プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -
クレイジーハートブレイカー
11.開幕
午後八時二分。
少女は窓から町の灯を見下ろしていた。
夕闇が街に降りて空に蓋をしたのが何時間くらい前の事だったろうか? 部屋には時計がなく身に付けていた腕時計も消えていた。
時間の感覚はすっかりなくなり、もう何時間ここでこうして窓の外に果てしなく遠く感じられる景色を眺めているだろう。
確か大学の帰りだったと思う。アパートに連絡を入れて夜道を一人で歩いている途中、後ろから何者かに組み伏せられて気の遠くなる
匂いのするタオルを口と鼻に押し付けられた。
気が付いた時にはもうこの部屋におり、何の説明も受けていないし理由も思い当たらない。
心を大きく満たす感情は不安と恐怖。数年前に経験した悪夢のような体験がまざまざと脳裏に甦ってくる。
しかしその底では決して揺るがない希望も持ち合わせていた。
部屋はどこかの会社の宿直室で、使われた形跡のない二段ベッドとデスク以外には何もない。
窓から見える景色からして高層ビルの屋上近くという事はわかるが、ここが彼女の知っている街かどうかまではわからなかった。
ドアはデスクの椅子で殴りつけてもビクともしない。裏側から補強されているのだろうか。
一通りの抵抗を試みてはみたものの現状を打開できる策は何もなく、諦観に囚われた女は夜の街に視線を向けて窓際でじっとしていた。
蛍光灯は点かなかったので体に染み込んでくるような闇の中に放り込まれた彼女ができた事と言えば、ただ時間が過ぎるのを待つだけだった。
闇は気丈な女の心を揺さ振り不安を加速させる。
顔にかかる癖のない長髪を掻き上げ、押し潰されそうなくらいの心細さに滲む涙を拭った。
静寂が破られたのは不意だった。
背後でドア越しにガチャガチャという金属音が何回かし、ドアのノブが小さく震える。
びくっとして振り返ると、なるべくドアから離れるように窓に背中をくっつけた女の眼を照明が焼いた。
視界が戻らないうちにドアが開き、入った相手の気配に部屋の空気が張り詰める。
「伊緒、いる? ゴメンゴメン、よそで電気使っててさ。こっちのは使えなくしちゃったんだって」
場違いに呑気な相手の声に瞬時に心に広がる混乱。相手はしばらく伊緒の目が慣れるのを待ち、何ら警戒をせずに歩み寄って行った。
手にしていたのは充電式のランタンで、停電などの緊急時に使用するものだ。懐中電灯とは違い部屋全体を照らす事ができる。
客がそれを机に置いた時、監禁されていた伊緒はどうしようもなく非常な現実を目の当たりにする事になる。
「ティエチェ?!」
「久し振り、元気だった?」
ランタンが放つ明かりが屈託なく微笑む蝶姐の笑顔に大きな陰影をつけた。
彼女の右目の隅に浮かび上がる深い紫色の刺青が、伊緒の淡い希望を砕いて本人である事を確認させる。
「何が…どうなって」
いつもの陽気な、何があっても摩昼以上に動じなかった彼女の困惑ぶりに哀れみを込めて蝶姐は少し眼を細めた。
「摩昼がネヴァーエンズに入ったって事をウチらが掴んじゃったんだ。貴方はあいつの行動を制限する為の人質」
蝶姐はあの晩の事は誰にも喋っていない。この情報の入手元は末端の彼女には知る由もなかった。
「ネヴァーエンズ?」
「ザ・ショップに対抗してるチーム。…ああ、やっぱり」
伊緒の態度に溜息をつくと、懐から取り出した皮袋を机に置く。
「摩昼は喋ってないんだ」
「摩昼がネヴァーエンズに入っていたの?」
彼女はかいつまんで今回の事件の出来事を話した。
摩昼が何故ネヴァーエンズに入ったかは蝶姐にもわからなかったが、やはり友人を殺したドラッグストアが再建を始めているというのが
大きいのだろう。
昔からそういう奴だった。一直線なバカ。
「多分、摩昼はあんたを助けにここまで来る」
「待って! 待ってよ、だってティエチェ、あんたは!? あんたなんで…」
「私は高校出てあんたと摩昼がくっついてからずーっとザ・ショップの一人だよ。何で全然連絡がつかなかったかちょっとは納得した?」
にっこり笑って見せた蝶姐が手にしていた皮袋を開く。
それは巻き上げられていた長方形をした太いベルトのようなもので、いくつもついているポケットからはランタンの明かりに銀光を返す
細い金属製の何かがたくさん収納されている。
伊緒は呆然と地下街で摩昼と一緒に彼女と久し振りに再開した事や、同窓会で彼との結婚の意志を伝えた事を思い出していた。
昔摩昼と一緒にザ・ショップと戦っていた彼女と初めて逢って以来、蝶姐は無二の友人だと信じていた。
いなくなった時も摩昼と同じ位ショックを受けた。
「何でなの?」
再び溢れてくる涙に絞り出した問いは変わり果てた相手へは届かず、蝶姐は袋を逆さまにして収納されていた器具を机の上に撒き散らした。
耳障りな金属音を立てて散らばる凶悪な光を弾くそれらから一本を手に取り、ランタンにかざしてじっくりと眺める。
「まあ楽しんで行ってよ」
メスを手に自分に向かって一歩を踏み出した相手から壮絶な冷気を感じて後ずさる伊緒に、蝶姐はもう一度笑って見せた。
三年前と同じ、摩昼を自分の運命の人だと信じて疑わなかった頃の彼女のように。
「あんたは殺さなければ何をしてもいいって言われてるの」
午後八時五十二分。
慌しく準備に追われる面々も廊下を行く九灯に気づいたものは挨拶をする。
彼らに軽く返事を送り、各々が仕事に戻る姿を眺めながら、早めにやってきた九灯はエスチェボーンビルのある階層へと向かっていた。
エレベーターを乗り継いでたどり着いたその部屋は壁をぶちぬいて一つの階層すべてを一室にされており、ちょっとした広場に
作り変えられている。
薄青の正方形のタイルを踏み鳴らしながら進むうちに、彼は広場の中央で忙しげにモニタを睨む数人の男たちの元へとたどり着いた。
空虚なまでに広い場所で白衣姿の彼らはいくつも並べられた何かの大きなタンクにノートパソコンの端子を差し込んで調べており、他の
階層では戦闘員たちが白兵戦の準備をしているのに比べるとこの光景は幾分妙に見えた。
タンクはプロパンの物に似ており、運んでいる人間のそれからは僅かに中を満たした水分が波打つ音が聞こえる。
白衣たちの中心であれこれと指示を出している一人の背広姿の男が九灯に気づき、しばし視線をそちらに注いだ。
「これは会長」
「ああ。何だ、こりゃ?」
相手が答える前に聞こえた、広い部屋に行き場所がないように響く足音に気づいて九灯が振り返る。
彼より遅れて同じエレベーターでやってきた、着替えた彼女の姿に眼を細めて感想を漏らした。
「似合うよ」
「どうも」
真っ白だが天井に灯る蛍光灯の灯りの反射の具合で銀色にも見える、ノースリーブにハイネックの中国礼服のような非常に
シンプルな衣装の蝶姐である。
刺踏の正式な決闘の際に着る衣装で、袖を通すのは実家を飛び出して以来久し振りの事だった。
本来ならばこの上に二の腕に手甲をつけるのだがサイボーグ手術を受けて生身でない彼女には必要ではない。
露になった蝶姐の腕は手袋をつけているかのようにはっきりと機械と交換した二の腕と一の腕の区別がつく。生身と結合している肘の
部分は肌色とメタルカラーが溶け合って特に生々しかったが、それが人目につく事は彼女自身はあまり気にしていないようだった。
「彼女は私のボディガード兼秘書だ」
「蝶姐です。よろしく」
紹介を受けて少し表情を和らげた蝶姐に相手の男は一瞥をくれて少し鼻を鳴らしただけだ。
女に名乗る口はないってワケ? FUCK!
相手の態度に内心悪態をつく彼女の心情を察したかどうかは不明だが(そもそも普通彼らのような幹部クラスは相手のボディガードにまで
挨拶はしないだろうが、そんな事蝶姐が知る由もない)、相手に代わって九灯が紹介を口にした。
ひば
「『ファクトリー』のドラッグストアの所長、火羽君だ。向こうが09研究所の佐波君」
火羽の後方でタンクの弁をいじっていた男が名を呼ばれて陰気そうに振り向き、頭を下げる。
今回の作戦ではザ・ショップの内部で生産・開発を行う部門であるファクトリーの面々も有能なところを見せようと多く参戦している。
しかし戦闘用に改造を受けた包娼やドールズは別の階層でいくつか見たが、ここにあるのは使用目的不明のタンクばかりで兵器らしいものは
何も見当たらない。
そもそも蝶姐には薬物関係の開発機関であるドラッグストアの所長が何故ここにいるのかわからなかった。
パッと見たところ苦味の走ったなかなかいい男でナイスミドルの火羽の顔を眺めながら、ようやく彼女は九灯と一緒に出席したあの
パーティで遊が狙いをつけていた男だと思い出す。
「こいつが我々ドラッグストアと09研究所が共同開発した新兵器ですよ」
そう言って火羽が手近なタンクに手を置いてみせる。
「ガスか?」
「いいえ。液体バリアブルメタルの鎧ですよ」
薬物で精神を拡張しないと使用できない事や、火羽自らがこの(蝶姐にとっては)得体の知れない兵器に搭乗して今回の戦闘に参加する
事などを九灯に説明したが、蝶姐にとっては大半がどうでもいい事だったので適当に聞き流していた。
所長である彼自らが参加する事に九灯は僅かに驚きの声を上げたが、内心は相手の心を見透かした。
今回はハートリペアに変わる新開発の薬物の情報をネヴァーエンズに奪われて信用を落としたドラッグストアの名誉を挽回するチャンスなのだ。
書類の控えは他にもあったが別の場所で製造されては薬物の価値が落ちて利益はあまり見込めない。
兵器を使用するのには精神を拡張された人間の搭乗員が絶対必要であり、無能扱いされない為に火羽も必死なのだろう。
一通り話を聞き終えて時計に眼をやった九灯が、エレベーターに向き直りながら退屈そうにしていた蝶姐に声をかける。
「見学は終わりだ。そろそろ会議室で作戦の説明が始まる」
午後九時半。
夜の官庁街の中でも一際大きく輝く建造物、エスチェボーンビルの一室。
会議室では折畳式の椅子がホワイトボードの置かれている正面に向けられて置いてあり、様々な人員が思い思いに椅子に腰を降ろしていた。
いかつい男達からは怒気じみた気迫がひしひしと感じられる。戦闘を前に気が高まっているのだ。
席が足りず部屋の後方で立っている者もおり、そんな男たちに気圧されて隅っこの方で小さくなっているのがハヤシバラである。
彼は能力的に戦闘タイプではない為今回戦闘開始前に脱出する手筈になっているが、一応作戦前の会議には出席していた。
静かにざわつく室内の視線が一瞬、部屋に入ってきた一人の長身の男に注がれる。
浅い青の絨毯を踏みしめてやってきたのは眠そうな顔をしている古滝だ。一応都市迷彩の軍服を身につけているがだらしがなく着崩している。
正面のホワイトボードの前までくると手にしていた資料を眺めながら、彼はいつもの緊張感のない声で唐突に始めた。
「どーも。今回作戦の総指揮をやる事になった古滝です、よろしく」
ピタリと静かになった会議室にはにわかに緊張感が立ち込める。
クリップボードから視線を正面に移し、こちらに睨むような視線を送っている面々に向かって眼を細めると古滝はゴホンと咳払いを一つした。
「作戦自体は非常に単純なモンだ、ネヴァーエンズは間違いなく正面から突っ込んでくる。っていうかそれしかねェからな。
でまあ上を目指してひたすら上がってくるだろ」
ボールペンの頭で頭をバリバリと掻きながら資料をめくる。
ハヤシバラの見る以上はいつもアンダーガードで退屈そうにしている古滝と何ら変わりはなさそうに見えた。
「ところが25階で階段・エスカレーター・エレベーターともに封鎖されるなり何なりして使用不能んなってる。
連中が立ち往生しているところでビルの外で待機している別働隊を一階から入れてガキどもに上下から挟撃をかける。
諸君の頑張りは封鎖を破って更に上へ上がろうとするネヴァーエンズどもを25階で足止めする事に集中されるワケだな」
もう一度顔を上げた古滝の視界の隅に、見覚えのある背広姿の若い男の姿が入った。
九灯芹人だ。隣にいるのはもしかして蝶姐か? 会長はともかく何やってんだあの女は。
不意に脇に反れかけた思考を本筋に戻し、二度目の咳払いをして話を続ける。
「百狼会の流通ルートで手に入れた上物の火器は山ほどあるし、ファクトリーの戦闘用人形どもも各所で援護してくれる。
諸君らに配った地図の赤く塗り潰されてる区域は全部ブービートラップで埋め尽くされてる、連中にゃ退路がどこにもねえ。楽勝さ。
ちなみに今日出席するお偉方は替え玉じゃあなくてモノホンだぜ、十時に出席してもらうと同時に屋上のヘリポートから退場してもらうがな」
これは今回の作戦の情報が組織内の内通者に漏れる事を恐れ、ザ・ショップの中でも極秘事項として迅速に進んだ事を意味する。
それに連中だって集まってくる面々が替え玉だと気づかないほどバカでも無能でもはない筈だ。
「非戦闘員はその時一緒に脱出しろ、乗り遅れても待っちゃくれねえぜ。言っとく事は以上だが質問は?」
ハヤシバラのすぐ隣にいた、恐らくは百狼会の所属であろうヤクザ風の男が腕を組んだまま声を上げる。
「敵の戦力と武装は?」
古滝がふむ、と漏らして彼に視点を移す。
「相変わらずの神出鬼没さでな、情報が何もない。まあ少なくとも全員が拳銃くらいは調達してくるだろ、人数はおよそ200くらいだ。
予想だがな」
今回殴り込みをかけてくるという情報を入手できた事さえ、ほとんど偶然だったのだ。
ザ・ショップが一向にネヴァーエンズの正体がわからず翻弄され続けている理由はその正体の曖昧さにあった。
彼らもそれとなく掴んではいるがほとんど全員が違法製造・密輸された包娼のチームであるネヴァーエンズは個体から情報を引き出す事が
非常に難しい。戸籍や国民番号が初めからないのだから社会的には存在しない人間なのだ。
「他に質問は?」
もう声は上がらなかった。
「それから今回は諸君らにとってもチャンスだ。知っての通りザ・ショップの『社長』は今回の戦争には特に感心を示している。
手柄を上げりゃ昇進も夢じゃねえ。期待してるぜ、以上」
とっておきのセリフで締め括り、彼は会議室を後にした。
午後九時四十四分。
繁華街の一角、高架下のコンクリートでできた公園でも着々と準備が進められていた。
彼らが発する異様な雰囲気を察してか、普段はこの周囲を根城にしているホームレス達も今夜は一向に姿を見せない。
集まった少年らは数台のワゴン車で運ばれてきたダンボールの開封作業に終われていた。
バリバリと派手にガムテープを破って中から無造作に取り出しているのは黒光りする金属の塊たちだ。
軽口を叩きながら彼らはその新しい玩具に魅入られ、振り回している。
イングラムと呼ばれる拳銃よりも一回り大きいくらいの非常に小型のサブマシンガンで、性能も上々な扱いやすい代物だ。
香流川がどこからか大量に手に入れてきて病院の地下倉庫に保存してあった物だが他にも手榴弾や拳銃の他誰も使えそうにない重火器も
ゴロゴロしている。
時々ふざけて適当な場所に狙いをつけ引き金を引いた無分別な仲間の銃口から火花が咲く。
弾を無駄にするなとそのような連中に怒鳴り散らしながらヘルダイヴはもう一度仲間達を見渡した。
戦闘を前にした緊張を紛らわす為か(本当に何も感じていないだけかも知れないが)見知った面々はいつものように談笑しながら準備を
進めている。その数およそ80人。
そしてその中に見知った革ジャン姿の男はいなかった。
今回の大規模な殴り込みにしり込みして集まらなかった別の仲間達は少なからずいたが、摩昼がその一人になるとはさしものヘルダイヴにも
予想外の出来事だった。
「やっぱ来ねえよ」
物思いに耽りながら腕にチェーンを巻いていたヘルダイヴの考えを見透かしてか、彼女に野太い声がかかる。
あからさまな蔑視を込めた声の主、スキンシャークは特に武装はせずに相変わらずの上体の筋肉を露出した格好だった。
彼はその怪力に加えて怪我をしても凄まじい速さで戦線に復帰するというもう一つの能力を持っている。
「あの野郎、ビビっちまったのさ」
「かもな」
溜息をついて鎖から視線を外さない彼女のスタイルは動きやすいようにチノパンに上半身は黒いノースリーブのへそ出しシャツだけ、その上に
ブルソンのジャンパーを引っ掛けている。汗をかくだろうから化粧はしていない。
「ヘルダイヴ!」
全員に銃と弾層が行き届いた頃、ダンボールの中が空っぽになった事を確認した少年の一人が彼女に声を張り上げた。
顔を上げたヘルダイヴに彼は腕時計を指差す仕草をして見せる。そろそろ時間だ。
未練がましく視線を巡らせて見ても、街灯の元に摩昼の姿は見えなかった。
メンバー各々が公園に停車させていた改造済みのバイクや乗用車のエンジンをふかし、盛大な爆音で鬨の声を上げる。
排気ガスで淀んだ空では真っ赤な三日月が凄惨な笑顔を見せていた。
官庁街の大通りはすぐさま爆音で溢れ、ビル群が見下ろす大きな道路は改造車で埋め尽くされる。
時々自分を押えきれなくなった奴が夜空に向かって獣のような絶叫を上げたり一般の乗用車に発砲したりしていた。
それらと改造車の排気音は暴力という最も原始的な表現力を発揮し、街の空気を見る見る凶暴なものへと変えてゆく。
一団の先頭でハンドルの上に足を投げ出して腕を組んでいるのはバンダナでまとめた髪をなびかせるヘルダイヴだ。
前面を大きく覆うガラス面がある血のように赤く塗装されたそのバイクはオートナビゲーション付きで、放っておいても目的地へと搭乗者を
運んでくれる。ちなみにこれは盗難車を改造したものであり、彼女は無免許である。
ゴーグルの奥の切れ長の瞳は高揚してくる気分に頻繁にまばたきをしていた。息も静かに乱れている。
仲間たちの声や銃声を聞いている己の腹の底から炎のように熱いものが溢れてくる。すなわち暴力への欲求が。
「いいねえ」
唇の端だけ歪ませて笑みを作ると思わずそう呟いた。鼻歌まで続いて出てくる。
「WAR WAR WAR♪ WAR WAR WAR WAR!」
大通りの彼女らの本流には次第に垂直に交わる横道から現れた別の一団が交わっていった。
バイクに乗らずにモーターブレードで道路を走行しているのはモーターキラー・クイーンズだ。どこからかっぱらってきたのか数台の大型の
トラックの荷台で誓いの酒を飲み交わしている大柄な男たちは絶火だろう。
派手にルシファーブライドとデーモニック・ギャルズのロゴがペイントされているトレーラーの中身は言うまでもない。
彼らにも別々に餞別として銃器を送ってある。数ヶ月前にヘルダイヴが各チームを首脳会談に持ち込んで共同戦線を組んだのだ。
退屈と有り余る獣性を持ち合わせていた彼らを引き込み、そして今ヘルダイヴを筆頭としたすべては名もない巨大な暴力装置と化していた。
たちまち改造車やトラックなどで街の道路は氾濫し一般の乗用車はなす術もなく立ち往生している。
ふと人影二つが跨った大して改造もされていない大型バイクが一つ、後部の一団から抜け出してヘルダイヴのバイクに並んだ。
バックミラーに映る後方の彼らの光景を楽しげ眺めていたヘルダイヴの瞳が不意に細まる。
「ヘイ。パレードの時ぁアタシがアタマ(=先頭)張るっつっといた筈だぜ」
お互いの肩がくっつくくらいの距離まで接近した相手の顔を覗き込むと、すぐにその表情は苦笑に変わった。
「来ないかと思った」
「事情が変わった」
旧式でオートナビゲーションシステムがついていないのだろう、正面から視線を離さず摩昼は答えた。
彼の後ろでは帽子を目深に被り、流れてゆく街灯の光を弾く巨大なガトリングガンを背負った小柄な少女が座っている。
最近ネヴァーエンズに入った新入りだ。
摩昼の表情は暗くかげっていたがその下では激しく憎悪が燃えている。
腰には鞘に収まった日本刀が括りつけられており、それにチラリと視線を送る。アレが『神薙』か。
「伊緒がさらわれた」
「…へえ」
特に答えは返さずヘルダイヴは無言で数時間前のことを思い出した。
香鳴川の病院で彼にもしかしたら島原は来ないかも知れない、と告げたヘルダイヴを相手は一笑した。
『絶対に来るようにしておいた』と意味ありげに言って。
多分香鳴川はザ・ショップのスパイではない。組織に娘を殺されたという彼の憎しみは本当のものだとヘルダイヴは確信していた。
恐らく摩昼という大きな戦力を今回の作戦に仕向ける為にわざとザ・ショップに情報をリークしたという可能性が一番大きい。
『ネヴァーエンズに島原 摩昼が加わっており、彼には間山 伊緒という恋人がいる』という具合に。
香鳴川は確かにザ・ショップを憎んでいる。しかし壊滅させるその為の手段は選んでいないのだ。
しかしヘルダイヴも少し心が痛んだが今はこの事については口をつぐんでおく事にした。
言ったところで伊緒が戻ってくる訳でなく、どのみち奪還の為に乗り込まなくてはならないのだ。
香鳴川の糾弾は後でいくらでもできる。だが、今は。
次の言葉を口にしようとした時、フロントガラス越しの先の大きな交差点におぼろげにまたたく赤光がいくつか目に入る。
眼を凝らしたヘルダイヴが腕組みを解いた。
「サツか」
暴走族として通報されたのだろう、交差点の中央では制服姿の警官が数台のパトカーで進行方向を塞いでいる。
「迂回するか?」
答えずに彼女は腰にくくりつけてあった、手が突っ込めそうなくらい大きな銃口の玩具のような銃を手に取った。
み ん な 死 ぬ 為 に 生 ま れ て く る
蛍光塗料で様々なロゴが刻まれており一番目立つのは真っ赤な塗料の『We Are Born To DIE』。
摩昼の警戒が働かなかったのは銃器にしてはあまりにもチャチでチープな色彩だったからだ。
ヘルダイヴが正面に向かってそのグレネードランチャーの引き金を引いた瞬間、シュポンという空気が抜ける音と同時に白い煙の尾を引いて
弾頭が闇を切り裂いた。
着弾した交差点で赤色が弾け、解放された炎が爆発的な勢いで空気を貪りながら夜の街に花を開く。
木の葉のように吹き飛ぶパトカーを見て腹を抱えて笑いながら、彼女は空っぽになったランチャーを捨ててバイクの上で跳ね起きた。
上体を起こしてハンドルを掴み、暴挙に呆然としている摩昼をそのままにアクセルを踏み込む。
「『やっぱりやめた』はナシだぜ、島原くん」
凶暴な笑みを含んで相手に言葉を残し、ヘルダイヴは真っ直ぐに一瞬で鉄塊と化して転がるパトカーに向かった。
アスファルトを刻んで軋むタイヤの音を響かせながら勢いをつけるとパトカーのフロントを駆け上り、それをジャンプ台にして虚空に踊る。
月を背に銀の羽衣となって夜気に彼女の髪が舞い、バイクと人馬一体のその姿は荒々しく、恐ろしく、そして何よりも美しかった。
「行くぞォオ!」
改造車の爆音を物ともしないヘルダイヴの咆哮に後続は絶叫と天へ向けての発砲で答えた。
午後九時五十二分。
決定的な誤算だった。
ネヴァーエンズが他のチームに呼びかけて頭数を揃えるだろうというのは少なからず予想していたが、まさか。
「何人くらいいるって?」
くゆらせる余裕もない、妙に味が感じられない煙草を噛んでいた古滝が同じ質問を繰り返した。
屋上に近い社長室に沢山のモニタや機器を持ち込み、急造の管制室に変えた部屋の隅でオペレーターが同じ答えを口にする。
「400人はいそうです。おまけに火器もかなり重装備のようで…」
困惑と緊張が混ざった声に、パイプ椅子に座ってテーブルの上に足を放り出していた古滝以外の司令官が顔を見合わせる。
「…」
ガキっつーモンをナメてたぜ。クソ。
頭の中で悪態をつくとテーブルの上に広げられていたビルの見取り図に視線を落とす。
「プラス100人くらいまでなら何とかなるように設計してたんだけどな。こりゃちっとキツいぜ」
「どうするんだ?」
質問を口にしたのは部屋の後方で腕を組んでいた九灯だ。彼の口調に責めるような感じはなく、むしろこの事態を楽しんでいるようだった。
ちなみに他の幹部たちももうエスチェボーンビルに到着しており、現在屋上で待機中である。
九灯はこの作戦の成功に大きく貢献する人物を見定めようと考え、状況が悪化しない限り残るつもりだった。
「まあいくら向こうの数が多いっつっても篭城してるこっちのが有利って事にゃ違いないですからね。
衆を頼みにしたところで向こうにゃ攻城戦の知識なんざないだろうし」
煙草を灰皿に押し付けると足の踏み場もないほどに機器のケーブルが這い回る床に降り、九灯に向き直る。
バリバリと頭を掻くその姿にはやはり緊張感が感じられない。
この男はいつもこんな感じだなと九灯の隣に控えていた蝶姐が含み笑いを漏らした。
「作戦通りに行きますとも。挟撃をかけて殲滅」
「頼もしいことだな」
「どうも」
皮肉にも取れたが古滝にとってはどうでも良かったので相手の真意を計るのはやめておいた。
「この作戦が終わったら俺の参謀になるつもりは?」
腰に手をやって状況を面白がっていた蝶姐もさすがにこの一言に驚き、九灯の顔を覗き込む。
「薄給でこき使われる今の職場が気に入ってまして」
「残念」
鼻で笑いを漏らした九灯と彼との会話はそこで終わり、思ったより数の多い相手を迎える為に若干戦闘員の配置を変えようと古滝は
司令官達と相談に入った。
「面白い男だな。是非とも欲しい」
小声で語りかけてきた九灯に蝶姐はどういう表情をしていいかわからなかった。
しかしすぐに胸の内に湧いてくる、とめどない感情に身を焦がされる。体を巡る氣の高まりが冷たい炎となって身にまとう。
摩昼は絶対に来る。
己のすべてに決着をつけるチャンスは今回しかないだろう。
胸に手を当てて大きく深呼吸をする彼女の肩に九灯がそっと手を置く。
「島原摩昼か」
冗談みたいに大きく身を震わせた蝶姐から九灯が慌てて手を離して眉根を寄せる。
「ああ、聞いてなかったのか? 島原摩昼の動きを牽制する為に恋人をさらって監禁してあるんだがな…
この女の使い所が勝負だろうな。ところでどうかしたのか?」
「いえっ…別の人に聞きましたけどっ」
別に九灯が自分と摩昼の関係を知った訳ではないのだ。吐き出しそうになった心臓を飲み込んで鼓動を落ち着かせる。
驚愕のあまり吹き出した汗を拭う蝶姐を、彼はしばらく不思議そうに眺めていた。
「ネヴァーエンズ、ビルの100m前まで接近しました!」
モニタを睨んでいたオペレーターの声に場の空気が目に見えて緊張し、バタバタと部屋を出て行く者もいる。
「さぁーーーーーいよいよだ」
古滝が首に手を当てて関節をパキパキと鳴らし、ニッと笑って社内放送のマイクを掴んだ。
「諸君、ゲームスタートだ」
それぞれの思いを胸に、長い長い狂気の一夜が始まる。