プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -






クレイジーハートブレイカー

13.ブレイブガールズ


  管制室よりやや下の階層の会議室で、ハヤシバラは忙しなく部屋の中を歩き回っていた。

 多分じっとしていると膝の震えで立っていられなくなってしまうからだろう。

 ニット帽を外して髪を掻き上げながら、何度目かの深呼吸をして必死に平静を装う。

 冷や汗を吸って重くなった帽子を持っている手もぶるぶると震えていた。

  唐突に頭に響いた男に声に手以上にビクッと身を震わせる。

 ザッ ハヤシバラ、出番だぞ

 「ええっ!? ええええ!?」

 思わず耳に突っ込んだ通信機に叫び返す。

 ここに残ったお前の勇気は認めてやるがな、残った以上は戦ってもらうぜ。

 上の階層にゃ『嘘つきな鎧』があるがまさかここまで速く連中が到達するとは思ってなかったからよ、準備ができてねえ。

 十五分だけ連中をそこに釘付けにしろ。十五分だぞ

 「そそそそんなぁ! まだ心の準備が…」

 手筈通りにやれ、あと五分もしたら連中はそこに到着する。死ぬんじゃねえぞ、以上だ。 プツッ

 「ちょっ…待っ…古滝さん!?」

 慌てて情けない声を出して問い返すが、もう何も返事はなかった。

 爆発しそうなまでに緊張で高まる鼓動を抑え、部屋の真ん中に置いてあるモスグリーンの鉄製のタンクに目をやる。

 戦車などに積む大型の煙幕で、蓋を開ければ空気と反応し猛烈な勢いですべての視界を奪う。

 「…」

 パンと大きく自分の両頬を平手で打って気合いを入れると、ポケットから二つの包み紙を取り出した。

 ハンドエイドと言うホームセンターの大型店のロゴの入ったそれを開封し準備を始める。

  今の持ち物の中で武器らしい武器と言えばベルトに挟んだ拳銃が一丁だけで、あとは彼の口先だけが頼みの綱だった。

 ケータイは使うなと言われていたが10分前に恋人にもしかしたら最後になるかも知れないメールを送っておいた。

 「どうかうまく行きますように」

 首から下げていた銀の十字架のネックレスを握って祈ると、ありったけの勇気を絞って自らを奮い立たせる。



  46階で初めて摩昼は人数が足りない事に気づいた。

 モーターキラー・クイーンズについて小走りに通路を進んでいる内に、目の前の彼らを追う事に集中し過ぎていたせいだろう。

 一番後ろでしんがりを務めていた紫陽花の姿が何時の間にか消えている。

 「おい、紫陽花は?」

 「あァ?」

 摩昼の前を走っていた一人がその場でターンして振り返りながら停止する。

 両側をオフィスに挟まれた長い廊下を背景にいるのは、確かに小さく呼吸を荒げている摩昼の姿だけだった。

 「ちっ。はぐれたか?」

 先頭を走っていた少年も二人の様子にモーターブレードを停止させて背後に向き直る。

 「どうした?」

 「紫陽花がいないんだ」

 一瞬の思考の後に恐らくリーダーと思われる彼は先を促した。

 「生きてりゃまたどっかで逢えっだろ。今は先を急ごうぜ」

 「…」

 ほんの少しの間抵抗を見せたが、摩昼も思い直して前進を再会する。

  この中ではただ一人己の足で走っている彼にはまだまだ体力には余裕があった。手にしている神薙の能力である。

 疲れと傷を癒し、持ち主の精神を常に平静としたものに保つ。しかしだからこそ摩昼はいつも不安だったのだ。

 自分はこの刀を使い続けるうちに、いつか人殺しについて何も感じない人間になってしまうのではないか?

 確かに神薙の威力は凄まじく、鉄を断ち切るその切れ味は一振りで戦車だって解体できる。

 しかし使えば使うほど体の内側が空っぽになってゆくようなこの感覚は…

 「おい」

 かけられた声にはっと我に帰る。

 やや速度を落として摩昼と並走していた少年がいぶかしげに彼を眺めながら、進行方向を指差して見せた。

 「ぼさっとしてんじゃねえよ、突っ込むぞ」

 通路の突き当たりには大きな木製のドアが姿を現している。

 摩昼がかすかに頷いたのを認めると少年は速度を上げて先頭のモーターキラー・クイーンズの一同に加わり、見る見るうちに視界に迫る

 ドアに向かって床を蹴った。

 先頭のもう一人と同時に空中で蹴りを放ってドアを突き破ると、残りのメンバーともども部屋の中に殺到する。

 中は机や椅子などをすべて壁際に寄せてある大きな会議室で、中央で身を隠すようにタンクを抱えている少年の姿が一つだけあった。

 「げっ!?」

  悲鳴を上げたその彼にモーターキラー・クイーンズが部屋に散開しながら銃を向けはしたが発砲しなかったのは、持っているタンクの中身が

 何かわからなかったからだ。ガソリンだったら部屋の中が火の海になってしまう。

 一番遅れて部屋に入った摩昼がハヤシバラの姿に記憶を巡らせるより一瞬速く、彼はタンクの蓋を引き抜いた。

 噴射口から激しい吐息のように天井に吹き出した銀色の煙はものの数秒で完全に部屋を飲み込み、摩昼たちが一瞬の出来事に判断が

 できない間にすぐにあたりは鼻をつままれてもわからないくらいの一面の銀の世界に変わる。

 天井の照明の加減できらきらと粒子が輝いていたが、美しさに眼を奪われている暇はない。

 下を見下ろして見ても自分の脚の爪先も見えない。鞘から神薙を抜いた摩昼が精神を集中させ、気配を探って意識の結界を張る。

 どうやらただの煙幕で毒はないようだ。視界はなくとも慌てふためく仲間達の息遣いが感じられる。

 しかし場の空気はピンと張り詰めて息が詰まるような閉塞感と緊張が染み渡り、眼が何の役にも立たないという危機的状況に一同は

 神経を高ぶらせた。

  眼を閉じて氣の循環を高める摩昼の耳に突然、絶叫のような声が響く。

 「死ねやガキども!」

 そして木霊する銃声。

 見えない敵の存在に状況が掴めず、パニックを起こした少年が何人かイングラムの引き金を引く。

 ここまで視界が利かなくては機動が武器のモーターブレードもモーターキラー・クイーンズお得意のチームプレイも使えず、ただ各自が

 闇雲に撃ちまくるしかない。

 たちまち部屋の中は阿鼻叫喚となった。

 悲鳴や掛け声に合わせて摩昼は何度も自分の声を聞いた。自分の口から発せられていない、仲間に銃撃を促す自分の声を。

 ヘルダイヴに聞いた変声機能を持つサイボーグか!?

 視界を奪い声で混乱させて同士討ちを誘い、自分は最初に放った一発の銃声だけでこちらを全滅させる気なのか。

 「撃つな、罠だ!」

 「撃て、まだ来やがるぞ!」

 自分の声に覆い被さった自分の声に唖然としながら声のした方向を探る。

 体を霞める銃弾に冷や冷やしながら高まる焦燥を抑え、神薙を鞘に収めて居合の構えを取った。

 しかし長く付き合った仲間ならともかくほとんどは今日初対面の相手ばかりで、声の微妙な違いや気配などから違和感が読み取れない。

 「クソ!」

 罵倒を口にするとなす術もなく摩昼は後退した。

 この調子で撃ちまくっていればどの道すぐに弾が切れるだろう、それまで全滅しない事を願うしかない。



  モニタを眺めながら蝶姐は複雑な心境に立たされていた。

 摩昼には生きていて欲しいが、あの部屋を突破して欲しくもハヤシバラに死んで欲しくもない。

 モニタは部屋に煙幕が充満するのと同時に熱感知フィルターが作動し、人間が放つ体温に反応してモニタでは赤い人影が蠢いている。

 表情や細かい仕草まではわからないがその場の全員が正常な判断力を失っている事は明らかで、無茶苦茶に銃口を振り回していた。

 淡いオレンジ色に発光する細長いものを持った人物が摩昼だという事はすぐにわかった。

 壁際まで下がって床に膝を突いている。この状況ではどうする事もできないようだった。

 「摩昼」

 思わず呟いてしまった名が隣に立っている九灯に聞こえてしまったのではないかと一瞬焦ったが、彼はじっとモニタに見入っている。

 恐らく引き際を考えているのだろう、表情は険しかった。

  ふと壁にかかっていた時計に眼をやるとすでに深夜になっている。もう数時間も戦闘を続けているのだ。

 長針と単針が永久の追いかけっこをするその飾り気のない時計を見ながら、ふと蝶姐は表面のガラスに映っている光景に眼を細めた。

 時計がかかっている壁の反対側の壁は一面のガラス張りになっており、宝石をちりばめたような夜景が反射して映りこんでいる。

 そして朧なそのゆらめく虚像の中の影の正体を知った瞬間、細まった眼が一気に見開かれる。

 「九灯さん!」

 隣の九灯の背広の襟を引っ掴んで床に引き倒した瞬間、ガラスが砕け散る細い音と一緒に二人が背にしていた壁が弾けた。

 その場にいたオペレーターや司令官が一瞬の事に判断が遅れている間、相手はガトリングで穴を開けたガラスを豪快に破って部屋の中に

 転がり込んできた。

 逃げ惑う一同に一通りガトリングで銃弾を浴びせ掛けて散らすと、ニッと笑って帽子を捨てる。

 「こんばんわ」

 「「紫陽花?!」」

 机をひっくり返して即席のバリケードを作った古滝と、九灯と一緒に床に伏せった蝶姐の声が重なった。

 摩昼たちの一行から離れた紫陽花は100kgは下らないであろうガトリングを背負い、ビルの外側の窓枠に手をかけて登攀してきたのだ。

 強化人間ならではの芸当である。

 「お姐ェ!」

 相手の怒号を聞きながら、掴んだままになっていた九灯の襟首を引っ張って慌てて脇のドアから廊下に飛び出す。

 一瞬遅れて銃弾の波が二人のいた場所を蜂の巣に変えた。

 部屋の中の応戦を始めた連中を牽制しながら紫陽花が相手を追って自分も廊下に出ると、すぐ先の場所で床を蹴る二人の姿が目に入る。

 彼女がガトリングが引き金を絞り込む瞬間に隣の通路に逃げ込んだ二人の背を銃弾が霞めて行く。

 「知り合いか?」

 訳もわからないまま走らされていた九灯がズレた眼鏡をかけなおし、振り向く暇もない蝶姐に口を開いた。

 「ちょっとした妹分ですよ、失礼!」

 紫陽花が姿を現さないうちに脇のトイレの扉を開いてそこに九灯を放り込むと、自分は更に通路の先へと進む。

 相手はガトリングの重量のせいで足音が鈍くなっているが、速度自体は跳ねるような足取りで落ちていない。

 通路の奥に紫陽花が姿を現した瞬間に蝶姐はわざと大きな音を立てて通路の突き当たりの部屋に飛び込んで見せる。

 頭上を霞めて髪を数本引き千切った銃弾に肝を潰し、慌てて部屋の中で隠れ場所を探す。

 部屋は机に乗ったコンピューターが立ち並ぶ事務室で、左手の壁は管制室と同じく一面のガラス張りになっていた。



  僅かに遅れて扉をガトリングの銃口でぶち破った紫陽花が部屋の中に突入する。

 照明の消された室内は暗いが彼女の特殊な眼球による暗視と、かけていた黄色いサングラスにより視界は良好だ。

 サングラスのフレームの隅をニ、三度叩くと片方のレンズにフィルターがかかり、熱感知視界が展開される。

 「逃げられないよ」

 遮蔽物が多く、これだけの視力を以ってしても一目で相手の位置がわかるという訳にはいかない。

 油断なくすり足で油断なく床を進みながら、じっと息を凝らして相手の動向を探る。

 「お姐が好きだったんだよ!」

 かたん、という小さな音に過剰な反応を見せて銃口を向ける。

 何か動いたような気がして躊躇わず彼女は引き金を引いた。

 紙屑のように細切れになるデスクとパソコンの破片に紛れ、その何かは風のように移動を続けて気配を消す。

 「喧嘩は強いクセに弱虫で泣き虫でさ、自分で自分を大切にできなくってさ…」

 神経過敏になっているだけなのか実際そこに蝶姐がいるのか、高ぶり過ぎた心ではもはや判断がつかなかった。

 「お姐がいつか言ってたじゃん、『拷問をしてる間は頭の中が真っ白になって気持ちいいんだけど、それが終わると物凄い自己嫌悪と鬱が来る。

 それから逃げたくってまたやっちゃう』って」

 ぽろぽろと流れ落ちる涙を拭いもせずに張り詰めた闇に眼を凝らし、紫陽花は叫んだ。

 「何でいつも自分が一番怖がってる事をしちゃうの? お姐がユマを拷問した理由は何?

 本当はユマがお姐のイカれ具合を知って嫌われるのがイヤだったんじゃないの!? だから自分でヤッちゃったんでしょ!」

 答える者は誰もいない。涙で歪んだ視界に闇は容赦なかった。

 「ユマは…ユマはお姐のことがずっと好きだったんだよ…あたし、それが悔しくて…」

  はらりと何か柔らかいものが紫陽花の鼻に触れた。窓の外の満月を浴びて月光を砕く、蜘蛛の糸のように細く長い何か。

 僅かに香水か何かの香りがする。紫陽花のこげ茶よりも強くブリーチを利かせた金髪だ。

 考えるより速く体が動いた。

 両手でガトリングの銃口を天井に向けた時には、もう相手は片手を振り被っていた。

 蝶姐は両腕を天井に突き刺して張り付き、紫陽花が真下を通るのを待ってずっと機を伺っていたのだ。

 目の前のデスクなどに気を取られていた彼女の虚を突いたのである。

 振り上げられたガトリングの銃身は腕刀の一撃で真っ二つになり、蝶姐は体を捻って両腕から先に床に着地すると遅れて引き戻された片足で

 紫陽花の胸に蹴りを見舞った。

 肺の中の空気を絞り出しながらガラス張りの壁までよろめいた紫陽花の視界に、自分に追いすがって突進をかけた相手の姿が広がる。

 白い礼服は月光を受けていっぱいに燐光を発し、蛾のような妖美をかもし出す。

  紫陽花の両腕が霞んだ。

 壁を背に懐に入った両手がマキシンを抜いて戻ってくるのと蝶姐の両腕が振るわれるのは同時だった。

 紫陽花は確かに感覚としては引き金を引いたが、すぐにそれは無駄だった事を知る。

 血を吹きながら床に重い音を立てて落ちたのは、間違いなく拳銃を握ったままの自分の両腕だっただろうから。

 肘から両腕を切り落とされた紫陽花の胸に掌底を入れるのは訳もない事だった。

 蝶姐は両の瞳に哀れみを込めて、どうすることもできずに呆然としている相手の喉のやや下にそっと掌を押し当てた。

 機械に変えた血の通わない腕から伝わってくる。絶望に震える彼女の心が。

 「貴方の敗因は泣いてしまった事」

 紫陽花に当てた蝶姐の右腕に氣が集中し、循環を始めた事がわかる。

 腕にほとばしる青白い炎さえ見えるようだった。

 「涙に視界を奪われなければきっと貴方の方が速かった。私は…」

 私が勝てたのは、私にはもう泣けるだけの心がなかったから。

 最後の言葉は口に出さず、蝶姐は右腕に力を込めた。

 「さよなら、紫陽花」

 「ユマぁあああーーーーー!」

 発動した超震動は絶叫を上げた紫陽花の肉体を徹し、彼女が背を預けていたガラス張りの壁に凄まじい衝撃音と共に亀裂を走らせる。

 壁一面に花が咲くように走った亀裂はすぐにガラスに自重を支える事さえ適わず、粉々に砕けてビルの外へと落ちて行く。

 蝶姐はしばらくは月の光を浴びて光の粒を撒き散らすガラス片と共に闇へと落下してゆく紫陽花を眺めていたが、瞳を閉じて短い祈りを

 済ませるとすぐに身を翻した。

 町の上空に流れる淀んだ風が、背を向けた彼女の金髪と礼服を派手になびかせる。



  通路の奥から現れた蝶姐にすぐさま黒服たちが銃口を向ける。

 彼らをなだめて銃を降ろさせた九灯が苦笑で彼女を迎えた。

 「次はもっと優しく頼むよ」

 「普通立場が逆じゃないですか?」

 乱れた髪を整えながら蝶姐も微笑みを交えて不平を漏らす。

 「ジェームズ・ポンドみたいな展開を期待していたのか」

 「ええ、ちょっとだけ」

 確かに映画みたいに彼に助けられるのを期待してなかったでもないが、現実はこんなものだろう。

 ―― 『愛する人には優しくし、そうではない人には残酷にできたら一人前だ』 …

 確か何かの漫画で呼んだセリフだったと思う。

 自分でも酷い事をしたとは思うが、紫陽花は九灯に銃を向けた。

 生かしておけばきっと自分と彼を付け狙ってくるだろう。生きている限り。

 胸に感じた刺さるような痛みを意図的に無視して、彼女は九灯と共に管制室へ戻る廊下を歩き始めた。



  一方、46階の摩昼たちの混乱にも決着がついていた。

 煙幕が効果を終えて視界が晴れた時、生き残っていたのは摩昼を入れても僅か四人。

 あとは全員が流れ弾で相討ちになり、血の海と化した床に伏せっていた。

 そしてその中には最初から部屋にいた黒い背広の男の姿もあった。

 「間抜けなヤツだな」

 胸に二つ、シャツに大きな血の染みが広がっており、その布地が破れた隙間からは弾けた赤黒い肉が覗いている。

 彼もまた流れ弾を受けていたのだ。

 死体の前にひざまずいた摩昼が髪を掴んで彼の顔を持ち上げる。

 口と鼻から派手に血を吹き出し、光を失った瞳のその顔には見覚えがあった。

 蝶姐と再会した晩に一緒にいた男だ。やはり彼女がザ・ショップに絡んでいるという事は間違いない。

 無機物を扱うように髪から手を離すと結局一度も使う事のなかった刀を持ち替えて反対側の扉へと向かう。

 煙幕が利いていた時間は実質20分ぐらいだっただろう、こちら側は大損害を被ったが相手は一人死んだだけ。

 「強敵だったな」

 最後に部屋を出たモーターキラー・クイーンズが似合わない賛美を吐き捨てるように相手に残し、すぐに仲間の背を追った。



  三人のモーターキーラー・クイーンズが先頭を切り、摩昼たちは再び先を急いでいた。

 モーター音も高らかに非常階段を駆け上がり階段を抜けてすぐの場所の扉へ向かう。

 廊下を一直線に進む途中、不意に目前の扉が小さく軋んだ。と、同時に網の目のように端から亀裂がいくつも走る。

 いち早く異常を察した摩昼が慌てて立ち止まるがモーターキラー・クイーンズのメンバーは構わずに突っ込んで行く。

 ドアは反対側から何かの圧力を受けて大きく歪んでいた。

 その隙間から何か銀光を放つ液体が糸のように勢い良く吹き出し、床に落ちて小さな川を作っている。

 「待て!」

 摩昼の制止と同時に膨れ上がったドアの蝶番が吹っ飛んだ。

 破片を撒き散らしながら吹き飛んできたドアをもろに顔面に受けた先頭の一人が、勢い余って空中でもんどりうちながら床に転倒する。

 急停止をかけた残りの二人にドア枠いっぱいに溢れ出した洪水が圧し掛かり、あっという間に飲み込んで押し流してゆく。

 「何だァ?!」

 波に揉まれながら誰かが叫ぶ。幸い奔流は長くは続かなかった為、一同は階段の前まで流されただけに留まった。

 膝下くらいまでの高さになった水量に抱かれてしばらく数人が咳き込む声だけが響く。

  しりもちをついていた摩昼が手にべっとりと付着したその液体をまじまじと眺めて見る。

 水銀のような光沢と独特の鏡面を持つ妙な液体金属で、服がいくらか吸ったせいかひどく体が重く感じられる。

 床いっぱいに広がったそれは水鏡のように全員の姿をあべこべに映し出しており、一行の散々な様相を見事に現している。

 一番最初にドアの破片を顔に受けた少年は、顔を押えて呆然と摩昼の背後に座り込んでいた。

 他のメンバーは愛機が液体を吸って稼動しなくなった事をしきりに口汚く罵っている。

 「くそっコレぁチューンにいくらかけたと思ってやがる!」

 「どうせ盗んだカネじゃねえか」

  床に腰を下ろしたまま足を上げ、モーターブレードのタイヤを回転させていた二人は同時に溜息をついた。

 機関部に入った水でタイヤは不平そうな軋み声を上げ、嫌々申し訳程度に作動するだけだ。

 「銃も使えなくなってやがる。一体何なんだこりゃあ?」

 マシンガンの銃口を天井に向けて引き金を引いた少年がぼやく。

  その姿がいきなり水面から持ち上がった影に覆われた。

 人間の両手のように両側から持ち上がったそれは、まさに人間が手を合掌させるように閉じて彼を挟み潰した。

 手の指の隙間から溢れてほとばしった血液の滝が摩昼の横頬を打つ。

 「!?」

 犠牲者を手の内に飲み込むと合掌された手の隙間はゆっくりと溶け合い、一つの大きな水銀の塊と化した。

 慌てて立ち上がり逃げ場を探す一同の目の前で、ゆっくりとそれは水銀の海に飲み込まれて消える。

 「何だ!?」

 水自体が重いせいか走っても飛沫が飛び散ったりはせず、泥のように足にまとわりついてくるだけだ。

 その為かひどく鈍足を強要され、機動が命のモーターキラー・クイーンズも見る影もない。無様な姿で水を掻き分け逃れようと前進する。

 しかし逃げ道などどこにもなかった。

 水が溢れ出してきた部屋の中へと入ろうとしたもう一人のモーターキラー・クイーンズの少年の目の前で、水面が重力の法則を無視した

 滝のように吹き上がる。

 滝は一瞬で成形して振り上げられた巨大な斧のような刃になり、悲鳴を上げる事もできない彼の体を縦から真っ二つにした。

 舞い上がる鮮血は床を満たすその液体に溶け合う事なく、二つに別れた彼の体もろともズブズブと沈んでゆく。

  神薙を抜いて摩昼は全身全霊を込めて意識を集中させた。

 彼と最後の生き残りのモーターキラー・クイーンズの少年の呼気だけが静かに無音の部屋の沈黙を破っている。

 敵の正体が掴めない。現在の状況がわからない。

 この二つを何よりも恐れろ、そして極力その事態を避けるべく行動しろ。

 師匠でもある蝶姐の父親の言葉を思い出す。

 ふと液体に変化が生じた。

 傍目にはわかりにくいが突っ込んでいる足を舐められるような流動を感じ、徐々に液体は奥の部屋へと戻って行く。

 さながら生き物のように流動するそれを睨んでいるうちに見る見る水量は減ってゆき、とうとう床が乾いた姿を現した。

 凍り付いていた時間が再び動き出す。

 「誘ってやがる」

 摩昼が呟いて構えを解き、唯一生き残っている背後の少年に振り向いた。

 「お前は残れ。ヘルダイヴ達が来たらこの事を伝えろ」

 返事は聞かずに彼は背を向け、部屋の中へと赴く。



  部屋の中は恐ろしく広く、すべての壁をぶち抜いて一階層すべてを一つの広場に変えてあった。

 いくつも床と天井を繋いでいる柱を除けば本当に何もなく、絨毯さえ引き剥がしてある。

 液体はその広場の中央に集中しつつあった。

 窓から差し込む月光が光沢のある鏡面に街の明かりを移しこみ、色々と表情を変えて奇妙にくねりながら成形を続けている。

 途中、一部から大きく液体が退いて中の異物が顔を出す。

 明らかに銀の液体と調和していないそれは確かに人間だった。

 戦闘機の乗組員が使うようなゴーグルと酸素吸入器をつけており、露出した上半身はウェットスーツのようなものに包まれていた。

 片手でマスクを持ち上げて素顔を見せた火羽が、驚きに固まる摩昼に嘲笑を込めて見下した目つきを送る。

 「面白い鎧だろう?」

 声に含まれる残虐性に顔をしかめる摩昼の反応を楽しむように火羽は続けた。

 「鉄より硬く粘土よりも柔らかい、しかも形は俺の思うまま。自由成形金属バリアブルメタルの鎧、『ファントムダイバー』…

 俺は『嘘つきな鎧』という名称が気に入っているけどな。

 島原摩昼。貴様のせいで俺は本当に色々なせんでいい苦労をさせられたがまあ、結果としては俺がドラッグストアの所長の座を頂けた。

 例の一つも言いたい所なんだよ、本当に…」

  摩昼と火羽は初対面ではない。

 前回ザ・ショップの一角、ドラッグストアを陥落させた際に敵対同士として一度逢っている。

 眼を細めると火羽のこめかみのあたりからいくつもコードが延びていた。脳と鎧の中枢をつなげて意志のままに操る事ができるのだろう。

 「伊緒はどこだ?」

 怒りを潜めた声を発した摩昼の気配がみるみる殺気と入れ代わってゆく。

 その圧力を含む威圧感は火羽の露出している皮膚をビリビリと刺激し、風となって髪を撫でた。

 目の前にいるのはたかが人間一人なのに彼は凄まじい山のような存在感を以ってそこに立っていた。

 摩昼の精神に感応した神薙がしきりに細く鈴が鳴るような鳴き声を上げる。彼の憎悪に満ちた心に振れ、惨劇への期待に震えているのだ。

 「伊緒はどこにいる!」

 同じ質問を繰り返した瞬間、神薙の透き通った刀身が白い炎をまとって炸裂した。

 刀身自体が燃えているのだ。

 その炎はとてつもないエネルギーの波動を放ち、それでいて異常に冷徹な炎をまとっているのだった。

 「俺の体に聞くんだな」

  マスクを付け直して火羽が意識を集中させると、見る見るうちにその姿は液体のバリアブルメタルに飲み込まれて消えた。

 うねりを繰り返していた液体はやがて摩昼を見下ろす人型を不器用に真似た形となった。

 顔にあたる部分には眼も鼻もなくただつるりとした球面があるだけで、しかし瞳が存在するかのようにじっと摩昼を見下ろしている。

 「神は確かに実在する。世の中そうでなければ説明できん事だらけだからな。お前はせいぜい人生の中で善行を積んできたんだろうが…」

 相手の体全体から発せられる声が冷えた部屋の中に響く。

 「祈るんだな、しばらくは神の加護も続くだろう。そしてそれが尽きる時がお前の死ぬ時だ






















 第十四話へ→

本・漫画・DVD・アニメ・家電・ゲーム | さまざまな報酬パターン | 共有エディタOverleaf
業界NO1のライブチャット | ライブチャット「BBchatTV」  無料お試し期間中で今だけお得に!
35000人以上の女性とライブチャット[BBchatTV] | 最新ニュース | Web検索 | ドメイン | 無料HPスペース