰されそうだった。
果たしてミス・シンデレラの言う通り、他に方法があるのだろうか?
ガガとしてはオシリス・クロニクル社へのハッキングについては是が非でもここのメンバーに協力してもらいたいが、その作戦が彼の
サイバーダイヴ能力を用いても尚成功するという保障はない。
そしてこの部屋のムードだ。
今までこんな雰囲気は、何度も学校で経験してきた。
こういう空間で他の全員が同じ意見の時に、ガガにはそれに反発する他の意見を口にする事がどうしてもできない。
それを口にする事で他人に反感を持たれるのが恐いのだ。例え自分の中ではその答えが正しいという確信があっても。
何だかこの部屋で自分だけが異様に孤立して思えた。
言えばきっとミス・シンデレラに恨まれる。
しかし自分のクドリャフカに対する感情がこの程度だと認めたくはない。
断られても言うべきだと、ガガは汗を拭って決意を固めた。
「僕は!」
突然部屋の一手から上がった大声に、一瞬沈黙が落ちる。
波が引くように一気に集中したメンバーの視線に、一瞬ガガは心臓が止まりそうになり息が詰まった。
「えと…あ…」
こちらを向いているミス・シンデレラの視線が特に痛かったが、それらを浴びつつも必死に彼は声を絞り出す。
「僕は、一人でもやる」
彼にどんな顔をしていいかわからずミス・シンデレラは頭を掻いたが、すぐに表情を取り繕って『最もだ』という顔をした。
「実はその言葉を待っていた!」
「嘘つけ!」
ガガを除く、ミス・シンデレラに対するその場の全員の突っ込みの声が重なった。
(画像提供・ヨダカサトリ様。Thank you!)