プワゾンドールズ #3
- ハッピーエンド クリスマス -






シスター・マリア

7.ギンガムシャーク


  ガガが撃ち込んだ弾丸は鋭い音を上げて水槽に突き刺さった。

 注射器のピストンが押されて中の液体が注入され、針を通して見る見る水槽の内部にノイズが広がってゆく。

 その混沌として煙のように広がっていたノイズが一場所に固まり、やがて『腹ペコ虫』の成形が始まった。

 折り畳んだ巨大な顎とでっぷりと太った腹を持つ、ユーモラスな姿の昆虫のような生き物だ。

 ウイルスはネット空間ではこのように虫の姿を取るが、実際はほとんど不定形に近くこれはイメージから成る産物である。

  ノイズから出でた腹ペコ虫は短い手で眠たげな目を擦ると、水槽のガラス面に張り付いて頭を引いた。

 外に狙いをつけると折り畳んでいた顎がバネのように勢い良く発射され、外部のデータを獲るべくゴムのように伸びてゆく。

 顎の先端部分が地平線の先に消えてしばらく経つと、彼方へ糸みたいに伸びている顎の先は何か大きい物を捕まえて戻ってきた。

 腹ペコ虫の顎にガッチリと捕われているのは、シャチほどもありそうな巨大な魚だ。

 顎から逃れようと必死に尾を振り、身をよじらせている。

 恐らく何かの画像データだろう、皮膚の表面にはそれを示すアイコンが浮かび上がっていた。

 腹ペコ虫があくびをしながらそれを水槽に取り込んだ瞬間、水槽の水に雷光のように凄まじい勢いで亀裂が走る。

 水槽の中の水が凍結し出したのだ。

 招かざる客を迎えてハードに過負荷がかかり、機能不全を起こし初めている。

  ガガが長い前髪を片手で掻き揚げてから、左腕のパソコンを開いて時間を確認した。

 そろそろミス・シンデレラも限界の筈だ。



 「…?」

 しばらく経ったが、自分の体の骨が砕ける音も内臓が潰れる音もしなかった為、ミス・シンデレラは手をどけて恐る恐る顔を上げた。

 非常階段のスペースにいるミス・シンデレラに強烈な一撃を食らわせようとしたスマイルマークは、痺れたように全身を痙攣させながら

 床に落ちてうずくまっている。

 そんな目前の光景にしばらく目を奪われていたが、すぐに思い立って彼はスマイルマークの背後に回りこんだ。

 コード自体は人間の腕の倍近く太いが、背の接続部分は外に剥き出しになっている。

 「やっぱりお前はいい男だ!」

 ガガに一言賞賛を送ると、ポケットから取り出したツールナイフでコードの接続部分のネジを一本一本取り外しにかかる。



  腹ペコ虫が新たな餌食を求めて顎を伸ばした時だった。

 氷に飲み込まれて大半の魚が動きを止めた中、水槽の中の一点に光点が生じる。

 それは人間大の生白い表面を持つ完全な球体となり、やがて内側から卵の殻を割るように破られて何かが飛び出した。

 妙に派手な色彩を持つそれは、水中に虹のような原色の残像を引いて今腹ペコ虫が取り込んだばかりのシャチに踊りかかる。

 悶えるシャチをあっという間に粉々に噛み千切ると、次は相変わらず呑気そうにしている腹ペコ虫の頭部に食らい付き、根元からその首を

 引き千切って飲み下した。

 データの残片と化して水中に散ってゆく食べカスを口の周りにいっぱいつけたそれは、悠然とガガに向かい直った。

  目を剥くガガの前でずらりと牙の並んだ口を釣り上げて残忍そうに笑って見せたのは、鮫だった。

 その表面は正方形の布切れをいくつも縫い合わされてできており、まるでぬいぐるみのようだ。

 布切れの模様は様々で、色々な色彩の組み合せのギンガムチェックが目立つ。

 凶悪さとはかけ離れたような異様に派手で視覚に訴える極彩色の持ち主だったが、大きく開いた口の中ではその牙の一つ一つが餓えた

 ようにモーター音を放っていた。

 それぞれの牙にはすべて更にいくつも小さな刃付けがあり、チェーンソーとなって凄まじい勢いで回転しているのだ。

 この水槽のカウンタープログラムだ。

 シスター・ヴェノムはあのスマイルマークの稼動システムにも、抜かりなく防御対策を施していたのである。

  手詰まりになったガガは重く圧し掛かってくる絶望に呼吸を乱しながら、必死に考えを巡らせていた。

 ウイルスは他にも二つほど持っているが、あの腹ペコ虫を一瞬で粉砕した鮫にこれらが効果を発揮するとも思えない。

 自分で他所からデータを持ってきてこの水槽の中に放り込むにしても、あのカウンタープログラムはウイルスであろうと別のデータであろうと

 とにかく侵入してきた物はすべて排除するように命令されているようだ。

 恐らくこの水槽自体、すべてあのスマイルマークもろとも最初から使い捨てで組まれた物なのだろう。

 後からデータを書き換えたり加えたりするつもりで作ったのではないので、カウンタープログラムに今あるデータ以外の侵入があった場合は

 無差別に攻撃させているのだ。

 多分、シスター・ヴェノム自身もこのスマイルマークの水槽に別のデータを加えようとすればあの鮫に攻撃されるに違いない。

 ただしスマイルマークが無用になった際のプログラム自爆コマンドがある筈だが、それを探している時間はない。

  ――― やっぱり何もかも無理だったんだ。

 支えを失ったかのように、がっくりとその場に膝をついてガガは絶望に身を委ねた。

 また『できるかも知れない』と思った。『今度こそうまくできるかも知れない』と。

 何をやっても他の人ができる事が全然できなかった。学校に行く。人と話す。友達を作る。誰かを助ける。

 やっぱり何もできない。僕は何もできないんだ ―――



  接続部分の分解を続けながら、ふと何か聞こえたような気がしてミス・シンデレラは顔を上げた。

 「ん?」

 そっと正面に回ると、ノイズが表示されたままになっているスマイルマークの表情が音もなく変わる。

 笑顔が浮かび上がっていた。

 突然活力を取り戻したスマイルマークに振り解かれ、ミス・シンデレラは数回コンクリートの床を転がった。

 カラカラと乾いた音を立ててツールナイフが手から落ちる。

 「ぐぐぐ…」

 たんこぶのできた頭を押えてどうにか体を起こすと、笑顔の暴君はたった今ゆっくりと浮かび上がった所だった。

 「うーん、頑張るじゃないベイビー? でもム・ダ!」

 言葉は目の前の彼に向けられたものではなかった。

 「自分の無能さを噛み締めな、ビー・マイ・ベイビー! ヒュー!」



 『貴方に誰かを助けたいと思う心がある限り、貴方には誰かを助ける事のできる力がある』 ―――

 木霊のようにガガの耳の奥でクドリャフカの声が響いていた。

 ぎゅっと閉じた目の奥ではマダム・ホーンヘッドのコレクションルームで見た四人の少女の姿が浮かび上がり、消える。



 「ちょっ…待っ…そうだ、うん、君の趣味から聞かせて欲しいな! 話せばわかるって!」

 引きつった笑いを浮かべて後退するミス・シンデレラを見下ろしながら、スマイルマークの表情がモニタに変わる。

 目の奥に燃え盛る狂気の炎を湛え、楽しげに笑う婦警姿のシスター・ヴェノムが顔を出した。

 「『話せばわかる』?」

 友達と話すかのような年頃の娘そのものの喋りっぷりだが、彼女の雰囲気は嗜虐性に満ち溢れている。

 その声は地下駐車場に木霊して残酷さを倍増させた。

 「人は話してわからない生き物なのよ、いい加減気づいたら? でなけりゃ戦争なんてもん起こる筈ないんだから」



  膝が震えて転びそうだった。

 自分の体のどこにこんなに水分があるんだろうと思えるほど、汗が皮膚を伝っては床に落ちた。

 歯の根が合わなくなっている。おまけに全身震えて筋肉が吊りそうだ。

 だけど、ガガはそれでも立ち上がっていた。

 最後の手段がある。

 ミス・シンデレラを見捨てる訳にはいかない。彼は友達だ、少なくともガガはそう思っている。

 そしてここで諦める訳にもいかない。

  左腕のパソコンを起動させると、手早く操作を行って手持ちのあるプログラムを作動させる。

 たちまちガガの装いが光を放ち、形を変えて再び光が収まると、着用している服が変化していた。

 ゆったりとしたナイロンのような質感を持つ黒い服の上下で、頭部を除くすべてがそれに覆われている。

 『プロキシ』と呼ばれる自己防衛プログラムで、望まざるデータからパソコンを守ったり自分の情報を隠したりする際に使われる物だ。

 サイバーダイヴ能力者が使えば鎧となり、カウンタープログラムやウイルスなどからの電子的な防御手段となる。

  ぎゅっと目を閉じると、両手を前に出して掌をぴったりと水槽のガラスに押し当てる。

 正直行って死にそうなほど怖い。しかしこの場で最も大きく、この水槽に過負荷をかけられるデータはたった一つしかない。

 それはガガ自身だ。

 ずぶり、と両手が水槽の中に沈みこんだ。

 指先からは表現し難い、ゼリーの中に手を突っ込んだ時のような感触が伝わってくる。

 「クドリャフカ」

 神に祈るように、ガガは少女の名を呼んだ。

 ゼリーの感触が肘から肩、やがて背と踵を包み込んだ時、ガガはゆっくりと瞼を開いた。

 すぐ鼻先に鮫の二重に牙の並んだ、思い切り開かれた顎があった。

 咄嗟に両手で頭を抱え、上体を折ってやり過ごす。

 ガガの頭上を通り過ぎた鮫はギンガムチェックの表皮を閃かせながら、すぐに身を翻して再び攻撃態勢に移った。

 水槽の中に満ちたゼリーに自由を奪われ、ほとんど四肢が利かないガガには避けようがない。

 次の瞬間、無防備なガガの右の脇腹を鮫の顎が捕えていた。

 と、同時にプロキシのスーツから金属が弾けるような凄まじい音が上がり、その鮫の牙から持ち主を守ろうと見えない壁を張る。

 牙と壁と、ひと時ぶつかりあった二つの間でパワーの均衡が保たれた。

 ガガが脇腹に僅かに圧力を感じながら恐怖に縮こまりつつも周囲を見渡すと、少しずつ水槽の中の水が凍りつきつつある。

 彼という侵入者を受け入れてしまったせいで、またもハードがパンクしかけているのだ。

  鮫は執拗に顎に力を込め、招かざる客の脇腹を食い千切ろうと狂ったように尾を振り回した。

 プロキシの盾は少しずつ砕け、薄くなってゆく。

 カウンタープログラムである鮫はただ噛み付いているだけのように見えるが、現在ガガのプロキシのデータを解析して突破口を探している

 最中なのだ。

 この世界で『攻撃力が高い』というのは、『相手の防御プログラムの解析が速い』という意味を持つ。

 データを解析してしまえば後は簡単だ、そのプロキシでは防げない攻撃に移ればいい。

  暴れ回る鮫に翻弄されながら、無駄な抵抗と知りつつもその眉間に右手の拳を振り落とす。

 鮫の体は布切れのようなものに覆われているにも関わらず、鋼鉄のように硬かった。

 もはや周囲はほとんど凍りつき、氷海のように青白く輝く氷で埋め尽くされつつあるが、しかし鮫の力は疲れる事を知らない。

 一刻も速いシステムのダウンを願うガガを嘲笑うかのように、左腕の端末のモニタが激しく警告音を鳴らし始める。

 プロキシがもう限界という事を知らせる悲鳴だ。

 と、同時に画面には『ポットブロック』の使用を問う表示が現れる。
  ポットブロック
 『組織閉鎖』とはウイルスや相手の攻撃に侵されつつある自分の体の区域を閉鎖し、斬り捨てる事によって現場から離脱する最終的な

 逃亡手段である。

 重要な情報さえ残っていれば、傷は後からいくらでも補修できる。

 しかし今逃げればミス・シンデレラの身が危うい。この場だけは何があっても絶対に退く訳にはいかないのだ。

 震える心にありったけの決意と勇気を込め、歯を食いしばってガガは瞳を閉じた。

 一定間隔で聞こえていた、耳が痛くなるような警告音が連続的に放たれ、そして遂に途切れる。

 プロキシの破片を撒き散らしながら、鮫の歯はガガの脇腹に食い込んだ。

 経験した事のない苦痛がガガの脳を痺れさせた。

 相手の肉を捕えた瞬間に鮫は牙のチェーンソーを作動させ、脇腹ごと食い千切らんと尾を振ってより顎に力を込める。

 「ぐあああああ!!」

 肺が潰れそうになるくらいの絶叫を上げながらも、しかしガガは左腕のポットブロックのスイッチには手を伸ばさなかった。

 脇腹では火がついたような燃え盛る苦痛と、骨を砕くチェーンソーの震動が伝わってくる。

 気が狂いそうな苦しみの中で、ガガはひたすら自分の一つの事を言い聞かせていた。

 痛みに負けるな! 負けるな! 負けるな!

  ウイルスなどと違いガガのような自我を持つ高密度の情報体は、そう簡単にカウンタープログラムにやられるという事はない。

 しかしそれも時間の問題のようだった。

 血液の代わりに傷口からは、ガガを構成する情報が黒いオイルのような液体となって空間に滲み出している。

 それを浴びて鮫は残忍そうに笑っているようにも見えた。



 「あのガキ…!」

 壁にまで追い詰められたミス・シンデレラの前の前で、突然シスター・ヴェノムの形相が鬼のように歪む。

 どこかミス・シンデレラには見えない所を睨み、悪態をつくその表情に砂嵐のようにノイズが混じった。

 「やってくれんじゃない、自家発電ナード野郎ォがァア!」

 「?」

 相手のあまりの激昂の様相に流石に後ずさったミス・シンデレラには一向に注意を向けず、シスター・ヴェノムはひたすら何かに対して

 途絶える事のない罵倒を口にしている。

 ぐらり、とスマイルマークの体勢が崩れた。

 風船のように浮いていたその球体は、重い金属の衝撃音と共に突然重力に逆らえずコンクリートの床に転がる。

 モニタはすでにノイズが占拠し、シスター・ヴェノムの姿も罵倒の声諸共消えていた。

 ミス・シンデレラはしばらく呆気に取られていたものの、すぐに我に帰ってスマイルマークの背後に回り込む。

 ある程度分解されて接続部分は半壊状態となっており、コードを抱え込むとスマイルマークに足をかけて力をかけた。

 「んぐぐ…」

 力仕事は苦手だった。よく妹に『男のクセに』と馬鹿にされる要因の一つだ。

 その細い腕が僅かな筋肉によって盛り上がると、コードの接続部分がギシギシという音を立て始める。

 なけなしの筋力を振り絞って渾身の力を込めた時、接続部分の番いが澄んだ金属音を立てて弾け飛んだ。

 「おわぁ?!」

 勢い余ってコードを掴んだままのミス・シンデレラが転倒し、床を二転三転する。



  シスター・ヴェノムは水槽の中を漂うガガを見つけ、憎々しげにそれを眺めていた。

 激しい憎しみが表情に満ちているが、しかしそれは害虫を見るような相手を見下した意思に溢れている。

 ガガは脇腹を噛み千切られて波間に漂う木の葉のように浮かんでいた。

 システムは完全に凍結しているが、ガガの意識が失われた事によりゆっくりではあるが再復興を初めている。

 しかしそれはもう意味の無い事だ。

 スマイルマークのコードは外されてしまったのだから。

 婦警姿のままハイヒールを高らかに鳴らして水槽に近づくと、拳でそのガラス面をノックするように軽く叩く。

 カウンター・システムの鮫が申し訳なさそうな視線を彼女に送っていた。

 次の瞬間、水槽と中の液体が消えて氷塊や魚などがバタバタと砂の上に注ぎ、その間を縫うようにガガの体は宙を舞う。

 空しく床で暴れる魚を避けてガガまで歩み寄ると、シスター・ヴェノムはその頭を掴んで小さな体を片手で釣り上げた。

 ぐったりとした体からは力が抜け落ちており、瞼は降りたままだ。

 水滴が長い前髪を伝って頬に落ちている。

 シスター・ヴェノムの中で再び彼に対する憎しみと怒りが再燃焼を始める。

 「やってくれんじゃない!」

 腰から抜いた、槍のように先端の尖った警棒を相手の顎に突きつけた時、違和感にふと彼女の眉根が寄った。

 何気なく警棒の先端をガガの胸に突き立てる。

 ガガの体は破裂音を立てて風船のように割れた。

 シスター・ヴェノムの眉間に青筋が走り、怒りのあまりこめかみが痙攣を起こす。
 ダミー
 偽物だ。

 恐らくガガはシステムが停止したらシスター・ヴェノムがすぐにここに駆けつけてくると確信していたのだろう。

 自分が逃げる時間を稼ぐ為に、彼女が気を取られるようこの水槽の中に自分の偽物を放り込んでおいたのだ。

 鮫に攻撃されている際、彼もまた相手のデータを解析し、カウンタープログラムに見つからないようデータを組み換えたダミーを

 造ったのである。

  怒りのあまり全身を震わせたシスター・ヴェノムは、どこにも持っていきようのない感情に地団太を踏んだ。

 今更ガガを追ってももう間に合うまい。完全に出し抜かれた。

 「あんーーーーーーーのガキャーーーーッ!!!」

 エメラルドグリーンの砂丘に婦警の慟哭が木霊する。



  ガガが自分の体に意識が戻ってまず感じたのは、焼け付くような苦痛だった。

 ずっと冷たいコンクリートの上に身を投げ出していたせいかひどく体が冷えているのに、溶岩を飲んだみたいに脇腹だけが内側から

 燃え出しそうな熱さを感じる。

 一応服をめくって腹に触ってみたが、ミミズ腫れはできているものの傷はできていない。

 これは意識レベルでできた、イメージとしての苦痛だ。ネット空間で受けた意識の傷に肉体がシンクロしているのだろう。

 すぐに収まる筈だ。

 地下駐車場の一角には災害時にも耐えられるように、頑丈な電話ボックスのようなものに包まれた非常電話がある。

 特別に付けられた照明の元、ガガはダイヴァーフォンの接続端子を回線に繋いでその場に横たわっていた。

  端子を外し、脇腹を押えながら壁に手をついて立ち上がると、闇の中でひらひらと羽根のようなものが踊っているのが見えた。

 ミス・シンデレラの黒い礼服だ。

 「ガガ!」

 半ば闇に埋もれて見える彼が金髪を振り乱しながら姿を現すと、ガガはようやく安堵に包まれた。

 「無事だったか」

 「いや、実はあんまり…」

 正直言って声を出すのも辛かったが、良く見るとミス・シンデレラも全身細かい傷や汚れまみれになっている。

 お互い必死の思いをしてきたようだ。

  ガガが脇腹を押えているのに気づいたミス・シンデレラが肩を貸そうとしたが、どうやってもお互いの身長的に無理だった。

 仕方なくミス・シンデレラが小柄な彼を肩車し、動きを止めたスマイルマークのいる場所まで戻る。

 「まったく何なんだ、こいつは」

 ミス・シンデレラが心底疲れたような溜息交じりに呟いた。

 先ほどまでの暴君っぷりが嘘だったかのように、スマイルマークは物言わぬ死骸と化してその場に転がっていた。

 表情には相変わらずノイズが走っている。

 「いつかもそうだった」

 遠慮がちに片手でミス・シンデレラの頭を掴み、体を支えていたガガがスマイルマークを眺めて答える。

 脳裏にはあのラブホテルで自爆したギガントの従業員の姿が過っていた。

 「シスター・ヴェノム自体はカウンタープログラムで、ネット空間のみの存在なんじゃないかな。

 端子を持つ何かに情報を送り込んで操作できるんだ。多分…」

 「操作ァ? このスマイルマークはテレビから出てきたんだぞ。

 大体端子を持つ何かって、このブツは一体どこの誰が何の目的で作ったんだ? それを何でその変態女が持ってる?」

 ミス・シンデレラがスマイルマークを爪先で小突く。

 少し考えてから、ガガは自信なさげに質問に答えた。

 「何か、こう…アレができるんじゃないかな。元素変換っての? あいつは今ある物から別の物を作れるんだよ。

 あの、その…ネット空間から情報を送り込んでさ」

 「漫画の読み過ぎだ」

 相手はガガの考えを一蹴したが、他に説明できる手段がない。

 このスマイルマークがあのテレビを材料に作り出されたというのなら、かなり無理はあるが納得は行く。

 「とにかくマダム・ホーンヘッドの言う通り、とりあえずはゴッドジャンキーズに会う事だな。

 ふむ、こいつは俺がもらっとこう。なかなか興味深い」

  ミス・シンデレラがスマイルマークの顔の前にしゃがみ込み、表面に触れる。

 途端に表情のノイズが波のように引いてゆき、円状に配置された数字と一本の針が表示された。

 タイマーと化したのだ。

 秒針は30秒までしかない数字を追って速くも回転を初め、その先端が最後に行き着く先には爆弾のイラストが表示されている。

 爆弾は爆発するアニメーションを繰り返していた。

 ミス・シンデレラが表情を引きつらせて頭上のガガの顔を見上げる。

 「接続は切れてる筈だよな…?」

 「えと…切れて一定時間が過ぎても回線が復興しない場合は、自動的に自爆するようになってたとか…」

 顔を見合わせた二人の時間が一瞬、停止する。

 「わあああ!」

 沈黙を砕いたのはミス・シンデレラの悲鳴だった。

 慌てて地上に続くスロープに向き直ると、振り落とされまいと必死に頭にしがみつくガガを肩車したまま全速力で走り出す。

 あの球体にどれほどの火薬が詰まっているかは不明だが、とにかくここにいては確実に助からない。

 「変態女め!」

 とんでもないシスター・ヴェノムの置き土産に罵倒を口にしつつ、ミス・シンデレラはスロープを駆け上がってゆく。

 ガガは頭を天井にぶつけないよう身を屈めつつ、それでいて落ちないようにバランスを取るので必死だったので、よってスロープの

 上にいる人影に気づいたのはミス・シンデレラが先だった。

 警備員か何かだと思ったが立ち止まる訳にもいかず、構わず脇をすり抜けて突っ切ろうと身構える。

  人影は二つあった。

 片方は長身、もう片方は小柄で華奢。

 ミス・シンデレラが妙な違和感を感じたのは、二つとも確かに人間の筈なのに両方とも恐ろしく無機質で、まるでこの地下駐車場に広がる

 闇を人型に切り抜いてそこに置いてあるだけのようなその存在感だった。

 二人とも微動だにせずにその場に立ち尽くしており、何故かミス・シンデレラは自分の行き先を封ぜられているように思った。

 「おい、逃げろ!」

 マネキンに話し掛けているような不毛感に襲われながら、その二人に声をかける。

 「爆発するぞ!」

 「ご忠告ァ感謝致しますがね」

 答えたのは背の高い方のようだった。

 透き通った男の声が暗黒に滲み出るようにして発せられる。


 「私らアンタ方を助けにきたんで」

 すっと男の片手が上がり、手にしていた直径60cmほどの輪が僅かな灯りの元に晒された。

 相手の言葉の意味が飲み込めないミス・シンデレラの頬を掠め、男の手を離れて投擲された輪は一直線にスマイルマークに向かって行く。

 ミス・シンデレラとガガは輪が放つ、鉄を切る時の火花が散るような凄まじい金属音を聞いた。

 振り向いた彼らの視線の先では空気を切り裂くその輪は青白く輝いて見え、スマイルマークを紙のように両断して男の手元に戻ってくると、

 鳴りも光もすぐに消えた。

 完全な左右対称に真っ二つになったスマイルマークはそれぞれ内部を晒して床に転がり、それっきり二度と動く事はなかった。

 「攻撃を加えたら時間を待たずに爆発するって思わなかった?」

 小柄な方が憮然とした声を出す。

 男はあっけらかんとしてのんびり答えた。

 「そこまで考えてなかった」



  駐車場から出、陽光の元まで来ると二人は自己紹介をした。

 ホノカグヅチと名乗るさっき光輪を放った方は、場違いな長いタキシードに蝶ネクタイをつけた若い男で、どこかマネキンのような妙な

 存在感のなさを感じさせる不気味な雰囲気を放っている。

 多めの髪と詰襟に半分隠れた顔は端正だが、やはりどこか造形物じみていた。

  もう片方の背の低い方はイコンと名乗る、長い黒髪の美しい13か4くらいの少女だった。

 薄布のようなドレスを黒い革のベルトを何本も用いて体に固定しており、やはりこちらもどこかマネキンのような美少女だ。

 イコンの方はガガに興味があるようで、赤と茶のオッドアイでじっとそちらを睨んでいた。

 冷たく澄んだ表情の中に不機嫌そうなものを潜ませており、ガガはどうにも彼女が苦手で、ここに来るまでなるべく目を合わせないように

 していた。

  二人共自らがゴッドジャンキーズである事を明かし、それを踏まえて説明を始めた。

 場所はここに来る途中、スマイルマークに追い掛け回されていた際に突っ切った大きな公園だ。

 広場の中央にはそれが転がった後が今もくっきり残っている。それを見下ろしながら、ホノカグヅチは面倒臭そうな口調で話した。

 「でまあ、ここらの地下駐車場一体は地下街や他の駐車場なんかと大体繋がってましてね。

 ホラ、いつだったか法律が改正されたでしょう。震災の時や何かに地下に閉じ込められた場合の逃げ道を確保する為に、地下駐車場を作る

 場合は近くに地下街とか別の駐車場があって、それと繋げなきゃなんねえとか何とか…まあ、えー…それはどうでも良くて」

 要領を得ないと自分でも思ったのか、切り口を変えて彼は続ける。

 「私らはまあ、その通路を通ってきたってワケです。

 どうゆう事かっつーとですね、クシミナカタ様のご託言でアンタ方が危険だって事がわかったんですよ。

 一番暇な私らが向かわされたってワケで…」

 「全然わからんぞ」

 ミス・シンデレラは臆する事なく相手の話に割り込んだ。

 ホノカグヅチは溜息をつくと、やれやれと言った表情で傍らのイコンに視線を落とす。

 「…俺ァ説明が苦手なんですよ。イコン」

 「私達の根城に来てくれない?」

 歳に見合わない大人びたよく通る高い口調で、イコンが説明を代行した。

 彼女は相変わらずガガを睨んでいたので、彼は彼女に限らずいつもそうだが殊更相手の眼を見ながら話を聞く事ができなかった。

 「クシミナカタは今瞑想中で動けないけど、あの人から話は聞いているわ。

 あなた達が探している『クドリャフカ』の事」

 ガガが自分と視線を合わせたのに気づき、イコンは僅かに笑って見せた。






















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