プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -






ネモ

5.顔と仮面


 そこの空気には汗の臭いが染み込んでいた。

 数人とボーダーやスケーターなどが一心に自らのトレーナーの下す訓練に没頭し、僅かだがネモ以外のランナーも見られる。

 ネモ達が暮らす寮の地下にある、デッドラインロードのコースを模した訓練場である。

 チューブに入る手前の、コンクリートに囲まれた広い室内でネモは前かがみに膝に手をやって呼吸を整えていた。

 毎朝の基礎体力維持の運動と数回に及ぶチューブのフリー走行を済ませた後だ。

 心臓は波打ち汗は床に滴らんばかりだが気分は悪くなく、爽快な充実感とみなぎる力を感じた。

 明日は再び舞台に立って戦う試合の日である。

 練習にも力が入った。

 「大したモンだ」

 掌くらいの大きさの電子手帳を操作しながら葉吹は感嘆を漏らした。

 毎日のネモの運動性能を記録しているのである。

 「現役時代の俺でも適わないかもな」

 より風に近づく自分を感じて、顔を上げたネモが拳を作って小さくガッツポーズをしてみせた。

 ネモの向上性は確かに目を見張るものがある。

 ネモの呼吸が収まるのを待って手帳をポケットに突っ込むと、葉吹は視線を外して頭を掻いた。

 何か言葉を模索しているのはネモにもわかった。それも言いにくそうな言葉を。

 今朝言おうと決心していたのだろう、葉吹は声のトーンを落としてため息混じりにネモに問い掛けた。

 「前から聞こうと思ってたんだがな」

 背筋を伸ばして葉吹に向き直るように身を起こしたネモの兎の耳がピンと立ち上がる。

 人と話す際に相手の感情を読み取ろうとする、ネモのクセである。

 「その…デッドラインロードで走る事は好きか?」

 「?」

 疑問を示すように一瞬、ネモの耳が振るえた。

 「10何年くらい前、俺がまだこの界隈でのぼせ上がったガキだった頃だ。

 喧嘩に明け暮れてた俺を拾ってくれた男がいてよ…俺の師匠だ。

 その人の手引きで俺ァデッドラインロードを始めてな。ま、そこそこ勝てたんだが…」

 長話は苦手だ。

 葉吹はできるだけ概要だけをかいつまんで話す事に決めていた。
              ウインドグラップ
 「俺の使ってた格闘技『風掴み』は師匠からの直伝だ。

 師匠はデッドラインロードの事故で死んだんだけどよ…今際の際に俺にこの格闘技を後世に伝えてくれっつってたんだ。

 自分で作り上げたモンがこのまま消えちまうのがイヤだったんだろうな」

 不意に葉吹の視線が遠のいた。

 「伝えてくれっつったって俺には何のツテもねえし、この技にゃあ人間がやるにはちっと無理を感じてた。
                                              ブラストディサイズ
 そこで若干改良を加えたのがお前に教えた…あー、名前言ってなかったな。『風砕顎』っつんだが。

 人間以上の身体機能を持つ弟子が必要だったワケだ」

 彼は弟子と呼んだドールズの肩に手を置いた。

 ごつい大きな手からネモは日溜りのような暖かさを感じた。

 「だけど生まれつきお前はデッドラインロードで走る事を強要されてたんじゃ…まあ、人生つまんねえだろ。

 今の生活がイヤだったら言ってくれ。方法はわからねえがお前が別の人生を探してえっつーんなら止めねえし俺も手伝う。

 ネモ。お前はネモっつう一個体の存在だ、好きな道を選べ」

 ネモは彼の瞳の奥に光を見た。

 その光からひどく優しく、自分に対する思い遣りの感情が伝わってくるのを感じた。

 確かにネモがデッドラインロードで走る理由は、それが生まれてきた理由だからに他ならなかった。

 それしかないんだからそうしていただけだと思う。

 しかし葉吹はネモにその体に眠る可能性の存在を説き、彼女の意思を尊重した。

 今葉吹はネモの事を口に出して己の子だと認めてくれたかも知れない。

 「僕は」

 汗で額に張り付いた前髪を後ろに撫でつけるとネモは肩にかけられた葉吹の太い手首に手をやった。

 今は違う。

 漠然とデッドラインロードで走るだけではない。

 あの人に、あの金髪で細目の少年に―エニクに近づけるなら、少しでも速く強くなりたいと願う。

 それはこの世に自分が在るという証明なのだ。

 確かにネモは人間でなく女でなく、その存在の基板は極めてあやふやだ。

 だからこそこの世界に自分が生きている証明を刻み付けたいと思う。

 あの人と気持ちが通じ合えるのが無理でも、せめて。せめてその背に一歩でも近づけるなら…

 「僕は生まれてきて良かったと思うし、葉吹とエミーが親で嬉しかったよ。

 ずっとデッドラインロードを続けるかどうかはわかんないけど、今はとりあえず頑張って走ってみる。

 その内やりたい事が見つかったらその時はまた相談するから」

 微笑みを向けてくれたネモに涙ぐみそうになった葉吹があわててそれを堪える。

 彼はこの男にこんな笑顔ができるのかと言うくらいの優しげな笑みをネモに向けた。

 「そうか」

 頷いた葉吹はネモの頭に手を回すとクシャクシャと撫でてやった。

 ネモの頭頂の兎の耳が嬉しげに振るえる。

 「さ、帰るか。ところで賭けねえか?俺は今朝もエミリーナが目玉焼きを失敗してる方にベットオンだ」



 明後日になって再び狂える饗宴が幕を開ける。

 何の変哲もない、地下鉄へのものとしか思えない街角の入り口には血と暴力のエクスタシーを求めて客が黒山の人だかりとなっていた。

 異様な熱気は曲々しい風となって周囲を舐めるように蹂躙する。

 その風の吹き溜まり―会場にはすでに満員の客が押し寄せていた。

 歓迎するDJのアナウンスと目まぐるしく移り変わるモニタの画像が観客のテンションをヒートアップさせる。

 葉吹とエミリーナはあの散々たる散らかり様を見せるコントロールルームの不味い空気を吸いながら機器の調整を行っていた。

 相変わらず窮屈そうにコンピューター機器は積み上げられ、コードは生物の血管のごとく周囲を這い回っている。

 葉吹がくゆらせる煙草の臭いの方がまだましというような湿った空気の漂う中に場違いな、花のような美少女が一人椅子に腰掛けていた。

 この灰色の淀んだ空気の中に咲いた一輪の菫の花のような香るような娘である。そう見えるだけで正確には性別はないのだが。

 期待と不安で落ち着かないのだろう、せわしなく胸の前の手の指を組み換えている。

 「見違えたな」

 背もたれに大きく背を預けて後方のネモに振り返った葉吹が、火のついてない煙草を咥えながら感嘆の声を上げた。

 無骨なバトルスーツとの調和を頑なに拒否する愛らしい少女はもちろんネモである。

 エミリーナは彼女の前に屈み込むと手を合わせて満足そうに笑った。

 彼女の化粧をして欲しいという申し出の元にエミリーナは腕に寄りをかけてそれを行ったのである。

 「もちろんよ。笑ってみてネモ」

 ネモが顔を上げて恥ずかしそうにはにかみながら浮かべた微笑みを薄い化粧が際立たせる。

 花も恥じらうとはこの事だろうか。

 「Very good!コレでアンタの瞳の中に吸い込まれてかないヤツはいないね」

 相手が男だと言う事には確証はなかったもののエミリーナも葉吹も薄々それには感づいてはいた。

 「僕が…」

 言いかけてネモは咳払いをし、改めて言い直した。

 「『私』が自分で化粧をできるくらいになるまでどのくらいかかる?」

 一瞬エミリーナと葉吹が顔を見合わせる。

 エミリーナは笑って恋する乙女に答えた。

 「すぐなるよ。自分を美しく見せたいって相手がいる限りね」

 ネモは先ほどエニクから試合前に会いたいという連絡を受けていたのである。

 会えたらいいという儚い願いは今現実となりネモは緊張を隠せないでいた。

 試合中汗で化粧が溶けて目に入ると命取りになりかねない為、自分の出番までのほんの数十分間のメイクだがネモは満足だった。

 「うるさく言いたかねえが15分だけだぞ」

 立ち上がってエミリーナの貸してくれたジャンパーを羽織ったネモに葉吹が忠告した。

 片手を上げて『わかってるよ』とネモが答える。

 「まーすっかり女の子になっちゃって」

 ネモの背を見送ったエミリーナが笑みを張り付かせたまま感慨深く言う。

 「ああ」

 目の前のモニタを睨んだままため息をつくように答えた葉吹に、エミリーナはいぶかしげに肩眉を跳ね上げた。

 「どしたのよ。葉吹は男の子をお望みだったのかしら?」

 「そうじゃねえよ」

 ネモが姿を消してようやく煙草に火をつける許可が下りた葉吹は、しかし火をつけないまま煙草を咥えていた。

 彼が心からネモを心配しているというのはエミリーナにもわかった。

 「大丈夫だって。まったく男ってのは世界中どこでもどーしてこう心配性かねえ」

 「傷ついて欲しくねえんだよ」

 これ以上ないというくらい彼の顔に似合わないセリフだが葉吹の表情は浮かないものだった。

 「色んな点でネモは普通の人間とは違う…相手は人間なんだろ?その間で生ずる摩擦が許容範囲で収まるかどうか」

 言われてエミリーナは柔らかな髪を掻き揚げた。

 彼女とてまったく心配してない訳ではない。むしろ虚勢を張っていたのである。

 「あの子は確かにハンデを背負って生まれてきたかも知んないけどさ。ネモは私達が思ってるほど弱い子じゃないよ」

 エミリーナの精一杯の言葉に葉吹はため息で返事をした。



 デッドラインロードの裏方、つまり関係者以外立ち入り禁止のゾーンがある。

 多目の蛍光灯は周囲から闇を払っているが、それでも迫ってくるような四方のコンクリートの重圧感はいなめない。

 地下だからと言えば仕方ないのだが息苦しくなるほどの圧力である。

 その一角、数個段ボールが詰まれただけの倉庫のような部屋で簡易テーブルに足をかけて座っている少年がいる。

 パイプ椅子の背もたれに届きそうなほど長い金髪を一つの結え、その視線は周囲をあてもなく彷徨っていた。

 重い空気の中に彼の空気は幾度となく放出され、軽く、しかし苦しげに呼吸は乱れている。

 緊張と、猛烈な自己嫌悪と、遠くない未来への希望。そしてそれを上回る強迫観念。

 そして衝動が彼を突き動かした。

 テーブルの上に置かれていた拳銃のようなものを引っ掴むと、慣れた手つきで蓋を開いて中身の薬物を確認する。注射器である。

 ヒスイのような蒼い液体が入った小さな試験管を認めると、彼は首筋に浮き上がっている血管に銃口を押し付けた。

 血管につきたてられた針先が神経を凍りつかせるように刺激する。

 理性が一瞬だけトリガーを引く指を躊躇させたが、やはり一瞬だけだった。

 力いっぱい硬く閉じた瞼の裏に、この後会える少女の姿が見えた。



 立てた頭頂の耳から男の悲鳴を聞いたような気がしてネモは一瞬、身を竦ませた。

 エニクとの待ち合わせの場所に向かう途中の、重く粘ついた空気の立ち込める通路の途中だ。

 一番最初の試合が始まるまであと数十分はあるだろう、ネモはまだ新人の域を出ないので出番はかなり前の方に置かれている。

 気のせいだと思い直してネモは再び床を踏み始めた。

 鉄製の黄色いドアの前まで来るとネモは胸に手をやって速まる鼓動を何とか落ち着かせようと努力する。

 この向こうには、あの人がいる。



 「よお。待ってたよ」

 テーブルに腰を降ろしてハイウェイキングの最新刊を眺めていたエニクが、扉を開いたネモに向き直ると糸目を吊り上げて笑った。

 本を閉じてテーブルに置くとエニクは床に降り立ち、数回首を鳴らす。

 レザーパンツに茶色のレザーのジャンパーで屈託のない笑顔を浮かべる彼のその姿に、ネモが一瞬めまいを覚える。

 夜になればまどろみを遠のけ、意識を覚醒させて眠らせる事を許さなかった記憶の中の人が今目の前にいる。

 「や。元気?」

 ネモも軽く挨拶を返す。

 彼は心なしかやつれたような表情だったがネモは気にも留めなかった。しかしエニクはネモを心配させまいと弁解する。

 「これでも緊張してんだぜ。眠れなくってさ」

 「ピンボールインパクトって初めてじゃないんでしょ?」

 ピンボールインパクト。今夜、恐らく最も客を熱狂させるであろう特別ルールのゲームである。

 お互いのプレイヤーがOKした際にのみ催されるそれは、普段は一方へと走行しながら戦うことに使用するチューブの両端から二人の

 プレイヤーが発進し中間地点で交差しながら一瞬の攻防のやりとりをするという地下で行われるこの狂える宴の中でもその最たるものである。

 大抵は相討ちになって終わりのこの決闘を、過去に行った19回すべてを勝利で飾っているプレイヤーが一人いる―エニクである。

 140キロ近く出ている中で相手と交差する時間は一秒以下、交わされる攻撃の衝撃はいかに選手の間で強い信頼を得ているヤザワ火研の

 開発した高性能の衝撃吸収を誇るスペースドアーマープロテクタ、『羅刹返し』でも完全に防げはしない。

 アレだけは分が悪い、受けるモンじゃねえ…葉吹がいつだったかネモに漏らした言葉である。

 「ぼ…ゴホン!私はまだ一回もやった事ないんだけど、難しいの?」

 あわてて一人称を言い換えたネモにエニクは一瞬だけ片眉を上げたが、すぐに笑顔に戻った。

 「難しいなんてもんじゃねえよ。見てくれこのクマ、毎回受けちまった後に後悔すんだよ。俺はアホかも知れん」

 確かにエニクの糸目や細い鼻を乗せた顔には大きく目立つ紫色の隈ができていた。

 よほど眠れなかったんだろうとネモは彼を哀れに思った。それが寝不足以外でできたものだと何故気づく事ができただろう。



 会話の内容は取り留めのないものながら至福の時間だった談笑はすぐに無情な制限時刻によって打ち切られた。

 エミリーナに借りた時計はすでに予定時刻が迫っていることを告げている。

 この時間が終わってしまう事にこの世の終わりのような未練を感じながらネモはパイプ椅子から立ち上がった。

 「わた…私、もう行かなきゃ」

 未だに言い馴れない言葉に舌を噛みそうになるネモの様子にエニクはおかしそうに吹き出した。

 「『僕』でもいんじゃない?」

 さっきからそれを言いたそうだったエニクに指摘を受けたネモが、胸のうちを覗かれたような気がして急に恥ずかしくなり顔を伏せる。

 「…」

 「じゃあまた後で…おお!? 何だこれは!今気づいたよ、うわあ!」

 大仰なわざとらしい身振りと共にエニクが振り向いた先には、ニ抱えもある箱型のコンピューター機器が鎮座している。

 段ボール箱を四つ重ねたくらいの大きさのそれにはサイケデリックな色のペイントが施してあり、上半分の傾斜した部分にある画面のやや

 後方には光を遮断するカーテンが下りている。

 古滝のパレスにひしめいているものと似ているがそのどれとも用途が違う。

 世間一般でプリクラなどと呼ばれているものだが、無論ネモが知る筈もない。

 「ゲーム? 見たことないけど」

 「ゲームってお前さん、こりゃあ…」

 せっかくあらかじめ用意しておいたのに呆気に取られるネモの返事にエニクが言いかけ、髪を掻き揚げながらああそうか、と思い直してやめる。

 ビーステッドドールズのランナーは自由に外出できないのだ。浮世の事に疎くなるのは当然である。

 「カマン」

 筐体の前の台座に立ったエニクが、自分の上がっている場所へ同じく来るように指示する。

 躊躇いながらおずおずと同じ場所に乗る。息がかかるほど彼と密着したネモは顔から湯気が上がらんばかりだった。

 エニクが手馴れた手つきで操作を行い、フレームを選ぶと筐体が音声で視線を向ける方向を指示する。

 「はい笑って〜」

 ネモに抵抗する暇を与えず、その小さいながらも意外に筋肉のついた肩を抱き寄せたエニクがにーっと歯をむいて笑ってみせる。



 僕の顔ってこんなんだっけ、とネモは頭を掻いた。

 恥と緊張と嬉しさがみんなミックスした表情になっているそれは、エニクは半分に切って自分にくれた小さな数枚のシール集である。

 エニクは手馴れたものなのか自然な笑顔を見せているが、隣に立っている彼女は明らかに不自然な表情である。

 「ところでこの、後ろに写ってるのって何?」

 「貞子」

 「…誰?」

 「そーゆうフレームのモデルなんだよ」

 腕につけた時計の存在に気づき、慌てたネモが腕を持ち上げる。

 覗きこんだ時計の針はやや時間をオーバーしていた。

 「あっ…僕、わた…僕もう行かなきゃ」

 ポケットにシールを大事そうに閉まった彼女を扉まで見送ってくれたエニクの、糸目を更に細めた微笑と

 「気ィつけてね。それと化粧、似合ってるぜ」

 という言葉がネモは嬉しかった。

 身が軽くなるような感情と、お腹が温かくなる嬉しい気持ちを感じて走り去るネモの背を見送りながらエニクは倒れ込むように倉庫の中へ戻った。

 堪えていたものがすべてどっと押し寄せてくるのがわかる。めまいがした。

 体中に湧き上がってくる耐え難い冷たい汗と心の底から湧いてくるドロドロした感情を無視しようとしたが、それは空しい抵抗だった。

 上着のポケットに突っ込んだ銃型の注射器を取り出すと銃底を引っ張り出し、空になった小指ほどの試験管を落とす。

 新たなヒスイ色の液体の入った試験管を別のポケットから取り出して手早く装填する。

 糸目を硬く閉じて再び、さっきの注射跡のある場所に押し付けてすぐにエニクの動きが止まる。

 胸の中で渦巻く感情が抵抗を見せたのである。

 ビクビクと数回、注射器を持った腕が痙攣を起こした。

 今すぐにでもこれを床に叩き付けたいと思う理性は、しかし彼の心を覆う病巣には適わなかった。

 あの娘に会う為だった。だけど打てば打つほど、あの娘の顔が遠のく気がするのは何故だろう。

 心が砕けそうになるのを堪え、顔を掴んだ空いている左手は頬を伝う自らの涙の冷たさを感じ取っていた。

 「畜生ぉお…」

 ぎりぎりと歯を噛み締める口から漏れた声は、ゴム管から空気が漏れるような注射器の音と共にすぐに消えた。

 顔を出しそうになった仮面の下の自分が失せていく感覚に身を委ねたエニクは、顔を抑えたままその場にゆっくりとしゃがみ込んだ。

 落ち着きは戻っていたが胸につかえるドロドロした感情が自らを苛み、遠くない未来の破滅を物語っているかのようだった。



 会いたい人にはいつも、最高の自分を見せたい。

 その自分を引き出す為の薬物がどんなに危険なものでも、それによって作られた仮面は彼女の心と通じ合う事ができる。

 もう何百回感じたかわからない、凄まじい自己嫌悪の念を抱いて彼はまたいつもと同じ事を感じた。



 俺は…俺は何でこうなんだよ。

 何で人と普通に話して、普通に触れるのにクスリがなきゃダメなんだよ…!



















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